四十二品目 帝都ラヴィニアの味はいつも一つ1
「ヒイラギ? 知らないな」
馬車の荷台で休息をとる男はそう返す。私はそれに短く礼を告げて、次は誰にしようかと人混みにまた目を向ける。
ヒイラギを探せ――。
それはシラサカが帝都に入るなら、それが一番手っ取り早いと別れ際にくれた助言だった。
もちろん聞いた当初は信用できないと聞き流していたし、本来なら当てにすべきではないと分かっているのだが、取り付く島もないとなれば、もはや頼らざるを得ない。
そう、何者かに襲われた帝都が警戒して門を閉ざすところまでは理解できるが、そのあと。門の外に内と連絡を取れる者、すなわち門番すら立たせていないというのは、どういう了見であろうか?
ともかく私とキリボシはそのせいでヒイラギなる者を探す羽目になり、ついでに情報収集などをしてみたものの、はっきりしたことといえば帝都が見た目以上に傷つき、怯えているということだけだった。
でなければ勝手に集まってきた避難民だけならまだしも、帝国が排他的であればこそ大事にすべき自国民までまとめて締め出したりはしないであろう。
ただその弊害というべきか、恩恵というべきか。
正門の前で長い列を作る荷馬車を中心に、行き場を失った商品が取引されては、金と物だけは入れていた城塞都市と違って、ここ帝都の外にはものが溢れていた。
「本当にすごい活気だね。あっ、蒸し器だ。それにこの鍋……アザレアさん! この鍋、取っ手が外せるみたいだよ!」
「分かった、分かったからフラフラするな」
完全に観光気分だなとキリボシの腕を掴んでは、次はあの老人に聞いてみるかと歩を進めていると、不意に並んだ馬車の影から、行く手を塞ぐようにまだ年端も行かない黒髪の少女が飛び出してくる。
「ヒイラギさんを探してるって聞いたんですけど……」
どうやら昼を目前に、ここまで聞き続けた成果がようやく出たらしい。
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「ここです」
喧騒を離れ、足早な少女に先導されては当たり前のように、また人目を憚るようにしてすり抜ける帝都の壁。
本当かと疑いながらも、ついていくしかないよなと踏み入れた椅子と机しかない殺風景な一室に、いよいよかと気を引き締めていると、キリボシが急に慌てだす。
「アザレアさんっ、髪がっ」
「落ち着け、たまにあることだ」
恐らく帝都に施された何らかの魔法が干渉しているのであろう、解け始めた身体変化を再度自身の体に施しては、赤く染まりかけた髪を黒に塗りなおしていく。
しかし途中までは問題ないというのに、どういうわけか完全には元に戻ってくれない。
まあ、また解けないとも限らないわけだし、人間に見えるならそれでいいか?
そんな風に妥協点を探していると、少女が赤と黒の入り混じった私の髪をチラと見て、すごく困ったような顔をする。
「帝都内での幻影魔法の使用は重罪ですよ?」
「幻影魔法ではない」
そう否定すると少女は渋い顔をするだけでなにも言い返してはこなかった。ただ無言で椅子を二つ引いては、座るよう促してくる。
それで遠慮なくとキリボシと共に腰を下ろしたところで、少女もまた机を挟んで反対側の椅子にそっと腰を下ろす。
「なるほど、ヒイラギはお前だったか」
「都合がいいのでそう名乗っているだけです。勘違いされているようですが、それは個人の名称ではありませんよ」
少女は口角を上げる。その愛想笑いの上手さに、ああ、少女は少女ではなかったんだなと思わず苦笑が漏れる。
「それで? シラサカに言われて招いてはみましたが、どのような目的でお二人は帝都に?」
「シラサカ? なんだ、帝国憎し縁を切ったような口ぶりをしていたわりに、しっかり繋がっているじゃないか。まあ、この際だ。はっきりさせておくが、私たちは魔法と料理を少しばかり学びに来ただけ。それ以上でもそれ以下でもない」
「シラサカは私の元部下です。優秀だったんですが、少し情に絆されやすいところがありまして。それが急に連絡してきたと思えば、安住の地から帰ってきた者が現れたというではありませんか。そこで提案です。お二人の目的もはっきりしたことですし、ここはひとつ、お互いに欲しいものを交換といきませんか?」
ヒイラギはまた上手な愛想笑いを浮かべる。それに私が愛想笑いの一つでも返せば話はまとまるわけだが……交渉ごとにおいて焦りは禁物だ。
取引の成立を急ぐことで相手に足許を見られることはよくある話。そして帝国はあきらかに急いでいる。
その理由の一つに襲撃されたことが含まれているであろうことは容易に想像できるが、ここまで明け透けにこられると、そう思わせたい何か別の理由や目的があるのではないかと勘ぐってしまう。
加えてヒイラギがシラサカと繋がっているのなら、シラサカに話したことがそっくりそのままヒイラギに伝わっていてもおかしくはないし、また伝わっていないと考えるのはあまりにも自分にとって都合が良すぎる。
となると共和国について現状、何も追加で話せることがないとするならば、そもそも共和国を手札にしての取引自体、成り立たなくなる。
やはり秘薬が鍵か。
結局そこに戻ってきては、どう切り出すべきかと考えていると、部屋の扉が荒々しく開かれる。
「ヒイラギィ! お前、外の人間を――あれほどいれるなと俺に言っておきながら!」
「落ち着いてください、サエグサさん。客人の前ですよ?」
筋骨隆々な騎士風の女性に胸倉をつかまれては、その場に浮かび上がるヒイラギ。なるほど、これがあるから急いでいたのかとすっきりした気持ちでそれを眺めていると、咄嗟にそうしてしまったのであろう。
キリボシがサエグサと呼ばれた女性の腕を横からつかんでは、ヒイラギから強引に手を離させてしまう。
「っ――お前ッ!」
おいおい、ややこしくなってきたなと傍から眺めていると、自分でもやってしまったという自覚があったのであろう。
素直に頬を殴られるキリボシと、殴っておきながら痛がるサエグサという意味不明な光景を前に、ヒイラギが場に収拾をつけようと二人の間に体を割り込ませたその瞬間、まだだとそれを拒否するように部屋の扉が控えめに叩かれる。
「あの、ヒイラギさん。今回の件、もう皇子の耳に入られたみたいです。それでその、皇子が二人をつれてこいと」
「サエグサさん……」
呆れたと肩を落とすヒイラギに、下から見上げられたサエグサは気まずそうにしながら、そっと目の前の少女から目を逸らした。
どうやら私とキリボシは、これから帝国の皇子に会うことになるらしい。




