八品目 バルバラのネズミ
商人? 滞在期間は? 短期? さっさと入れ。
必要最低限のやり取りでバルバラへの道を開けてくる門番。その想像とかけ離れたあっさりとした対応にやや拍子抜けしながらも、まあ入れるならいいかと私とキリボシはバルバラの門をくぐる。
途中、朝焼けと共に背中へと見送る一枚目の壁が随分と薄く感じられたが、きっと対応の緩さが原因だろう。
やがて見えてきた来訪者を歓迎する大通りと市街地の華やかな外観を前に、抱いた違和感などどうでもよくなっていた。
そして大通りを歩いているうちに、自然と開いていくキリボシとの距離。それとなく私が足を止めるとキリボシが慌てた様子で戻ってくる。
「ごめん、つい肉の匂いに釣られちゃって。アザレアさんはそうだよね」
「アザレアさんは?」
私は思わず眉間に皺を寄せる。それはどう考えても過剰な反応だったが、自分でもなぜそうしたのか上手く説明できない。
ただ気を遣われたことよりも、気を遣わせたという事実が妙に引っ掛かり、気が付いた時にはもう揚げ足を取るようにキリボシの言葉を繰り返していた。
「ああいや、別にその、他意はなくて」
「違う。分かっている。だから朝食は肉にする。肉を食べに行くぞ」
有無を言わさずとキリボシが釣られた肉の匂いを頼りに私は歩き出す。
本当に自分は何をやっているのだろう。いや、何を言っているのだろう。勢いでごまかすしかない自分が妙に恥ずかしく感じられてならないが、これ以上言葉を重ねたところで余計にややこしくなるだけだろう。
遅れて後を追いかけてきたキリボシは何やら言いたそうにしながら口をパクパクさせていたが、結局なにも言ってこなかった。
そのままお互い何を言うでもなくただ歩き続ける。
辺りは早朝ということもあってまだ朝の喧騒には程遠い。そのせいか、鳥の囀りがよく聞こえる。
そんな落ち着いた静けさを破ったのは、キリボシのしみじみとした呟きだった。
「言葉って難しいよね」
私は思わず笑ってしまった。
「その通りだな。いや、別にお前の気遣いを不快に思ったわけではない。それにお前が肉の匂いに引き寄せられたのは体が肉を欲しているからだろう。ならば肉を食べるべきだ。テングダケに釣られた私が言うんだから間違いない」
「逆にすごい気を遣わせてる気がするんだけど……でも本当に? 肉でいいの?」
「私は肉よりも野菜が好きなだけであって、もっと言えば野菜よりも果物が好きなだけであって、肉が嫌いなわけではない。レティシアでもたまに食べてたしな」
そこまで言って私はふと足を止める。そして数秒後に頭をかいたのち、またすぐに歩き出す。
「つけられてるみたいだけど、なんでだろ。アザレアさん、心当たりは?」
「レティシアでもあるまいし」
私は苦笑する。
「少し走るぞ」
私はキリボシの返事を待たずに、大通りから人通りの少ない路地へと曲がった。そして右へ、左へ。時には行き止まりの壁すら越えてみるも、私とキリボシに土地勘がないのもあってか、なかなかにしつこく撒くことが出来ない。
そんな中、キリボシが今まさにと営業を始めた店に飛び込んだのを見て、私もすぐにその後を追う。
「何か考えでもあるのか?」
「いやその、もう逃げるのはやめにしようかなって」
「なんだ、捕らえて尋問でもする気か?」
「そうじゃなくて。振り切れないなら逃げても仕方がないし、今はつけられてるって分かっただけでもよしとしない?」
「ちょっと待て、少し考えさせろ」
私はそう言って腕を組む。そして次の瞬間には思考を中断させられる。私の目の前に不愛想な顔をした老婆が音もなく現れたからだった。
「ご注文は」
「え?」
「まさか。料理屋に入っておいて、何も食べずに出ていく気かい?」
「ああ、そういう……」
私はキリボシに目を向ける。その顔に浮かぶのはごめんという微かな苦笑だけで反対の意思は見受けられない。
それでこの店で食べるかは別として、話だけは聞いてみることにする。
「肉はあるんだろうな? それに値段も重要だ。安くて量があるならそれに越したことはないが、悪いが場合によっては他を当たらせてもらうかもしれない」
「へえ? お客さんもしかして持ち合わせが少ないのかい?」
普通そんなことを客に聞くか? と思ったが、ここはどこであろうバルバラ。すでに交渉が始まっていると考えれば、老婆の強気な発言にもうなずける。
しかし正直に答えたのでは交渉の余地すら残らない。
ではどうするか。スライムでは交渉にもならなかった私だが……。
そういえばキリボシが商人になりたがっていたなと、この際丸投げしてみることにする。
「どうだったかな。あー、主さま?」
「え? ああ、ええと、ある。あるよ。結構ある。こう見えても僕は倹約家だし、彼女は金級だからね」
「なんだ、レティシアからの冒険者かい。さっさと座りな。気の毒だから安さは保証するけど、味は保証しないよ」
へたくそ……と目を細くして隣を見ると、キリボシもまたどっちがという風に目を細めてくる。それからどちらからともなく外す視線。やれやれとため息交じりに私が席に着くと、キリボシも合わせるように対面へと腰を下ろす。
そうして何となく見渡す店内。内装はほとんど民家のようだが、まだ早朝かつ開店直後ということもあってか、私たち以外に他の客の姿は見えない。
どちらかというと静かな食事の方が好きな私にとってそれは歓迎すべきことだったが、どうやらこの店は朝から行列が出来るような繁盛店というわけでもないらしい。
まあ金がないのだからその辺には目をつぶるべきか。
そんなことを考えていると、頼んでもいないのに老婆が黒焦げの何かを二皿、卓上へと運んでくる。
「おい、まだ注文してないぞ」
「金もないのにいっちょ前に文句かい? 嫌ならさっさとレティシアにでもどこにでも帰りな。ああ、レティシアはもうないんだったっけか?」
はははと、笑いながら老婆は店の奥へと消えていく。しかし商人以外の地位が低いのは知っていたが……まさかここまでとは思わなかった。
「ここでは出来るだけ素性を隠したほうがよさそうだな」
そう小声でキリボシに伝えると、店の奥からあんたらには無理だよと老婆の声が飛んでくる。
商人は口も達者だが耳もいいらしい――じゃない。
さすがに言い返そうかと思ったが、そもそもそんな物騒なもの腰に提げといてと続けられて、確かにと口を挟む間もなく納得させられてしまう。
「とにかく食うか……」
「そうだね。いただきます」
二人してそそくさと握りこぶし二つ分ほどの黒焦げの塊を切り分ける。それからこの程度の匂いならと、ゴブリンの足元にも及ばない獣臭を無視して口に運ぶ。
「うっ、なんだこれ、生焼け――じゃないようだが」
私は安堵のため息を漏らす。自然と確認した断面は黒焦げになっているだけあって、これでもかと焼けているのが見れば分かる。
ただ生焼けだと錯覚してしまうようなこの食感は非常によろしくない。味も見た目通り、ほとんど炭でも食べているかのように苦みがあるだけだ。
これでは金を払ったところで、森と大差ないではないか。
そう思ったのはキリボシも同じだったのか。さっさと食べてしまおうと急いだ私とキリボシの完食は、驚くほど早かった。
「元からそのつもりだが、長居は無用だな」
「うん。その、あんまり……あんまりだね」
二人して逃げるように店を出る。ただ老婆の言葉通り、味は悪かったが値段は確かに安かった。何ならスライムよりも安くて驚いたぐらいだ。
「ホントに食べてるよ……冒険者ってのは、ホントにネズミも食べるんだね……」
背中から老婆の感心するような声が聞こえてきて、少しだけ勝ち誇った気分になる。
「なんだ。ネズミだったのか」
大したことないなと、私は笑う。
「たぶん路地にいたやつだね」
「それは聞きたくなかったけどな」
大したことあったなと、私は意気消沈した。
「まったく……それで? 結論がまだだったが、私としてはこの鬱陶しい尾行が何を目的に行われているのかぐらいは、知っておきたいところだが」
「その前に色々見ておかない? 何か起こってからだとただ街を歩くのも難しくなるかもしれないし。それこそここなら果物だって――」
「とりあえず大通りに戻るか? いやー、楽しみだなー」
朝食が安く済んだ分、昼食は奮発してもいいかもしれない。
私は不愛想な老婆に心の中で感謝した。




