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5話




 宮沢へのアポイントは、現在番組で共演中の賢志が連絡先を知っていたため、都合の付く日時を聞いた。ゆっくり話す時間はないが、劇場の出番前なら大丈夫だということで、その時間に会う約束を取り付けた。

 約束の日の八月初旬。その日は流哉は舞台の稽古、蒼太は地方で雑誌のスナップ撮影で都合が付かなく、行けそうだった煌と賢志の二人で向かうことにした。二人は、吉日(きちじつ)芸能の劇場『ルミネ・デ・吉日』がある新宿駅正面のルミネ前で待ち合わせした。変装した賢志が先に来て待っていると、同じく変装した煌が走ってやって来た。


「悪い、遅れた」

「押した?」

「ちょっとな。顔合わせだったんたが、貴美さんの前の仕事が押したみたいで」

「貴美さんも忙しい俳優さんだからね。次の仕事まで二時間だっけ?」

 煌は腕時計を確認する。「もうあと一時間半だな。行こう」


 時間が短縮してしまい、足早に七階の劇場へ向かった。劇場側には宮沢から話を通してくれていて、劇場の受付で待っていた宮沢のマネージャーに案内されて楽屋へと通された。

「STAFF ONLY」と書かれた扉を潜ると、バックヤードには仕切られた部屋がいくつもあり、若手からベテランまで多くの芸人がネタ合わせをしたりリラックスしたり、それぞれの時間を過ごしながら自分の出番を待っていた。まるでサーカスの裏を覗いているようだ。

 楽屋を覗くと宮沢はいなかったようで、「ちょっと待っていて下さい」とマネージャーは探しに行った。取り残された二人は、通路の片隅で待った。

 通路の壁にはモニターが設置してあり、リアルタイムで舞台に上がっている他の芸人のネタを見られ、お客さんの反応を見ることができ、モニターの下には出番の順番が書いてある香盤表(こうばんひょう)が貼ってある。


「そう言えば、さっき思い出したんだけど。煌も昔、劇団にいたって昔言ってなかった?」

「あぁ……小学校低学年の時だけだよ」

「ずっと所属してたんじゃないの?」

「事情があってやめなきゃならなくなったんだ。一度はやめた役者をまたやるなんて、思ってもいなかった」

「運命みたいだね」

「そんな簡単な言葉で片付けたくないけどな」


 などと話していると、擦れ違う芸人が二人に気付き始めた。


「あれ。なんか見たことある人じゃない?」

「お疲れ様です」

「お邪魔してます」


 二人は失礼だと思い、被っていた帽子とメガネを取って挨拶した。


「あっ! 活動再開したF.L.Yや!」

「ほんまや! なんでこんなとこにおるの?」


 ただ素顔を晒して挨拶をしただけなのに、あっという間に注目が集まり、どれだけ耳がいいのかどこからともなく芸人が湧き出て来た。


「え。アイドル来てるの?」

「アポ無しでアイドルなんて来るかいな。って、ホンマや!」

「すげぇ! F.L.Yの緑川煌と倉橋賢志だ!」

「呼び捨てすな! 馴れ馴れしいだろが!」

「F.L.Yってあの事件の」

「余計なこと言うなアホ!」


 次から次へと芋掘りをしたように現れ、二人の周りに芸人たちが群がった。芸人との共演経験はあるが、一度に何十人の芸人と絡んだことはない煌と賢志は、圧倒されたじたじになる。


「カメラは? 番組じゃないの?」

「今日は個人的な用事がありまして」

「もしかして、新しいドラマのキャラ作りとか?」

「いえ……」

「あの動画観たで! 凄いな! わし度肝抜かれたわ!」

「まだ若いのに勇気あるよなぁ。オレだったら絶対やらないわぁ」

「い、いえ。そんな……」


 立っていたのが壁際だったので逃げ場がなく、グイグイ来る芸人たちに困っていると、「賢志くん! 緑川くん!」と芸人の壁の向こうから二人を呼ぶ声がした。

「お前らどけって」と後輩芸人たちを掻き分けながら姿を現した、坊主頭にメガネをかけた人物が宮沢だ。トレードマークのアロハシャツは、今日は水色にヤシの木柄をチョイスしている。

 アロハ宮沢は、吉日芸能所属の四十代のピン芸人だ。テレビで見ない日はないと言っても過言ではないくらいの、好感度抜群の超売れっ子だ。今日のスケジュールも、午前中に一本収録を終えてから劇場に来ていて、出番が終われば再びテレビ局へ収録に向かい、深夜にはラジオの生放送がある。因みにアロハシャツは仕事でしか着ていない。


「お待たせ。こいつらに変なことされなかった?」

「大丈夫です。皆さん歓迎ムードで」宮沢の顔を立てて忖度した賢志。

「それで、何か聞きたいことがあるって聞いたけど……って。お前らうるさい! 散れって! そっちの二人はもうすぐ出番だろ!」


 宮沢は「油売ってないで準備しろ!」と群がる後輩たちに怒鳴り、場所を変えようと言って二人を自分が使っている楽屋に通した。他の芸人と相部屋だが、閉め出して三人だけで話せるようにしてくれた。


「周りがちょっとうるさいかもしれないけど、ごめんね。俺も出番が近いから」

「こちらこそ。時間を作ってもらってありがとうございます」


 楽屋の中には私腹や衣装がハンガーラックにかけられていて、宮沢のユニフォームのアロハシャツも色違いで他に二着用意されていた。テーブルの上には、空き缶やペットボトルや電子タバコが雑然と置かれている。


「と言うか、活動再開おめでとう。番組も観てるよ」

「ありがとうございます」

「緑川くんの活躍も観てるよ。今は何か撮ってるの?」

「はい。これから秋ドラマを」

「そっか。もう秋にやるやつ撮り始めるのか。夏本番になったばっかりの上に猛暑続きなのに、大変だね」

「猛暑なのに長袖着なきゃならないから地獄ですよ。スタッフと出演者のみんなで、熱中症対策に試行錯誤です」

「じゃあこれから、三〜四ヶ月かけて撮るんだ。どんな内容のドラマなの。どこの局?」

「それは、そのうち告知します」

「だよねー。それで。何を聞きたいの?」雑談は、宮沢の方から適当に切り上げられた。


 楽屋は壁で仕切られているとは言え、厚い壁ではないし、換気のためか上が五十センチくらい空いていて、普通の話し声では外に漏れ聞こえてしまいそうだった。なので、少し声を抑えて煌は話を始めた。


「単刀直入に聞きます。『黒須』という人物を知ってますよね」


 煌がそう尋ねた途端、神部のように宮沢の表情が一瞬強ばった気がした。


「誰から聞いたの」

「神部プロデューサーです」

「神部さんかぁ……」


 名前を聞いて、宮沢は椅子の背に凭れて天井を仰いだ。宮沢は、昔のF.L.Yの冠番組以外でも神部と一緒に仕事をしているので、もちろん知っている。宮沢は「あの人しゃべっちゃったのかぁ」と若干呆れたが、そのあと、なぜか不信の目を向けて訊いた。


「きみたちの動画を観て、もしかしたらあいつを知っている俺のところにもそのうち話を聞きに来るんじゃないかと思っていたんだけど……もしかして、俺のこと疑ってる?」

「お世話になった人を疑うなんて、そんな訳ないじゃないですか。ただ『黒須』を探し出すために、知っている人を探して話を聞いているだけですよ」

「そっか。ならよかった」


 どうやら宮沢は、東斗の事件への関与を疑われるんじゃないかと心配していたようだった。煌の言葉に胸を撫で下ろした宮沢は、安心して『黒須』のことを話し始めた。


「あいつのことは知ってるよ。同じ劇団にいたことも聞いたんじゃない?」

「聞きました。先輩と後輩だったんですか?」

「そうだね。でもすぐにやめてったよ。半年もいなかったかな」

「どのくらい前か覚えてますか?」

「俺が劇団に入りながら芸人もやり始めてた時だから、二十代後半の時だったかな。入って来た時のあいつは十代だったと思う。劇団に入る何ヶ月か前に、大学を三ヶ月で中退したって聞いたから」


 宮沢は現在四十五歳。と言うことは、初対面は今から二十年くらい前になる。結構古い知り合いのようだ。


「今は会ってるんですか?」

「ここ数年会ってない。昔は、一応後輩だったからメシを奢ってやったりしたこともあるけど。携帯の番号変えられてから連絡は取ってない」


 番号変更の連絡もなく、LINEやSNSのアカウントも知らないらしい。大学中退後の『黒須』はアルバイトをして生計を立てていたが、きっと今はどこかの会社に就職して立派に働いているんだろうと思っていた……と、宮沢は彼を案ずるような面持ちだった。 


「じゃあ。その人が違法薬物の売人なのは知ってましたか?」

「えっ。いや……」


 煌が尋ねると、宮沢は正面の煌と視線を合わせたあと賢志の方もちらっと見て、少し動揺しているように見えた。


「神部さんが、違法薬物を買っているんじゃないかという噂を聞いたと言っていましたが」

「俺が!? まさか! 買ったことなんてないよ! 確かに何度か勧められたけど、全部断った! 本当に!」


 宮沢は必死に噂を否定して、なんなら自分のバッグを確かめるかと言ってトートバッグを持ち出してきたので、二人は「わかりました。信じますから」と断った。

 煌は動揺が収まった宮沢に、『黒須』という名前が偽名かもしれないことも尋ねるが、それは初耳らしく、宮沢は心底驚いていた。宮沢の様子を観察していた賢志は、彼は一つも嘘はついていないと煌に首を振った。


「宮沢さん。他に『黒須』の連絡先を知ってる人って……」

「どうだろう。昔から携帯番号はしょっちゅう変えてるらしいから」

「それじゃあ、『吉岡』っていう芸能関係者も?」

「『吉岡』?」


 宮沢はまた煌と賢志と視線を交わした。その表情は、いささか訝しげに見えたような気がしたが、宮沢は腕を組み首を傾げる。


「いや。わからないなぁ」

「そうですか」


 宮沢なら神部よりは情報を持っていそうだと期待していたが、またもや大した情報は得られなかった。

 しかし何故、そんな頻繁に番号を変えているのだろう。名前が本名と違うという話と同じように、違法薬物の売人故に、名前や連絡先から足が付かないように変えているのだろうか。


「ところで、森島くんは元気? 嵌められたことを聞いたということは、会ってたりするの?」


 今度は宮沢から逆に尋ねられた煌と賢志は、顔を合わせた。昔の冠番組での縁や、ご飯にも連れて行ってくれたこともある宮沢には恩がある。あの事件の時も心配してくれていたので少しくらい現状を話しておこうと思い、時々会いに行っていることと近況を掻い摘んで話した。聞いた宮沢はホッとした様子を見せた。


「よかったぁ。森島くん元気なんだね。鬱になった上にアルコール依存症の手前までいったって週刊誌で読んで、ずっと都内で治療してるのかと思ってたけど。そっか。今は地方で療養してるんだね。誰かに状況を聞こうにも、きみたちの事務所の人以外は誰も知らないみたいだったから」

「記者に追われてSNSでも叩かれて、あれ以上、あいつを追い詰めたくなかったから、関係者以外には極秘で移住させたんです。すみません。今まで言えなくて」

「いいよ、気にしないで。森島くんが元気ならそれでいいよ」


 宮沢が心の底から安堵した表情を見た二人も、なんだかホッとした。ずっとその後の東斗のことを秘密にしていたが、元気でいることをこうして喜んでくれる人が関係者の中にいることが嬉しかった。東斗はまだ、受け入れてもらえる余地があるんだと。

 そこへドアがノックされ宮沢のマネージャーが顔を出し、もうすぐ出番だと告げた。


「じゃあ行くよ。あんまり話せることなくて、ごめんね」

「いいえ。ありがとうございました」

「あいつのことで何か新情報があったら、知らせるよ」


 宮沢はそれまでかけていた普通のメガネから黄色いフレームのメガネに変え、手ぶらでステージ袖へと向かって行った。これから観客を笑いで沸かせる自信を感じさせる後ろ姿は、頼り甲斐のある芸能界の大先輩の生き様を一瞬切り取ったかっこいい姿だった。

 宮沢の出陣を見送った二人は、劇場を後にした。


「期待してたけど、残念だったね」

「がっつり面識がある宮沢さんですら連絡先を知らないってなると、誰かを辿って『黒須』を見つけるのは難しいのかもしれないな」




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