7話
「嶺さん。オレと少し話そうよ」
「……話すって。何を」
「そうだな……これからのこと」
東斗はいつものようにリラックスして、数歩だけ貴美に近付いた。一方の貴美は身体の前で腕を組み、戸惑っているようにその場から動こうとしない。
「嶺さん、正直に訊くね。嶺さんは、オレのことずっと好きだった?」
「え?」
二人の話を静観しようとしていた煌たちや仲元たちは、一体急に何を? と不思議そうな顔をする。突然そんなことを訊かれた貴美も困惑し、自分たちを見ている周囲のことが気になりチラチラ視線だけ動かす。
「どうなの、嶺さん?」
訊ねるその目は、愛しい人を見つめる眼差しでも、裏切られたことを恨んでいる眼差しでもない。ただ真っ直ぐに、彼女自身を見つめている。
回答を急かされた貴美は、仕方なく答える。「そ……それは、そうよ……付き合ってたんだから、好きだったに決まってるじゃない」
「お母さんに、オレとのけじめをつけろって命令された時も?」
「その時は……」
東斗から視線を外した貴美は言い淀み、答えるのをためらっているように見える。
東斗は、貴美の返事を待たずに告げる。
「正直に言うね。オレはもう、嶺さんのことは好きじゃない」
「……」
東斗の気持ちを聞いた貴美は、意外だった答えに逸した視線を再び交わらせた。
「理由を言うと、だんだん嶺さんといるのが辛くなったからなんだ」
「東斗……」
貴美は少し切なそうに、彼の下の名前を口にした。
「今度は、違う質問するね。嶺さんは、お母さんが好き?」
「えっ……」
「みんなが崇敬するお母さんは、嶺さんの誇り?」
「そ……それは、もちろんよ」
東斗の最初の告白に少し動揺しているのもあるのだろうか、貴美は即答できず戸惑いを見せながら答えた。すると東斗は、なぜか悲しそうな表情になる。
「それは嘘だ」
「……え」
「嶺さんは、自分の本心を誤魔化そうとしてる」
そう言った東斗はさらに貴美に歩を進め、手を伸ばせば触れられるくらいの距離まで近付き目を見つめた。そして、彼女の心の扉を無理やり開いて中を覗き、そこに隠れている本心を取り出そうとする。
「本当は、お母さんが好きじゃないんでしょ?」
「そ……そんなことないわ! 私は母が大好きよ! 母を尊敬しているわ!」
答えを否定された貴美は過剰に反応し、怒るように言い返した。それでも東斗は優しく、彼女の心の中に落ちている本心たちを拾い上げる。
「仕方がないんだよね。嶺さんは、そういう感情でいなきゃならないんだもんね。だって嶺さんは、教団代表の高島成都子の娘で、後継者なんだもんね」
「あなたも知ってしまったのね……」
煌たちは、東斗が何をしようとしているのか静かに見守り続けた。
「隠してたことは責めないよ。オレも、誰にも言ってないことがあるから……オレには〈絶対時間感覚〉の他に、もう一つ能力があるんだ」
「もう一つ?」
「オレが持ってるもう一つの能力は、〈人の本心を見抜く〉こと。その人の目を意識して見るだけで、心の中に仕舞い込んでる考えや隠してることが全てわかってしまうんだ」
つまり東斗は、二つの特性能力を持つ『特異能力者』だったのだ。その事実は煌たちも全く知らず感じることもなかった。
「第二種……いや。第三種特性になるのか?」
「ハルくんが、二つの能力を持ってたなんて……」
「人たらしの所以は、本当は能力だったってこと?」
驚く煌たち四人だが、これまで東斗が周囲の人々から慕われてきたことが能力によるものだったのかと考えると、驚愕するよりも充分に得心がいってしまった。
「だからずっと、嶺さんが心の中に隠してきた悩みや辛さも知ってた。自分のことを、とても責めていたことも」
「東斗。まさか……」
東斗のもう一つの能力を知り、貴美は悟る。彼が自分の秘密を知っていることに。
「嶺さんは」
「やめて東斗っ!」
「『変異性能力者』なんだよね」
それを聞いた瞬間その場にいる全員が目を見開き、貴美に視線を集めた。
「変異性能力者って、世界に例がほとんどないっていう、あの?」
「……やめて。違う……私はそんな人間じゃないわ」
貴美は顔色を変えて首を振り、あからさまに動揺しながら東斗に発言を撤回するよう求めるが、東斗はやめようとなかった。
「変異性能力者の特徴は二つある。一つは、第一種〜第三種特性を二つ以上持っていること。嶺さんはこれまで、プロにも負けない抜群の運動能力と、過去には芸術センスを評価された記録があるよね」
「確かに。番組のマラソン企画で初出場で一位になったことがあるよね。あれは第一種特性だったんだ」思い出した蒼太が言った。
「俺も第二種特性に関して、前に少し聞いたことがある」煌も、ドラマ撮影の合間で聞いた話を思い出した。
「それからもう一つ。嶺さんが華丘歌劇団を退団して俳優としてテレビで活躍し始めたころ、話題になったことがあったよね。日本人で初めて世界に認められた俳優、“日本の誇り”の佐山エイ子と演技が瓜二つだと」
昭和の名優・佐山エイ子。彼女の栄光は現在も語り継がれる、誰もが知るものだ。三歳でドラマデビューするとその天才的な演技力が絶賛され、十二歳の時にアメリカの映画監督に声をかけられるとアメリカでスクリーンデビュー。全米からも演技を称賛された。その後はアメリカでの活躍が中心となり、数々の映画に出演し、海外の有名な映画賞を総嘗めする偉業を成し遂げた。日本でも国民栄誉賞を受賞し、永遠の日本の誇りとされた俳優だ。彼女の特性能力の有無は、逝去後の現在も明かされないままだ。
「当時は演技が瓜二つだったことから、佐山エイ子の血縁と噂されてかなり話題になった。オレは気になって、佐山エイ子が出ている映画を何本か観ました。そしたら驚いた。台詞の言い回し、間の取り方、仕草、目の演技、頭の天辺から指先まで行き届いた神経。何度観ても、嶺さんの演技の全てが佐山エイ子と似ていたんだ。……いや。似ていたとか瓜二つどころじゃない。寸分の違いもなかった。まるで、佐山エイ子があなたになったかのように」
「まさか、その完全な生き写しの演技も特性能力」
「第二種特性か」
「二つどころか、三つも能力を持ってたのかよ」
「だが。変異性能力者の特徴はそれだけじゃない。その最大の特徴は、成長途中での能力の発現だ。通常は三歳ころに発現し始める能力が、十代や二十代になってから発現するのがその特徴」と、煌が言う。
「そう。嶺さんは、生まれた時は特性能力を持っていなかった。だけど成長するにつれて能力が発現した。それは普通の人なら喜んだかもしれない。だけど教団代表の娘である嶺さんは、それは何が何でも許されなかった。だから嶺さんは苦しんだ。お母さんにバレて激昂されて、瞋恚の目を向けられて、信者たちからも冷眼を向けられ、母娘の縁を切られそうになった。だから能力を隠し続ける誓いを立てて、それからずっと凡能者を演じ続けてる。お母さんに嫌われたくないから」
「やめて……」貴美は聞きたくないと耳を塞ぐ。
「佐山エイ子の演技をマスターしたのは、彼女のファンだったお母さんのため。華丘歌劇団に入団したのも、トップ男優になって華丘が好きなお母さんを喜ばせるため」
「違うわっ!!」
貴美は、両手を塞いだまま叫んだ。腹から発せられた叫びは、何もないスタジオじゅうに響いた。そして貴美は、独り言のようにブツブツとひたすら自分を肯定する言葉を並べる。
「違う。違うわ。私は能力なんて持ってない。変な名前の有性者なんかじゃないわ。だってそうでしょ。私は凡能者のお母さんの子供だもの。ちゃんとお母さんのお腹から生まれたもの。私が汚らわしい人種の力なんて持ってるはずがない。そんなわけがないでしょ!」
最後は東斗に向かって叫んだ。目を赤くして、潤ませながら。
すると、それまで黙って傍観していた『黒須』が口を開いた。
「そういえばあんた、ストレス緩和のために違法薬物をやってるんだよな。最初俺のとこに買いに来た時、だいぶヤバそうだったの覚えてるよ。今でも俺から買ってるってことは依存したか、もしくは、まだストレスから逃げてるかじゃないんですか」
「まさか、変異性能力者になったせいでずっと抑圧状態なのか」
貴美の心の中が見えていた東斗はもちろん、彼女が違法薬物を使っていることもわかっていた。しかし敢えて、それを知らないふりをして交際を続けた。彼女が抱えているものも全て知っていたからだ。東斗はそんな彼女に寄り添い続けた。一つの思いを抱き続けながら。自分の言葉で、彼女の心の中に落ちている言葉を一つでも包むことができるなら、と。
「ねえ、嶺さん。本心を言って。隠し続けてる本心をオレに話して。オレは嶺さんがずっと好きだったよ。愛してたよ。だけど、オレと何してても嶺さんが苦しそうだから、悲しそうだから、そんな嶺さんを見てるのが辛くなったんだ。嶺さんを救える自信が、なくなっちゃったんだ」
交際を始めた当時は、東斗はまだ二十にもなっていなかった。一緒にいてあげれば、いつかきっと自分に一つずつ話してくれる。だって、好きだから。愛しているから。それは二人とも同じだから。ずっと一緒にいれば大丈夫になる。東斗はそんな浅はかに考えていた。
なんて自分は幼く、愚かだったんだろう。東斗は過去の後悔を言葉に少しだけ乗せて、切なそうに話す。
「でも今日もう一度会って、今度こそちゃんと話したいと思ったんだ。もう好きにはなれないかもしれないけど、ちゃんと嶺さんと向き合って、本当の嶺さんに会いたいって」
罪を背負わされて途方もない時間ができて、過去を振り返ることができて、年齢を重ねて、それにようやく気付けた。相手を慮ってばかりでは、言葉の一つも包んであげられないのだと。
「だから……」
自分はあのころに既に罪を犯していた。愛する人の心を放っておいてしまったという罪を。だからあのころできなかったことを、一つでもやり直させてほしい。そう言おうとした時、貴美は東斗に真っ直ぐに顔を向けた。
その表情は事実を暴露されて動揺してもなく、東斗の気持ちに心を動かされた様子でもない。無表情に近かった。




