6話
「僕は《S》のことを教えてあげるよ。緑川くんの言った通り、《S》は特性能力を抹消するための薬だ。長年開発を続け、完成品に近い効果のあるものをサプリにして、生天目さんたちに健康と喉にいいサプリだよって渡した。治験者になってもらうためにね。そして効果はデータ通りだった。だからようやく生産にこぎつけることができたんだ」
「なんでそんな薬なんか」
「なんで?」仲元は鼻で笑った。「そんなの愚問だよ七海くん。この世から特性能力を消滅させて、みんな平等になるために決まっているじゃないか。『人類みな平等』って、地球のスローガンだろう?」
緊張状態から開放された仲元は、饒舌に話し続ける。
「きみたちは、凡能者が現在世界中にどのくらいいると思う?」
「えっと。学校で習った時は確か、10%くらいだった気が……」
「そんなにいないよ玉城くん。最新のデータでは、世界中にいる凡能者はたった2%だ」
「2%……」
「そんなに少ないのはなぜだと思う? 単純さ。有性者が凡能者との婚姻を拒むからだ。昔から有性者は凡能者を選ばず、有性者同士の婚姻が圧倒的に多かった。例え有性者と凡能者が婚姻を決めても、周囲が認めず社会的にも認められず早々に婚姻が破棄になるか、どちらかが社会の圧に負けて人生の脱落を選択するしかなかった。
中には有凡結婚で夫婦関係を奇跡的に継続して子供をもうけたりするけど、能力持ちの子供が生まれる確率よりも凡能の子供が生まれる確率の方が高い。もちろん、凡能者同士の婚姻もあるけれど、その夫婦は社会から淘汰される凡能の子供を生むよりも最初から生まない選択をする。その負のループのおかげで、有性者は全人類の98%を占めていて、凡能者は世界にありんこくらいしかいないのさ」
「だからそんなに少ないのか……」
「数字にすると非常にわかりやすいだろう。法が整備されても、凡能者は肩身が狭い思いをし続けているんだ。部屋の角に溜まったホコリみたいにね。だから偉大なるマリア・和子は、せめて人口のバランスを保てるくらいにしたいと考えた。でもその比率を自然に平衡させるには、何十年とかかる。有性者の反発もあるだろうから、何世紀もかかるかもしれない。それは現実的じゃなかった。その考えを変えたのが現在の代表である、偉大なるマリアの娘の成都子様だ」
和子亡きあと、教祖である成都子は信者たちに言った。
「このままでは、偉大なるマリアの望みがいつ果たされるかわかりません。有性者の脅威を未だに感じている今、いつ皆の家がなくなるかわからない。もういっそのこと、特性能力そのものをなくしてしまわないと、私たちの安寧の日々は何度夢見ても叶いません」
と、凡能者が生き残る未来への道を、どんな手段を使おうとも残そうと決意した。
「成都子様は素晴らしい英断をされた。僕は感銘を受け、治験が行われる際は是非とも協力させてほしいと懇願した。研究・開発は系列病院を通じて製薬会社と協力し、今日まで諦めずに続けて来た。そしてようやく……ようやくだよ! 偉大なるマリアの望みを叶える第一歩がやって来るんだ! あの日からどれくらいの月日が流れたんだろう。振り返ると、とても感慨深いよ」
心酔する仲元は感情的に熱く語った。無理もない。教団の前進の団体の時から和子と成都子、そして榎田とともに歩んで来た、教団創設メンバーであるのだから。悲願の第一歩がようやく踏み出せることは、人類が月に降り立つ瞬間のように感動し高揚してしまうのだ。
「けど、開発費用はかなりの金額が必要になるはずだよな。そんな金どこから。献金で賄ってたのか?」
仲元の高揚など微塵も共感できない流哉は冷静に疑問を抱く。その言葉で煌は気付いた。
「そうか。棄教したいと言った賢志に多額の金を要求したのは、薬の生産のためか」
「その通りだよ。他にも政治家の裏金や、財閥の会長といったところからの支援が一番多いかな。信者からの献金の一部も使わせてもらってるけどね」
それだけでなく。教団が十数年前から凡能者以外も救済の対象としたのは、薬の開発に充てる献金を集めるのが目的だった。
「そしてその金は、もう一つの《P》にも使われてるのか」
「だが。なぜ特性能力を排斥する教団が、能力増進効果のある薬の開発なんて」
煌は仲元に尋ねたが、彼はふいっと視線を逸らした。貴美も答えるつもりはないと口を閉ざし続ける。
「お前たちに教える義務はない」黙秘する二人の代わりに榎田が答えたが、「いやある」煌は食い付く。「《S》のように《P》も知らないうちに摂取させられたらたまらないからな」
「そっちは一般人の手に渡ることはない。そしてお前たちが知る必要もない」
ここまで秘密裏の新薬開発を暴かれておきながらも、榎田は口を割らない。さすが現役の国会議員。秘書が用意したシナリオ以外は語らないつもりのようだ。だが爪を立てて煌は食い下がる。
「ということは、特性能力犯罪者を増やして排斥運動を促そうなんていう、昭和的なことを計画してる訳じゃないんだな。《S》は能力抹消薬だから世間にばら撒くつもりなんだろう。だが《P》は、治験が終わっても一般人にばら撒くことは考えていない。そして、防衛大臣のあんたが関わっている。……ということは、そっちは国が絡んでるのか」
そこまで推考して、煌はハッとした。
「……だから東斗の事件で報道規制が敷かれたのか。教団の関与が明るみに出るのを防ぐために。その先の、秘密裏に行っていた薬の開発を嗅ぎ付かれないように。俺たちの『黒須』探しを妨害したのも、澤田さんたちを監禁・監視したのもその理由で……そうなんだろ」
煌はさらに爪を立てギラリと鋭い視線で榎田に問い質すが、仲元と違って口が固い榎田は「黙秘する」と言い全く口を割ろうとしない。後ろ手を組み、その後ろに隠してあるものを何があろうと絶対に見せぬという立ち姿を崩さない。
「あんたなぁ。この期に及んで……!」
「待ちなよ煌」
苛立つ煌は口を割れと榎田に迫ろうとしたが、東斗が冷静に止めた。
「これ以上問い質そうとしても無駄だよ。何も話す気はないみたいだから」
「だが」
「一応これで、煌たちの目的は果たしたでしょ?」
獣のような荒々しい気質になりかけている煌に東斗は笑みを向けると、煌は立てていた爪を素直にしまった。
東斗の事件の真相と失踪の原因の事実を暴き、賢志に要求した違法な献金の使い道も聞け、業界内の一部と世間を騒がせている謎の薬のこともほとんど訊けた。これで、煌たちの目的はほぼ果たされた。
「だから最後に、オレに少し時間をちょうだい」
「東斗?」
「オレはオレの決着を着けないと」
そう言った東斗は、貴美へ顔を向けた。貴美も東斗へ顔を向け、それぞれ違う思いの視線が交わった。




