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4話




「去年の十月。煌たちが帰ったあと、オレは次の来客を待っていた。だけどその人が来る前に、訪ねて来た人がいた。それが『黒須()』だった。彼に嵌められたと思っていたオレは、追い返そうとした。だけど彼はあの事件のことを謝罪して、オレが狙われた理由を含めて全てを話してくれた。そして彼は、再びオレが教団に狙われていることを教えてくれて、もうすぐ来てしまうから逃げる支度をしろと言われて、オレは訳がわからないまま最小限の荷物だけを持って家を出た。それから彼の車に乗って彼の自宅に行き、そこで改めて再び狙われる理由を教えてくれた」


 落ち着いていきさつを話した東斗は、貴美に真剣な顔を向ける。


「あの約束してた日、オレに再び手を下そうとしたんでしょ。(れい)さん」

「えっ……」


 回りくどい言い方ではなく直接的に訊かれ、その問いに答える用意をしていなかった貴美は言葉を詰まらせる。


『黒須』は貴美に言う。「教団内の俺の取引相手は、あんただけじゃない。あんたが元カレの森島さんとのけじめをつけるように言われたらしいって噂が、俺の耳に入ったんですよ。教団内の情報漏洩、もう少し気を付けた方がいいんじゃないんですか」


 東斗のことを気にかけた『黒須』は自身の人脈を使って再びアロハ宮沢と連絡を取り、彼を頼りに東斗の居場所を特定したのだった。


「だから彼は、俺を助けるために匿ってくれたんだ。本当は煌たちに状況を早く知らせたかったけど、しばらくは教団の動きを気を付けた方がいいって彼が言うからそうした」

「一度仲間と連絡取ったらたぶん、すぐにでも会いに行くだろうと思ったから止めておいた。そしたら後付けられておしまいですから」


『黒須』は、噂通りの頭の回転の早さでそう推測した。そしてその推測は、あながち間違いではなかった。


「待ってちょうだい。私が森島くんに手を下すって、いい加減なことを言わないで。と言うか、森島くんおかしいわよ。なんで自分を犯罪者にした人を信じられたの?」


 関与をうやむやにしたくて、貴美はわざと話を逸らした。だがその不可解な状況は、誰もが疑問を抱くことだ。今のいきさつを聞いても、自分の身を守るためとは言えそれは不可解過ぎる。煌たちも最初はそれが理解不能で、東斗は洗脳でもされているのかと疑ったほどだった。しかし、その不可解をある程度理解できるようにしてくれたのは、東斗自身だった。


「それは、彼が根っからの悪人じゃないからだよ。()()()()()()()()()()()()。煌が本当は情に熱いように。流哉が気遣いができる人のように。蒼太に誰にも負けない根性があるように。賢志が一人で抱えるくらい忍耐強いように。嶺さんは心の中で戦っている人のように」

「だからって……」

「人の魂に近いところをちゃんと真っ直ぐに見れば、誰だってわかるよ。その人の本質が。だからオレは、彼を信じられた」


 そんな非論理的に言われても理解できない貴美は、ただ唖然とする。


「それで、話を少し戻しますが」再び煌が進行を始めた。「今の話にあったように、東斗を再び狙ったのは貴美さん、あなたで間違いないんですね」

「だから身に覚えは……!」

「教団関係者のあなたは以前、東斗と交際していた。だがあの事件のあとに一度は縁が切れかけるが、密かに連絡を取り合い、関係を続けていた。それが教団代表にバレてけじめをつけろと命じられた。相手が有性者だったから、交際は許されることではなかったから」

「バカなこと言わないで! それはただの妄想でしょ? 私は森島くんの家なんか知らないし、行っていないわ! そんな証拠はどこにもないでしょ!?」


 いつもドラマの撮影現場ではクールな貴美は、乱れる感情を声に乗せて否定した。しかし東斗は、容赦も迷いもなくその反論を否定する。


「嶺さん、オレがいるのに嘘は通用しないよ。オレたちは付き合ってた。ドラマの共演後からずっと。長野に用事がある時や休暇が取れた時に、オレの様子を心配して家に来てくれたでしょ」

「森島くんまでやめて! 二人で脚本でも考えたんじゃないの!?」

「じゃあ。ネックレスは持ってる?」

「え?」

「コイントップのシルバーネックレスだよ」


 東斗がそう訊いたタイミングで、煌はズボンのポケットからコイントップのシルバーネックレスを貴美に見せるように出した。彼の手にある揺れるネックレスを見た貴美は、新たな動揺の色を現した。


「オレは、嶺さんがこれと同じネックレスを付けていたのを知ってる。今も付けているなら、見せて?」


 煌が持っているのは、東斗の自宅に落ちていたものだ。信者の証は失くせばまたもらえるのだが、煌は一か八かで貴美に白状させる材料にした。

 ネックレスを付けているなら、あの日東斗の自宅に行っていない証拠となる。ところが貴美は首元に手を近付けるどころか、口を真一文字に結び、手を持ち上げすらせず握り締めている。つまり彼女は現在、ネックレスを付けていない。忘れた訳ではないだろう。だが、紛失したのなら再びもらえるはずなのに、もらえなかったということなのだろうか。彼女の茶色い双眸に、恨めしさと悔しさが浮かぶ。

 さらに『黒須』は彼女に、“顧客”の信者からの愚痴を教えてやる。


「俺も、撮影現場で休憩中に電話で荒れてたって聞きましたよ。『一体なにをやっているの! 早くしなさいよ!』って。森島さんを確保できなかったのは自分の過失なのに、責任を信者に押し付けて探させてたんですよね。ハラスメントってやつじゃないんですか、それ」

「押し付けたんじゃないわ。仕事かあるから仕方なく……!」


 咄嗟の反論のために口を開いたが、それは貴美が自身の関与を認めたに等しかった。

 あのドラマのロケ現場で貴美が電話で怒鳴り不機嫌になっていたのは、東斗が見つからず苛立っていたからだった。よくスマホを気にしていたのも、信者から東斗確保の連絡を待っていたのだ。


「あと。一応ボクも、貴美さんが無関係じゃないっていう証拠を掴んでおきました」


 煌からバントタッチして、今度は蒼太が話し出す。


「僕には、一度嗅いだ匂いの記憶と種類を判別できる能力があります」

「第二種特性……」呟く貴美。

「ハルくんが失踪する直前に家に行った時に、ボクはある香りを嗅いで記憶していました。その香りは、一種類はサンダルウッドのお香、それから、三種類の香りをブレンドした香水です。さっき貴美さんがボクたちの横を通った時に、それらと同じ香りがしました」

「サンダルウッドのお香なんて誰でも買えるでしょ。香水も似たような香りがあるじゃない」

「確かにサンダルウッドは、どこにでも売ってるし誰でも買えます。だけど貴美さんの香水だけは、他の誰も持ってないんです」

「そんなことはないでしょう?」

「実は貴美さんが付けている香水は、オリジナルの香りなんです。それに気付けたのは、ある人が持っていた香水がきっかけでした。その人の香水には甘くスパイシーな香りが混ざっていたんですけど、その香りは、今、貴美さんが付けている香水にもブレンドされているんです」


 あの日カフェで嗅いだ生天目(なばため)璃里(りり)が買った香水と貴美の香水から、蒼太は同じ香りを感じた。それに気付き、璃里に購入した店と選んだ香りの名前を訊いた。


「だからって同じ訳が……」

「その香りの名前は、「スウィートシナモン」。聞いたところその香りは、全国に店舗がある中で恵比寿の本店でしか取り扱っていない香りだそうです。つまり、他のお店には絶対にない香りです。そして、ブレンド次第で何万通りと作れるので、他の人と被ることはないんです。店舗にも行かれたことがあると思いますが、それは知らなかったんですね。一応、ボクの記憶でブレンドした同じ香りの香水を持って来ましたけど、確認してみますか?」


 作った香水を持って来た蒼太は、ボディーバッグから小瓶を出して見せた。煌とともに恵比寿の店舗へ赴き、記憶した香りを四〇種類近くある中からスウィートシナモンを含めた三種類を選び、調合の割合をリクエストして作ったものだ。全く同じ香りであることは疑うまでもなく、貴美も同じであることを認めるように香りの確認を無言で拒んだ。


「それから。新宿のあるバーの半個室のソファーにも同じお香と香水の匂いが付着しているのを、ソウが気付きました」


 最後に流哉がしゃべり出した。


「付いたのが三日前だったんで、ラッキーでしたよ。しかもその三日前には『黒須』も来ていた。バーのマスターからやつが月に一度出入りしていることと、毎回必ず会っている女性のことを聞きました。どんな女性か訊いたけど、「お客さまの個人情報ですので」って断られた。けどその言い回しは、「俺たちも顔も名前も知っている人物」という意味にも取れる。自ら情報提供してくれたのに、一般人だったら特徴やだいたいの年齢くらいは教えてくれるんじゃないかと考えて、オレたちは芸能人の可能性を考えた。で。今ソウが言った通り、ハルの家と、バーと、今、貴美さんが付けている香水は同じものだと証明された。念のために訊くけど、お前が会ってたのは貴美さんで間違いないんだよな?」


 流哉は貴美ではなく『黒須』に尋ねる。


「間違いない。俺はあの人と月に一度あのバーで会ってる」

「デタラメを言わないで! 私にはそんな記憶はないわ!」

「否定しなくてもいいじゃないですか。……あー、そうか。芸能人なのに違法薬物を隠れてやってるのが後ろめたいからか」


 血相を変えて否定する貴美を無視した『黒須』は、彼女が違法薬物に手を出していることをさらっと暴露した。「『黒須』っ!」ばつが悪い貴美は彼を睨み付ける。


「ついでに言えば。オレたちに脅迫文を書いたのも、貴美さんですよね。便箋に微かに香水の匂いが移ってたみたいっすよ」

「でも自宅ポストに入れたのは、恐らく教団信者ですよね。煌たちに出会すことは避けたかったはずですから」

「貴美さん。『黒須』との繋がりと、東斗失踪のきっかけを作ったことを認めますよね」


 もう言い逃れはできないだろうと煌は問い質す。蒼太の能力と『黒須』からの証言でほぼ確実だが、往生際が悪い貴美は黙秘する。


「だから『黒須』にも仕事の依頼ができたのか。まさか、教団関係者が違法薬物に手を出してたなんてな」

「貴美さん、教団の事件への関与を認めて下さい。でなければ僕からも、事件が起きた原因を見せなければなりません」

「何を言っているのかしら。あなたにそんなことができる? それに素知らぬ顔でそっち側にいるけれど、あなたがそこにいるのはおかしいんじゃないの?」

「僕がここにいるのは、けじめを付けるためです。僕はもう、過ちは犯しません」


 賢志はスマホを手にして、ボイスレコーダーアプリに録音した音声を再生する。


「そんな! 僕はただ、減額の交渉をしたかっただけです。救って頂いた恩は忘れてはいません。ですがこのままでは生活もままならなくなってしまい、献金すらできなくなってしまいます。ですからどうか、哀れな僕たちにご慈悲を!」

「……まぁ。先日の貴方は、よくやってくれたようですしね。仲間をその手にかけるという、我々も驚く暴挙を成してくれましたから。おかげで大人しくなったようなので、聞くだけ聞きましょう」

「いいのですか、成都子様!」

「少しはその功績を称えてあげましょう。それで。どのくらい下げれば支払えますか」

「あと1000万……いえ。500万下げてもらえませんか」

「500ですか……。貴方は、新薬の治験者集めもしていたのですね。その一人あたりを10万円分として、3000万円の献金に宛てていた。貴方がこれまで集めた治験者は50人。つまり、500万円分は納金を終えています。現金でも120万円納金しているので、合計して620万円を納めていますね。3000万円から620万円を引いて、残りは2380万円……ここから下げてほしいと」

「はい」

「治験者集めは、サービスで加算していたはずですが、さらに?」

「お願いします!」

「……わかりました。では、300万円サービスして差し上げます」

「成都子様!」

「既にサービスをしているのですから、不満はありませんよね。これでも譲歩しているのですから」

「ありがとうございます!」

「ですが。残りはしっかり納めて頂きますよ」


 再生が止められる。そのボイスレコーダーに録音されていたのが明らかに高島成都子であることに、貴美も仲元も言葉を失う。


「ボクが違法薬物を売ることになったのは、棄教の条件として3000万円を要求されたからです。それをあなたに相談したら『黒須』を紹介してくれた。連絡先を知っているくらい、長い付き合いなんですよね?」

「多額の献金を納められなければ違法薬物を売させてたとか、慈善事業は名目かよ。全く呆れるな」


 貴美は反論を考えるも、動揺のあまりひと言も言い返すことができない。

 ここまで事件に関する全ての証拠を提示した煌は、恨みと、憤りと、苛立ちの炎を黒い双眸に灯し、信頼し続けてきた二人に向かって言い放つ。


「賢志は家族を普通の生活に戻そうと、途方もない大金を稼ぐために違法薬物に仕方なく手を出した。東斗はただ、金を貢がせるために仲間にそんなことをさせる教団が許せなかった。通常、棄教したい信者に対して多額の献金を求めることはない。3000万円を要求するのは明らかに違法です。教団側にどんな理由があれ、あなたたちは二人の人間の人生を壊して台無しにした! あなたたちには、それに対して償う責任がある!」




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