4話
番組が始まって半月の七月下旬。今日は都内を離れ、埼玉県内のアスレチック施設でロケをしていた。指定したゴールに早く辿り着いた二人だけがグランピング施設でバーベキューを食べられる、という内容で、結果は、高い所が苦手な賢志と蒼太が負け、煌と流哉がバーベキューにありつけることになった。
グランピング施設は離れた場所にあるため、一行はロケバスで移動する。煌たちが乗ったロケバスには、結城マネージャーとディレクターの庄司、そして今回も同行しているプロデューサーの神部も乗った。神部はスマホで誰かと電話をしていて、庄司はスマホで車内の煌たちのオフショット動画を撮っていた。
「何年振りとなるきみたちとの仕事だけど、本当にあの頃を思い出すねー。バラエティーのバの字もわからなかったのに、こんなに立派になっちゃって」
「あの頃の面子でこうしてまた番組を作れるのは、やっぱり嬉しいよな」
「あいだが空いたのほんの数年だけど、ボクたち本当に成長したよね」
「それ自分で言うの?」
一同は当時を想起しながら談笑をしていたが、流哉がふとしたことを言う。
「でもまぁ。これは無理なことだけどさ。本当は東斗もいてほしかったよな」
「七海くん。それは……」
庄司が困った顔で言うと、流哉は「使えないと思うから、カットでいいよ」と手でハサミを作った。
「そう言えば知ってる? あの事件のことがSNSで盛り上がってるって」
「盛り上がるは不謹慎だぞ、蒼太」
「色々な意見はあるみたいだけど、東斗のことを信じてくれてる人がいるのは、僕たちも嬉しいよね」
「そうだよな。あのことがあって、俺たちのスキャンダルもあって、もしかしたらファンが離れて行くかと覚悟してたけど、ちゃんと待っていてくれた」
東斗の事件の直後のスキャンダルだったので世間はだいぶ騒がしくなり、完全復活は不可能だと覚悟をして煌たちは活躍休止を決断していた。想像以上にファンが待っていてくれたのは想定外だったが、ファンのその熱い思いが四人の胸をも熱くした。
「俺たちにとって、ファンは本当にかけがえのない宝物だな」
「みんなのこと、大切にしていきたいね」
「待ってくれてたファンがいたから、オレたちはまた四人揃ってる。みんなに今のオレたちがプレゼントできるものを、全部捧げるつもりでいこうな」
「……はい! 今のくだりは全カットね」庄司は編集点を作った。
「ええーっ。せっかくイイ話してたのにー」
東斗の話を全部カットしなくてもいいだろうと、蒼太が不満げに口を尖らせた。
この移動中、煌はある人物に注目していた。
夕暮れ時に森の中のグランピング施設に到着し、日が沈んだ頃に撮影を再開し、敗者の二人に見せつけるように勝者の煌と流哉がバーベキューを食べるところを撮り、本日分のロケは終了した。その時間にはすっかり暗くなり、テントの暖かな明かりが森の木々を優しく照らし、紺色の空を見上げれば小さな星が瞬いていた。
終わるとすぐにスタッフたちは撤収作業に入った。撮影が終わってから少しは食べられると思っていた賢志と蒼太だったが、残った分を腹ペコスタッフが責任を持って片付けているところを、口の中にヨダレを溜めながら見ていた。
「賢志」
そんな賢志を煌が呼び付けた。ロケは終わったが、もう一つやることがあった。二人は、庄司と話していた神部プロデューサーの所へ向かった。
「お疲れ様でした。神部さん、庄司さん」
「お疲れ様。どうしたの。先に帰っても大丈夫だけど?」
「神部さん、少しお時間いいですか。お話したいことがあるんです」
空気を読んだ庄司は、二人の邪魔にならないように退散した。庄司が離れて間もなく、神部は思い出したように話し始めた。
「倉橋くん、さっきはありがとう。ワイヤレスイヤホンの片方って、すぐなくなるよね」
「本当ですよね。僕の周りにもいますよ」
「値段結構するから、しょっちゅう買い換えられないし。落とさなくてすむいい方法はないもんかな」
「普通のイヤホンにしないんですか?」
「周りが使ってるの見て羨ましくなって買ったんだけど、今さら戻るのもなぁ」
「なんとなくわかります。そう言えば最近は、安価で買えるワイヤレスイヤホンもあるみたいですよ」
「あ。そう言えばこの前、番組で紹介してたなぁ」
「僕は使っていないので性能はわかりませんけど、検討してみるのもありじゃないですか」
「そうだな。今度探しに行ってみるかなぁ」
「賢志。ワイヤレスイヤホンの話はそのくらいで」
神部のせいで本題とは違う話題が広がりそうだったので、煌は止めた。
「あ、ごめん。ワイヤレスイヤホンの話じゃないんだよね。で、なんの話?」
神部も気が付いて自ら二人に用件を尋ねた。神部への質問は、煌が主導で始まった。
「最初に確認なんですが、神部さんの旧姓って、『吉岡』なんですか?」
「うん。そうだけど。嫁さんの家に婿入りして名字が変わったんだ」
庄司から新顔スタッフ全員を紹介してもらった時、さりげなく『吉岡』もいないか探っていた。その時の流れで、神部の旧姓が『吉岡』だと知ったのだ。
「それが何か?」
「聞きたいのはここからで。『黒須』という人物と会ったことはありますか?」
そう質問すると、神部は一瞬だけ表情を強張らせ、急に周りを気にし出した。そして、スタッフたちから離れた場所に二人を誘導し、警戒するように声を潜めて話した。
「その名前って、きみたちが探してる人だよね」
「そうですけど」
「森島くんてアレだよね。覚醒剤で捕まっただろ。もしかして、そいつから買ってたとか言ってた?」
その瞬間、僅かに煌の目付きが変わる。「……神部さん。俺は、会ったことがあるかを聞いただけなんですが。『黒須』が覚醒剤の売人だなんて、今までひと言も言ってないですよ」
煌が指摘すると、失態を犯した神部は明らかなリアクションで口元を隠した。目も泳いでいる。
「まさか。買ったことがあるんですか」
「ある訳ないだろ!」
焦って否定した神部は大声を出した。そしてはっとしてまた周囲を気にして背中を丸め、小声に戻して否定する。
「買ったことは一度もない! 絶対に!」
「わかりました。でも『黒須』が覚醒剤の売人だと知っているということは、会ったことがあるんですか?」
「いやぁ〜……」神部はやましさがあるのか、視線を逸らす。
「覚醒剤を買っていないことを信じるので、『黒須』について知っていたら聞かせてくれませんか。そいつと知り合いだということは、誰にも言いません」
ばつが悪い神部は、煌からの要求を渋った。しかし『黒須』が何をしている人物か知っていることを自白してしまった手前、今さら方便も効かなそうだと悟り、観念して仕方なく話すことにした。
「確かに『黒須』を知ってるよ。そいつは、覚醒剤などの違法薬物の売人だ」
「神部さんとは、どういう知り合いなんですか」
「知り合いと言っても、何年も前に業界人を介して一度紹介されただけで、連絡先は知らないし、懇意にしてる訳じゃない」
「最近は会ってますか?」
「全然。だって向こうは、連絡取らなきゃ会えないようなやつだよ。絶滅危惧種みたいな確率でしか会えない」
「そうですか」
「それに、聞いた話だけど。『黒須』っていう名前も本名かはわからないらしい」
「偽名ってことですか」
「らしいよ。ま、そういうことしてるから、本名でやってたらヤバイってのもあるだろうけど。もちろん本名なんて知らないよ?」
煌たちは、東斗から『黒須』がやつの名前だと聞いていたのだが、偽名だと聞いて内心驚いた。東斗もその名前が偽名だと知らなかったのだろうか。
煌は隣の賢志に目配せした。煌の無言の問いかけに、賢志も無言で首を横に振った。
「話せるのはこのくらいだね……だけど。あまり感心しないな。元仲間のためとは言え、掘り返していいものなのかねぇ。きみたちが探してる『黒須』がそういう生業をしてるってことは、きみたちみたいな人間が絶対に関わっちゃいけない世界の住人なんだろうし」
「そのくらいの想定はしてます。危険も覚悟です」
「でも、悪いこと言わないから追うのはやめといた方がいいよ。彼の二の舞になりかねない。また嫌な事件でグループに注目集めたくないだろう?」
もちろん、神部が忠告したいことも重々承知している。だが煌は、最初から半端な覚悟ではない。
しかし、神部からの手がかりは期待できるものではなかった。『黒須』と繋がっている『吉岡』も、全国にいる名字だ。そう簡単に辿り着くはずはない。そうして神部からの聞き込みを諦めようとした時、彼をが「あ」と何かを思い出したようだった。
「『黒須』を探してるんなら、俺より知ってる人がいるかもしれない」
「誰ですか」
「ピン芸人の、アロハ宮沢くん」
「宮沢さん?」
『黒須』探しで出てくるとは思わなかった意外な名前を聞き、二人は驚いた。アロハ宮沢は、昔の冠番組『トライんぐF.L.Yんぐ』の進行をしてくれていた、煌たちもよく知る人物だ。
「宮沢くんが、芸人を目指す前に劇団に入ってた話は聞いたことあるかい。その劇団にいた時期に『黒須』もいたらしい」
「やつがですか?」
「でも確か、すぐにやめたって言ってたかな。『黒須』に初めて会った時に宮沢くんを知ってるって聞いて、その時はたまに会ってるとも言ってたよ」
「それはどのくらい前の話ですか」
「いつ頃だったかなぁ……あ。貴美さんの演技が話題になってた頃だから、五年前かな。覚醒剤とかを買ってるんじゃないかって噂も聞いたことがあったよ」
「あの。『黒須』を紹介した業界人て……」
煌は少しでも『黒須』に近付くために、その業界人を紹介してもらおうと聞こうとしたが、
「頼むからそれは聞かないでくれ。最悪、俺の首が飛んじゃうから」神部は自分の首を切るジェスチャーをして、教えるのを拒んだ。
神部はドラマのプロデューサー経験もあるので、その頃の繋がりで『黒須』に会ったのかもしれない。粘って名前を教えてもらいその人物から辿ることもできそうだが、あまり前のめりになって本業そっちのけだと勘違いされて、今後の仕事に影響しては困る。なので、それ以上は追求しないことにした。まだ『黒須』の捜索は始まったばかりだ。何もできないまま干される訳にはいかない。
二人は引き下がり、先にロケバス内で待っていた流哉と蒼太と合流した。
「どうだった?」
「知ってはいたが、ほとんど面識はなかった。嘘もついてなかったんだろ?」
「うん。嘘は言ってなかった」
煌が尋ねると賢志は明白に答えた。賢志の能力は第二種特性の〈嘘を見抜くこと〉。五感を研ぎ澄まして相手の息遣いや汗や脈動の変化を感知して、嘘をついているか判別できるのだ。その能力で、神部は嘘はついていないことがわかった。偶然、旧姓が同じというだけだった。
「なんだ。近付けるかと思って期待した」
「でも。次に繋がる手がかりを教えてもらった」
「本当?」
「ああ。次はもう少しまともな情報が得られるかもしれない」