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26話




 煌は目を見開き立ち上がる。「賢志!?」

 目の前で何度か見たことのある光景。しかしあれらは演技だ。今、唐突に見せられているものは、演技でも、偽物のナイフでもない。


「ねえ、煌。なんで僕を責めないの? なんで警察に言わないの? 僕は殺人未遂を犯したのに、どうしてきみは僕を悪人にしないの?」


 煌が問い質す代わりに、賢志は煌に問い質す。生き地獄でしかない不可解な現状を説明してくれと、煩悶する思いを表情に滲ませて。


「やめろ賢志!」

「僕への恩赦のつもり? ふざけるなよ! 僕はそんな覚悟でやってない。どんな罰も受ける覚悟でやったんだ!」


 心が荒み気が高ぶっている賢志は、言葉遣いも表情も、揉めた時のように別人になっている。いや。あの時の方がまだいい。今の彼は追い込まれたせいで、自ら死の淵に立っているのだから。

 過ちを繰り返してほしくない煌は止めたくて近付こうとするが、気を急いて望まない事態は招きたくない。だから距離を少しずつ詰め、気持ちを落ち着かせようとする。


「落ち着け。とりあえずナイフを置け!」

「煌は甘過ぎる。だから僕の本性も見抜けない。そのおかげで僕は追い詰められたんだ。誰にも罰せられないから、こんなことしなきゃならないんだ!」

「やめろっ!」


 ナイフを持つ手に力が入り、刃が賢志の首に少し食い込んだ。煌は頭で考えるよりも先に身体が動き、ナイフを持つ賢志の手を右手だけで掴んで止めた。だが、自死を望む賢志は激しく抵抗する。


「離せ! 煌が僕を罰しないなら、僕が自分で自分を罰するしかないんだよ!」

「だからってこんなことやめろ!」

「きみが悪いんだ! 何もかも全部、煌が悪い!」

「じゃあ俺を面責すればいいだろ! こんな方法じゃなくてちゃんと言葉で不満を言え!」

「嫌だ! 僕は僕が許せないからこうするんだ! 自分で自分を罰することの何が悪いんだよ!」

「だったら別の方法があるだろ! なんでお前が自分で傷付けなきゃならないんだ! そんな方法を選択するなんてお前こそ甘いんだよ!」

「だから! 煌が悪いって言ってるだろ!」

「お前はただ、現状から早く抜け出して楽になりたいだけじゃないのか!?」


 二人は言い合いながら揉み合う。賢志は何度もナイフを自分に近付けようとするが、煌が力尽くでそれを阻止する。力が足りず左手も出すが、骨折が完治していないせいで前腕が僅かに痛む。だが、そんなことに気を取られている隙はなかった。


「離せ! これは僕の意志だ!」

「お前は追い詰められてるだけだ! だから少し落ち着け!」


 揉み合っていると賢志の足が縺れ、バランスを崩して倒れた。転倒の衝撃でナイフは賢志の手から離れ、床に転がった。

 二人とも、少し息を切らしていた。なんとか賢志の自死を止められた煌は、ひとまず胸を撫で下ろした。


「……気は済んだか?」


 仰向けに倒れた賢志は、しばらく一点を見つめて動かなかった。


「……煌。手を」


 賢志は、立っていた煌に左手を伸ばした。背中を強く打ったのだろうか。起き上がるのに手を貸してほしいんだと思った煌は、素直に右手を差し伸べた。

 ところが、賢志にその手を引っ張られ、体勢を崩され床に膝を突いた。そして油断した煌の両手を奪った賢志は、その手が自分の首にかかるよう当てた。


「煌。僕を死なせてよ。きみを殺そうとした僕に、その手で復讐してよ。頼むから……」


 賢志はなおも、死を懇願した。

 生きるために築き上げたものを守りたいと願いながら、それを自らの手で壊した絶望。罪過を犯し、そこに自分がいる資格はないという諦念。自分を信じてくれていた者たちへの裏切りという罪悪感。そして、もう一つの感情が、彼の表情に混在して表れていた。

 これまで賢志が抱えてきた胸の内を、煌は目の当たりにした。罪を犯すべきではなかった者が、死を望んでいる顔を。

 一体誰が、彼にこんな顔をさせているのだろう。どんな環境が、彼を罪に駆り立てたのだろう。心が安らかな彼が重責を背負わされることになったのは、何が原因なのだろう。

 責めるべきは、一つはわかっている。彼を知ろうとしなかった、自分自身だ。

 問題ないならそれでいい。このままでも支障はない。そんな、何も深く考えなかった軽い気遣いが、彼を追い詰めた。こんなことになった責任の一端は、自分にある。

 賢志が目の前で自死をしそうになり、生きていることを心の底からやめたいと請い願うその気持ちを、ほんの少しでもわかってやれない。煌は、そんな自分が情なく、哀れで、腹立たしかった。


「ふざけるな!」


 煌は賢志の手を解いて胸ぐらを掴んだ。左腕が痛むが、賢志の中の痛みに比べれば堪えられた。


「今日会ったのは、こうして罪を償うつもりだったのか。階段から突き落とされる以上のことをやり返されて許してもらおうって。なんでそんな単純に考えるんだよ!」

「僕がそれを望んでるからだよ」

「でも俺はお前と向き合いたいんだよ。それなのに離れて行かないでくれよ! 俺からもグループからも! お前はF.L.Yが大事な場所じゃなかったのか!」

「あの場所は、僕にはもういらない」

「なんでそんなこと言うんだよ! あんなに守ろうとしてただろ! 大事な場所を捨てるのかよ!?」


 煌は賢志を救うために、そして自分自身を救うために必死に訴え、大事だったはずの居場所を捨てようとする彼を引き戻そうとする。しかし賢志は頑なに拒む。


「そうだよ。いらないから捨てるんだ」

「あんなにグループを大事にしてたやつが、そんな簡単に捨てられる訳がないだろ!」

「僕のこと全然知らなかったくせに決め付けないでよ! 僕が償えば全部終わるんだからいいでしょ!?」


 死に急ぐ賢志の言葉は、ほとんど投げやりに聞こえた。だから、彼の強い思いをずっと近くで感じてきた煌は、彼のその言葉を信じなかった。認める訳にはいかなかった。ただ罪を償わせれば終わることではないから。


「悪いが、お前がどれだけ俺からの罰を望んでも、俺からお前を罰するつもりはない」

「どうして。きみを殺そうとしたのになんでだよ!」

「俺にも責任があると思ってるんだ」

「責任?」

「たぶん俺の選択は、無思慮だったんだ。グループが何の問題もなく続けていけるなら、メンバーの知らないところがあっても大丈夫だと簡単に考えてた」


 最初の時は誰も、ゴシップ記事の真偽を言及しようとしなかった。だから、このままでいいのだと勘違いをしていた。メンバーに密かに陰があっても、グループが維持できればればいいと。しかし結局、その勘違いが賢志の陰を深めることになった。


「きっとその考えが、お前を追い詰めたんだよな。ごめん」

「……なんなのその正義感」


 しかし内省した煌の思いは、賢志の感情を逆撫でてしまう。


「そんな正義感で救えると思ってるの? それこそ無思慮だ! ただの同情だ! 何をしようとも全部今さらなんだよ。煌が僕に求めてることも全部無駄なんだよ!」

「俺がお前を信じてるのも無駄なのか? あれがお前の本性な訳ないって俺は信じてる。あれが本性だって言うなら、俺の目の前で死のうとしないだろ!」

「何を……」

「お前はそういうやつじゃない。俺が知ってる賢志が本当の賢志なら、自分から犯罪者になる選択をするはずがない!」

「ほら。やっぱり僕をきれいに見てる」

「あれがお前の本性で、本当はグループも大事に思ってなかったとでも言うのかよ!?」

「そうだよ」


 賢志は強情なまでに自分の意志を貫こうとした。けれど煌も、意志を貫くことを諦めなかった。


「そうだとしても、俺はありのままのお前を受け入れる」


 煌は、賢志の嫌がる同情の眼差しを向ける。


「だから、もうやめろ賢志。大事なものを平気で手放せるやつは、そんな悲しそうな顔はしない」


 煌の言葉を拒み続けていた賢志の表情は、その言葉とは裏腹に、ずっと訴え続けていた。

「大事なものを守りたい。だけど、捨てたくない」と。

 そう言われた賢志は唇を震わせ、次第に目を潤ませる。


「……だって……僕がいたら、F.L.Yが壊れる」

「そんなことは絶対にない。賢志もいなきゃF.L.Yじゃないんだ」

「でも……」

「賢志。俺は、お前まで失いたくない」


 煌は淀みない眼差しで、心の底から願った。

 その瞬間、賢志の目から涙が零れた。その一筋を皮切りに、今まで懸命に堰き止めていたものが一気に溢れ出した。

 賢志は床に伏せ、むせび泣いた。使命と、責任感と、プレッシャーと、罪悪感が、透明な粒となって一つずつ落ちていく。

 煌は、丸まった賢志の背中をそっと擦った。


「ごめんさない……ごめんさない……ごめんさない……」


 嗚咽しながら、賢志は謝った。


「俺もごめん……ごめんな。賢志」


 その涙のひと粒だけでも、この手で掬ってやれるだろうか。今さら己の過ちに気付いても遅いが、せめて濁って汚れた心の浄化を手助けしてやりたいと、煌は償いを望んだ。


「本当は、やりたくなかった……僕の本当の意志じゃないんだ……」


 啜り泣きながら、胸の内を賢志は少し話してくれた。


「だろ? 当たってたな」

「でも、仕方なくて……そうしないと……」

「うん。無理してたんだな」

「無理しないといけなかったんだ……」


 無理をしてでもやらなければ逃れられないプレッシャーに、賢志は押し潰されていた。そして、自分の意志を曲げねばならないほど追い詰められていた。彼が抱えていたその欠片の一つでも拾うことができただけでも、来た意味はあった。

 煌は、今日ここで聞けてよかったと思う。違う場所で、違う状況で聞いていたら、もっと自責の念を抱いていただろうと。

 しばらく煌が背中を擦り続けてやると、賢志の嗚咽は収まっていった。

 やがて気持ちが落ち着いてくると賢志は起き上がり、涙を拭った。


「……賢志。流哉と蒼太も、お前のことを心配してる。二人にも、話を聞かせてやりたい」


 煌がそう言うと、賢志はこくりと頷いた。


「……話すよ。僕のこと、全部」


 目はすっかり赤く腫れてしまっていたが、抱え続けていたものが流れ出て、賢志は少しだけ何かから開放されたようだった。




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