22話
そして年が明け、二〇二五年が始まった。
煌の頭部の怪我は完治に向かい、不全骨折した左腕もよくなってきているが、自宅療養を続けていた。しかし身体は健康そのものなので、初詣にも行き、年始の特番も観たりしながら、二年ぶりに年末年始をゆっくり過ごした。
だが、身体を休めながらも、東斗の安否や、誰が『黒須』の共犯者なのかなどを考えるのは忘れていなかった。
東斗が失踪してからもう二ヶ月半が経つが、警察からは一向に連絡がない。無事にどこかにいると信じているが、現在までに一切連絡を寄こさないのが気になり、もしや『黒須』か共犯者に捕まり監禁されているのかと、嫌な想像も頭に浮かぶ。動機が不明のままだが、『黒須』はあの事件で復讐心が燃え尽きなかったのだろうか。それとも『東斗が教団と何かある』と言う噂は本当で、東斗はピースサークルファミリー教会に対して何か問題を起こし、報復をされようとしているのだろうか。
わからないことだらけで頭がパンクしそうなのに、賢志に突き落とされた理由もわからず、話を聞こうにも連絡がつかずで、煌はずっとモヤモヤしている。色々と考えなければならないことが重なり、塞がってきた傷口がぱっくり開きそうだった。
(なんでなんだ賢志。どんな事情でも、俺はお前があんなことをした理由を聞きたいのに。沈黙し続けていたって、何も解決しないだろ)
「賢志。教えてくれよ。理由を知りたいんだ……」
これまで同じステージに何度も立ち、何千時間も同じ時間を過ごして来たメンバーのことなのに、全くわからない。その思考が、心が、顔が見えなかった。
その時ふと、澤田の言葉が甦った。
────僕の元同僚は、取材している相手のことが見えないと、聞いた情報を元によく考えるんだそうです。
「相手のことが見えなければ、よく考える……」
なぜかその言葉は、周りの雑音とともに煌の記憶にはっきりと残っていた。
煌は今、メンバーであるはずの賢志のことがわからなくなっている。彼の性格は知っているし、出身地や現在どこに住んでいるかもわかるが、家族構成やどんな環境で育ったのかは知らない。今までそんなことを気にすることもあまりなかった。醸す雰囲気がそういうものだった気がするが、別に全部知らなくてもいいと思っていた。知らなくても、グループとしてやっていけると。
だが、賢志は本当はどんな人物なのだろう。今まで一緒にやってきた彼は、本当の彼なのだろうかと、考えずにはいられなくなった。
(俺が今知るべきなのは、賢志のことだ)
タイムリミットまで、あと四ヶ月。今回は事故として社長も見逃してくれたが、確実に時間は迫っている。しかし今大事なのは、事件の真相を明らかにすることでも、東斗の安否や『黒須』を追うことでもない。今一番優先すべきは、見えなくなりかけている仲間のことだ。
また仲間を失うことになってはいけない。
同時期。都内某ホテルの宴会場が貸し切りとなり、永島町からやって来た議員や秘書が大勢集まっていた。会場入口の看板には、『榎田敬先生と新年を祝う会』と筆で書いてある。会場内の花が飾られたステージ上にも同じく、会の名前が筆文字で大きく掲げられている。
集まった議員たちが各々雑談をしていると始まる時間となり、司会を務める男性議員がマイクを持つ。彼はマイクを叩いたり、「あーあー」と正常であることを確認してからしゃべり出した。
「それではみなさま。これより、新年を祝う会を始めたいと思います。まず始めに、榎田敬先生よりご挨拶を頂戴致します」
司会がマイクを持ったまま拍手をすると、会場からも大きな拍手が湧き起こる。ステージにネイビーのスーツの榎田が上がると拍手はさらに大きくなり、議員たちから敬意の眼差しが注がれる。
榎田はステージの真ん中のスタンドマイクの前に立つと、右斜め前、左斜め前、正面の順番で会釈をし、拍手が鳴り止まないうちに話し始めた。
「まずはみなさま。新年明けまして、おめでとうございます。今年もまた、一年の始まりとともに同士と顔を合わせることができ、嬉しく思います」
榎田がしゃべり始めると拍手は一斉にやみ、今度はそのスピーチに熱心に耳が傾けられる。
「去年は幾度目かの勝負の時でありましたが、私の力が及ばず、またもや惨敗するかたちとなってしまいました。永島町内は特性能力家系が多くを占め、今の社会の土台が作られた時代を生きた先代の意志を継いでいる方が多く、新内閣に同士の議員はまたもや一人もいません。残念ですが、未だこの国は何も変わっていない。変わるつもりがないのです。
ですが。法律改正を諦める訳にはいきません。彼らはまだわかっていないのです。今の保証では足りないと。自分たちが満足に暮らせているから気にも留めないのです。故に、『凡能者新社会保護法案』は、何がなんでも成立させねばなりません。これは既に夢ではなく、実現させるべき現実なのです。私は諦めません。何度弾かれようとも何度でも挑み、『凡能者』という差別用語を消滅させてみせます。ですからみなさま。未だ不甲斐ないこの私に、お力を貸して頂けましたら幸いです」
榎田のスピーチに、再び会場中から拍手が湧き起こる。榎田はまた、その拍手が鳴り止まないうちに話し始める。
「そして。残り僅かとなった今年度。一つの目的が果たされようとしています。本来それは望ましくないことです。それは我々には不要のもの……いえ。この世に不要のものを肯定するものなのですから。そんなものが先に世に出てしまうのは、私たちの母も身を引き千切られるほど辛いことです。
ですが、希望は続いています。母と私たちの希望は、間もなく誕生します。母の切望が叶う時が、もう目の前まで来ています。ですからみなさま。ご自身やご家族が苦痛を抱える日々は、なくなり、傷も癒えるでしょう。喜びの日は、もうすぐやって来ます。その日まで私たちで母を支えましょう。そしてともに希望を掴み、喜びに満たされましょう」
完全にスピーチが終わると、拍手喝采が贈られた。スピーチを聞いた誰もが感動し、中にはハンカチで涙を拭っている女性もいる。
榎田は再び三方向に会釈し、舞台を下りた。司会は次に挨拶する人物を紹介し、脇で待っていた議員が入れ違いでステージに上った。
「先生。お疲れ様でした」
まだ三十代の若い秘書が、ペットボトルの水を差し出した。榎田は自然に彼から飲み物を受け取るが、彼は榎田の秘書ではない。普段は凡能者であることを隠して、有性者の衆議院議員の秘書をしている者だ。
榎田がひと息ついているところへ、スピーチを聞いて感動した議員たちがわらわらとやって来た。
「先生。握手をして頂けませんか!」
と、推しの芸能人に握手を求めるように、榎田に手を差し出した。榎田がそれに応えて握手をしてやると、年下の男性議員は「ありがとうございます!」と目を輝かせて感激した。
最初の一人が握手に成功すると、我も我もと次から次へと握手が求められた。中には、一緒に写真を撮ってほしいと言う者までいたが、榎田は嫌な顔一つせず対応した。これでは後が絶えないと思った榎田の取り巻きたちは、三人まで対応させてあとは強引に締め切った。緊急握手会が一瞬で終わってしまったことを背中で残念だと言いながら、寄って来た者たちは散って行った。
「先生はここにいる同士全員のリーダーだからって、なんでもかんでも応えなくていいんですよ」
呆れた秘書は、溜め息混じりに言った。ついでに厚かましい同士たちに少し腹を立てている。
「リーダーなら同士と距離を取るのではなく、近い方がいいと思うのだが」
「だって先生は、同士たちを導いて来た一人ではありませんか。キリスト教で言えば聖ミカエル、仏教で言えば観音様なんですから。そんな崇高な方に軽々しく……」秘書の眉間の皺が深くなる。
「観音様は言い過ぎだ。と言うか、なぜお前が怒るんだ。私が嫌ではないのだからいいだろう。こういう交流も関係を築く上では、絆を強くするためにも大事だ。それに、私も皆と同じ同士なのだから、当然のことだ」
それに群れられるのはいつものことだ、と榎田は彼を宥めた。さすがに党本部や議事堂内ではこんな事象は起きないのでファンサービス的なことはしないが、年に何度か催す集いでは毎度のことだ。彼も何度も集いに出席して見慣れているはずだが、未だにファンサービスが許せないらしい。
群れが引いたあと、また別の議員がやって来た。榎田と同年代の野党議員だ。それまでいた男性は、何も言わずにスッとその場から離れた。
「例のやつは?」
榎田は周囲に聞かれないよう声を潜めて尋ね、野党議員の彼も同じく潜めて話す。
「現在は心配はなさそうです。しかし向こうの方は、まだ収まっていないようで」
「あいつは何をやっているんだ」半ば呆れて言う榎田。
「マイペースなところがある方ですから。ですが彼女もおられますし、あとは時間の問題です」
「そうか。念のため、私からもあいつにひと言言っておこう」
短く報告を済ませた議員は、会釈をして去って行った。
抱えている問題は永島町内だけでない上に、榎田が手を出せる範囲ではなかった。だから同士に問題解決を任せているのだが、享楽的な一面もあるその人物は、本気で動くことなど考えていないのではないかと思うくらい進捗は思わしくなかった。
榎田は、煩わしさを僅かに表情に滲ませた。母が苦しみながら切望が果たされる日を目指しているというのに、石ころごときに邪魔をされたくはなかった。せめて春を迎えるまでは、母の思いを守らなければならない。




