16話
その電話があった三日後、煌たちはいつもの中野の店で落ち合った。賢志だけは仕事の都合で来られなかったが、代わりに三人が澤田の話を聞くことにした。
が、その前に。澤田から改めて煌たちに謝罪があった。
「みなさん。改めてお詫び申し上げます。ご心配をおかけして、申し訳ございませんでした」
「もういいですって、澤田さん」
「俺たちは怒ってる訳じゃないので」
「むしろボクたちのせいなんだから、頭上げて下さいよ!」
座敷のテーブルから頭が半分見えなくなるくらい深々と下げられ、三人はおたおたして澤田に頭を上げてもらった。
しかし健康そうには見えるが、前回会った九月の時よりも心なしか痩せているように見受けられる。だが、顔色は悪くない。本人が言う通り、体調には問題はなさそうだった。
テーブルに注文した料理とビールが並ぶが一同はあまり口にせず、食事の前に大事な話をすることにした。
「それで。一体何があったんですか」
代表して煌が切り出すと、澤田は出来事を少しずつ振り返るように少し目を伏せた。
「みなさんと最後に会った九月上旬から、僕は引き続き『黒須』と報道規制に関することをあちこちに訊いて回っていました。『黒須』に関しては薬物系ライターの方に会うことができ話を聞きましたが、手紙にも書いたように、一筋縄ではいかない相手だということだけはわかりました」
「『ユーレイ』『UMA』という名前があり、中でもヘビーユーザーからは『シノ』と呼ばれている」
「それから、ハルくんと接触した『すなふきん』のアカウントは現在削除済み。事件のあったころは別の名前で売人をしていた」
澤田は頷く。「僕が協力を依頼したライターの方も結構頑張って下さって、その方の粘りのおかげである名前の人物に接触することができました」
「それが、『manju』というアカウント」
煌の確認に、澤田は無言で首肯する。
「ライターの彼が調べていた中では、その人物が一番『黒須』に近いということでした。その名前を提供してくれたユーザーも、そいつが『黒須』ではないかと言っていました」
「可能性が高いという訳ではなかったんですか」
「ええ。ですが、警察も麻取も尻尾を掴めない人物なので、少しでも疑いのある人物には会ってみようということになり、接触を試みました。……結論を先に言いますと、そいつは『黒須』ではありませんでした」
三人は心の中で密かにがっかりするが、気を緩めずに澤田の話の続きを訊いた。
「では、ただのバイヤーだったんですか」
「いいえ。違法薬物のバイヤーでもなかったんです」
「え?」
「そいつの正体はその時はわかりませんでした。ただ会った時に、変な質問をされました。『あなたはリコリスが好きですか。アジュガやアドニスはどうですか』と」
澤田と対面で並んで聞いていた三人は、揃って怪訝な表情をした。
「なんだその質問」
「調べてみたら、リコリスは彼岸花、アドニスは福寿草、アジュガは和名をセイヨウジュウニヒトエというヨーロッパ原産の花でした。しかしその質問の意味はわからず、情報も得られず仕舞いで、『manju』とはそれきりとなりました。その後も引き続き『黒須』の手がかりを探しました。ですが、想像されている通りの状態でした。協力をしてくれていたライターさんも別の件を追っていて、その片手間に調べて下さっていたので、それも相俟ってという感じでした」
「それってもしかして、一通目の手紙にも書いてた《P》っていう薬ですか?」
「そうです。有性者をターゲットにタダで配布しているということを教えてもらったので、一応みなさんにも情報を共有しておきました。それから、そのライターさんとの連絡頻度は少なくなったのですが、異変が起き始めたのは十一月に入ったころでした。僕の身の回りに、不審な人物が複数人現れ始めたのは」
彼の何気なかった日常に、ポツリと差した黒い絵の具。それは一滴ではなく、四滴も五滴もあった。
「突然、誰かに付きまとわれるようになりました。最初は気のせいだと考えたり、ただの偶然だと自分に思い込ませていました。けれど、それは朝から晩まであって。家に帰っても、窓の外を除くと人が立っていた。まるで見張られているようでした」
その状況を薬物系ライターにも教えたが、彼も同じような状況になっていると返ってきた。彼は「きっと“厄介な住人”が自分たちを少し気にかけているだけだから」とあまり気にせずやり過ごすことを勧めたと言う。澤田は彼の言葉を信じ、あまり気にしないように心がけた。
「そんなある日、あの『manju』からメッセージが届いたんです。伝えるべきことがある、と」
「伝えるべきこと?」
「『黒須』の情報は何も持ってなかったのに?」
「僕たちは少し警戒しましまが、取材に慣れているライターさんは問題ないと判断したので、僕も一緒に指定された待ち合わせ場所の駅に向かいました。そこで男と合流して、車に乗せられて五分ほどしてある建物に到着すると、そこに別の二人の男が待っていました。その二人も一緒に僕たちは三階へ上がり、ある部屋に案内されたその途端、僕たちはスタンガンで気絶させられました」
その武器が出てきただけで、危険な人物たちだったことは煌たち三人にも明白に理解できた。
「気が付いた時には何もない部屋に閉じ込められていて、荷物もスマホも奪われていました。僕たちはそのまま、何もないその部屋に一週間ほど監禁されました」
「監禁!?」
流哉が驚きの声を出した。個室で他の客の話し声もあり聞かれる心配はなさそうだったが、声量を配慮した。
「脱出を試みようにも、窓には鉄格子が嵌められていて不可能でした。ですが一つ安心したのは、朝と夜にちゃんとご飯を出されたことでした。コンビニのおにぎりとペットボトルのお茶だけでしたけど、あれがなければヤバかったです」
一時澤田と連絡が取れなくなったのは、そういうことだったのだ。今年も暖冬と言われているから十一月でも夜は凌げるだろうが、飲み物すらなかったら脱水症状で危険な状態だったかもしれない。なんの優しさなのかはわからないが、食料をもらえていたのはかなり救いだったはずだ。
二人は一週間、男たちに監禁された。しかし、無事な姿で三人の前にいる。鉄格子が嵌められた窓しかない部屋からどうやって脱出したのか。
「どうやってそこから出られたんですか?」
蒼太が尋ねると、それは意外な方法だった。
「出してくれたんですよ。自分たちで監禁したのに、やけに素直に。でも、荷物は返されたんですが、スマホは返してもらえませんでした。そして解放された僕と彼は、やつらに車で自宅まで送り届けられた」
「それって……」
「免許証でも見たんでしょう」
監禁され、個人情報まで盗まれ、人生最大の恐怖を味わったあとの澤田は、意外と落ち着いているように見えた。……いや。解放されたとは言え、まだ警戒しているはずだ。体験した恐怖は脳から流れ出て、細胞に記憶されているのだろうから。
「だから音信不通だったんだ……」
「でも。スマホを奪われたんなら、すぐに新しく買うこともできたはずですよね。家にパソコンがあるならオンラインショップで……」
「実は僕、オンラインショップでスマホ買うのは慣れていなくて。だからショップに行こうとしていたんですけど……」
「そうか。その時はまだ見張られていたんですよね」
「はい。なので、スマホを買いに行こうと家を出ても後を付けられたので、一度ショップに行くのをやめました。でも、普通に食材の買い出しに行ってもスーパーの中まで付いて来られて」
「まるで監視だな」
「まさにその通りです」
澤田はげんなりしていた。そんな精神的負担を何日も継続して受けていれば、痩せるのも無理はない。よく心療内科に通うことにならなかったものだ。
「薬物系ライターの方も、同じ状況に?」
「ええ。完全に解放された時に彼に訊いてみたんですが、やつらの正体には心当たりはないと言っていました」
監禁と監視以外は暴力的な振る舞いは全くなかったので、反社会的勢力ではない組織なのだろうか。しかし「なんかきな臭い感じがあった」と、薬物系ライターは言っていたと言う。
「僕は、やつらを無闇に刺激しない方がいいと彼に言われたので、警察に相談だけして、監視が解かれるまでしばらく家から出ないことにしました。インターホンが鳴っても居留守を使って、息を潜めるように静かにしていました」
「そんなことになっていたんですね……」
「そのあいだ、は生きた心地がしませんでした。でも堂々と街を歩けて、みなさんに会えて、本っ当によかったです」
そう言った澤田はジョッキを傾け、まるで釈放された元受刑者がシャバで飲む一杯目のように、ゴクゴクと音を鳴らして泡が消えたビールを飲んだ。訳もわからず監視までされていたその環境で生活する辛さは、まさに監獄の中の受刑者のようだっただろう。煌たちには安易には想像できない日々だったことだけは、今の澤田を見るだけで窺い知れた。
出来事ををひと通り聞き終え、一同は冷めてしまった食事に手を伸ばした。そのひと皿ひと皿を口にするたびに澤田は「美味しい〜、これも美味しい〜」と、本当に元受刑者のように美味しそうに食べていた。
「で、結局。そいつらが一体何者なのかは、わからないままなんですか?」
しばらく食事を進めたあたりで流哉が問うと、澤田は牛ミスジのステーキに伸ばそうとしていた箸を置いた。
「実は……まだ確実とまでは言えないんですが、ライターさんには心当たりはあるそうなんです」
「それって、『黒須』と関係あるんですか?」蒼太は思わず前のめりになる。
「すみません。今のところ『黒須』との関係は皆無なんですが」
「それで。心当たりって?」
一文字も聞き逃さないようにと、煌たちは全身を構えた。
「宗教法人ピースサークルファミリー教会です」




