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10話




 その日の撮影終了後。自宅まで送ると言った結城マネージャーの親切を(こう)は断り、食事をして帰るからと言って帰り道の途中で降ろしてほしいとお願いした。そして新宿御苑付近で降り、目的の店に向かった。

 煌は歓楽街にある、暖色の明かりが漏れる寿司酒場に入った。店全体に木材を使用し、和の雰囲気がある店内は活気があり、カウンターで寿司を握っている職人が「いらっしゃいませ!」と威勢よく迎えた。

 平日だが、店内は若い客を中心に賑わっていた。入り口を入ってすぐの席はコの字型のカウンターキッチンで、奥にもシンメトリーで同じカウンターがあり、席は半分ほど埋まっていた。道沿いの窓側には六〜八人は座れそうなテーブル席も四つあり、そっちは席が埋まっていた。

 煌は入り口を背にカウンター席の角に座り、辛口の日本酒と、本日の握り三貫盛りを注文した。そして、コロダイとコチとサンノジの握りをアテに日本酒をちびちび飲みながら、人が行き交う窓の外へと頻繁に視線を向けた。

 この寿司酒場は、以前ロケで来たバーが入っている雑居ビルのちょうど向かいの建物の一階にある店だった。今日はちょうど十五日で、東斗の記憶に加え流哉と蒼太がマスターから仕入れてくれた情報通りならば、『黒須』が現れるはずだ。カジュアルな服装の客は他にはいないという話だったので、出入りがあればほぼ間違いないはずだ。

 ちなみに他の三人は、今晩はそれぞれ予定があるのを結城から聞いていた。まだ顔を合わせづらいので鉢合わせがないならと思い、だから今日来たという理由もあるが。


 一人でちびちび飲みながら、来店して三〇分が経った。煌は、追加注文でビールと、本生マグロ三貫盛りと、とうもろこしときのこのかき揚げを頼んだ。

 時刻は間もなく、『黒須』が姿を現す二十二時。窓側の席には普通に他の客が座っているので、怪しまれないよう気を付けながら外を観察した。だが、メガネ以外は変装という変装はしていないので、既に数人の客には密かに煌だとバレていた。声はかけてこないが、一緒に来ている友人たちとあからさまな内緒話をしている。プライベートの芸能人だからと配慮してくれているのはわかるが、こちらを気にしてちらちら視線をくれるのは逆に気になる。なのでこういう時はいっそのこと、逆に話しかけてくれた方がいいと煌は常々思っている。

 そんな視線を感じながら、外を歩く人々に何とか気を集中するが、金曜日で人通りが多い上に夜なので人探しは結構大変だった。仕事帰りの人やらがひっきりなしに往来する中から全身黒ずくめを探すのは簡単だろうと安易に考えていたが、一人ではなかなか苦労することが判明した。やはり仲間の存在は大事だと、煌は噛み締めた。


「あれ。緑川くんじゃない?」


 少し気を抜いていると、背後から男性に話しかけられた。とうとう、というかやっと、自分に気付いた一般人が素直に話しかけてきたのだと思った。しかし、特徴的でもない後ろ姿で煌だと判別できるとは、F.L.Y(フライ)ファンの中でも目が肥えたファンに違いない。しかも、ある程度年齢を重ねた男性ファンは少ないのでレアケースだ。

 煌は声をかけてきた男性を見遣った。ところがそこにいたのはファンではなく、全く別の意外な人物だった。


仲元(なかもと)さん! お久し振りです」


 F.L.Yの生みの親の仲元だった。久し振りに会った煌は、懐かしさで嬉しくなった。


「一人?」

「はい。仲元さんもですか?」

「僕も一人。仕事で近くに来てて、夕飯がまだだったから適当な店に入ったんだけど。こんなところで会うなんて偶然だねー」


 仲元はそう言いながら、空いていたもう一つの角の席に座った。その右斜めの位置に座られたことで、外に視線を向けづらくなってしまった。

 仲元はメニュー表を見て、本マグロやアジなどを握った五貫盛りと、白のグラスワインを注文した。


「仕事帰り?」

「はい。ドラマの撮影でした」

「あ。『猛獣は眠らない』だ。面白いよねあれ。友達の復讐で探偵事務所に来たって白状する回、あの時の演技よかったよ。真相が明かされた時の悔し涙もそそられて、もらい泣きしちゃったよ」

「本当ですか?」

「主題歌の『シークレット・フィーリングス』もいいよね。F.L.Yにしては珍しく一人称が女性の歌詞だけど、僕も共感できる曲だよ」

「ありがとうございます」

「撮影も大詰め?」

「はい。間もなく終わります」

「緑川くんのことだから、そのあともドラマのオファー来てるでしょ。もうすっかり売れっ子俳優だねー」

「いえ。そんなことは」


 腕時計を確認すれば、二十二時は過ぎている。


(『黒須』はもう既に店に入っただろうか。待ち合わせの女性が来てから三〇分も滞在せずに店を出るという話だから、そのタイミングを狙った方がいいか?)


 煌は油断せず、できるだけ人通りを見張っていたいが、仲元に不審に思われるのを避けて全く見られない。


「F.L.Yとしての調子は最近どうだい。配信限定の番組も、視聴回数がいいって聞いてるよ」

「はい。番組公式SNSにも感想が寄せられていて、ファンのみんなは楽しんで観てくれているみたいなので嬉しいです」

「いつまでやるの?」

「2クールで終了です。なので、収録ももうすぐ終わります」

「僕も時々観させてもらってるよ。みんな楽しそうで何よりだ。そう言えば。この正面の雑居ビルの中に、ロケに行ったバーがあるんだよね」


 番組視聴者の仲元からバーの話題が上がり、少しだけドキリとした。けれど、煌は微塵も表情には出さない。


「あのお店、ご存知なんですか?」

「もう結構前だけど、一度行ったことがあるんだよ。ユニークなニワトリの絵が飾ってあるから覚えてたんだ。でも僕はカクテルよりもワイン派でね。それっきり行ってないんだ」


 煌が追加注文した本生マグロ三貫盛りと、仲元が注文した白ワインと握りが出された。仲元は、迷わず手を伸ばした本マグロの握りを一口で頬張ると、直ぐさま白ワインを流し込んだ。


「あっちは、まだやってるの?」

「あっち?」

「活動再開の時に宣言したやつ」

「まあ。はい」

「森島くんのためにっていう心意気は称賛するけど、あんまりそっちばかりに気を取られないようにね。期限付きだからって生き急ぐようになりがちだと思うけど、それじゃあ全部上手くいかないんだから」


 自分が育て上げたグループだからというのもあるのだろう。仲元もまた、この先の煌たちのことを心配しているようだ。煌は「そうですね」と相槌を打ったが、まるで自分の過ちのことを言われているような気がした。


「きみたちの気持ちもわからなくないけど、周りの人たちのことも考えてほしい。わざわざ僕から言わなくても大丈夫だと思うけど、きみたちはきみたちだけのものじゃないんだからね。見放されたらそこで終わりなんだから、そろそろ切り上げることを強く勧めるよ」

「はい。わかってます。みなさんになるべく迷惑をかけないように、とは思っています」


 わかっているということ以外は本心を言ったつもりの煌だが、仲元は訝しげな目を向けた。


「本当にわかってる? 緑川くんはクールに見えて意外と心が熱いから、何かないとそこまでしないと思ってるんだけど」

「何もありませんよ。東斗は大事な仲間だから、真実を明らかにしたいと思っただけです」

「僕だったら躊躇するなー。きみたちみたいな決断力も勇気もないし」

「本当ですか? でもオーディションでは、個人の能力を見て将来性を見極める先見の明の他に、審査で残す決断力が必要だと思いますけど」

「いやいや!」仲元は顔の前で手を振る。「桁が違うよ、桁が。僕の仕事の決断力が一だとしたら、きみたちのは一万! 月と太陽! 全然敵わないよ」

「そんなことないですよ。仲元さんの人の才能を見抜く力ががなければ、俺たちはデビューできてないんですから。仲元さんには本当、頭が上がりません」


 煌は言葉通りに仲元に頭を下げた。もちろん、お世辞でもヨイショでもなく本音だ。仲元が選んでくれなければ、芸能界という特別な世界にいられないのだから。


「そう言ってもらえると、仕事頑張れるよ」


 握りを三貫食べたところで、仲元は再びメニュー表に目をやり、追加でポテサラとうにプリンを注文した。その隙きに煌は外に視線を向けた。


(二十二時十五分か。今頃は待ち合わせ相手の女性と落合ってるころか? そのうち『黒須』が店から出て来るかもしれないな)


 気になるが、しかしやはり話しながらの見張りはできない。せめて仲元が別の席に移動してくれればいいのだが、それも難しそうだ。

 仲元は皿の上の最後の一貫を口に放り込み、よく味わってから白ワインを流した。そして、追加したメニューが来るまでの時間を持て余すようにスマホを見たり、煌の後ろの壁のメニュー表を見たりしていた。その仲元が「それより……」とさり気なく話題を変える。


「さっきから外を気にしてるみたいだけど」


 煌はギクリとして、思わず表情に動揺が出そうになった。隙きを見ては視線を外に向けていたことがバレていた。仲元にバレたところで何かが起こるという訳ではないが、心配する言葉をかけてくれたばかりの相手に、ここにいる本当の目的を正直に言えるはずがない。


「もしかして、誰かと待ち合わせだった?」


 仲元がそう訊いてくれたので、煌は話を合わせた。


「実はそうなんです。友達を待ってたんですが、約束の時間が過ぎたのに連絡が来なくて……あ。ちょうどLINE来てた」


 煌は嘘の演技をして、LINEでメッセージが来ていたように装った。


「今日は来れなくなったみたいです。ったく。もっと早く連絡しろよ」

「残念だね。じゃあ僕に付き合ってよ」

「そうしてもいいんですが。明日もまた撮影で、台本読み込んでおきたいので」

「最終回だもんね。うん、わかった。引き止めて悪かったね」

「こちらこそ、ご一緒できなくてすみません。また誘ってください」


 ちょうど席を立とうとした時に、煌が注文したとうもろこしときのこのかき揚げが到着したが、仲元に譲り、会計して店を出た。

 本当は『黒須』が店から出て来るまで待つつもりだったが、仲元がいてはまともに見張れない。時刻は二十二時二〇分を少し過ぎていた。煌は、雑居ビルの出入り口が見える位置で見張ることにし、往来する人々にも注意を払った。

 しかし、それらしき人物を見付けられないまま、二十二時三〇分を過ぎた。雑居ビルから出て来る瞬間を見過ごしてしまったのか、それらしき人物を目撃することはできなかった。条件的に今日はもう無理だろうと煌は潔く諦め、仕方なく家路につくことにした。




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