9話
その翌日もドラマ撮影だった煌は、撮影スタジオへ入った。撮影は今日を入れてあと三日だ。
煌はメイク室で貴美と遭遇するなり先日の怒号電話を思い出すが、今日の彼女はいつも通りにヘアメイクさんたちと和気藹々としていた。やたらスマホは気にしているが、今日の撮影は余計な気を張らずに済みそうだと内心ホッとした。
残り僅かとなった撮影に、演者もスタッフ一同もいつものモチベーション以上で撮影に挑んだ。順調に進み、幾つかシーンを撮った煌は、次の自分の出番まで少し空くので、前室で差し入れを摘みながらぼんやり考え事をした。
昨日の賢志たちとの揉め事を内省し、繰り返し後悔していた。原因は、相談せずに一人で考えていたことが裏目に出てしまったことと、疑っていることはバレるはずがないと高を括っていたことだ。しかも、考察ノートが見つかるなんてことも想像しなかった。もっとメンバーを頼っていれば、こんな過ちは犯さなかった。
「最っ低だ、俺。本当にどうかしてた」
東斗が再び狙われ、一刻も早く『黒須』を見つけて事件の真相を明らかにすれば、東斗の無事な姿を見られると思い煌は焦った。恐らく、彼自身が思っているよりも焦っていた。しかしだからと言って、メンバーに疑いの目を向けるのは間違っていた。
「責められて当然だよ。あいつらだって同じ気持ちなのに」
同じ気持ちで事を始め、同じ気持ちを持ってここまで協力してやって来たはずだ。その思いを少しでも踏みにじられれば、怒り、失望するのは当然だ。
しかし、控え室では揉め事程度で抑えられてよかった。賢志であれだけ怒ったのだから、流哉に掴みかかられてもおかしくはなかった。ひと昔前だったら殴られていただろう。そしたら、仕事どころではなくなっていた。
「そう言えば。賢志が怒るのを始めて目の当たりにしたな……あ。いや、始めてじゃないか」
賢志は普段、感情を激しく乱すことがないので彼の怒りを始めて見たかと思ったが、過去に一度だ目にしたことがあった。
それは、オーディションの三次審査の通過者が参加していた、四次審査を兼ねた合宿中だった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
四次審査では数人ごとにチーム分けされ、それぞれに与えられた課題曲を練習し、審査の日に披露することになっていた。個人戦ではなくチーム戦なので、どれだけ協力して完成度を高められるかチームワークが求められていた。その時の煌たち五人は、別々のチームに振り分けられていた。
その練習期間中、中間発表というかたちで、オーディション主催者で音楽プロデューサーの仲元の前でチームごとにパフォーマンスを披露した。褒められたチームもあれば、酷くダメ出しをされたチームもあった。その中間発表のあとに、事件が起きた。
「んだと!? お前もう一度言ってみろ!」
流哉がいたチーム内でケンカが起きた。きっかけは、中間発表の成績が自信に反して悪く、その原因はお前だと流哉がチームメイトから一方的に責められたことだった。流哉を責めた候補生は彼より三つ年上のダンス経験者で、二次審査のダンス・ボーカル審査ではダンスをプロ並みだと評価されていた。その彼が流哉を貶したことで、掴み合いのケンカが勃発していた。
騒ぎを聞き付けた他のチームの候補生も練習室に集まって来て、数人がかりで止めに入った。その中に賢志もいて、賢志は先頭に立ってケンカの仲裁に入った。
「二人ともやめて! 一体何があったの!?」
「こいつ、オレをバカにしやがったんだ! ダンスが小学生の発表会みたいだって!」
「そんなことで」
「だから一発殴ってやるんだよ!」
「ダメだ! 落ち着いて七海くん!」
羽交い締めする候補生たちの身体を怒りの力で振り払おうとする流哉を、殴られるリスクを伴いながらも賢志は正面から制止させる。
「口出しすんな! オレとこいつのケンカだ!」
「やめるんだ!」
「うるせぇ! 他人はすっこんでろ!」
手の負えない獣のようにギラ付いた目は、ケンカ相手しか見えていなかった。周りで静観していた他の候補生たちは、ケンカに巻き込まれたくない、怖くて近づけないと、遠巻きに事の行方を見守っていた。
「ケンカはダメだ! 言うこと聞いて!」
「うるせえっつってんだろ! お前はオレの親かよ!」
「親じゃないけど!」
「だったら邪魔だ、離せ!」
「絶対離さない! 落ち着いて七海くん! きみの夢はそんな簡単に捨てられるものなの!?」
それまでケンカ相手のことしか見ていなかった流哉は、賢志の顔を眉間を寄せてまともに見た。
「は? んな訳ねぇだろ! ナメんな!」
「だったら、こんなくだらないケンカはやめるんだ」
「くだらなくねぇ! 一方的にオレのせいにして、経験者だからって下に見やがったんだ! こんなクソ野郎許せるかよ!」
「きみの怒りはわからなくない。でもそれで殴ったら、きみもクソ野郎になるんだよ? せっかくここまで来たのに、クソ野郎になった上に失格になって帰るの!?」
審査中に問題を起こせば、オーディションを受ける資格を失う。例え才能があると認められていても、他の候補生との問題は集団行動に不適格と見なされ、容赦なく失格となり追放される。
怒りでルールを忘失していた流哉は、賢志の言葉で自分が今何をしようとしていたのかと我に返った。
「七海くんは、夢を叶えたいからここにいるんでしょ。その夢は、簡単に諦められないはずだよ。じゃなきゃ、きみはここにいない。ダンスのレベル差なんて経験が浅い今はあって当然だし、ダンスが上手いからってそれだけでアイドルになれる訳じゃない。それにきみには、ここにいる誰にも負けない抜群の歌唱力がある。仲元さんも褒めてたでしょ。他の誰にもないきみだけの武器だって」
「オレだけの武器……」
「言われて悔しいのは、自分でもわかってるからだよね。なら、ダンスを死ぬほど頑張ればいいんだよ。ここにいる誰よりも上手くなってやればいいんだ。それに、一緒に頑張ってる仲間を貶すようなアイドルなんて、誰も求めてないよ。夢に必死に向かって頑張ってるきみの方が、よっぽどアイドルに向いてるよ」
賢志の説得で流哉は怒りを収め、ケンカ相手も賢志が過ちを指摘し謝罪をさせて、ケンカは収まった。
「ごめん倉橋くん。ありがとう」
逆立てていた毛をすっかり寝かせた流哉は、申し訳なさそうに迷惑をかけたことを謝った。賢志は流哉に、にこっと微笑んだ。
「下の名前でいいよ。僕も流哉くんて呼んでいい?」
「うん……賢志くん」
ひとまずケンカは収まったが、この騒ぎが仲元の耳に入らない訳がなく、ケンカをした二人は呼び出され、失格を言い渡されそうになるところを何とか頭を下げて許してもらった。しかし罰として、合宿所全ての掃除をやるハメになり、その日は一日中練習には参加できず、結局チームメイトに迷惑をかけてしまった。
思い返せば、この時から賢志は母親役だった気がする。そして東斗は、みんなから相談事を持ち込まれてまるで父親のようだった。賢志は導きでまとめ、東斗は人望で引っ張っていた。
その後、四次審査を通過し、審査が更に厳しくなった五次審査を突破。そして、最終選考に残った中から、煌たち五人が選ばれた。けれど、決して他人の寄せ集めではない。仲間となるべくして選ばれた五人だった。
デビューメンバーが決まったその日から、パフォーマンスにさらなる磨きをかけるレッスンが始まった。仲元プロデュースのデビュー曲も決まり、人前で披露するためのハードな練習の日々が始まった。そのレベルは今までとは違い、ボーカルレッスンでは高音が出ていないと何度も注意され、ダンスレッスンでは動きがバラバラだと何度も怒鳴られた。それはまさに、素人がプロフェッショナルを極めるための日々だった。
夢への一歩を踏み出したばかりだというのに心が折れそうになった。けれど、仲間の支えに励まされて五人は少しずつプロの意識を育て、気持ちを一つにしていった。
やがてデビューの日が決まり、初めてデビュー曲をテレビで披露した日は、夢に見た憧れの世界に立っているなんて夢でも見ているようだった。けれど、現実に立っていた。汗を流し、涙を堪えながら目指した、プロのステージに。
始まるまで緊張でどうにかなりそうだったけれど、照明の下に立ち、イントロが流れ出した瞬間、五人の絆の時間が始まった。緊張のせいで頭が真っ白で、歌っている時のことはほとんど覚えていなかった。けれど、歌い終わった瞬間、自分たちは一つになったと思った……いや。確信した。
自分たちは、この五人で『F.L.Y』なんだ。と。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「そうだ。一人欠けても、俺たちはF.L.Yなんだ」
今は個人の仕事も増え、バラバラに過ごす時間も多いが、戻る場所は四人とも同じだ。『F.L.Y』は自分たちの居場所であり、帰る場所。そこにいるはずだったメンバーが一人でも欠ければ、元のかたちには戻らない。けれど、四人になりかたちは変わっても、自分の居場所だと実感している。
だから、失くしてはいけない。四人が戻れる場所を。かつて五人がいた場所を、守らなければ。
「俺はもう、本当に誰も疑わない」
『F.L.Y』という場所が自分たちにとってどういう場所かを改めて考えた煌は、気持ちを入れ替えた。そして、自分が蒔いた種を回収するために、集まって話がしたいとグループLINEを送った。




