7話
「なんでだよ。賢志も気になるだろ」
「どうせ、この前報告できなかったことが書いてあるだけだよ。僕たちが今一番気にしなきゃいけないのは、東斗のことでしょ」
「いや、まあ、そうだけど」
「もうどれだけ経ったと思ってるの? まだ行方不明なんだよ? もう心配してないの?」賢志は冷静に仲間を責める。
「そんなことないよ」
「心外だな。そんな薄情に思われてたのかよ」賢志の言葉が、流哉にチクリと刺さった。
「だってみんな、東斗のことほとんど口にしないじゃないか」
「そんなことないだろ。それに、そんな話ばっかしてたってオレたちには何もできないんだし」
「でも、もう一ヶ月も経つんだよ? 探してくれてるはずの警察からは何の音沙汰もないし。無事かどうか不安じゃないの? ねえ、煌」
賢志は煌に振った。声音は冷静に聞こえるが、その目を見ると心が穏やかではなさそうだった。何か必死なものがあった。
「煌は東斗と一番仲がよかったのに、煌も気にしてないの? 仕事の方が大事?」
「何言ってるんだ賢志。どうしたんだよ、お前らしくない」
「賢志くん、僕たちの中で一番心配してるんだよ。だから不安になっちゃったんだよね」
蒼太は、急に不穏になり始めた空気を察して賢志の味方をして落ち着けようとした。
「これでも俺たちも本当は凄く心配してるし不安だ。でもきっと東斗は無事だ。だから大丈夫だ」
煌は気持ちは同じだと言って、賢志の不安を少しでも取り除こうする。きっと賢志は、リーダーとしての責務と東斗への憂患で、気持ちが不安定になっているんだろう。だからさっきからずっと様子がおかしかったのだ。でなければ、普段あんなに穏やかな賢志がメンバーを責めるような態度は取らない。
ところが今日の賢志は、煌が思っている以上に様子が違った。彼は何かが決壊したように不安を吐き出し続ける。
「行方不明になってからずっと安否がわからないんだよ? 連絡も取れないのに、何かあったんじゃないかって気が気じゃなくなるのが普通なのに、どうして普通にしていられるの!?」
「普通にしてなきゃ仕事なんてできないだろ。本当は俺たちだって、仕事を放り出して探し回りたいよ。だが東斗は無事だと信じてる」
「……信じてる?」その煌の言葉に不信感を抱くように賢志は口にする。
「本当に今日はどうしたんだよ賢志。いつもならお前の方が冷静なのに」
膨張するほどに抱え込んでいるものを遠慮なく見せてほしい煌は、懸命に賢志に寄り添おうとする。
すると、賢志は言った。
「僕は……怖いんだよ」
「それは俺たちも同じだ」
「……煌は違うよ」
「俺が?」
そして次第に賢志の表情は険しく声は荒々しくなっていき、完全に矛先を煌に向け始めた。
「僕がいつもと違うって言うけど、煌の方がおかしいよ。なんでそんなに冷静でいられるの。なんで東斗は無事だって信じられるの?」
「そういう訳じゃ……でも、そう信じなきゃやってられないだろ」
「だったら適当なこと言わないで。無駄な期待だったらあとで悲しくなるだけでしょ」
まるで希望を捨てたような賢志らしくない言い方に、三人は耳を疑った。
「おい。それって東斗のこと諦めてるってことかよ」
「そうじゃないよ。だけど適当に言われたことを信じて絶望したくないでしょ」
「……賢志。そんなこと言うなんて本当にお前らしくないぞ」
賢志の物言いに流哉はちょっとキレかけるが、ここでケンカになってはいけないと自身で感情を制御する。
「そんなに言うならさ煌。東斗は無事だっていう確証があるの? あるなら教えてよ」
賢志は煌への攻勢をやめない。言葉の端に、向けられる矛先がチラついて見える。
「確証はない……だが。俺はまた『黒須』が狙ったんじゃないかと考えてる」
「えっ……」
「なんで。あの事件で『黒須』はハルくんへの仕返しが終わったんじゃないの?」
流哉と蒼太は煌の発言に意識を持って行かれる。『黒須』の関与を考えてもいなかった二人に、煌は自分の考察を教える。
「俺もそうだと思ってた。だが今回東斗が行方不明になった事件は、また『黒須』が関与していると思ってる。恐らくやつがまた東斗を狙って、自分の身に危険が迫っていることに気付いた東斗が、自らの意志で失踪したんじゃないかと考えてる」
「ハルが、自ら!?」
「東斗は再び狙われ、その危険から逃げたんだ。その犯人は『黒須』、もしくは、やつの共犯者だと俺は考えいる」
「「共犯者!?」」
流哉と蒼太は声を揃えて仰天した。煌の口から繰り出される考察に驚き過ぎて、若干付いて行けていない。それでもなんとか、自分の頭の中でもう一度整理した。
「……って。ちょっと待ってよ。ハルくんの今の居場所を知ってるのって、ボクたち以外にいないんじゃないの?」
「そうなんだ。俺たちと、社長と、マネージャーと、東斗の両親、そしてカウンセラー。ごく僅かな人物しか知らないはずなんだ」
「じゃあ、まさかその中に……」
「『黒須』の共犯者がいる……!?」
できれば煌は、そこまでは言いたくなかった。だがここまで話してしまえばもう、言及を避けることは不可避だった。
「煌。これは何?」
賢志は、いつの間にか手にしていたノートを見せながら質問した。それは、煌が色々と書き留めていた考察ノートだ。気付かないうちに荷物を漁られていた。
「それは……っ」
予想もしていなかった事態に、煌は焦った。そのノートは、誰にも見られてはいけなかった。それには考察が書いてあるだけではない。『黒須』の共犯者となりうる人物の名前まで書き出してある。煌が一度疑いを向けた人物の名前が、一人も消えずに。
一度はメンバーへの疑いをやめた煌だったが、一度疑心を抱いてしまったせいか、『黒須』の共犯者の可能性をまだ捨て切れずにいた。疑心を抱き続けるくらいならいっそ問い質すことも考えたが、信頼関係が壊れると判断して思いとどまり、疑心を隠し続けようと決めていた。だが、考察ノートは持ち歩いてた。見つからなければ大丈夫だと。
煌の隠し事を知っているかのように賢志はノートを捲った。そして、あるページで止まった。
「……煌。これはどういうこと?」
賢志はまさに煌が隠したかったページを、流哉と蒼太にも見えるように突き出した。二人は近付いて、何が書かれているのか読んだ。
「共犯の疑いがある人物?」
「社長たち以外にも、ボクたちの名前も書いてある……」
「違う。それは……」
焦った煌は即座に弁解しようとするが、
「煌。お前、オレたちまで疑ってたのか?」
昔のケンカっ早いころの流哉の双眸が、煌に向いた。二つ目の矛先が向けられた煌は、予期せぬ展開に動揺を隠しきれないまま、なんとか弁解しようとする。
「いや。違うんだ。東斗の居場所を知っている人物を書いただけで!」
「でもさっき、自分で言ったよね。自分たちの中に『黒須』の共犯者がいるって」煌の発言を強調して指摘する賢志。
「嘘だよね。煌くん」
蒼太が落胆と傷心の面持ちで煌を見た。
「酷いぜ。メンバーを疑うなんてよ」
密かにメンバーに向けていた疑いの目が、鏡を見せられているかのように同じ目が煌に向けられる。だが、ただの鏡ではない。疑心だけではなく、失望と、悲しみも写し出されている。
けれど、煌は目を逸らしたい衝動を抑え、懸命に向き合った。
「悪いとは思ったよ。だからお前たちへの疑いはすぐに捨てた」
「それなら『黒須』の仕業だってこと、なんでもっと早く言ってくれなかったんだよ」
「そうだよね。それって、まだ僕たちへの疑いを持ってるってことなんじゃないの?」
「こんなことは……」
賢志は問い詰める。煌は弁解しようとするが、疑心に言葉が絡め取られて何も言い返せない。
「無理して嘘つかなくていいよ煌。僕にはきみが嘘をついていることがわかってるから」
そう。賢志の〈嘘を見抜く〉能力の前では、どんな些細な嘘も通用しない。煌の動揺も全てお見通しだった。
ノートを閉じて煌に突き返す賢志は、動揺に支配されて言葉が出ない煌に向かって言う。
「色々考えられて、煌は凄いと思うよ。また『黒須』に狙われたなんて、ここにいる誰も考えなかったから。だけど。僕たちだけを疑うのは御門違いだよ。きみだって東斗の居場所を知ってるんだから、共犯者の可能性があるんだよ」
向けられるその双眸は、温度がほとんど感じられなかった。
「そうだよな。オレたちだけ一方的に疑われるのはおかしい」
「いや。俺は絶対に違う!」
信じてほしいあまり煌は声を大にした。厄介事にならないようにと隠していたことが、賢志の能力との相乗効果で黴に変化してどんどん繁殖していく。
「同じことを僕たちが言って、きみは素直に信じてくれる?」
正面に立つ賢志が、チラつかせていた矛先を煌の目の前に突き付ける。それはどんなに小さくても、十分に中心に刺さるものだ。
煌は、今だけは賢志が敵に見えた。
「信じてくれないの? 煌くん」
「いや。信じるよ。言っただろ。お前たちへの疑いは捨てたって」
「でも、もう今は、僕たちがきみへの疑いを持っている。僕たちは疑う者と、疑われる者に分けられた。きみのせいだよ」
向けられていた切っ先が、煌の胸をサッと切った。
面責する賢志は気付けば態度が居丈高になっていて、いつもと全く違う人格になっていた。姿も声も賢志なのに、全く知らない賢志“もどき”がそこにいた。
「……賢志。今日のお前は変だ。いつもの穏やかなお前はどこに行ったんだ」
煌は許しの隙間を探して訊ねた。
「自己防衛だよ。危険から自分を守ってるだけだ」
「自己防衛って……」
「やっぱり、煌は違うよ。がっかりだ」
賢志はそう言い捨てて、控え室を出て行った。
「ずっと一緒にやって来た仲間だと思ってたのに……ショックだわ」
賢志の正当性に同意する流哉も廊下へ出て行き、蒼太も切なげな目で煌を一瞥してから彼に付いて行った。
「はぁ……」
誰一人としていなくなった広い部屋に取り残された煌は、脱力してパイプ椅子に腰を下ろした。
どうしてこうなったのか。隠れて考察していた自分が全て悪いのか。
頭を抱えてこの責任の所在を確かめたところで、無言の答えが返って来るだけだった。




