6話
夕暮れ前にドラマ撮影が終わり煌を自宅に送り届けたマネージャーの結城は、事務所に戻った。が、すぐに吉田社長に呼ばれ、社長室に向かった。彼が結城に尋ねたいことはただ一つ。煌たちの事件追求の件だ。
「七ヶ月が経過し残りは五ヶ月だが、彼らはまだ諦めていないのか」
「はい。その様子は全く」
「きみには進捗を話したりしているのか?」
「私は全然蚊帳の外です。緑川さんたちが何をどこまで掴んでいるのかすら、把握していません」
煌たちか、それとも社長の役に立てていないのが申し訳ないのか、結城は首を振って目を伏せた。
「そうか……これ以上首を突っ込めば、痛い目を見て後悔するのが目に見えていると思うんだが……」
「それは、四人が危険な状況に陥るということですよね」
「きみだって少しは想像がつくだろう。しかもそれは、身体的や精神的な意味だけじゃない」
「それはどういう……」結城は不安を抱きながら訊いた。
「あの頃と比べて、今の彼らはだいぶ個人の仕事が増えただろう。CM契約、ドラマに映画に舞台、レギュラー番組、専属モデル。全て彼らの実力が買われたり認められて、やってくれと声をかけてもらっている。しかし、今また彼らに何かあれば、その全てに迷惑がかかる。森島くんの時のことを思い出せば、やめ時もわかるはずだ」
「社長は、会社がまた多大な損害を被ることを心配しているんですか?」
結城は、吉田が所属タレントの身の安全よりも会社を優先して損得で考えているのかと思い、内心落胆する。しかし吉田は、そんな意味で言った訳ではなかった。
「僕は、過去の彼ら自身を大切にしてほしいんだよ。彼らの輝かしい活躍はまだこれからなんだ。その確約された未来を、棒に振ってほしくないんだよ」
「社長……」
「キャリアに興味がなくてもいい。肩書きなんて所詮はアクセサリーだ。だが、これからもこの世界でやっていきたいと思っているなら、今すぐ自分の未来を最優先に考えてほしい」
社長は胸中にしまっていた思いを結城に打ち明けた。今は損害賠償などどうでもいい。一般人からオーディションを経てデビューして人気を得られ、さらに個人の評価までしてもらえている。誰にでももたらされるものではない幸せを、自らの手で全てドブに捨ててほしくはなかった。
彼らを番組で鍛え上げた庄司プロデューサーや、初番組で支え続けてくれた宮沢と同じように、芸能界の父親としての気持ちがないと言えば嘘になる。だから事務所の社長として、芸能界の父親の一人として、彼らを守りたいと強く願っていた。
吉田の思いは結城にも伝わり、彼女も胸懐を打ち明けた。
「……私、最初のステージを見届けた時からずっと思っていたんです。五人は最初から、“本当のグループ”だったんだって。だから、もう引退した森島さんのために行動するという強い決意は、私は誇らしく思います。でも、支えたいと思うのと同時に、いなくなってほしくないんです。初めてマネジメントを担当したF.L.Yは、私の大切なものなんです。なので、社長のお気持ちはとてもわかります」
「結城くん……」
ところが結城は、「ですが」と明かした思いを直ぐ様翻意させる。
「僭越ながらメンバーの一人だと思っている私としては、諦めたくありません。森島さんが濡れ衣を着せられたのが本当なら、許せません」
結城は「申し訳ございません社長」と頭を下げ、タレントを守る役目を果たせないダメな社員であることを謝罪した。
もちろん結城も、再び大事な人が傷付いていなくなることを望んでいない。栄光の絨毯が続く途中で消えていく瞬間を見たくないし、人々に笑顔を与え続ける存在でい続けてほしいと願っている。その姿を側で見続けるのは、結城がずっと抱いている夢だ。だから四人が危険の最中に飛び込むのは、本当に嫌だった。
けれどきっと煌たちも、これからも輝き続けたいと思っているはずだ。幸運に導かれて歩んで来た道を進んで行きたいと。だから結城は、マネージャーとして四人を支えるのではなく、“もう一人のF.L.Y”として助けたいと思い始めた。
「本気で言っているのか、結城くん」
吉田は眉頭を寄せながら訊くと、結城は「はい」と迷いのない眼差しで答える。
「森島くんの安否がわからない原因も不明なんだぞ」
「だからこそです。緑川さんは色々と考えているようですが、過去の事件と関係しているなら絶対に途中でやめないと思いますし、真相は明らかにするべきだと同意します」
「マネージャーだからわかることか」
「皆さんの団結力を、この目で近くで見てきていますから」
まさかマネージャーの結城からそんな言葉を聞くとは思ってもいなかった吉田は、「全く」と深く溜め息をついて頭を抱えた。
「ここが、ターニングポイントになるのかな……」
結城に聞こえないくらいの小声で吉田は呟いた。そして少しのあいだ沈黙し、方針を決意する。
「……結城くん。きみの意志も尊重しよう。しかし、助けることは禁止だ。今まで通り、彼らを見守ることに専念してほしい」
「ありがとうございます」
「それから彼らに伝えてくれ。約束内容は変わらず期限は一年。警察沙汰もしくはそれと同等の事態になった場合は、すぐに止める。そしてもう一つ。彼らの身が危険に遭った時は、即時私に報告すること。被害の軽重関わらずだ。その約束を守れなければ、即刻活動停止処分だと」
「わかりました」
話を終えて、結城は自分の仕事に戻った。天井を仰ぐように黒革の椅子に凭れる吉田は、眉を顰めて一人思考に耽っていた。
(この先の危険回避は、不可避と考えていいだろう。森島くんは未だ行方知れずだが、公開捜査になれば進展も期待できる。問題は、四人をどうするか。向こうが緑川くんたちの行動を密かに見張っているのは間違いない。タイムリミットが迫り焦りも出てくるはずだが、彼らはギリギリまで諦めないだろう。さて、どうする?)
自分が守りたいものを考えて天秤にかけても、今はどちらの皿も微動だにしない。ならばと目を瞑り、吉田は自分の心に問いかけた。すぐに答えが出ず繰り返し問答すると、やがて天秤は片方に傾いた。
「……お母さまは、僕の判断を赦してはくれないだろうな……」
自身の本懐と向き合った吉田は、少し罪悪感を滲ませて呟く。天秤は傾いたが、まだ迷いがあった。
翌日。夜から『トライんぐF.L.Yんぐ!』の収録がある四人は、それぞれの仕事終わりに結城に拾われて現場へ移動した。番組の収録も残すところ僅か。煌たちやスタッフは皆、少しでも面白い番組を残せるようワンチームで挑んでいた。
出発した時は日が傾き始めた頃だったが、都心から離れた田舎の廃校に到着した頃には辺りはすっかり暗くなっていた。ここが今日のロケ場所だ。一同が到着すると、校舎の一階の控え室代わりの元職員室に通された。ハンガーラックには、わざわざそれぞれのイメージカラーで揃えた衣装のジャージがかかっていた。
「お腹空いたな」
「収録開始までまだ時間があるので、先にお弁当食べもらって大丈夫ですよ」
結城が言うと、蒼太が真っ先にカレー弁当に手を伸ばした。流哉も仲良く同じロケ弁を選んだ。
「俺は鱈の西京焼きにしようかな。賢志は?」
用意されていたロケ弁は二種類で、それぞれ人数分あった。煌はどっちにするかと賢志に訊いたが、話を聞いていないのか返事をしない。
「賢志?」
「……えっ。なに?」二度目の呼びかけで気付いた。
「ロケ弁。カレー弁当と鱈の西京焼き弁当、どっちにする?」
「じゃあ……西京焼きで」
煌は一つ取って賢志に渡した。
今日の賢志は、いつもと少し様子がおかしかった。車中で結城から社長の吉田からの伝言を伝えられている時も、始終ぼうっとしていて話を聞いておらず、道中はずっとどこか上の空だった。どうかしたのかと訊いても、「なんでもない」と言葉と反した顔で言った。早くも始まっている年末特番の収録の疲れが残っているのだろうか。だから煌は、賢志のことを少し気にかけていた。
煌たちは台本に目を通しながらロケ弁を食べた。
「今日はゲーム企画か」
「『真夜中のバスケ! スリーポイントシュート対決!』だってさ」
「スタッフからの様々な障害物をクリアして、スリーポイントエリアからシュートした本数で勝負するんだって」
「バスケなら、経験者の流哉が断然有利だろ。俺は諦める」
「煌くんは球技苦手なんだっけ?」
「勝負をやる前から諦めるのかよ。まあいいぜ。最下位にはとっておきの罰ゲームが待ってるらしいから、楽しみにしてる」
流哉はニヤリと嫌な笑みを浮かべる。
「罰ゲーム?」煌は台本を捲った。
「『秋の夜長にスリルをどうぞ。校内一周一人肝試し』だ」
「気が変わった。死ぬ気で頑張る」
煌たち三人は談笑していたが、賢志はスマホを手に静かにしていた。いつも以上に静かな様子に、煌は余計に気になった。
しばらくして結城が退室したのを見計らい、煌は三人にある話を切り出した。
「みんな。これを見てくれ」
自分のバッグから出したのは、煌に宛てられた一通の封書だった。
「まさか、また脅迫文?」
「いや。この手紙の差出人は、澤田さんだ」
「澤田さんが? なんでわざわざ手紙なんて」
「お前たちには来てないのか?」
流哉と蒼太は揃って「何も」と首を横に振る。
「そういや、この前待ち合わせに来なかったよな。その謝罪文か?」
「だったら連絡をくれると思う」
「謝罪にしても、わざわざ俺宛に手紙を出すなんて不思議だろ。LINEも交換してるのに。話すことがあれば、電話かメッセージをくれればいい話だ」
「なのに、わざわざ手紙を書いた……確かに不思議だな。て言うか、おかしいな」
「だろ? 何か事情があるんだと思う」
「まだ読んでないの?」
「みんながいる場で封を開けようと思って、だから今日持って来たんだ」
「めちゃくちゃ気になるな。さっそく……」
澤田が煌に宛てた手紙の内容が気になる三人は、封を開けて読もうとした。その時。
「……そんな手紙、今はどうでもいいよ」
賢志がそう発言した。ずっと様子がおかしかったが、いつの間にかその変化は明白となっていた。さきほどまでと違い表情が暗く、なぜか緊張している雰囲気が漂っていた。煌たちはどうしてそんな雰囲気を醸し出しているのか、わからなかった。




