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4話




▷ ▷ ◆ ▷ ▷




 二〇一九年十一月二十二日。午後八時になる十分前。夜の帳が降ろされ、企業が営業を終えてビルの明かりが落ちた代わりに、飲食店の看板が灯る代々木駅前。

 仕事を終えて帰る人や、夕食を求めて彷徨う人が行き交う中で、東斗は『すなふきん』を待っていた。それまでSNSでやり取りするだけの仲だったが、いつしか仲良くなり、顔がわからなくても素直な自分でいられる相手となった。

 そんな『すなふきん』から、

「話したいことがあって、直接会って聞いてもらいたいんだけど、ダメかな。」

 と誘いがあった。『すなふきん』に何の警戒もしていなかった東斗は、二つ返事で会うことに同意した。

 初めて会うのでお互いに目印を身に着けることにして、東斗は白のロゴ入りキャップで、『すなふきん』は英語のロゴ入りの黒いパーカーを目印にした。

 他の人と同じように待ち合わせをしている中で、東斗もスマホを見ながら待っていた。そして待ち合わせの時間の六分前。一人が声をかけてきた。


「『fuyuki(フユキ)』さん、ですか?」


 スマホに目を落としていた東斗は顔を上げた。目の前には、一人の男性が立っていた。


「はい……『すなふきん』、さん?」


 東斗は一瞬、反応に迷ってしまった。確かに目印の英語のロゴ入りの黒いパーカーを着て、グレーのニットキャップを被り、ジーパンを穿いていた。反応に迷ってしまったのは、自分が想像していた『すなふきん』と、少し違っていたからだ。自分とそんなに変わらない年齢の優しそうな男性を想像していたが、剃り残しなのか微妙に髭が生えた三十代の男性だった。


「はい。初めまして。『すなふきん』です」


 少し無愛想な感じはしたけれど、控えめな声で軽く頭を下げた姿を見て、間違いなくSNSでやり取りしていた人物だと東斗にはわかった。


「今日は我儘に付き合ってもらって、ありがとうございます」

「いいえ。大丈夫です。オレの方こそ、こっちの都合に合わせてもらったし」


 自分が抱いていたイメージとは少し違ったが、SNSで知り合った人と初めて会うとはこういう感じなのだろうと、東斗は一つ勉強した。


「じゃあ、行きましょうか。一応、個室の店に予約をしてあるので」

「ありがとうございます」


 二人は、東斗が選んだ店に歩いて向かった。

 店に着くと個室に通され、まずは食事をしながらSNSでも話すような他愛もないことを話をした。それから『すなふきん』からの相談を聞いた。

 彼は自分が生まれた家のことから話し始め、その家のことで随分と悩まされてきたようで、親とは不仲だと言った。それに関係して、凡能者ノーギフトの自分自身のことやこれまでの人生を語り、自分の居場所や存在意義を探していると東斗に話した。

 東斗は話の内容に少し驚きながらも、たまに相槌を打ちながら静かに耳を傾けた。


「そうだったんですね。そういう苦労があることは知ってはいましたけど……」

「『fuyuki』さんも、もしかして」

「すみません。オレは持ってるんです。身近に能力を持っていない人がいて」

「友達とかですか?」

「友達じゃなくて仲間なんですけど、その中に」


 東斗は自分の仕事をまだ明かしていなかったので、詳しくは言わなかった。『すなふきん』も彼が芸能人だと気付いていないのか、何も触れてきていない。


「それじゃあ、凡能者に対して差別的な思想は……」

「もちろんありませんよ。その人とはずっと仲が良くて、毎日のようにつるんでますから」

「そうなんだ……いいな。その人は、ちゃんと自分の居場所を持てたんだ」


『すなふきん』はビールジョッキを傾けて、泡の消えた水面を見つめる。まるで、東斗の友人と自分とを見比べ、何年経っても変わらない自分への劣等感を上書きするように。


「『すなふきん』さんに、居場所はないんですか?」

「俺にそんな恵まれたものは与えられていない」


 そして東斗の問いには、まるで内蔵されたテープを再生された人形のように呟いた。抑揚のない、音だけのセリフのように。

 そんな『すなふきん』に東斗は言う。


「……ありますよ」

「え?」彼は顔を上げた。

「自分の居場所がない人なんて、たぶんいません。まず『すなふきん』さんには、SNSという場所があります」

「SNSなんて仮初の世界だ」

「だとしても、そこに自分の言葉を残しているということは、SNSも立派な居場所になりませんか」

「そんなふうには……」


 考えられないと目を伏せた。が、東斗は次に意外なことを口にした。


「それから。ここです」

「え?」

「オレと一緒にいるこの場所も、居場所になりませんか。オレと『すなふきん』さんの」

「……」


 東斗の言葉に『すなふきん』は、こいつ何を言っているんだと言いたげな表情をした。けれど発言した東斗は真っ直ぐに彼を見つめ、いたって真面目な発言なんだと証明するように、微笑んだ。


「……何言ってんの」

「嫌ですか? オレとのご飯」

「そういう意味じゃない」


『すなふきん』は拍子抜けしたのを、ビールを飲んで隠した。こいつはふざけているのかと一瞬苛立つが、東斗の目を見ると不思議と苛立ちはなくなっていく。この場の雰囲気で適当に言っているのではないと、なんとなくわかった。


「じゃあ。これからも、仲良くしてくれますか?」

「もちろんです」


 東斗は笑顔で返事をした。

 こうして打ち解けた二人は、時々会うようになった。二人はお互いの名前を教え、東斗は『すなふきん』を『黒須』と呼ぶことにした。『黒須』はテレビを観ておらず、芸能人にも興味がなく、東斗がアイドルだということも知らなかった。だから東斗も付き合いやすかった。

 しかし会うようになり、『黒須』の背景を少し知れたと言っても、SNSの延長線という意識があってあまりお互いのプライベートに踏み込まなかった。休みの日に一日中一緒にいることもなく、食事以外は行かず、飲食店以外は服屋に一度だけ行ったくらいだ。それは、『黒須』の雰囲気がなんとなくそうさせていた。一定の関係性で、一定の距離感で、一定のマナーをもって接したい。そんな心の声が、表情や言葉の端々から滲み出ていた気がした。彼が欲しがっている居場所というものに、東斗はまだなれなかった。

 けれどある日、東斗がSNSでワイヤレスイヤホンの片方をなくしたことを呟くと、次に会った日に高性能のワイヤレスイヤホンとポーチをセットでプレゼントしてくれたこともあった。こんなことはしてくれなさそうだと思っていた東斗は、意外に思いながら『黒須』からの最初で最後のプレゼントを受け取った。

 その日。『黒須』は東斗にあることを告白した。


「えっ。異母きょうだい?」

「そう。俺が家を追い出されたのも半分そいつが原因なんだ」

「比較されたってこと?」

「そいつがどんだけ優秀なのか知らないけど、あるごとになんでお前があいつじゃないんだ、って」

「それはお父さんが酷い。自分がそもそもの原因なのにきみだけを責めるなんて」

「あいつはそういうやつなんだ。その異母きょうだいのことで、ちょっと気になることがあるんだ」


 この日は隣の客とも近い居酒屋だったので、『黒須』は少し前傾姿勢になって声を潜めて話し始めた。東斗も空気を読んで前傾になって耳をそばだてる。


「前に荷物を取りにちょっとだけ実家に帰った時に知ったんだ。俺の、異母きょうだいの名前」

「えっ」

「親父が電話でケンカみたいに話してて、相手の下の名前を言ったのを偶然聞いたんだ。名字は昔聞いたことがあったけど、フルネームに聞き覚えがあって気になったんだ。それを、あんたに確かめたくて」

「オレに?」


 単純に、どうして自分に? と東斗は疑問だった。彼の家と繋がりがある人物の名前なら、両親なり親族なりに聞けばいいことだ。それをなぜ、わざわざ他人である自分に訊くのか、と。


「名前が間違いないか、それを確認したい」


『黒須』は内緒話の時と同じく口の横に手を当てた。疑問が消えないまま、東斗は彼の口に耳を近付けた。


「名前は、■■■■■■」


 名前を聞いた東斗は驚きのあまり、空耳かと疑った。けれど彼が教えてくれた名前は、一瞬で顔が浮かぶほどよく知った名前だった。


「確かにその名前だったの?」


 東斗が念のために再確認すると、『黒須』は頷いた。この時、その人物に自分の存在を教える必要はない、もちろん他言無用だと『黒須』に釘を刺された。


 そして、この五ヶ月後。『黒須』との食事のあと、麻薬取締部と名乗った四人の見知らぬ男たちに囲まれた東斗のバッグの中から、身に覚えがない覚醒剤が発見された。




▷ ▷ ◆ ▷ ▷




 十一月中旬。賢志は、帝日テレビのお昼の生放送の帯番組にゲストで出ていた。この番組はMC以外は曜日ごとにレギュラー出演者が決まっていて、今日木曜日はアロハ宮沢がレギュラー出演していた。

 この番組はVTRを流す時間が長く、大体はレギュラータレントとロケゲストのVTRを観ているだけだ。ロケ先が飲食店なら、紹介された人気やおすすめのグルメをVTRの合間の十五秒ほどで試食してコメントする。食リポに慣れていないスタジオゲストは、一瞬で終わってしまうこのミッションに毎回苦戦している。


「甘ーい! この焼き芋トロトロで蜜がたっぷりで、ずっと口の中に入れてじっくり味わいたいです」


 この一瞬勝負の食リポに多少慣れている賢志は、コメントを早口にすることでうまく時間内に収めた。なかなか高度なテクニックだ。

 番組の後半は、モデル同士のファッション対決を誰が一位になるか予想しながら見届け、最後に、自身が出演する金曜の夜に放送する特番の告知をして、生放送は終了した。

 楽屋に戻った賢志は、このあとはテレビ東都でバラエティー番組の収録があったが、時間に少し余裕があるのでゆっくり帰り支度をしていた。すると、楽屋のドアがノックされ「お疲れさまです」と聞き慣れた声がしてドアが開いた。顔を覗かせたのは、ついさっきまで共演していたアロハシャツ姿の宮沢だった。


「お疲れさま。賢志くん」

「お疲れさまです。今日はありがとうございました」

「相変わらず食レポ上手いね。ぼくは未だに時間内に収めるの苦手だよ」

「でも宮沢さんもさすがですよ。ちゃんとウケてたじゃないですか。僕もウケを狙ってみたいんですけど、難しいですね」

「賢志くんはまだ芸歴が浅いから。ぼくはほら、二〇年以上の経験があるから」と、宮沢は自慢げに二の腕を叩いてみせる。

「じゃあ僕も、経験を積んだらウケますかね」賢志も宮沢のマネをして二の腕を叩いた。


 今でも宮沢はバラエティーの先生で、うまくいかないことがあると賢志は相談する。宮沢は、他にお手本になるベテランがいるだろうと勧めるが、賢志は誰よりも世話になっている宮沢の方が気軽に話せてよかった。


「そう言えば。そっち大変そうだけど、大丈夫?」


 靴を脱いだ宮沢は、畳の上に直に腰を下ろしながら訊いた。


「はい。何とかやってて、今のところは大丈夫……とは言えないですね」

「何かあった?」

「……いえ。気にしないで下さい」


 あからさまに気掛かりなことがあると表情で言っているのに、賢志は無理に笑顔を作ってそれを隠そうとした。


「本当に大丈夫? 自分自身のこともあるのに、気が休まらないないでしょ」

「でも、大丈夫です。大変ですけど僕しかいないので、頑張らないと」

「言ってくれれば、俺も何か手伝うよ?」


 大丈夫だと言いつつ、心労が滲み出ている賢志を気遣って宮沢は言うが、


「いいです! 宮沢さんは、もう関係のない人なんですから!」


 賢志はその善意を遠慮というより、結構激しく拒んだ。しかし心配する宮沢は言葉をかけ続ける。


「でも、賢志くん真面目だから心配だよ。だから、俺に遠慮なく言ってくれていいよ」

「いいえ。本当に大丈夫です。宮沢さんに迷惑はかけたくありませんから」


 賢志は頑なに、宮沢が与えようとする思い遣りを拒んだ。ただ本当に、無関係である彼に関わってほしくなかった。温情を拒まれた宮沢は、少しだけ寂しそうにした。


「そう……だけど、きみの苦労は俺の苦労でもある。きみの苦労を知っているのは俺しかいないんだから、いつでも頼ってくれ」

「ありがとうございます」


 話していると、外で待っていたマネージャーの結城がドアをノックして顔を出し、そろそろ出られるかと尋ねて来た。


「次の仕事があったのか。引き止めてごめん」

「いいえ。気遣ってくれてありがとうございます。宮沢さん」


 宮沢も忙しい身なのに、心配する賢志のために僅かでも時間を割いてくれた。それだけ賢志のことを気遣ってくれていた。

 宮沢は楽屋を出ようとした。が、その直前に賢志に言った。


「これは言っても仕方ないけど。あまり気を張り過ぎるなよ」


 まるで、賢志の内側を知っているかのような気遣いの言葉だった。けれどその言葉は、賢志の心の奥には届いていなかった。


「……僕が頑張らないと。僕が……」


 自分への呪文のように呟くと、賢志はスマホで誰かにメッセージを送った。 




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