3話
東斗の捜索を始めてもう一週間が経過するが、進捗は何もなかった。警察は北信地方の市町村を中心に捜索していたが、範囲を南信地方にも広げる検討をしている。東斗の両親は事件性を訴えたが、自宅を調べてもそういった証拠は出ていないので、特別な捜査はしてもらえなかった。
撮影を終え自宅に帰って来た煌は、缶ビールを飲みながら、これまで聞いた情報や自分の考察を書き留めたノートを捲りながら考えを巡らせる。
どうしても、東斗の嘘が頭から離れなかった。居場所を知っていた身内が『黒須』と繋がっている疑いも持ち続けていて、嘘と失踪は繋がっていると考えていた。でなければ、辻褄が合わない気がした。
煌が考えた東斗失踪の裏はこうだ。
・『黒須』と繋がっている誰かがやつに居場所を教えて、襲われて攫われそうになった。
・もしくは、警戒されている『黒須』の代わりに他の誰かが近付いて、油断させて襲い攫おうとした。
・そのどちらかだったとしても、迫る危険を敏感に察知した東斗は、自ら逃げるように姿を消した。
だから煌は、東斗が失踪したと思われる時間───自分たちが帰った夕方の五時ころから、カウンセラーが東斗の家に着いた翌日の昼の十二時までの十九時間───の関係者のアリバイを一人で調べた。
まず事務所の吉田社長は、夜七時前には帰宅し家族と夕食を摂った。そのあとは小学生の娘の宿題を見たり、書斎で読書をしていた。寝室は妻と一緒で家族に気付かれずに長時間家を離れるのは不審に思われ困難かと思われる。しかし、常に外部との連絡が取れる状態ではあった。翌日はいつもの時間に家を出て、十時に出社しているのを事務員が確認している。
会社にいた結城マネージャーは少し残業をしたあと、同僚と一緒に会社を出たのが夜の七時過ぎ。そのまま一緒に夕食を食べてカラオケにも行き、自宅に到着したのは午前〇時ころだった。翌日はいつも通り八時に出社し、グループに来た仕事オファーのメール確認や、スケジュール確認のあと、煌の撮影現場に夕方まで同行している。あの日は前もって東斗の所へ行くことを伝えた唯一の人物だが、悪いことなどできる人ではない。
東斗の家族は、疑う理由がないので調べなかった。そしてカウンセラーは、友人と会っていたと聞いている。できれば友人に話を聞きたかったが、カウンセラーを通さなければならなく疑っていることがバレてしまうので難しかった。
東斗が失踪した時間はそれぞれにアリバイがあり、自ら長野へ行くことはほぼ不可能だった。だとするとやはり、事前に『黒須』に居場所を伝えたことになる。そうすると、既に挙げた人物たち以外にも疑いの目が向かうことになる。
そう。賢志、流哉、蒼太も例外ではなかった。
東斗と別れてからは、東京までずっと一緒だった。最初に降りたのが流哉。次に蒼太。最後に煌が降りて賢志と別れた。寄り道しながら帰って来たので、煌が降りた時点で時間は夜の九時半を過ぎていた。そこからすぐに長野に戻ろうとしても、車で行って到着するのは深夜。接触は不可能ではない。交通機関の長野方面への出発は翌朝だったので論外だ。
しかし煌は、あの三人でも不可能だと考えた。全員、翌日の朝から仕事があったのだ。だから、現場に迷惑をかけてしまう恐れがある。遠隔で使えるような能力も持ってはいない。やはり全員を疑うにしても、一人では無理な可能性がある。
「と言うことは。東斗を襲わせることを前もって『黒須』に指示をした?」
それなら、誰とどこにいようが襲うのは可能だ。
だが、襲わせる理由がわからない。一緒にいても、東斗に恨みを持っているような素振りや口振りはない。もしもあるとしたら、あの事件の影響を被ったことだろうか。
事務所には違約金など多大な迷惑をかけ、結城にも心労を抱えさせた。それから、逮捕されたと聞いた時のメンバーの様子はどうだったかと、煌は当時を懸命に思い出した。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
四人が東斗の逮捕を聞かされたのは、レギュラー番組『トライんぐF.L.Yんぐ』の収録が彼抜きで行われたあとのことだ。楽屋に戻った煌たちに、いつも花が咲いたような明るい表情に影を落とした結城マネージャーから、覚醒剤取締法違反で逮捕されたことを深刻に告げられた。突然のことに喫驚した四人は、最初は混乱した。
「嘘だ……そんなの嘘だよ。ハルくんが覚醒剤で逮捕なんて……」
「そうですよ。何かの間違いじゃ」
蒼太と煌が仲間を信じて拒否するが、結城は彼らの希望を首を振って否定した。
「そんな……」
「そっか、わかった! これドッキリなんでしょ! どっかに隠しカメラがあるんじゃないの?」
「蒼太。嘘じゃないみたいだよ。僕の能力でわかる。そうなんですよね。マネージャー」
表情を強張らせた賢志が尋ねると、結城はひとつ頷いた。賢志の能力で事実が確認され、四人は愕然として言葉を失った。
「……なんだ。あいつも、そういう人間だったのか」
沈黙を破って吐き捨てるようにそう言ったのは、流哉だった。
「やめてよリュウくん。ハルくんをそういうふうに言わないでよ!」
東斗を信じる蒼太は仲間を酷く言う流哉に悲しそうに反論したが、流哉は蒼太を睨み付けた。
「じゃあなんであいつは覚醒剤で逮捕されたんだよ。持ち歩いてたからだろ。あいつは常習してたんだよ。仲間のオレたちを欺いてたんだ!」
「おいやめろ二人とも」
「酷いよリュウくん! ハルくんはそんな人じゃない! ハルくんはボクたちのリーダーなんだよ!?」
「ハルくんハルくん、うっせぇなぁ! まさかお前もやってんじゃないだろうなぁ!?」
流哉は蒼太の胸倉を掴みかかりそうな勢いで迫った。
「七海さん、玉城さん!」
「やめろ流哉!」
「二人とも落ち着いて!」
普段は仲が良い二人が喧嘩をしそうになり、結城と一緒に煌と賢志は慌てて止めに入った。
「ここで俺たちが喧嘩したって、どうしようもないだろ。事件が公になる今だからこそ落ち着くべきだ!」
「なんで二人はそんなに落ち着いてんだよ。仲間に裏切られたのにお前は平気なのかよ!」
「僕だって動揺してるよ。まさかこんなことが起きるなんて、思ってもいなかったんだから」
賢志は眉を顰め、事態の深刻さと自身が抱いているみんなと同じ心情を流哉に表した。結城も懸命に平静を保ちながら、心を乱す流哉を落ち着かせようとする。
「急な事態で動揺するのはわかります。でもだからって、メンバー同士で喧嘩をしても事態がよくなる訳じゃありません。それに一番不安なのは、これから事件を知るファンの皆さんです」
「そうだよ。僕たちはファンのみんなのために、今取るべき行動をしなきゃ。こんなことをしたって、何もなかったことにできないんだ。僕たちこそ、目の前のこととちゃんと向き合わなきゃ」
結城と賢志の正論で、ひとまずその場は落ち着いた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「そう言えばその後の現場で、スタッフが俺たちの陰口を叩いていたのを聞いて流哉が掴みかかったこともあったな。今は落ち着いているが、もともと喧嘩っ早いところがあった流哉は、あのころは一番荒れてたかもな」
(だがその後は、流哉の口から東斗を非難する言葉は聞いていない。むしろ、内省して大人しくなった。自宅療養をしていた東斗に会いに行った時も、心底心配する言葉をかけていた。昔から東斗を兄のように慕う蒼太も、事件のことは信じようとしなかった。東斗が自宅療養をしている時も、俺の次によく会いに行っていたと思う。蒼太の東斗への信頼は、ずっと変化をしていない。賢志も驚いてはいたが、感情を激しく乱すことはなかった。喧嘩になった流哉と蒼太を止めたりして、俺たち中で一番落ち着いていて、その後もほぼいつも通りだった)
煌はそこまで当時の様子を思い返し、賢志のことが何か引っかかった。
「と言うか。いつも通り過ぎたような……」
確かに賢志は、いつも仏のように穏やかで、滅多に感情を乱すことはない。だが、東斗の逮捕を聞いた時ですら落ち着き払っていたのは少しおかしくはないか、と疑問が湧く。一緒にグループを支えてきた東斗の逮捕だというのに、信頼していたメンバーに対して何も思わなかったのだろうか。一報を聞いただけで、一瞬で状況を飲み込めたとでもいうのだろうか。
「送り主不明の脅迫文が届いた時も、やけに気に病んでいたような。それに、事件の真相を探ることも『黒須』探しも最初からだいぶ渋って、今もそんなに乗り気じゃない。危険を危惧して首を突っ込むべきじゃないと考えて、やめた方がいいと言っているんだと思っていたが……」
(これまでの賢志の言動を振り返ると、ことあるごとに事件に関わることを拒んでいた。東斗が嵌められたかもしれないと言っているのに、あいつは真相を知りたいと思わないのか。本当は知る必要はないと興味すらないのか。それとも何か別の理由で、行動を共にしながら俺たちが首を突っ込むことを止めているのか?)
煌の思考が、暗い井戸の深く深くへと潜っていく。
眉間の皺を深く刻んで考えていたその時、テーブルの上のスマホが突然鳴ってハッとする。結城マネージャーからの着信だった。
「もしもし。お疲れさまです……はい……台本の変更ですか」
ドラマの台本に変更があるらしく、明日現場で差し替えが渡されると言う連絡だった。用件はそれだけで、一分ほどで通話を切った。僅かな時間だったが、思考が一度止められたおかげで、奥深くに潜りそうだった煌の頭はリセットされた。溜め息をついて頭を抱えた。
「俺は一体何を考えてるんだ。メンバーを疑うなんて……」
(メンバーに何の動機があるっていうんだ。流哉も蒼太も最初は拒んだものの積極的に協力してくれているし、賢志だって、リーダーだから危険があるのを恐れて俺たちのことを心配しているだけじゃないか)
「みんなに申し訳ないな……」
冷静さを欠いていたことを自省した煌は、すっかり常温に戻った缶ビールを飲み干した。なくなると今度は、冷蔵庫の中から酒を割る用の冷えた炭酸水を出し、それを喉を鳴らして飲んだ。新鮮な炭酸が、心も思考もリフレッシュしてくれたように感じる。
冷静になった煌だが、考察をするのはやめられなかった。東斗失踪事件は、放っておくことはできない。メンバーを疑うことはお門違いだが、居場所を知っている人物の中に、東斗の失踪に関わっている人物がいる疑いは拭い切れない。
(『黒須』と協力したなら、いつから繋がっていたんだ。あの事件のもう一人の犯人だとしたら、かなり前から繋がっていたことになる)
リビングテーブルに置いていたスマホが再び鳴った。今度はLINEの着信音だ。
考察を続ける煌だが、ずっとわからないことがあった。それは、
『黒須』も共犯の可能性がある人物も、東斗を狙った理由が不明なことだ。
共犯者の方は何かの遺恨が動機だとしても、何故『黒須』は二度も狙ったのか。東斗は『黒須』とは何もなかったと言っていた。それなのに、覚醒剤取締法違反で逮捕させ、芸能界引退にまで追い込んだ。まさか『黒須』は、理由もなく東斗を嵌めたとでもいうのだろうか。
鳴ったスマホを確認すると、澤田からのLINEだった。違法薬物関係のライターから話を聞くことができたので、一度報告したいとのことだった。煌は、メンバーとスケジュールの確認をして折り返し連絡すると返信した。




