2話
吹き抜けの天井。無垢の心を表す真っ白い壁。そして、旗を持ち胸に手を置く純白の衣を纏った女性が描かれたステンドグラス。老若男女の信者たちは、ステンドグラスの女性を通して注がれる栄光の光に感謝し、無垢なる祈りを講壇に立つ青白色の服を纏った成都子に捧げた。
礼拝の時間が終わると、信者たちは講壇の前に列を成した。皆、成都子に話を聞いてもらうためだ。礼拝後の恒例となっており、成都子も一人一人の信者の声を丁寧に聞いてあげている。
「成都子様。新しい職場でもまた差別を受けました。どこにいても肩身が狭くて息苦しく、辛いだけです。私はこのまま、働いていていいのでしょうか。それとも、飢えを覚悟で働くのを諦めた方がいいのでしょうか」
差別が原因で何度も転職している女性は、瞳を潤ませて成都子に救いを求めた。凡能者の自分が存在してもいい場所は、現代社会にあるのだろうかと。
慈愛の微笑みを湛える成都子は、女性の肩に綿毛が降りてきたかのように優しく手を添えた。
「あなたが悩み苦しむ必要はないのです。能力が発現したのは、神が人類を試すために知恵の実を与えたのです。ですが、せっかくお与え下さったそれを、きらびやかな王冠のように見せびらかす者は、愚か者に過ぎません。やがてその者たちにも、罰が下るでしょう。それを機に改心し、あなたのことも受け入れるはずです」
「社会に、私の居場所はできるでしょうか」
「安心しなさい。必ずあなたの居場所もできるでしょう。もしも、社会の毒と戦うことを拒むのであれば、その日まで私があなたを支えます」
その言葉で一筋の光が射し込まれた女性は、瞳から涙を流した。救われた女性は「ありがとうございます」と組んだ祈りの手を額に当てながら一礼し、成都子の隣に立っている側近が持つ箱にお札を入れ、礼拝堂を去って行った。
信者はまだ並んでいたが、一定の時間が過ぎると成都子との対話の時間は終了となった。心の内を話せなかった信者たちに惜しまれながら、成都子は側近たちを引き連れて礼拝堂を後にした。
衣から着替えて執務室に戻ると、来客がソファーに座っていた。白髪混じりの髪を七三分けにし、ダークグレーのスーツを着た、成都子と同年代くらいの男性だ。スーツの襟には、ビロード生地に金の菊花の紋章が配されたバッジを付けている。彼は立ち上がると、成都子に丁寧に頭を下げた。
「お待たせ致しました。榎田先生」
榎田敬。参議院議員であり、防衛大臣を務める閣僚だ。なのに成都子を前にした榎田は、だいぶ腰が低い。
「“先生”はやめて下さいと申し上げているではありませんか」
「だって、政治家の方は“先生”と呼ばれているのでしょう?」
「あなたにそう呼ばれるのは恐縮してしまいます。どうかご勘弁を」
困惑する榎田を見た成都子は、彼の反応を見たくてからかっていたのか、クスクスと笑った。
立ち話もそこそこに、二人は向かい合ってソファーに腰かけた。
「まずは。こちらをお受け取り下さいませ」
榎田はスーツの内ポケットから厚みのある茶封筒を出し、成都子に差し出した。
「いつもありがとうございます」
成都子は組んだ手を額に当てて感謝を表してから封筒に手を伸ばし、中身を目視で確認して側近に渡した。封筒を預けられた側近は、それを持って退室した。
それと入れ替わるように別の側近が来て、紅茶とお茶請けを二人に出した。成都子は角砂糖を二つとミルクを入れ、上品な所作で溶かしカップに口を付ける。榎田は角砂糖を一つだけ溶かして片手で飲んだ。
「新法案。みなさまに受け入れて頂けなくて、非常に残念に思います」慈悲深さが滲み出る声音で、成都子は無念だと告げた。
「今度こそと思ったのですが、またもや力が及びませんでした」
「こんなに難しいとは思いませんでした」
「衆参両方に理解ある先生はいらっしゃるのですが、代々有性者の家系だと、なかなか堅い頭で……」難儀な使命に苦労する榎田は、眉間に皺を寄せる。
「そうでしょうね。最初の有性者が現れて八十四年。声を上げたり裁判を起こすなど色々とやってきましたが、身分証に能力の有無の記載の必要がなくなったこと、教育現場での平等な教育、就職活動での能力検査などが見直されたくらいで、社会における格差はまだあります。それを、国会議員の立場でありながら問題にも上げないとは……」
「弁解のしようがありません」
申し訳なさで上げる頭もなく、榎田は足元を見るしかなかった。そんな榎田に成都子はふわりと微笑む。
「あなたを責めているのではありません。私は、この国にほとほと呆れているのです。教育機関が始めた差別、そこから生まれ広まった格差ですが、国がそれを見過ごし許したことが現在まで続いているのです。自身の過ちだと自覚しない限り、何を訴えても凡能者の立場は変わりません。社会も。個人の意識も」
「ごもっともです。故に私は、議員生命をかけて私のすべきことを果たします。それがあなたの願いであり、偉大なるマリアの願い。私があなたとともにいる理由は、たった一つです」
「ありがとう。榎田」
成都子は安堵するような穏やかな面持ちで、感謝の言葉を贈った。金銭的に教団を支えてくれる信者であり、自分の味方を貫いてくれる同士の存在を、とても心強く思っていた。だから、常に付き従っている側近たちよりも、榎田たちに信頼を寄せていた。
榎田は、もう一つ成都子に報告することがあった。
「それから。あちらの進捗ですが、順調に進んでおります。恐らく年を越したころに、お渡しできるかと」
「そちらはもうひと息ですか」
いい報告であるのに、成都子は浮かない表情だった。それにつられるように、榎田も心憂い思いを顔に浮かべた。
「私はなんて罪深いのでしょう。あなたにこんなことをさせるとは……」
「もう。何度同じことを言うの。あなたは悪くないと、繰り返し言っているでしょう。いい加減に自分自身を許しなさい。母も許して下さっているわ」
己の罪を何度も後悔する榎田に、成都子は咎めはしないと言葉をかける。許された榎田が母を見る幼子のような目で顔を上げると、成都子は微笑みかけた。
「それに、本来果たすべきことも順調に進んでいます。一度は母のご意志に翻意する道を行きそうになりましたが、あちらが果たされれば本来の目的のために尽くせます」
「そうですね。もう少しです。耐えましょう」
「私一人だけだったら、こんな屈辱に耐えられませんでした。ですが、あなたがたがずっと私を支えてくれたから耐えることができました。二人の善意に感謝します」
「滅相もない。私も友と出会っていなければ、同じ道を歩む選択すらしていなかったでしょう」
成都子は徐に立ち上がると、美しい花が生けられているキャビネットの前に立った。そこに立てかけられていた観音開きの扉を開けると、白髪頭の老婦の写真があった。
この写真の老婦が、偉大なるマリアこと、成都子の母・和子。このピースサークルファミリー教会を創設した女性だ。
「私たちは皆、偉大なるマリアの導きで同じ屋根の下に集っています。この場所を、絶対に失わせてはいけません。ともに守りましょう。私たちの場所を。そして、未来を」
「私たちを見守る母のために」
榎田も成都子とともに写真の前に立ち、組んだ祈りの手を額に当て、偉大なるマリアへ誓いを立てた。託された使命を胸に宿し、悲願が叶うその日まで歩き続けると。
一同の東斗への憂患が取り除けない中、『黒須』の手がかり探しは続いていた。この日は流哉と蒼太が行ってくれていた。二人が尋ねて行ったのは以前ロケでお世話になった、紳士のニワトリの絵のあるバーだ。
実はロケに行った際に、水の入ったグラスと一緒に出された新しいコースターに「いつでもご連絡下さい」というひと言とともに、マスター個人の連絡先が書かれていたのだ。なので連絡し、オープン前に来てほしいということで、まだ誰もいない店にお邪魔した。店はマスター一人でやっているので、他に邪魔が入る心配はなかった。
「あの。どうして……」
「不躾で申し訳ないと思ったのですが、七海さまと緑川さまの思考を読んでしまいまして……」
このマスターは、〈思考を読む〉という第二種特性の持ち主だった。もちろん、最初から意図的に読もうとした訳ではなく、煌と流哉の様子が撮影とは違う心持ちでいるように見え、気になったのだと言う。
「それで。ボクたちが調べてることで何か知ってるんですか?」
「先日いらした時に、黒い服を着たカジュアルな客は来ないかと尋ねられましたよね。確かに、そのようなお客さまはいらっしゃいます。全身黒でカジュアルな服装でいらっしゃるのは、その男性くらいだと思います」
「名前や年齢はわかりますか?」
「すみません。年齢は三十代だと思いますが、お名前までは……ですが、いつも決まった日時にいらっしゃいます」
「それはいつですか?」
「毎月十五日の二十二時ころです。ふらりとお一人でいらして、いつもあちらの半個室に座られます」
と、マスターは二人の後ろにある部屋を指した。
「いつも一人なんですか?」
「いいえ。途中からお連れさまがいらっしゃいます」
「男性ですか? 女性ですか?」
「背が高くてお美しい大人の女性の方です。毎回その方とお会いになっていますね」
「その女性の名前もわからないですか」
「申し訳ございませんが、お客さまの個人情報ですので」
その二人は半個室で落ち合うと、静かにカクテルを飲んでいると言う。しかし、その雰囲気は親しそうには見えず、かと言ってたまに会うただの知り合いでもないと、長年一人で接客をしてきたマスターは己の観察力で推測していた。そしてカジュアルな男性の方が来店から三〇分もしないうちに先に店を出て、女性の方が二人分の会計をして時間差で帰るらしい。他に男性と会っている人はいないかと尋ねるが、その女性一人だけだとマスターは言った。もちろん話し声も聞こえてこないので、会話の内容まではわからないと言う。
「私からお話できることは、このくらいだと思います。すみません。大したことではなくて」
「そんなことないです。とっても大事なことを聞けました」
「ありがとうございます。でも、客のことなのになんで教えてくれたんですか」
流哉が尋ねると、マスターは伏せ目がちになって理由を話してくれた。
「実は、私の娘が森島さんのファンだったんです。あの事件の時、娘はこの世の終わりかというくらい泣いていました。けれど私は、何かしてあげたかったのに、父親なのに見ているしかできなかった。それが辛く、心残りだったんです。先日いらしたお二人が、話の中で森島さんの名前を出していた上に私から何かを聞き出そうとしていたので、みなさんの目的を知っていた私は、悲しんでいた娘のためにも、何か少しでもお役に立ちたいと思ったんです」
それはF.L.Yと東斗を助けるためではなく、一人の父親として、娘の胸に残り続ける悲しみを少しでも拭ってあげたいという親心だった。流哉と蒼太は、複雑な心境だった。けれど、誰かが自分たちを信じて支えてくれていることは、罪深くもとてもありがたいことだった。
二人はお礼にカクテルを一杯ずつ注文し、店を後にした。
流哉と蒼太が得た情報はすぐに煌と賢志にも共有され、東斗からの情報と照らし合わせても『黒須』の可能性が高かった。一気に『黒須』に近付くチャンスを得た四人は、作戦を考えた。




