13話
特性能力のDNAは、一度開放されれば封じられることはないのが定説である。ところが璃里の場合は、研究理論に反する状態となっていた。DNAが封じられたということはつまり、能力の消滅を意味する。
璃里は、凡能者となったのだ。それには二人もかなり驚いた。
「どういうこと?」
「あたしもショックで、何を説明されたのかよく覚えてないんだけど、とにかくそんな感じなんだって。原因もわからないから、治療法もないって」
「そんな……」
璃里の症状は、世界的に見ても類を見ない症例で、恐らく日本が初めてではないかと医師も言っていた。前例もなく、能力を復活させられる治療法もない。歌声を売りにしていた璃里は、暗い部屋で一人で泣きながら、アイドルを続けることを諦める選択をするしかなかった。
「まぁでも。能力がなくなっただけで普通に生きてるし、芸能活動もできてるから、それでいいよ」
けれど璃里は明るく振る舞った。夢だったアイドルを続けられなかったのは悔し過ぎて悔やみ切れないが、幸い顔はいいし、歌唱力も衰えた訳ではない。自分にはまだ芸能界で戦える武器があると、希望を捨てずに頑張っている。自分の居場所を守るために。
「それにね。能力が減退してるの、あたしだけじゃないみたいなの」
なんと、璃里からの驚愕の情報はまだあるようだった。
「他にもいるの?」
「噂だけどね。歌手のmiriyさんとか、シンガーソングライターの昴さん。アイドル界隈だと、ブラックフェアリーの一輝と、POP9の安西咲哉くん。他にもタレントさんや俳優さんもだって。あたしの同期のさとみんとか後輩の深波ちゃんもそうらしくて、直接相談された」
「そんなにたくさん……」
「さとみんと深波ちゃん以外はあくまでも噂だから、真に受けないでね。でも一応、聞いたことは秘密でお願い」と、璃里は口の前に人差し指を立てる。
まさか璃里だけではなく他にもいるとは。しかも、芸能人ばかり。業界内にこれだけいるということは、一般人の中にも能力の減退や消滅をした人はいるのだろうか。
「秘密と言えば。F.L.Yも大胆なことしてるよね。東斗の事件の真相、その後はどうなの?」
「それについてはトップシークレットで」
二人は璃里を真似て、口の前に人差し指を立てた。
「えーっ、教えてくれないのー? あれだけ大々的に宣言しておいてー」璃里は不公平だと言わんばかりに口を尖らす。
「ボクたちもまだ情報を集めてるところなの」
「蒼太。言っちゃってるよ」
「璃里ちゃんはなんか知らない? 事件に関係しそうなことなら何でもいいんだけど」と、蒼太は訊いてみるが。
「ごめん。全然知らないや。ちなみに、あたしは全くの無関係だからね。あの事件がショック過ぎて、仕事に支障をきたしたくらいなんだから」
「そう言えば璃里ちゃんて、東斗推しなんだっけ」
璃里はF.L.Yデビュー前のオーディション番組を観ていた時から、東斗推しを公言していた。シングルとアルバムは聞く用と保存用と観賞用と布教用を必ず買い、イベントやコンサートにもお忍びで必ず行き、東斗のグッズはコンプリートして部屋にびっしり飾っているくらい推している。
「そうだよ。あの時はあまりにも気力なくし過ぎて、一ヶ月くらい仕事キャンセルしようかと思ったもん」
「休み過ぎじゃない?」と優しくツッコむ賢志。
「推しの事件て、ファンはそこまでショック受けるんだね」
蒼太がそう言うと突然、璃里の何らかのスイッチが入った。
「そうよ! 覚えておいて。ファンがどれだけ推しのために一生懸命働いてお金を稼いで、貯金なんて忘れて貢いでいるのか! 推しが病気になったらお参りするし、結婚したらオフ会でみんなでお祝いするし、引退なんて言われたら生きる活力を失うのよ!」
「それ、本当? 極端過ぎない?」また賢志はツッコんだ。
璃里は、ファンにとって推しの存在とは何なのか、どれだけ尊くて生きているだけで奇跡で、自分の命くらい大事なのだということを熱く説いた。こんなに熱く語るファンとの遭遇は初めてだった賢志は、ちょっと引いている。
「東斗のことはあれだけでもう、富士山のてっぺんから転がり落ちて海に沈んだくらいの衝撃だったのよ。それなのに。それなのによ! あたしの推しは裏の顔があるって知っちゃったの! あたしはこれから、推しとどう向き合っていけばいいのっ!?」
熱く語ったかと思えば、休む隙もなく今度はテーブルに伏せて泣くんじゃないかと言うくらい璃里は落ち込んだ。
「落ち着いて生天目さん。いったんラテ飲んで」
「いや、待って。東斗くんの裏の顔ってなに?」
聞き逃さなかった蒼太が尋ねると、璃里はけろっとして顔を上げる。「二人は知らないの? 東斗の裏アカウント」
「ハルくんの裏アカ?」
璃里は提げていたスマホを操作して、二人に見せてくれた。アカウント名は『fuyuki』となっていて、プロフィールの自己紹介文もあっさりしている。投稿はたまにされていて、基本的には空や道端に咲いた花など、日常の風景を切り取った写真に短いコメントを載せた投稿だ。しかし、スクロールしていくと時々、差別的な発言や暴言など過激なコメントを投稿していた。蒼太は疑惑の目で、賢志は眉頭を寄せて見た。
「これが、ハルくんの裏アカウント?」
「時々もの凄く炎上しそうな投稿をしてる」
「実際、炎上してるよ。他の人とめっちゃ喧嘩してる」
とある投稿をタップしてツリーを見てみると、言葉で殴り合っている投稿がずらっと続いている。相手は一人ではなく、便乗したアカウントを含めた五人くらいと言い合いになっていた。リアルで顔を合わせていたら、本当に喧嘩になっていてもおかしくないような内容だ。それを見て、二人は余計に東斗のアカウントだと信じられなかった。
「こんな過激なこと、ハルくんが書くわけないよ」
「あたしも最初は、噂で聞いて興味本位で覗いてみただけなんだけど、東斗だって証拠を見つけちゃったのよ……それがこれ」
璃里がとある日の投稿に載せている、片手にドリンクを持った写真をタップした。そして親指のあたりを中心に拡大して見せた。
「この親指のホクロ。東斗と同じじゃない?」
「確かに。左手の親指の爪の横に、ハルくんと同じホクロがある」
東斗のわかりにくい位置のホクロはメンバーなら知っているので、二人もすぐにわかった。
「と言うか。僕たちがそれを知ってるのはわかるけど、なんで生天目さんが知ってるの」
「ファンなんだから当たり前じゃない。推しのホクロの位置はもちろん、好きなお酒の銘柄、休みの日のルーティンだって知ってるんだからね。ファンを甘く見ないで」
「でも。同じ位置にホクロがある人だっているんじゃ?」
「裏は取れてるのよ」刑事っぽく言った璃里は、自分の表向きアカウントから別のアカウントに切り替えて、フォローしているアカウントの一つをタップした。
「これ、東斗ファンが交流の場に使ってるアカなんだけどね。もちろんこのアカウントの人は普通の人だよ。ここに、東斗の目撃情報が逐一投稿されてるの」
「東斗が引退しても、こういうアカウントは残ってるんだね」
「そうだよ。ファンはね、例え推しが芸能界を引退しても、応援をやめる訳じゃない。推しがこの地球上のどこかで生きてる限り、応援し続けるのよ。出会えたことで、自分の人生を輝かせてくれた人だから」
普段はファンレターをもらったり、SNSの投稿を見てファンの気持ちを知る賢志たちだが、璃里のように熱くひたすらに一途な思いを直接聞くことはほとんどない。「出会えたことで、自分の人生を輝かせてくれた」。そんなひと言を聞けて、心がじんわりと熱くなった。輝かせてもらっているのは、自分たちの方なのに。
「でね。さっきの投稿と同じ日付の近いエリアで、東斗の目撃情報があるの。見えてる袖と服装を見比べる限り、同一人物の可能性が高い」
スクショした先程のドリンクを持った写真と、ファンが隠し撮りした写真を見比べると、確かに服の色や袖の感じが似ている。
「すごいね。探偵みたいだ」
「どう? 二人もやっぱり、あれは東斗の裏アカだと思う?」
「どうだろう……」
蒼太はまだ疑っていた。賢志も肯定に迷い、二人はまた眉間を寄せる。
「確証がないかな。ホクロだけじゃどうにも……投稿は? まだされてるの?」
「今は全くしてない。この日付でぱったりなのよ」
東斗の裏アカだと言われているアカウントに戻り、最後に投稿された日付を確認した。固定された投稿はなく、一番上にあるものが一番最近のものだ。その日付は、二〇ニ〇年六月ニ〇日となっている。
「この日付……」
「東斗が逮捕された前日だ」
「どう思う?」
璃里はメンバーから見た真偽を尋ねる。
勾留中のだった東斗はスマホは預けられていたので、一切触れていない。釈放されたあとも、罵詈雑言を真っ向から受け精神を病んでから、スマホの電源は入れていなかった。写真に映っていたホクロ、投稿が止まったタイミングから推測すると、東斗の可能性はある。
「もしかしたら、本当にハルくんの裏アカかも」
「やっぱり!? 二人が認めちゃったらマジで確定じゃん! もうやだヘコむ〜! こんな推し認めたくない〜! でも、これも推しの一面だから受け入れるべきなの?」
またテーブルに顔を伏せてかなりヘコむ璃里。人たらしと言われた東斗の裏の顔なんて、できれば知りたくなかっただろう。しかも、裏の顔のレベルが違う。実は部屋が汚部屋とか、私服は未だに母親に決めてもらっているとか、そういうレベルならかわいいものだったのだが。このアカウントが疑惑でなく本当となれば、ファンの間で物議を醸すことは間違いない。蒼太も認めてみたものの、やはり信じられない様子だ。賢志も深刻そうな顔をしている。
「あ。そう言えば。F.L.Y公式裏アカウント、あたしもフォローしてるよ」
璃里はまた、けろっとして顔を上げた。どこかにスイッチ付いているのかと思うくらい、気持ちの切り替えが早い。
「そうなの? ありがとう、璃里ちゃん」
「裏アカは死ぬほどショックだけど、東斗がホワイトだってことはあたしも信じてるから。いいとこ投稿したり拡散するね」
東斗の裏アカ疑惑がグレーから黒に近付いても、東斗を好きな気持ちは簡単には消えないと、璃里は言ってくれた。自分たちの行動で心配をかけ不安にさせてしまっているのに、それでも熱を冷まさずに応援してくれる存在は本当にありがたかった。そんなファンに支えられているから今こうして立てているのだと、実感する二人だった。




