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オレンジのカレンデュラを、贈れたなら

作者: 山科ひさき

「彼女」に出会ったのは、高校二年生の夏のことだった。

 若い熱気に包まれた、青春真っ盛りのその季節、私はただ死にたかった。


 きっかけは特に語るほどのことでもないと思う。その時期の若者には非常にありがちな、つまらない挫折とでも言っておこう。ともかく重要なのは、私が自身の人生にこれから先希望なんて何一つないのだと「わかって」しまったということだ。みんなが簡単にやってのけることは全て致命的に下手くそで、それなのに何か突出した強みや特技なんて少しもない。容姿もパッとしない、性格も陰気でつまらない。愛嬌もない。何もかもうまくやれない。

 この自分でこれから先何十年生きていくことを考えると、めまいがしそうだった。


 ——私の人生はここがピークで、あとは下るだけ。


 そう、はっきりと自覚していた。




 とはいえ死ぬのは怖い。痛そうだし、死に損ねたら障害が残る可能性もある。自分という人間が、意識がこの世から消えてしまうということも、深く考えるとなんだかゾッとする。何もわからないまま一瞬で意識がなくなるのならまだいいが、その様に都合のいい死に方というのもなかなかないものだ。

 そういうわけで、よい死に方はないものかとだらだら探しながら、ずるずると生き延びていた(こうした自分のだらしなさは私を長らえさせたが、同時に死を願う原因そのものでもあった。このような時に素早く決断が下せる人間であれば、将来に希望も持てたというものだろう)。


 生きていく気力はない。でも死ぬ勇気もない。全て投げ出して引きこもることさえ億劫で、表面上は淡々と普段通りの生活を続けながら、ひたすらに死を願う。そんな日々の中で、彼女に出会ったのだ。


 初めて彼女の文章を読んだのがいつ、どんな状況だったか、詳細には覚えていない。おそらくぼんやりとインターネットのコンテンツを漁っていた時にでも、偶然たどり着いたのだと思う。


 彼女は「村田の脳内」という個人サイトを運営し、自身の小説やエッセイなどをそこに掲載していた。「個人サイト」という文化は、過去に流行っていたと聞くが当時ではもう随分と廃れていて、物珍しさもあって私は彼女の文章を読み漁った。

 目についたものを読み、次に目についたものをまた読む。それを繰り返してどれくらいの時間が経っただろうか。ふと喉が渇いたことに気づき、お茶を飲んで一息つく。

 その時にはもう、決めていた。


 彼女、「村田さん」に、ついていく——と。


 彼女の文章は端正で美しく、それでいて人を惹きつけるパワーがあった。

 特に小説はどれも構成が非常によくできていて面白く、彼女の頭の良さと文才を感じられた。サイト内で一番よく読まれていたのも小説だったようだ。

 しかし、私が夢中になったのは、彼女のエッセイだった。


「絶望にはまだ早い」


 その題名に興味を惹かれてクリックし、文章を読み進めるうち、じわりと涙が滲んだ。

 そこには村田さん自身が死を願うほど苦しんだ過去と、立ち直るまでの経過が丁寧に書かれていた。自分をいたわり、癒されるものやリラックスできる空間を見つけること。成長を焦る日々でも、自分を責めないこと。変わる意志さえあれば、一歩ずつでも絶対に変わっていけるということ。

 彼女は「私」を、現実に苦しむ「私たち」を、決して否定しなかった。

 彼女は力強く、自律していて、自分の考えを持っていた。

 彼女の文章は厳しく、あたたかく、世界にどうしようもなく馴染めない人々への共感と愛情に満ちていた。


 その日から私の日常は、少しだけ変わった。

 まず、容姿に気をつかう様になった。顔立ちが変わるわけでもなし、と手入れを諦めていたが、(村田さんが誉めていた)安い化粧水で肌の手入れをし、朝は(村田さんが愛用している)ヘアオイルで髪を整えた。

 心なしか清潔感が増した様に感じたし、村田さんに近づけた様な気がして気分がよかった。


 次に、勉強をする様になった。それによる変化は劇的だった。

 それまでは授業を聞いても内容をうまく理解できず、自分自身の頭の悪さを突きつけられることが怖くて、自主的に勉強をすることを避けてきた。けれど、村田さんが推奨するように予習と復習にそれぞれ一時間ずつ自宅学習の時間をとった結果、今まで苦しんでいたのが嘘のように授業に難なくついていける様になった。それどころか、クラスでも上位の成績が取れるくらい、どんどん学力が伸びた。


 以前ほど死にたいとは思わなくなっていた。


 村田さんのエッセイにあった言葉を思い出した。「変わる意志さえあれば、一歩ずつでも絶対に変わっていける」。彼女の言葉だからこそ、信じられたのだ。


 私は前にもまして彼女に夢中になった。彼女が勧めるものを試し、彼女の主張をなぞる様に思考した。ほとんど崇拝と言ってよかった。

 私淑といえば少し格好がつくが、実際のところ、アイドルに向ける様な憧憬の念を、彼女に対して抱いていたのだった。


 もっと彼女のことが知りたくなり、サイトにあった膨大な量の小説、日記、エッセイを時間があれば読んだ。気に入った文章はブックマークし、暗唱できる様になるほど何度でも読み返した。

 そんな時、ふと自己紹介欄にリンクが貼ってあることに気づく。彼女のSNSアカウントに繋がっているものだった。私自身はSNSをやっておらず、興味もなかったため、それまでは目に止まらなかったのだ。

 けれど彼女がどんなことを書いているのか気になったため、リンクからSNSを覗いた。


 SNSでの彼女は、個人サイトとは違って、日常の取り止めのない話を主に投稿している様だった。料理やデザートの写真を上げたり、作家仲間や読者と仲良さげにじゃれあっている。SNSにはあまり明るくない私だったが、彼女が楽しそうなのはいいことだと思ったし、彼女の日常に触れられることも嬉しかった。

 ただ、短い文章で気軽に投稿できる故なのか、やや攻撃性が高い言葉を使っている場面もしばしば目にした。


「さっきジジイにぶつかられたんだけど胸ぐら掴んでキ○ガイみたいに喚き散らかしてやればよかった 今度はそうする なめんな」


「化粧うまいですね!羨ましい〜じゃねんだよクソ女 ここまで上達するのにどれだけ時間かかったと思ってんだ」


 個人サイトでは見かけなかった他人を貶めるような語彙に、少し戸惑った。

 けれど、彼女も現代社会で生活している人間である以上は、ストレスが溜まることや、マイナスの感情を持つこともあるだろう。それを密かにSNSで発散する程度、強く避難するほどのことでもない。むしろ彼女の実在性を感じられていいという見方もできる。

 そう思っていた——しばらくの間は。


 その日いつものように彼女のSNS投稿をチェックすると、彼女や周辺のアカウントにどこか殺伐とした空気が流れていた。

 多くのアカウントがこぞって何かを非難しており、怒りや悲しみを表明する様な投稿も目立つ。また、彼女の口調も(普段にも増して)荒れている様に感じられた。

 しかし彼女たちが話題にしている対象は直接的には示されておらず、私には何のことやらさっぱりわからなかった。そこでSNSの検索機能を使ったりその話題に乗っているアカウントの投稿を遡ったりして震源を探ったのだが、やっと突き止めた事実はこういうことだった。


 まず、ある人が彼女の個人サイトの記事を引用して、SNSで批判をした。「本当に死にたい奴にこんな言葉は届かない」と。

 それを彼女が偶然発見したものの、相手がそれなりの有名人、かつ投稿も好意的に拡散されているため表立って反論もできない。そこでぼかした形で不愉快を表明し、周囲も同調したという経緯らしい。


 私自身も当該の文章を実際に読んでみたが、主張に納得できる部分はあれど、曲解めいていると感じるところも多い。それに、彼女の文章に救われた実例がここに一つあるのだ。

 もともと彼女の文章に共感し、勇気づけられていた身として、私は彼女に同情的だった。


 彼女に、励ましのメッセージでも送ろうか。味方がここにも一人いるのだと、そう示すことで少しでも慰めになるかもしれない。けれど、知らない人間に急に話しかけられて気持ち悪がる可能性もある。


 そんなことを思いながら、その投稿に対する反応——共感や彼女への批判、自分語り等々——をぼんやりと眺めていた。


 しかし次の瞬間、目に飛び込んできた言葉に私は息を呑んだ。

 それは彼女の新しい投稿だった。


「繊細さを盾にして他人や社会を攻撃し、自分は成長しようともしない。そんな生活を続けていると魂が腐っていく。絶望に甘んじている怠惰な人間を誰も救ってはくれない」


 心臓が変なふうに痛んで、手足が急に冷えた。

 辛くて、でもどうしようもなくて、漠然と生きていたかつての私。彼女に出会う前の、惨めな私。彼女に出会って救われた過去の私を、彼女自身に否定されたようで、どうしようもなく苦しくなった。


 その気持ちのまま、SNSに初めて自分の文章を投稿した。


「絶望している時には、変わる気力すら持てないこともあります。自分ではどうしようもない状況だってある。私は村田さんの文章に出会って救われました。だからこそ、想像力に欠けたあなたの言葉を見るのは悲しいです」


 繋がっているアカウントなんて一つもないアカウントの、一つだけの投稿が、SNS上にぽつりと浮かんだ。彼女に気づいてほしい。でも気づかれない方がいい。どちらともつかない祈るような感情のまま、私は画面を見つめていた。


 そこから私の投稿が「発見」されるまで、おそらく数時間程度だったのではないだろうか。

 どうやら彼女と親しいアカウントの一つが(おそらく検索機能で村田さんに関する投稿を探したのだろう)私の投稿を見かけ、引用したのが最初だった。


「『救われた』とか言いながらも村田さんの文章をちっとも読めてないんだな、と思いました」


 それを皮切りに、次々と私の投稿に批判的な引用や返信が付き始めた。


「全然わかってないよね、この人。読解力ない人に想像力ない人呼ばわりされる村田さんかわいそう」

「読者面してるけど、実際読んでたとしてもせいぜい1,2本くらいでしょ、多分」


 SNSに投稿した時点で、批判的な意見が寄せられること自体は覚悟していた。けれどいざ実際に攻撃的な言葉を向けられると、何だか恐ろしくなって、心臓がドキドキした。私の投稿を好意的に捉えてくれた人も少しはいたようだが、それでも否定的な反応が大半を占めていた。

 私の意図を汲み取った上の反論はほぼ皆無、「私が(彼女の読者だったにも拘らず)彼女を責めるような投稿をした」をいう一点での非難が大半で、気が滅入った。


 そして、私にとどめを刺したのは村田さん本人からのこの一言だった。


「読まなくていいよ。というか読まないでほしい。こういう当たり屋が読者だと思われたら、私の格自体も下がる」


 それを読んだときは、それはもう、ものすごく落ち込んだ。私は、彼女からここまで言われるほどのことをしたのだろうか?

 きっと、彼女を批判するようなことを書いたのが間違いだったのだ。余計なことをしなければよかった。彼女のおかげでここまで生きてこられたのに、ずっと感謝していたのに、こんな風に嫌われてしまうだなんて。


 しばらくは茫然としてSNSを開きもしなかったが、批判は収まっただろうか、もしくはさらに燃え上がっているのだろうか、なんて怖いもの見たさで、数日ぶりにSNSをのぞく。

 すると意外なことに、どうやらSNS内での世論は知らぬうちに私に同情的なほうへ傾いていたらしかった。


 もちろん批判的意見も増えてはいるのだが、それ以上に私の投稿に共感したり、擁護するような意見が目立っていた。数日前は数多くの批判にさらされて動揺し、自分のことしか見えていなかったが、実は彼女の投稿に対して違和感を抱いたり、反感を持った人は私以外にも多かったらしい。


「あなたの言ってること、何一つ間違ってないと思います。こういう自己責任論って苦しい立場の人をさらに追い詰めるだけです。『自分は自力でどうにかできた』っていうのも生存バイアスでしかないと思います…」


 そのコメントを見た瞬間に、悲しみや不安等でざわついていた頭の中が静まりかえり、急に心の整理がついた。

 それまでは多分、村田さんが投稿について弁解をしてくれないだろうかとか、私が彼女の真意を誤解していたのかもしれないとか、単純に私が何か大きな間違いをしているのかもしれないとか、そんな淡い希望を抱いていた。

 けれど、違うのだ。何か誤解があるとかそんなことではなく、私と彼女の意見は対立してしまっていて、私は村田さんに決して賛同できないのだ。その時、なぜかはっきりそう認識した。


 その認識ができてからは早かった。――何がって、村田さんへの幻想が解体されていくまで、だ。

「あの」村田さんがこんな風に、他者への思慮に欠けた独善的な発言をするなんて。そうショックも受けたけれど、思えば彼女はずっと前からそういう人間だったんじゃないか。そう気づいた。

 擦り切れるほど読んだ小説やエッセイを何度思い返しても、彼女が社会的弱者に理解や共感を示したところなど見たことがなかった。彼女が温かい視線を向けるのは、あくまでも苦しい現状を自力で乗り越えた、もしくはこれから乗り越えるであろう同志にのみなのだった。


 おそらく隅々まで彼女の個人サイトを読めば、いや、聡い人なら少し目を通しただけでも、彼女がもともとそういう人間であることは分かったはずなのだ。

 だから私も、とっくに気づいていてもおかしくなかった。ただ、見ないふりをしていたのだ。彼女の存在は私にとって大きすぎたから。失望したくなかったから。彼女の思想に賛同できる人間でありたかったから。


 彼女が変わってしまったわけじゃない。私が憧れていた「村田さん」は、もとよりこの世に存在しなかったのだ。


 私はSNSに二つ目の、そして最後の投稿を行った。


「私は彼女の文章がとても好きでした。彼女は私にとっての光でした。けれどもう、今後読むことはないでしょう」


 それは、私にとっては単なる決別の宣言に過ぎなかったけれど、彼女への批判として受け取る人もいたらしく、同調のコメントがいくつも付いた。

 そこから、SNSの情勢はみるみるうちに彼女に不利なほうに動いていった。

「ファンだった創作者に暴言を吐かれた可哀そうな読者」の話は、同情の声とともにじわじわと拡散されていく。そして、彼女は持ち味である口調の粗さ、攻撃性を存分に発揮し、自身に批判的な多くのアカウントの神経を逆なでし続けた。そうした対応のまずさも手伝って、彼女を批判する声はますます大きくなり、「炎上」と言っていい規模にまで発展した。

 数日後、彼女は活動休止を宣言し、SNSのアカウントを消した。



 ◇



 あれから二年後。私は大学生になっていた。

 高校生の時は「ここが人生のピークだ」なんて嘆いていたけれど、そこそこの大学に進学し、それなりに友達もでき、案外充実した学生生活を送っていた。死ぬことなんて頭の片隅にもよぎらない、平穏な日々。

「彼女」のことを思い出すこともほとんどなくなっていた。


「あんたもアカウント作りなよー! みんなやってるし、予備の連絡先にもなるじゃん」


 けれどSNSだけは、あの騒動の後からずっと避け続けていた。

 村田さんがアカウントを消した後、私もアカウントとアプリを消去し、それからは一度もSNSを見ていない。見ようとするとあの時の記憶がよみがえってきて、心臓が痛くなる気がするのだ。

 けれど、あれももう二年も前のことだ。大学の友達とつながるだけのアカウントくらい作ってもいいのかもしれない。友達にせっつかれるのもいい加減に面倒くさい。そう思い、ついに新しいアカウントを作ることにした。

 友達にSNSを始めたと報告し、アカウントを教える。友達同士で日常を見せ合ったり、くだらないやり取りをしてじゃれあうのは思ったよりも楽しいもので、SNSを開いている時間がだんだんと増えていった。


 そんなある日、いつものように家でSNSを眺めていると、偶然ある投稿が目に入った。


「この小説最高だった! 構成が天才的…みんな読んで~」


 友達が拡散して回ってきた投稿。さほど興味をひかれたわけでもなかったが、なんとなくリンクをクリックしてみた。小説投稿サイトに掲載されている短編小説らしい。

 小説の冒頭にぼんやりと目を通し――目を見開いた。全神経を集中して文章を素早く追っていく。短い小説だったのですぐに読み終えてしまったが、すぐにもう一度読み返した。今度は一言一句を脳に刻み込むようにじっくりと。

 大きく息を吐き、作者の名前を確認した。見覚えのない名前。ほかに投稿されている小説は数作程度で、さほど多くはない。

 けれど、私は確信していた。これは「彼女」だと。彼女は名前を変えて、創作活動を続けていたのだと。


 なぜだか、涙が次から次へとあふれ出して頬を伝った。

 ああ、作者名が変わっていても、短編の冒頭を読んだだけでもすぐにわかるくらい、やっぱり私は彼女が、村田さんが好きだったのだ。そう思った。彼女の文体が、文章の構成が、モチーフが、作品を貫く思想が、好きだった。もう忘れたと思っていたけれど、本当は忘れてなんていなかった。


 彼女は、彼女の文章は私の一部で、これからもずっとそうなのだ。

 それが嬉しいのか、悲しいのか、私にはわからなかった。

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