「きず」 おてんばが過ぎしっぺ返しを食らったアタシ 今もくっきり残る傷跡のはなし
外で遊ぶ以外に選択肢なんてなかった頃、年の近い兄の後をくっついて歩き、生傷の絶えない毎日を送っていた。一番古い「痛かった!」記憶は今も膝の上にその傷跡がくっきり残っている。
その時の事を、掘り起こしてみた。
右膝の少し上に、一筋の白いミミズ…いや、しっぽを長く伸ばした8-9センチくらいの細いオタマジャクシのような、古い傷跡がある。
まだホンの幼い時分だったけど、その時のことをよく覚えている。
あれはおそらく、5歳か6歳かそこら。小学校1年か、まだ幼稚園だったかも。
身体は小っちゃくて背の順に並ぶといつも前から3‐4番目くらい。
でも、とても活発でゴムまりみたいな、おてんば娘だった。
板壁にトタン屋根。薄い曇り硝子が入った引き戸の玄関。6畳と4畳半位かなあ二間と暗くて狭い台所、薪とオガライトで焚く木の風呂。細い煙突。
当時でも既に酷く古びていた。そんな小さな小さな借家に親子4人暮らしてた。
同じ造りの借家が6軒ほどあって、年の近い近所の子たちや2つ離れた兄とその友人に混ざって、毎日、日暮れまで外遊びしていた。
借家の前の空き地で陣取りゲームしたりケンケンパーしたり、縄跳びしたり、おままごとしたり・・・。
味噌っかすの私はいつも兄に邪魔にされいじめられてて、手でも口でも叶わない。毎日ぴーぴー泣かされてたなあ。
隣地には、広々した芝畑があった。青々した芝の広場は私たちちびっこ集団にとっては格好の遊び場だった。
「芝の畑」なのだから、誰か知らないがそこは本来、地主さんの「畑」である。
時期が来れば剥がし取って切り分けられ、絨毯かタイルカーペットみたいに束ねて出荷される。芝はゴルフ場や公園などに敷き詰める大切な「商品」なのだ。
つまり、何も知らぬちびっ子たちにとって格好の遊び場でも、地主さんにしたら私たちは大事な畑を踏み荒らす大迷惑なギャングたちだった。
けど、たまに大人に注意されたってその意味なんてほとんどわからず、懲りずにそこで遊ぶ。
だって、転んでもあんまり痛くないし土で汚れないし、平らだし、やっぱり広々した芝生がいいんだもん!
いつも誰もいないし、当たり前のようにその芝畑でしょっちゅう、遊びまわっていた。
ある日。黄色く色づき短く刈られた芝生の上で、年上の友達が「前方回転」をしてみせた。
だっと走ってきて両手を挙げたと思ったら、芝生にパッとその両手をついて代わりに両足が跳ね上がり、
クルっと一回転!スチャッと両足で着地、お見事!
彼も得意顔だった。
(実はこの技の正式名称をずっと知らずにおり、今回はじめて調べてみた所「前方倒立回転」という技だとわかりました)
カッコいいな!
お転婆な私は瞬時にその虜になった。根拠なんて何もないのに、自分にもそれができる気がして仕方なかった。
何度か見様見真似でチャレンジしてみたら、身体の小さな私は案外すんなりとコツを掴んで、それが出来るようになった。
うれしくて、得意になって繰り返しバッタみたいに毎日「クルっと、スチャッと!」くるくる回転をしていた。
今じゃ、やったら回る前に骨折すると思う、絶対。
他人んちの芝生で毎日何の罪悪感も抱かずにそうやって遊びまわっていた、ある日。
いつものように日暮れまでみんなで鬼ごっこに興じ。
「カラスが鳴くから、かーえろ♪」
やがて遊び仲間は一人二人と家路についていったが、私はいつものように前方回転に興じてて、気付かずにいたんだろう。
いつの間にか、最後の一人になっていた。
あかねに染まった空に響く、カラスの鳴き声。
誰もいない夕暮れの芝畑。 「あれっ?」みんないない・・・。
その静けさと広さに急に心細さを感じたのだろうな…私は我に返って、急いでウチに戻ろうとした。
実は芝生の外周には、幼い私の胸の高さくらいまで「有刺鉄線(バラ線)」が張り巡らされていた。
いつものようにたわんで低くなっていた所を、跨いで越えようとしていたんだろう。
何故かはわからないが、その日に限って、芝畑の囲いは私の身体を拒絶した。
急いで帰らなきゃ、と急く気持ちで小走りに「バラ線」の向こうへと左足をおくり、続いて右足を抜こうとしたとき。
上着の端っこがひっかかったかして抜き足が下がり、勢いそのままに有刺鉄線を膝にひっかけてしまった。
トゲトゲがピーっと膝上の皮膚を走り、最後にグサッと突き刺さった。
「!!!(ぴー!!)」声にならない声、だったろう多分。
一瞬何が起こったのか理解できず頭の中は、真っ白。
すこし間を置いて、ことを理解してから痛みが走ってくる。
「・・・いったあーい(泣泣泣)!」.·´¯`(>▂<)´¯`·.
棘はすでに体を離れていたけど、プチパニックになった私ーはぴゃーぴゃー泣きながら家へと戻った(と思う)。
「他人様の芝生で遊んだりするからでしょう!」なあんて、叱られたっておかしくなかったけど
そのとき母に叱られた記憶はない。大らかな時代だった。
見た目ほど深いケガじゃなかったからだろう、サビと血を洗い流しガーゼに万能薬「オロナイン」塗って、上からカットバン2-3枚を、ぺたり。
手当終了。
それでも治るまでには10日か、もっとか・・・、結構かかった気がする。
瘡蓋になるまで、お風呂に浸かるたびにお湯がジンジンと傷に染みただろうな。
この傷跡が私の膝から消えることはなく、その後順調に成長と共に引き伸ばされていって現在に至っている。
この時の「ピーっとバラ線が膝を走り、最後に、ぐさ!!! (◎_◎;)
そのピリピリした感覚、黄色く色づいた芝生と土の匂い、見上げた茜色の空。
今も鮮明に覚えているから、不思議だ。
見るたびに幼いころのお転婆ぶりを思い出して気恥ずかしく、ちょっと笑う。