一体目の君 ✕1
「木山くんのお家はここですか」
インターホンが鳴って応答すれば、カメラに見えるのは懐かしい人だった。
* * *
彼女との出会いは大学一年の頃、同じ学部だったから知り合っただけのことである。
『紫乃口弾です。趣味は、人を手にかけることです』
あのときの教室の空気は忘れない。冷たく凍りついた室内で、彼女は微笑んでいた。
『今から目をつぶって、指をさした場所の近くにいた人を、これから手にかけます』
問答無用で目を閉じて手を動かし、紫乃口はある場所を指差した。静かな教室で皆がその指の先へ注目する。
紫乃口が目を開けた。
カラコンでもしてるのか、というかカラコンとは言い難いほど「本物」の赤い虹彩が俺を見つめた。
『あなた、名前は』
教室は静かなまま、彼女の声が空間を裂いて俺だけを射る。
普通は、ためらったりするものなのだが
『木山今日助』
俺は名前だけを口にした。主語も熟語も助詞も、邪魔なものは排除して。
彼女の耳に名前だけをねじ込んだ。
俺はその日の夕方、コンビニの裏で刺されて死んだ。
刺された感覚を味わったのは初めてである。
そして目が覚めたら、俺は家にいた。
刺されただけで死んでいなかった、というわけではない。俺は確実に死んだのである。
なぜそう思うのかは割愛。きっとあいつが日記に書くだろう。
そして俺は蘇り元通りに生活をしたのだが――その日も紫乃口に殺された。そして蘇った。
「こういう展開なんだ」と自分を無理やり納得させることはできるが、トイレの便所を詰まらせて満水にしたところに頭を押し付けて溺死させるのは辞めてほしい。汚い。
そんなこんなで、殺されては生き返る日々が続いた。
* * *
そして七年の月日が経ち、俺は二十六歳になった。
俺の二十六歳の誕生日、夜の雨の中、独身男の家にそいつは現れた。
ちなみに、彼女は大学を卒業すると俺の前から姿を消したので、久しぶりの再会なのだが。
「木山くんのお家はここですか」
インターホンのカメラに近すぎるだろ。
赤い目が――目とも捉えられないほど近い。赤い何かとしか思えない。ホラーかよ。
「こえーよ」
俺の声を聞いて、彼女はカメラから顔面を離した。
「木山くんのお家はここですか」
「お前、相変わらずだな」
紫乃口を悪化させないための方法の一つが、「彼女の質問に答えない」というものである。
紫乃口は質問に答えなければ「行動」を起こさない。
つまりは死なないってことだ。
「木山くんのお家はここですか」
「そういや久しぶりだな。卒業してからお前新しいターゲット見つけたのか?」
「木山くんのお家はここですか」
会話にならないよな。いや、俺がこいつの質問を無視してるからなんだが。
紫乃口も、いつも俺の質問に答えてはくれない。
「木山くんのお家はここですか」
「お前びしょ濡れじゃねーか。傘持ってねーのかよ」
「木山くんのお家はここですか」
「お前、結局仕事先どうなってるんだ?」
「木山くんのお家はここですか」
「そういえばお前のこと構ってた渡口が結婚したらしいぞ」
「木山くんのお家はここですか」
「お、雨上がったみたいだな。良かったな」
「木山くんのお家はここですか」
「そうそう! この間、天気予報で100%晴れって言ってたのに土砂降りですっげー大変だったんだよなー」
「木山くんお久しぶりです」
「ん? ああ」
紫乃口の声が止んだ。
「ア」
事を理解して俺の脳内で警鐘が鳴る。
すぐさま玄関まで走り鍵が閉まっているかの確認をし、チェーンをかけて家具を玄関前に押して防壁を作る。
すぐに玄関から離れて警戒しながら玄関の方を見つめる。
がしかし、背後からガラスの破壊音が聞こえて
窓から紫乃口が部屋に飛び込んできた。
「ここ七階だぞ……相変わらずだな……」
紫乃口は雨と泥に濡れた靴で遠慮なく俺の家に跡を残す。
首に何かピリッと電流に近しいものを感じて
俺の家のリビングは赤に塗布されていった。
* * *
目を覚ますと、俺は自室のベッドの上にいた。
首を触るが、特に違和感はなくて。
体を起こして部屋の全身鏡を見ても、首には健康的な肌以外、何も目視できない。
「ほんと……意味わかんねー」
疲れたわ、とぼやいてもう一度ベッドに倒れた。
俺はこの現象を未だに分かっていない。
紫乃口はなんの目的で俺を殺すのか、それでなんで生き返るのか、これはいつまで続くのか。
すっげー怖いけど、これってなかなかできない経験だから、殺される系の特別な特典だと思うことにしている。
久しぶりに紫乃口が現れたわけだが、これからどうなっていくのだろうか。
厄介で、めんどくて……次は殺されないようにミッションを自分で立てることにした。
次はあいつに返答しないようにしよう。
あいつはどんな変化球を投げてくるのか。
ああ、楽しみだな。
* * *
「木山くんは楽しんでいるらしい」
彼女はパソコンに打ち込みながら、つぶやいた。
「しかし、もう少し質問をすればよかったな」
紫乃口は文書ファイルの最後に、『一質問一回答』と記載して作業を終えた。