警告の主
高谷が鎧に近づこうとしたその時、またあの声がした。俺はぎょっとした。心臓が止まるかと思った、とか言うけど、その一拍子、本当に自分の心臓の音が耳で聞こえたような気がした。後ろを振り返ると夕子が腰を抜かしていた。だが、夕子の視線の先は前。今の俺の後ろ。鎧と高谷の向きだった。
俺はもう一度振り返る。そこには震える懐中電灯を持つ高谷と、ゆっくり立ち上がりながら居合いで刀を抜こうとしている鎧武者があった。高谷は左袈裟に切られ音もなく倒れた。木刀と懐中電灯を握ったまま悲鳴も上げなかった。
恐怖と驚きにすくみながらも、次は俺だ、という認識はあったと思う。だが鎧武者は刀を振り上げたのに、その後動かないようだった。しばらく凍りついていた俺だったが、ついに我に返って懐中電灯を拾い上げた。鎧武者は俺のすぐ前で大上段のまま固まっていた。高谷を調べると、全く息をしていない。震える手で脈をとったが動いていない。俺はやけくそで、高谷の木刀を取って、むちゃくちゃに泣き喚きながら、突っ立ったまま身動きもしない鎧武者を叩きまくった。
でも鎧武者はびくともしなかった。反撃もしてこない。恐れと怒りから来るエネルギーと、スタミナが尽き果てた俺は荒い息をして立ちすくんだが、鎧武者は固まった姿勢から微動もしていない。俺もさすがにおかしいと気がついた。そういえばさっきから夕子の気配もまるでない。夕子に懐中電灯を当てると、これも三角座りで後ろに手をついた形で彫像のように固まっていた。普通気を失ったら後ろへ倒れているだろう。変というか何か不自然だ。
「気がついたかな」
さっきの声がまた聞こえた。それは大きな黒い影だった。音もなく夕子の後ろの方からひと飛びすると、俺の前でいわゆるお座りの姿勢になった。その姿勢で立った俺と同じぐらいの目線になった。懐中電灯の光を鋭く返してキラキラしている二つの宝石のようなもの。それは大きな猫の瞳だ。
「俺は人の世界で言うところの化け猫、猫又。あんまり長く生きすぎて時を操る力まで得た」
大ネコはそれが当然といわんばかりに話し始めた。俺は驚いて口を開けたままそれを聞くしかなかった。
「お前は俺の言葉が聞こえるから、特別に助けてやる。俺とお前以外の時が止まっている今のうちに、早く穴の外へ逃げろ」
俺もここで言われるがまま大事な友達二人を捨てて逃げるほど薄情ではない。いつもイジメっ子にろくに反撃もできない弱虫だったけれど。
「二人は・・・高谷と夕子はどうなる?」
「高谷君っていうのか。その男の子は既に死んでいるよ。夕子ちゃんは殺されるだろう」
・・・高谷が・・・死んだ・・・殺されてしまった。このままでは夕子も。そんな・・・いやせめて夕子は。
「俺が運んで逃げれば・・・」
ちょうどいい格好をしている夕子の横から、膝の裏と腰に手を回してだっこして運ぼうとしてみたけれど、なかなか重たく、俺は3歩も行かずに崩れた。
「・・・。残念だが、俺が時間を止められるのはあと2分程だ。女の子なんか放っておいてさっさと行けば、お前の足でも神社の外ぐらいまで逃げられたのに」
このままだと俺は夕子や高谷と一緒に鎧武者のお化けに殺される運命のようだった。
「・・・最後の手段として、俺がお前に憑依するという手はある。そうすればその鎧武者ぐらい破壊するのは容易い。別に俺は高々お前の寿命分拘束されるというだけのことだが、お前にとってデメリットは多いぞ」
俺はどうしたらいいかわからなかった。
「どうする。死ぬか。それとも助けて欲しいのか」
目の前には夕子がいる。考えるまでもないだろう。
「助けてくれ。いや、助けてください。お願いします」
「後悔するなよ」
「はい」
「憑いたら最後、まあなかなか離れられないからな」
「はい」
「俺が憑いている事を他人に知られたら、お前は死ぬぞ」
「はい」
「あの時死んでおけばよかったとか、後で言うなよ」
「・・・はい」
「お前の人生・・・お前のプライバシーっていうのか。ぜーんぶ俺に筒抜けだからな。文句言うなよ」
「・・・あの・・・すいません。大丈夫です」
何なんだろう。俺はそんなに信用されてないのか。頼りなさそうなのだろうか。いつもよく念押しされている気がする。初対面の化け猫にまで・・・
化け猫は俺にとり憑いた。化け猫の影が俺の中に吸い込まれるように消えた。途端に周囲の気配が戻ってきた。いつも以上に小さな音が聞こえるようだ。穴の外の虫の声がさっきよりはっきりと聞こえる。鎧武者の首がゆっくり動き、俺の方を見ているのがわかる。夕子の側に転がった懐中電灯の明かりだけで、鎧武者の細部まで見えた。
俺は何となくどうすればいいのかわかっていた。鎧武者の正面へ軽く走りこむ。そしてタイミングをぴったりとあわせて、全力で鎧武者の前から横飛びに飛んだ。鎧武者の上段からの左袈裟が空を切った。その時には俺は鎧武者の後ろへ回り込んでいた。スローモーションのように、俺の全力、全体重を乗せた右の突きが入る。拳は鎧の胴を突き抜けて、きれいに丸い穴を開けた。鎧の中は空洞のようだった。俺の開けた穴から鎧全体へひびが走る。鎧武者は粉々になった・・・だけでなく刀も何もかも細かく砂のようになって、ついに消え失せて何も残らなかった。
目を見開いてへたりこんでいる夕子と、既に息絶えている高谷を残して。あと化け猫にとり憑かれ、拳を突き出したまま、なぜか少し笑ったように表情の緩んだ俺と。
憑依されたタクヤの身体能力は人間離れしたものになっていますが、それだけでなく、鎧武者の攻撃をかわして回り込んだ際に、時を止めたり遅らせたりしているのかもしれません。
・・・血の描写がなかったなあと思っています。差し迫ってますし、そんなこと言ってる場合ではないですけど。二人ともあまり気にしてなさそうですし、目立つほどつかなかったのかもしれません。