フォーチュンボックス~異世界篇~
自分の商う物で笑顔になってくれるなら、こんなに嬉しいことはないね。
とある行商人が笑いながら言ったその言葉に、幼い頃の俺は心を動かされた。
いつかはひとかどの商人に。農家の生まれだったが、そう志して商家へ奉公に出ることを、親は許してくれた。商いを学び、その後は行商人をしながら資金を貯め、ついに店を持つことができたのが4年前。それからも手を広げ、この街ではそれなりの商人になることができた。
それが、どうして。こうなってしまったのか。
がらんとした店内を見渡して、そんなことを考える。昨日まで、そこには様々な商品が並んでいたというのに、今は何一つ残っていない。全て、差し押さえられてしまった。違約金として。
ある日、ある商人が儲け話を持ち込んできた。そいつとは行商人時代からの付き合いで、情報を交換し合って利益を得たことも、両手の指では足りないほどあった。それぞれが店を構えて商売をするようになってからも、客を紹介し合ったりして互いに成長してきた。唯一無二の親友だった。
そいつだけでは手に負えない大きな商いで、今までどおり、俺はそれに協力したのだ。連帯保証人として。
ところが、その親友が消えた。店はもぬけの殻。働いていた従業員達ごとだ。行方を知る者は誰一人いない。しかし契約は生きている。2人でようやく何とかなるその商談を、俺だけで切り抜けることなんてできるわけがなかった。
どうにかしなくてはならないと取引先を駆け回る。しかし、取引先からは既に最大限の納品を受けていたのでこれ以上のことは望めなかった。
他の商人に助けを求めてもみたが、応じてくれる者はなく、それどころか、いい気味だとばかりに嗤われる始末だ。どうやら、同業からは疎ましく思われていたらしい。
それでも何とか仕入れ先を確保しようと走り回ったが、ことごとくが売約済み。希望は断たれた。
契約の不履行により、その損失を俺は補填しなくてはならなくなった。それも、親友……いや、あの野郎の割り当て分がまるまる欠けたことの責任を、俺だけで取らされることになったのだ。
結果、すっかり寂しくなってしまった店だけが残された。いや、自宅も兼ねていたこの店も手放さなくてはならないのだが、出て行くまでの猶予はもらえた。つまり近日中には出ていかなくてはならない。
幸いだったのは、家財だけは残ったことだろうか。農家の出まれだったため、無駄な贅沢は身につかなかったが、それでもそれらを処分することで、突然の廃業で辞めてもらわなくてはならなくなった従業員達に今月分の給金だけは渡してやることができた。
商会を立ち上げてからずっと力を貸してくれていた従業員達は、別れを惜しんでくれた。彼らには新しい勤め先を何とか確保することができたが、恐らく二度と会うことはないだろう。
「さて、と」
俺は足元に視線を落とした。そこにあるのは行商人時代に使っていた旅の道具一式。ここまでの苦労を忘れないために残しておいた物で、これも差し押さえを免れた。見た目はボロいリュックだし、剣も飾りっ気のない量産品だ。剣はともかく、リュックの方は一応、空間拡張が付与されている魔導具なんだけども。
リュックを背負い、剣を腰に提げると懐かしさが込み上げてくる。行商人自体はこうして各地を巡ったものだった。また、こうすることになるとは思わなかったが。
店の入口で、一度振り返る。何度見ても、何も変わることはない。大きく深呼吸をして、俺は店兼自宅だった建物を出た。
どこへ行く、という目的もないまま街を出て、そのまま野宿となった。屋根のない場所で寝るのも随分と久しぶりだ。
「とりあえず、どこかで仕事を探さなきゃな」
焚き火を見つめていると、あの頃の記憶が甦ってくる。そして、ついさっきのことまでが脳裏を駆け抜けていった。
そうすることで湧き上がってきた感情がある。が、いくらそれに任せて怒鳴ろうが叫ぼうが、今の状況が良くなるわけでもない。あの野郎を憎んでも財産は戻ってこないのだ。
もしも見つけることがあったら、絶対にぶん殴ることだけを商業神に誓い、これからのことを考える。まず、今の俺に何ができるかだ。
一番現実的なのは商売の道だが、それを始めるだけの資金もネタも今はない。また、行商人から始めるしかないだろう。そのための資金集めに時間が掛かるだろうし、そこから店を持つとなると更に長い時間が必要だ。経験があるから以前よりはうまくやれるだろうが、道が険しいことには変わりない。
今更実家に戻って農業をすることも難しいだろう。子供の頃の手伝い以来、何の技術も知識も得ていないのだから。俺の身体に農筋は宿っていない。
かといって、荒事に関われる程の技量もない。剣を提げてはいるが、あくまで護身用。身を立てることができる程の腕なんてあるはずがないのだ。
「何か、ないものかね」
傍にあったリュックを引き寄せ、中を探る。何らかの判断材料があればと思ったのだ。まあ、貴重品なんて入っていないし、旅の道具しか入っているはずも……
「何だ、これ?」
リュックの中から取りだしたそれは、掌に乗せられるくらいの箱だった、俗に宝箱と言われる物の形状をしている。はて、こんな物を持っていただろうかと記憶を探ると、思い当たるものがあった。
あれはまだ、俺が行商をしていた頃。とある村に隠居していた魔導師へ商品を卸した時のことだ。かなり辺鄙な所に住んでいた魔導師の老人だったのだが、その時にくれた物だった。老人曰く、【古代遺物】の一種で、自分の要らない物を入れると、それを必要としている人の下へ届ける力があるのだと。自分には必要ない物だからやる、となかば押しつけられるように入手した物だった。
もらった時は話半分で、その効果を信じてはいなかった。何せ、老人が言うことが本当なら、特定の場所を繋ぐ魔導具ということになる。そんな魔導技術、聞いたこともなかった。それに何度か開けてみたが、中に何か入っていることもなかったし、当時の俺は必要な物しか持っていなかったので、中に何かを入れて試したこともなかったのだ。そのうち、リュックの中に入れっぱなしにして忘れてしまっていた。
「何か、違和感があるな……」
久しぶりの箱を見ながら、考える。何だろう、この、以前と違う感じは。
そうしている内に気付いた。以前より、少し大きくなっているのだ。以前は掌からはみ出ることはなかったはずだ。
何かしらの変化が起きている。意を決して、俺は箱を開いた。以前は何も入っていなかったはずのその箱に、見慣れない物が入っていた。
それは鉢植えだった。ほんの僅かな茎だけが生えている、正体不明の植物だ。
「何だ、これ」
箱の説明を信じるならば、これは誰かが不要だと思った物なんだろう。そして、俺が必要としている物ということになる。つまり、俺にとって役立つ物ということだ。ただ、いつの俺にとって役立つ物なんだろうか。いつからこれが入っていたかも分からないのだ。既に不要になっている可能性もある。
「……それでも、今の時点では唯一の道標か」
大切な者に続けて裏切られた後だ。これ以上期待が外れたところで、どうということはない。失う物なんて何もないのだ。
俺は久々に実家へと戻り、両親に今までのことを説明した上で協力をお願いした。植物なんて育てたことのない俺に、ちゃんと世話ができるとは思わなかったのだ。
両親は協力してくれたが、それ程難しく考える必要はなかったと後で判明した。鉢から植え替えた植物は、ちょっと水と肥料をやっただけなのに、7日が経過した頃には俺の背くらいの大きさにまで成長した。そして実を無数につけたのだ。指の節の1つ半くらいの大きさの、イチゴに似た赤い実だ。
「親父、どう思う?」
「あの状態からあっという間にここまで育ったのは異常だな。ここまで成長の早い植物なんて初めて見た」
感心半分、呆れ半分の表情で、目の前の植物を見る親父。
「まあ、あれだ。熟してはいると思うぞ」
こうしている間も、目の前のイチゴのような実は甘い香りを放っている。食欲をそそるそれは果物であることは間違いないようだが、俺も親父もそれ以上動けなかった。その正体が不明であるが故に。
互いに顔を見合わせ、実に視線を移し、また互いを見る。ええいっ、こうしていても始まらん!
意を決し、実の1つを取って口に運んだ。口の中に甘みとほんの少しの酸味が広がる。同時に、湯に浸かった時のような優しいぬくもりが全身を駆け巡った。この感覚は知っている。ポーションを飲んだ時と同じだ。
「おいおい……」
思わず自分の手を見る。ここに戻ってきて農作業の手伝いをした結果、マメが潰れたりしてボロボロになっていた手が、すっかりきれいになっていた。身体中の筋肉痛もさっぱりと消えている。
「これ、まさかヒールベリーか?」
治癒の効果を持つ果物。だが俺の知っているヒールベリーとは色も形も違う。それにあれはポーション素材の一つであって、果実そのままでポーション並の効果が出る物じゃない。とんでもない物だぞこれ。いや、待て。これの効果は、本当にポーションレベルなのか?
「ちょっと出てくる!」
実をいくつか摘み取り、親父をその場に残して俺は駆けだした。行き先は、最近村に帰ってきた、元傭兵の所だ。
結果、とんでもない効果が判明した。1つでは足りなかったが、あの果実は部位欠損まで治してしまったのだ。魔物との戦いで右手を失っていたというのに、少しずつ生えてきた時には、夢でも見ているのかと思ったくらいだ。
何とも素晴らしい効果だ。絶対に売れる。が、同時に恐ろしくもあった。これだけの逸品だ。絶対に厄介事も運んでくる。今の俺に、それを乗り越える事ができるだろうか。
でも、これは必ず売れる。そして何より、人々の役に立つ。それを実現する力が間違いなくこの果実にはある。
俺が商人を志した原点。かつてこの村を訪れた行商人が言った言葉は今も胸の中に在る。
俺もそうなりたくて商人になったんだ。その想いは決して消えてはいない。困難が何だ。厄介事なんて乗り越えてやる。
となると、考えること、やることは山程ある。忙しくなりそうだ。
ただ、その前に何より。絶対にやらなきゃならないことがある。
この果実をもたらした苗を、あの箱に入れてくれた人がいる。その人にとって不要な物だったとしても、俺にとってはそうじゃない。あちらにその気はなかっただろうけど、これで俺は救われたんだ。いや、まだどうなるか分からないが。
とにかくだ。恩を受けてそのままになんてできるわけがない。お礼をしたい。この感謝を伝えたい。どこの誰だかも分からない人ではあるが、手はある。この箱は、同じ箱を持っている相手に物を届けることもできるはずなのだ。
だったら贈ろう。どこかの誰かにこの果実を。あなたがもたらしてくれた物を。
そして伝えよう。心からの感謝を手紙に乗せて。
その後のことを簡単に説明する。
俺の恩人はどうやら女性で、しかもこの世界の人間ではないらしい。他の世界から迷い込んだ人間の伝承があったりするのだから、それ程不思議な話でもないのだろう。
どうやら魔法も魔物も存在しないという不思議な所に住んでいて、服や装飾品を身に着けて人に見せる仕事をしていたというのが彼女の話だ。
彼女がもたらしたあの果実は、ワイルドベリーと言うらしい。幸せを呼ぶイチゴとも言われるらしいそれは大きな富を生み、あっという間に俺は商人に返り咲くことができた。
そして、あのワイルドベリーには、本来、治癒の効果なんてものはないそうだ。つまり、あちらの世界の物がこちらの世界に持ち込まれると、何やら変化が起きることがあるようなのだ。あちらに魔法がないことを考えると、こちらの世界に満ちている魔力が作用している可能性があるが、魔導師ではない俺にはよく分からない。
それから、俺は彼女と世界を超えた交易を始めた。彼女が何かを送ってくれたら、それがどういう変化を起こすのかを観察し、商品にできるかどうかを検討する。そして、それができた時は、完成品をお礼に送り返すようになっていた。
「まあ、ありがたくはあるんだが……」
彼女が送ってくれる物やあちらの世界の情報は、こちらの世界では大きな力となり、富を生む。しかしそれよりも嬉しいのが、そのついでとして付いてくる手紙だ。彼女の手紙に書かれている励ましやお礼の言葉は、自分に力を与えてくれる大切な宝物となっていた。
世界をまたいだ交易で大きな利益が出てはいる。ただ、どう考えてももらいすぎだろう。俺ばかりが得をしているんじゃないかというのが最近の悩みだ。もらってばかりでは駄目だろう。
もっと彼女に報いることはできないだろうか。俺との商いで、彼女は笑ってくれているだろうか。最近はそんなことを考える時間が増えてきた。そして、それが単に恩に報いるためのものではないことにも気付いた。彼女と知り合って、文字を交わし合って、彼女のことを知っていくにつれて大きくなっていたそれ。口にするのは恥ずかしいが、その想いは確かに胸の奥で熱を持っていた。
今日もまた、1つの成果に添える手紙を書くべく筆を取った。さて、どう記したものか。商談以上に頭を使い、文字を書き込んでいく。
商いのことは抜きにして。
この手紙で、彼女が笑顔になってくれることを願って。