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 翌朝、玲於奈が騒いでいる声で目を覚ました。どうやら指輪がなくなってしまったらしい。いつものように聡子が朝食に呼びに来ないのは、彼女も巻き込んで探させているためだろう。緋鞠は寝床を抜け出し身支度を整えると、誰も従えることなく酔夢の泊まる客室に向かった。

「あなたが盗んだのではなくて!?」

 すると先回りした玲於奈が早くも、酔夢を犯人にして責めたてていた。彼はといえば所在なさげに既に身支度を終え―――まるで一睡もしなかったように昨夜と何一つ変わらぬ姿で―――ぽつんと部屋の隅に立っている。使用人たちが部屋を探しているようだが、身一つで来た彼の持ち物すら出てくるはずがなかった。

「奥様、見当たりませんが」

「じゃあどこかに隠し持っているのね! 身体検査をして頂戴!」

 金切声をあげる玲於奈の命令によって下男が酔夢の体を探っていたが、結果は同じだ。そうすると次には服を脱げと言いだすに違いない。編み上げ靴は玄関に脱いであるが、魂の具現化ということは、どこまで外すことができるかも分からない。下手なことになる前にやめさせるべきだろう。

「玲於奈さん。そのくらいになさったら? きっとそのうち、どこかから出てくるわ」

「何よ、その口のきき方は。まさかあなたが盗んだんじゃないでしょうね」

 玲於奈の恰好はひどいものだった。寝間着を着替えもせず、髪は乱れ、気のせいか顔中皺だらけで、いつもより五割増しで老けて見えた。その上疑心暗鬼になっているので、誰彼かまわず犯人に見えるようだ。

「そう思うならお調べになったら? あたしは構わなくてよ」

 やましいことないからこそできる姿勢だというのに、玲於奈は奈々子と聡子に調べるように命じた。結果、ポケットからハンカチと匂い袋が出てきたが、どちらからも何も見つからなかった。

「……もういいわ、他を探すのよ!」

 疑ったことは謝りもせず、玲於奈は踵を返した。荒ぶる女主人に、使用人たちが慌ててついていく。この様子では朝食の席は遅れることになりそうだ。

 と思ったら、一人、下女の奈々子が戻ってきた。いつもの無表情で、酔夢に告げる。

「お客様の靴の中を改めてもよろしいですか」

「そんなところから見つかりますかね」

「誰もがあなたを疑っています。お客様が昨夜、屋敷をうろついているのを見ていますから。奥様はおそらく次は、緋鞠様のお部屋を捜索されると思いますが」

 ちらりと奈々子が緋鞠を見たのは、彼女が顔色を変えるところを確認したかったのだとしか思えなかった。下女の分際でその下世話な想像は、あまりに失礼だ。だが酔夢は全く表情を変えずに肩をすくめた。

「僕は厠を探していただけですよ。ところで、昨日から気になっているんですが、この匂い、何ですか?」

「白檀です。お気に召しませんか」

「微妙ですね。思わず匂いのもとを探してしまいましたよ。なるほど、香を焚いているんですね」

「仕方ありません。貧乏人には、良さは分からないものですから」

「奈々子! 何をしているの、いらっしゃい!」

 暗い目で一瞥した後、彼女は玲於奈に呼ばれて去って行った。主人同様に、得体のしれない男を見下げているようだ。緋鞠は今の会話に少し妙なものを感じたが、それより気になったことを酔夢に問うた。

「深夜徘徊なんてなさっていたの?」

「おはようございます、緋鞠さん。言っておきますが、僕ではありませんよ」

「ええ、知っていてよ」

 緋鞠は戻さずにいた匂い袋を開いた。一見何も入っていないように見えるが、実は二重になっていて隠しがあるのだった。そこには見覚えのある赤い宝石の指輪が、ちょこんと収まっている。酔夢は驚いて、緋鞠を見つめた。

「そんなに大事なら、もっと厳重にしまっておけばよろしいんですのよ」

「思い切ったことをしましたね。……道理で見つからないはずだ」

「まあ、ご婦人のお部屋に忍び込まれましたの? いけない方ね」

 本来ならその程度で済ませてはいけないのだろうが、取り立てて咎めもせず、緋鞠は悪戯っぽく笑いながら袋を閉じてポケットにしまった。

「玲於奈さんは一度眠ったら朝まで起きない方ですから、指にはめていようと関係ありませんわ」

 むしろ重森が出張で留守にしていて助かったと言うべきだろう。玲於奈との関係が以前とは違っているせいか、罪悪感はわかなかった。忌々しい重森からの贈り物だというせいかもしれないが。

「さて、酔夢さん。件の石はこれで晴れてあたしのものとなりましたわ。これで依頼を受けていただけますわね?」

「おやおや、思ったより強かですね。仕方ないですね……謎解きなんて、しがない高校教師の領分を越えているんですが」

「そんな、卑下なさるものじゃあなくてよ。先生なんて、とても立派な職業だわ」

「僕の時代ではそうでもないんですよねえ。まあでも、手は抜きませんよ。手と言えば、昨日の赤くなっていたところはその後大丈夫ですか」

「え、ええ。この通り、嘘のように綺麗に消えてしまったわ」

 卑怯な脅迫じみていたが、同じく窃盗を企てていた酔夢がそれを指摘することはなかった。逆に体を気遣われて、緋鞠の方がむず痒い気分になったくらいだった。ほんのりと体が火照ってしまう。

 まだどこかで大騒ぎしている玲於奈たちを待たずに、用意されていた食事を終えた緋鞠は、酔夢を連れて富雄の自室へと向かった。洋間として使われていたそこは、施錠できるように扉を新調してあった。

「父はこの部屋で、内側から鍵をかけて、毒を飲んで亡くなっていたのですわ。でも自殺なんて、するはずありません。だって夕食は父の大好物のコロッケで、明日もこれが食べたいなんておっしゃってて、それに翌週に帝劇に連れて行ってくださる約束をしていたのですもの。父だってそれは楽しみにしておりましたのよ」

 緋鞠が話している間、酔夢は室内を見回していた。八畳の、さして特徴のない部屋である。読書家だったため蔵書は多いが、趣味のものばかりで仕事にかかわりのある書類は一切持ち込んでいなかった。日記のようなものもあったが、中身は完全に読了した本のことしか書かれていない。さらに読みかけの本にはしおりまで挟んであり、自殺をほのめかすものはこの部屋から何一つ出ていないのだ。

「一つも? では、毒を飲んだという、その容器は?」

「あら……そういえば、どんなものかも聞いていないわ。警察の方が持っていかれたのかしら」

「なるほど、自分で部屋へ入るまでまったく自殺する気配もなく、元気だったわけですね」

「ええ」

「困りましたね。薬物なんて、専門外なんですが。ちなみに、どんな毒を飲んだのです?」

 酔夢は部屋の鍵を見ながら尋ねたが、緋鞠は顔色を曇らせた。

「それが……おそらくトリカブトではないかとおっしゃるの。薬としても使えるから、うちで扱っていることは知っているのですけれど」

「トリカブト? では、即効性の毒ですね」

 つまり警察としてはどれだけ泣き縋られようとも、自殺以外の答えを見つけられないのだ。酔夢は鍵をいじるのをやめた。

「何か見つかって?」

「鍵は、ごく簡単なスライド錠ですね。僕も推理小説はそこそこ読んでいますから、これを外側からかけるトリック……奇術は知っています。誰かが自殺に見せかけて殺すことも、不可能ではありませんが……」

 早速酔夢は、あやかし犯人説を否定するようなことを言い出した。しかしそうすると、家の中に入れる誰かに殺されたことになってしまう。そこまで父が憎まれていたとなると、ちょっと緋鞠としては落ち着かなくなる。

「身内のあたしが言うのも何ですけれど、父は恨みを買うような人ではありませんわ」

「それは置いておくとして、お父上は使用人の誰かにこの部屋まで何か持ってこさせる、などということはありませんでしたか」

「ありませんわ。父は、必要なものはご自分で持ってお入りになるの。掃除もご自分でなさったし、誰ひとり近づかないわ。あたしはもちろん、玲於奈さんですら」

 使用人への疑いは当初、警察も持っていたようだ。だが当日、この部屋へ近づいた者は、部屋の主以外誰もいないのだ。念のため身体検査が行われたが、当然誰からも何も出てこなかった。仮にその中の誰かが犯人ならとっくに証拠は処分しているだろうから、それ自体無意味なのだが。

 加えて屋敷中の者の証言を突き合わせた結果、誰もそこへは近づかなかったことが明らかになったため、どう足掻いても自殺以外にはなりえないのだった。

「玲於奈さん、ですか。ご父君は、随分と欲深な烈女を好まれたのですね」

「違うわ。あんな方ではなかったの」

 この期に及んで庇い立てしてしまったのは、やはりかつての優しい玲於奈が忘れられないからだった。できれば元に戻ってほしい。あやかしをどうにかすれば、それが叶うはずなのだ。さすればきっと、今のぎくしゃくした関係もなくなると緋鞠は、一抹の希望を抱いている。

「しかし、財産に固執しすぎでは?」

「それは、お父様が遺言を残されたからよ。全財産を彼女にって」

「また揉めそうな話ですね」

「叔父様たちは納得してらっしゃらないわ」

「しかしどうなんでしょうねえ。この時代、男子が家督相続するのが当たり前でしょうに、商家で、遺言状ありとはいえ、よくもあの方は周囲を突っぱねられたものです。よほど面の皮が……おっとと」

 それ以上は悪口になると思ったのか、酔夢は慌てて口を閉ざした。

 実際緋鞠とて納得しているとは言い難い。だが彼女に何が言えるだろう。私にも、などとはしたないことは言えるわけがないし、そこまで固執するものでもない。貧するのは困るだろうけれど、まだ彼女はこの家にいられる立場だ。散々見合いを勧めてくるのは、追い出しにかかっているだけだとしても。

「あやかしのせいで変わってしまったのよ」

「そのあやかしというのは……」

「重森白夜という経理担当よ。今は出張でいないけれど、玲於奈さんの情夫なの」

「情夫ですか……。ふむ。例の指輪の、元の持ち主ですね」

 酔夢は考え事をしているのか、覇気のない受け答えをしていた。彼は部屋の中のどこを見るでもなく視線を彷徨わせながら、どこかぼんやりとして独り言のように言った。

「人の身であんなものを代々受け継ぐなど、確かに尋常ではないでしょうが、あやかしであるなら逆にホイホイと譲ったりできないはずです。何せ自らの妖気を最大限にまで高め、大妖怪になるためのレアアイテム……じゃない、最重要品目なんですからね」

「? まあ、そんな危険なものなんですのね。だから天女様はこれをお集めに? 下界から悪の芽を摘むために」

「さて。案外自分が使うためかもしれませんが」

 存外に失礼なことを言いながら酔夢は、ゆっくり静かに俯けていた顔を不意に上げた。そして匂い袋をポケットの上から抑えている玲於奈を見つめる。その目の強さに思わず胸が、どきりと鳴った。もっとも彼の口から洩れたのは、期待するような甘ったるいものではなかったが。

「な、なんですの?」

「即死のアコニチン中毒で、時間差なんて、僕には一つしか思いつきませんが」

「え?」

「しかし確証がないし、あまりに馬鹿げている。沙玖蓮天に聞けば分かるでしょうが、当然教えてくれるわけがありませんし……。緋鞠さん、君の会社で扱っている薬品を見せてもらえますか」

「え、ええ、よくってよ。では表の方へ参りましょうか」

 屋敷の中から行ってもよかったのだが、また玲於奈に見つかって喚かれるもの嫌だったので、二人は一端玄関ら出てぐるりと通りを回ることにした。決して長い道のりではないが、二人で並んで歩けるというだけで緋鞠は、嬉しくて飛び跳ねてしまいそうだった。ただし肝心の酔夢の目は、前方以外を映していないのだけど。

 振り向かせるため、彼女は必死で言葉を紡ぐ。

「ねえ、施錠した密室に入り込むなんてこと、あやかしなら容易くできるんじゃなくて?」

「あやかしだって万能じゃないんですよ。とはいえ、いなくもない。煙々羅という煙のあやかしなら可能でしょう。ただ、これは煙が人の顔に見えるというだけの所謂シミュラクラ現象にすぎませんし、そもそも気体ですから、どうやって毒を運び、飲ませるかという疑問がわきますが」


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