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「うぐ……っ!」

 酔夢は襲いくる激しい頭痛に、耐え切れず蹲った。頭が割れそうだった。明らかに彼の脳が処理できる容量を超えている。だからこそ神通力というのだろうが、戻る度にこんな目に合うのではそのうちにこちらの衝撃が死因になってしまいそうだ。

「見つかったようじゃな。当たりを引けて良かった」

 酔夢の隣で、彼を助け起こしもせずに結果に喜んでいるのは沙玖蓮天だが、今は男の恰好をしていた。しかも会社員風だ。男装ではなく、本当に男になっているのだ。元が狐なだけに、化けるのは得意だと言う。だがその顔には天狐の面差しがくっきりと残っていて、ありていに言えば見かけたら振り向かずにはいられない美男子になっているのだった。

 さぞ目立つと言いたいところだが時刻は日付も変わり、深夜に差し掛かろうとしている。未だ車通りがあるとはいえ、人通りはほぼ皆無と言ってもいい。酔夢は未だ立ち上がれない頭痛の尾をなんとか引かせようとしながら、恨み節をぶつけた。

「当たりが出るまで、はずれを引かされ続けていたんですけどね……」

「仕方あるまい。わらわの力とて万能ではないのじゃ」

 ダイレクトに石のある場所へ案内してくれずに古びた神社を紹介してくれたりしたところかすると、どうにも精度が悪いというか、正確性に欠けるというか、大雑把なようだ。

「ところで、やっぱり不自然じゃないですか? その恰好。この時間なら男女二人連れでもおかしくないと思いますけど」

「分かっておらぬのう。ぬしがそうしてくたくたしておるから、ほれ、こうすればよいじゃろう? ……もう先輩、飲みすぎなんですよぉ。送る身にもなってくださいよぉ」

 健気な後輩社員の演技をしながらぐったりしている酔夢を助け起こしたのは、ちょうど前から女性二人組が歩いてきたからだった。どうやら水商売の女性らしい。通り過ぎてから、何やらキャアキャア言っている。ホモという単語が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。

「僕の恰好がラフすぎて、設定が生きてない気がするんですが……」

「じゃがのう、わらわも醜女には化けられぬ設定じゃ」

「なんであなたまで設定って言うんですか、メタすぎるでしょ。言いたいだけですか? まあ確かに、美女との二人連れだと要らぬ輩を引き付けてしまいそうですけれどね」

 確かにそれなら男二人連れの方が厄介事は遠のきそうだ。天狐は不細工には化けたくないのだろう。美女と言われて心なしか嬉しそうな沙玖蓮天だった。

「ふむ。百年経とうが、物騒さは変わらぬようじゃの。それで場所は分かったかえ?」

「分かったとは言えませんけどね。……あの人、食われたように思えたんですが」

「その通りじゃ。奴は人の負の感情を食って、さらに力を得たいようじゃ。新米あやかしにありがちじゃの。心だけをうまいこと食えぬものだから、体ごと食ってしまうのじゃ」

 沙玖蓮天は冷静に言っているが、さらりと流していい情報ではない。あの大妖はまだ奈々子の体で、力を増幅しながら緋鞠を追っているのだ。奈々子、と言ってしまうには、かなりあやかしに近い形に変容していたようだけれど。

「顔色が優れぬのう。わらわの目を飛ばすと言う方法が気に食わぬか?」

「顔色は、あなたの力と僕の病状の両方のせいです。……ただ、気持ちいいものじゃあないですよ、やっぱり」

 沙玖蓮天が飛ばした『目』とは、この都市にいて現在外を出歩いている者全ての視界を把握する術である。ただし時間帯からも、そう多くが目となってくれるわけではない。その上、アクセスするたびにその受信者の中へ強制的に意識が飛ばされ、それらが同時多発的に発生するものだから、演算装置ならぬ人の身では処理能力が追い付かずオーバーフロウしてしまい、結果、体が悲鳴を上げるのだった。

 ただでさえ過去からの理不尽な呪いで衰弱しているところへのこれは、明らかに負担を強いている。だが、代案がない以上やめるわけにはいかないのだ。現時点ではこれが最善策なのだから。

 当然神に近い存在である沙玖蓮天も同じ景色を見ているはずだが、平然としたものだった。こんな不健全な時間に出歩く人間に、善良なる感情を持ち合わせている者はただでさえ少ない。触れるのは負の感情ばかりだ。気持ちいいわけがない。彼女にリンクしている酔夢だけが苦悶する一方だが、耐えるしかない。

「先回りしたいところですけど、人なんか襲ってるってことは、まだ、緋鞠さんのところへはたどり着けていないってことですよね」

「そうとも言えるが、ぬしもなかなか言いおるの」

「それぐらいしか、喜ばしい点が見つからないからですよ。……ゴミが不法投棄される空地のある住宅街なんて、この街にどれだけあると思ってるんです?」

 他に、大妖の居場所を特定できそうな目印はなかった。だが思い当たる場所が二つほどある。くっきり景色が当てはまるわけではなく、なんとなく心当たりがある程度だけれど。今はそれを目指すしかない。次はもっと特定できそうなところで人を襲ってくれればなどと、冷酷なことも考える。緋鞠のこと以外考えられない今の彼に、他者への正義を抱く余裕はない。

 なんとか沙玖蓮天の支えを借りずとも自力で歩けるほどには回復したようだ。つま先の感覚が消えた足で歩くのは従来通りの速さとは言えなかったが、これ以上のんびりとはしていられない。次の情報が流れ込んでくるまでに、少しでも目的地へ近づいておく必要がある。

「それにしてものう、ぬしよ。徒歩とはずいぶん呑気な移動じゃのう。そうは思わぬかえ?」

 コンビニの光に照らされた沙玖蓮天の白い顔が、皮肉を含ませて言った。明りが途絶えて再び彼女の顔を暗さが包むまで、酔夢は口をつぐんでいた。

「都心じゃあ、自家用車なんて必要ないんですよ。それに自転車だって、この手じゃあ乗れないし」

「タクシーとやらを捕まえればよかろ?」

「……急いでたから、何も持ってきてないんです」

「人間社会は不便じゃのう」

 確かにこのスピードでは、大妖はとっくに別の場所へ移動しているだろうから、今更そこを目指したところでめぼしい痕跡は残っているとは思えない。だがそれでも、いつか大妖が彼の近くへきてくれるなどという確率の低いことを願うよりは、進むしかないのだ。緋鞠を守るために。

 焦りだけが前に出る。走ろうにも足に踏ん張りが利かず、転んでしまうだけなので、前のめりに歩くことしかできない。酔夢は歯噛みした。

「ぬしは忘れておるようじゃのう。使えるものは何でも使うてみればよかろう?」

 沙玖蓮天は悪戯っぽく唇に指を当てた。お願いすれば彼女が何とかしてくれるということではあるまい。天狐へのお願いは、高い代償が伴うのだ。グローブをはめるのは、神通力は使用していないため、どうやら無償でしてくれたようだが。

 だが彼女の仕草で思い出したことがあった。酔夢は同じように人差し指を口元にあてて、半信半疑ながらも息を吹きかけながら、その名を呼ぶ。

「まさか、来てくれるんですか? ……沙璃」

「――――はいはい、お呼びですかァ、師匠」

 すぐ脇から声が聞こえ、ぎょっとして振り向くと、痩身矮躯の男が忽然と姿を現していた。ルパシカ姿の沙璃である。大正時代の流行服だが、現代の都会でも遜色なく馴染むだろう。その点は、緋鞠のモダンガールスタイルも同じだ。それを教えたら彼女はどんな顔をするだろう。だがそんな馳せる思いを断ち切るように、沙璃は勝手に酔夢にべたりと張り付いてきた。どうやら支えのつもりのようだ。

「おや、具合が悪そうですねェ。お支えしましょうかィ?」

「君はいつまで僕のことを師匠と呼ぶんですか」

「そうはいっても、沙玖蓮天様が見込んだ方ですからねェ」

 天狐は彼に、どういう説明をしたのだろうか。誤解があるようだが、今は捨て置く。勝手に大正時代にしかいられないものとばかり思っていたが、沙玖蓮天の眷属なのだから彼女が行くところにはどこにでも現れるのだ。

「緋鞠さんのところへ早急に行きたいのです。頼めますか」

「お任せくださいよォ。とはいえあっしは、移動しかお手伝いできやせんからねェ」

「心得てますよ。戦うのは、僕の役目だそうですからね」

 沙璃はいったいどういう風に酔夢の願いを叶えてくれるのだろうと思ったら、その場で狐の姿に変化した。否、戻ったというべきか。しかし実在する狐より大型で、尻尾の先が炎のように揺らめいていた。最下位の野狐(やこ)とはいえ、立派なあやかしぶりである。

「さ、お乗りくだせえ、師匠。どこへなりとも一っ跳びでさァ」

「君、何もこんなところで」

 人目を気にして焦る酔夢だったが、運よく人通りは絶えていた。コンビニから野次馬が飛び出してくることもない。そんな彼を見て、沙玖蓮天が笑った。

「臆病じゃのう、もう少ししゃきっとせい」

 天狐には分からないだろうが、目撃情報はあっという間に拡散共有される時代なのだから怯えるのも仕方ない。何せこれからしようとしているのは、世にも非現実的なあやかし退治なのだ。それが現実だと知っているのは、当事者の酔夢だけだ。


 どうしてこんなことになったのだろう。

 暗がりで震えながら、少年は膝を抱えていた。その意識は休むことなく外側へ向かっている。開いていたから思わずこの倉庫に飛び込んだが、見つかれば袋の鼠だ。走って敷地外へと逃げるべきだったのだ。

 だがもう、今更遅い。今、外に出れば間違いなくあいつが襲ってくるだろう。このまま朝を迎えれば、助かるかもしれない。明るくなれば消えるだろう。だが、本当にそうだろうか? あれが闇の中のみに息づくものだと、どうして言い切れよう。

 幽霊などではないのだ。実体を持っている。

 ―――ほんの、思いつきだったのだ。

 冗談のつもりで友人に話を持ちかけた。受験する高校に忍び込んで、問題用紙を盗んで来ようぜなんて、言うんじゃなかった。ノリでしかなかったのに、友人が食いついてきたから後に引けなくなってしまった。

 それでもまだ、本当に実行するつもりもなく、高校に忍び込んだ。そもそも問題用紙が見つかるとも思えなかったから、軽い夜遊びのつもりだった。だが友人は本気だったようだ。施錠してある校舎を回って開いているところを探そうと躍起になっていた。ドン引きしながら付き合ったが、入れるわけもなく、こうなったら窓ガラスを割るとまで言い出した友人を止めようとした矢先、それはやってきた。

 否、上から突然、現れたのだ。

 屋上から降ってきたそれに背後を取られた友人は、悲鳴を上げる間もなく頭から食われた。踊り食いでもするように、丸のみにされた。

 それはまだ食い足りないというように、少年に目を向けた。だがそれには目などなかったので、本当に見られていたのか自信はない。ただ、顔がこちらを向いたのは確かだった。

 やばいと思った。だからしゃにむに、逃げたのだ。

 パニックになっていたせいで、外へは出られなかった。目についた体育倉庫に飛び込んで、必死で扉を閉めたのだ。マットやボールの入った籠で扉の前にでたらめなバリケードを作ったが、それがどれだけ効果があるのか知れない。そうして少年は、物をどかした隅に座って震えているのだった。

 あれは、何だ。

 人の形をしていたが、人でないのは明らかだ。あの化け物は、大きかった。背の高い友人よりもっと高い位置に頭があったのだ。女のように見えたけれど、そんな縮図を間違えたような人間がいてたまるか。手も妙だった。甲が裂けて指部分しかなくて、関節が五つぐらいあった。それにそもそも、顔が……。

「うう……」

 歯がカタカタ鳴るのを止めるために引き結んだ口から、思わず呻き声が漏れた。どうしてあんな化け物が、高校にいるのだ。七不思議の一つか? 友人はどうなったのか。死んでしまったのか。警察に通報すればいいのか? でもなんて言えば。信じてもらえるとも思えない。どうすればいいのか。分からない、分からない……。

 カタンとどこかで音がした。少年はすくみ上って、思わず口を両手で押さえた。

 近くに来ている。彼がここにいるのを探っている。少年は微動だにしないように体を硬直させた。倉庫の周りをぐるぐる回っている気配がする。見つかったら終わりだ。窓とかバリケードとかを破壊して侵入してくるだろう。そういえば窓は、何も覆いをしてない。

 緊張と息苦しさで涙が出てきたが、彼はそれを確かめずにはいられなかった。掃除をされることなく放っておかれている薄汚い窓。仄かに月明かりが差し込んで、中の物たちのシルエットを浮かび上がらせている。それへとゆっくり、眼球を動かす。もしそこにそいつがいて目が合ってしまったら。否、目はないのだけれど。

 果たしてそこには、夜の闇と月の光があるばかりだった。何も、覗いていない。あの怪物の背丈なら余裕で届くはずだが、ぐるぐる回っているにしてはそこを横切る様子も見られなかった。

 気づくと外は、静かになっている。気配も感じない。

 去ったのか。

 だがすぐには動けず、少年はひとまず止めていた息を吸った。埃臭いが、化け物に食われるよりずっといい。

 今更だが、こんな高校を受験するのは嫌になった。滑り止めの私立の方にしようと決める。親にはぶつぶつ言われるだろうが、通うどころか受験すらしたくないのだから仕方ない。

 少年は頬を伝う涙を拭った。そしていざ立とうとしたのだが、どうやら腰が抜けてしまったようだ。もう少し時間を置くかと諦めつつも視線を巡らせたところで――――それと、目が合ってしまった。

 目はない。だが明らかに、彼を見ている。

 それは扉のあまりに細い隙間から、軟体性の何かのようににゅるりと顔を出していた。確かな質感があるのにそれらを無視して隙間を縫って、少年の前に姿を現していた。初めは顔だけだったものが、腕、胴体、足と次々に狭い倉庫内に、入り込んでくる。形を自在に変えて、隙間もバリケードも関係なく。

 気づけば少年の顔よりも大きき口が、目の前にあった。口内は闇より深い黒。その奥から友人の「たすけて」と呼ぶ声が、聞こえた気がした。


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