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「そんなことペラペラ喋ってさ、あんた、生きて帰れるとでも思ってんのかい?」

「もちろん。またチンピラを呼びますか?」

「今度は一人じゃあないさ。あんたの臙脂色を真っ赤に染めてやる」

「その言葉は緋鞠さんへの殺意を、認めたも同然ですねえ」

 名を呼ばれた緋鞠はびくっと体を震わせたが、玲於奈は彼女を見ずに酔夢相手に高笑いしていた。

「あの人は私に全部くれると約束してくれたんだ。それをもらって何が悪いのさ?」

「だからって人殺しまでしますかね」

「すぐ死ぬと思ったから結婚したのに、全然死なないから殺してやったのさ。それだけだよ。私は金が欲しいんだ。贅沢したいんだよ。あんたみたいのには分からないだろうがね」

 その執着心は彼女なりに、辛酸なめてきた証拠なのだろう。だが醜く歪んだ顔つきを、それ以上見ていられなかった。父への言いざまもひどすぎた。そっと視線を外すが向こうが気づいて、彼女の方へと顔を向ける。

「知らないだろうから教えてやる。高之城はね、もうおしまいなのさ。経営がずっとうまくいってなくて、赤字に次ぐ赤字。それを帳簿をごまかして、表向きうまくいってるように見せかけてた。屋台骨はぐらぐらさ。私の白夜が見つけたんだよ。彼はなんとか立て直そうとしたけど、焼け石に水さ。だから私が全部散財してやるのさ。借金のカタに持っていかれる前にね。あんたが萬里小路に嫁げば破産は免れただろうけど、どのみちもう遅いのさ」

 玲於奈の勝ち誇ったような顔が間近にあった。彼女の香水がぷんと匂う。だが緋鞠は何も言い返せなかった。

 破産が間近に見えていたのは、玲於奈の散財があったからだ。その上で経営が破綻しかけているなど、知ったところで緋鞠に何ができるだろう。父は何も言ってくれなかった。問題ないようにしか受け取れなかった。その言葉を疑うなど、考えもしなかったことだ。父だけではない、玲於奈のことのもそうだ。

 優しく穏やかな仮面は偽りで、この姿こそが本性なのだ。あやかしに操られたせいではない。ただ、隠していただけだ。それを少しずつ、表に出してきただけだ。

 酔夢の言った通りになった。幻想は、粉々に砕かれてしまった。もっとも第三者的には、緋鞠が現実と直面したにすぎないのだろうが。

 呆然として、何も考えられない。裏切られて悲しいはずなのに、涙も出ない。それでも顔は勝手に俯いて、玲於奈を視界から排除する。

「……ですがもう一人、彼女を襲った女性がいます。それは、玲於奈さんの差し金ではありませんよね?」

「……。んん……?」

 豊満な胸を反らせていたはずの玲於奈は、言いたいことを言い終えて役目を終えたかのように、酔夢の言葉をぼんやりと聞いていた。発した声は答えにもなっていない。それもそのはず、彼女の意識は半ば夢の中へと行きかけていたのだ。婀娜っぽさもしどけなさもなく、どこか無邪気な子供のように、その場にくてんと腰を下ろす。

「女ァ……? 私はぁ、女なんか使わないよぉ……敵しかぁ、いなかったしぃ……。……」

 おぼつかない口調でふにゃふにゃ言ったのち、玲於奈は完全に沈黙した。どうやら眠りに落ちてしまったようだ。

「そうですね。悪霊を使う方法は、あなたには無理でしょう。――――ねえ、奈々子さん」

 酔夢の視線が、眠った玲於奈から奈々子へと移った。暗い目をした下女にはまるで何の影響もない。だが緋鞠にも、それはなかった。結界を張ったという、それのせいなのか。彼女の疑問が通じたかのように、酔夢が頭を下げた。

「すみません。どうして緋鞠さんには効かないんでしょうか、この香。僕にも分からないのですが」

「香のせいなの?」

「忘れ香と言うそうです。初めに重森氏に効いたのは僕が力を使ったせいでしょう。玲於奈さんが遅かったのは、香水をまとっていたせいですね。ですが緋鞠さんは……まあいいでしょう。それは後回しです」

 つまり、酔夢を忘れさせるあの不思議の力を香としたものなのだ。彼の記憶を一時に奪う作用を秘めており、目が覚めれば彼らから酔夢に関する記憶が消去される。緋鞠がそれに対抗できているのは、もしかしたらだが、忘れたくないと強く思っているせいではないだろうか。奈々子に関しては―――。

「言い忘れていましたが、もし重森氏があやかしだった場合、ああいう風に平然と突っ立っていられたでしょうね」

 あやかしだときっぱり断言されたにも関わらず、奈々子はまだ口を閉ざしたままだった。その様が怖くなって、そっと半歩、酔夢の方へと体を引く。その彼は、鼻の下をこすってからピンと来たというように手を叩いた。

「ああ、ようやく香水やらの匂いが消えてきましたね。おかげで変な匂いの正体がわかりました。白檀などではなく、悪霊と……死体の匂い、ですね」

「死、体?」

「彼女です」

 恐ろしい言葉を聞いたはずなのに、酔夢が手で指し示す先にいるのは、奈々子以外いなかった。

「空っぽの体に、魂が二つ宿っています。一つは、緋鞠さんを襲った悪霊。もう一つは……。ああ、分かりました。もう一つこそが、玲於奈さんに知識を与えて唆したんですね。いやあ、最後まで分かりませんでした。……何してるんですか、あなた」

 酔夢の声が不意に低くなった。穏やかな顔をしているが、底知れぬ怒りを抱えているのが、分かった。その横顔には見たことがない冷たさが宿っていて、そんな場合でないのに思わず緋鞠は見惚れてしまった。

「恨んでやる。呪ってやる」

 唐突に、奈々子が唸った。だがその顔を見ると、左右の瞳があちらこちらへとそれぞれ動いていて、視線が一向に定まる気配がなかった。その顔のまま、奈々子が一歩前へ踏み出した。向かう先にいるのは、緋鞠だ。

「あたしの父さんは、あんたの親父に融資を断られた。そのせいでうちは一家離散だ。父は首を吊った。母は川へ飛び込んだ。弟は悪党とつるんで喧嘩して死んだ。姉は苦界に落ちて、病気で死んだ……高之城家は許さない。死んで償え」

 また一歩、奈々子の足が前へ出た。だが緋鞠は動けない。

 銀行でもないのに融資を頼みに来る輩がいたのは、祖父のせいだ。彼はよく方々へ金を貸していた。無駄遣いではなく投資であり、後々それが信頼になって返ってくるからと。……だが表向きは別として落ちぶれていく中、果たして助けてくれた者がいただろうか。玲於奈の言葉を信じるならば、転落していく以外の展開があったようには思えない。

 思えば使用人を次々馘首していたのは、少しでも出費を抑えようという節約対策だったのだろう。工場を畳んだのは、維持するための経営手段が立ちいかなくなっていたから。日々、享楽・享受が当たり前の中にあった緋鞠はそれにも気づけなかった。

 こうなってはもう、大好きな祖父のことを思い出すことすらつらいばかりだ。もちろん今は、それどころではないけれど。

「あなたに用はありません。もう一人を出してください。これ以上隠れ続けるのも、微妙に無理だと思いますけど?」

 冷徹な酔夢の声に、緋鞠ははっと我に返った。しかし彼が発した言葉はいつか聞いたように、やはり妙だと思わざるを得なかった。何やら間違って使っているように聞こえる。だが奈々子は、ぴたりと進むのをやめた。それぞれそっぽを向いていた瞳も、元のように戻っている。

「なるほど。確かに元の意味は、違うんだったね」

 いつもの、奈々子の昏い声。だが、どこかおかしい。以前は確かにあった年頃の娘らしさを完全に捨て去って、見た目は変わらないのに別人になり替わってしまったかのようだった。

 そこにいるのは誰だろう。

「なぜこんなことを企んだのです」

「おいおい、ワタシはあんたに着いてきたんだよ? 恨まれるのは筋違いじゃないか?」

「やっぱり、そうですか。しかし責任転嫁はやめてもらいたいですね。殺したのはそちらです」

「あなた、何ですの?」

 黙っていられなかった緋鞠に、へっと奈々子は吐き捨てるように笑った。

「ワタシはただの善良な幽霊さ。悪霊はこの女だけ。この女、母親と同じに川に飛び込んで悪霊になったんだが、未練たっぷりに自分の死体の周りをうろついてたから、ワタシが体に引っ張り込んでやったんだよ。でもうまく体を操れてないから、ワタシが代わりに動かしてやってるんだ」

「あれは未来の、僕と同じ時代から来たモノです。拮抗作用は、この時代の人には知りえない知識なので」

 言葉を失ってしまった緋鞠の背を優しく包むように酔夢は言った。目は油断なく奈々子と名乗るものを見据えている。

 自らの体をうまく操れない悪霊の代わりだとでも言うように、それまでの暗さを払拭するおどけた仕草と表情で、奈々子は笑っていた。だが既に生者でない証拠であるがごとく、その目は淀み、いつもの昏さまではぬぐい切れていなかったが。そのため緋鞠には、奇妙な道化として映った。

「ああ、なぜ企んだかだって? 誤解してもらっちゃ困るね。企んだのはそこの淫乱ビッチな未亡人だろう?」

「富雄氏が死んだのはお前のせいだよ。欺瞞は僕には通じない」

「ふん、そんなの、完全犯罪になりそうで面白そうだったからに決まってるじゃないか」

 奈々子はぐいと体を前方に傾けた。大した距離は稼げていないのに、緋鞠は反射的に体をすくませた。霊が二つ入った死体。着物越しで温度は伝わりにくいとはいえ、こんなものの腕を捕まえてしまったことに、今更怯えを隠せなくなっている。

「ワタシは生前つまらない人生でね。終わった後ぐらい好きにしたっていいだろう? どうせ忘れちまうんだ」

「忘れるのは僕がそう仕向けたからだ。―――調子こいてんじゃねえぞ、悪霊ごときが」

 丁寧語しか聞いていなかった酔夢の口調が乱れたせいで、思わず緋鞠は彼の方を見てしまった。だがいくら低く恫喝したところで、奈々子はへらへら笑って怯みもしない。暖簾に腕押しである。

 だがそうして緋鞠が目を逸らした隙を、奈々子は最初から狙っていたようだった。不意の体当たりを食らわされて、屏風を飾った上り框に叩きつけられた。

「緋鞠さん!」

「ほ~ら、やっぱり持ってた」

 右のポケットが軽くなっている感触にはっと顔を上げると、奈々子が奪い取った匂い袋に鼻を押し付けていた。そして女とは思えぬ怪力で強引に引き千切って、隠されていた指輪を取り出す。

「いけない子だね、泥棒なんて。これはワタシが、もらっておいてあげる」

「やめて! 何をする気ですの!」

 奈々子の手が引き裂いた匂い袋の残骸を投げ捨てた。逆の手は、指輪を口の中へ持っていこうとしていた。何をするつもりかは分からないが、それを完遂させてはならないことだけは分かっていた。あれは、酔夢に渡すべきものだ。奈々子のような訳の分からない存在が好きにしていい代物ではない。

「返してっ!」

「やだね」

 緋鞠は体を無理やりに起こし、そして奈々子に向かって駆け出そうとした。視界の端では酔夢が彼女に手を伸ばそうとしている。だがすべては遅かったのだ。

 緋鞠の目に、ゆっくりと飲み込まれていく指輪が見えた。こんなに時の流れが遅いなら間に合いそうなのに、緋鞠の手はそれを掬うこともできない。そしてそれが完全に喉の奥へ消え去ると、今度は早回ししたような世界が待っていた。

 がんっ! と衝撃音がした。酔夢が玄関に叩きつけられた音だ。見ると、勝ち誇った顔の奈々子が彼に向かって手を伸ばしていた。彼女が使った不可視の力が、彼を吹き飛ばしたのだ。

「酔夢さん!」

 魂の具現化で、食事も睡眠もいらず、どれだけ歩いても疲れもしない。けれどその男は今、目を閉じてぐったりと横たわっていた。何か、致命的な一撃を受けたことは明らかだった。

「高之城は、根絶やしにしてやる……」

 駆け寄ろうとした緋鞠の前に、奈々子が立ちふさがった。だがその体を支配しているのは、未来からきた自称善良なる霊ではない。悪霊化してしまった元の持ち主であることは、不自然な目の向きを見れば瞭然だ。

 それに、その立ち姿のなんと禍々しいことか。

 見た目は一切変わっていないのに、別の、より凶悪なものへと変貌を遂げている。悪霊憑きの女性など目ではない、そこにいるだけで怖気をふるうような。

 本能が、逃げろと叫んでいる。

「あ……」

 明確な殺意が、彼女に向けられている。殺されると思ったが、硬直してしまった緋鞠の体はわずかも動けない。ただ怯えながら見上げているしかない。恨みの奔流が奈々子の体から溢れて、彼女を害さんとするのを。

「死ね」

『勝手にワタシの体を使うんじゃないよ!』

 その時奈々子の体の中で、統一されざる二つの意思が乱れて互いを食い合う様を見た。だが発せられた殺意は止まらない。緋鞠に向かって、何かが襲い掛かってきた。咄嗟に体を丸めた緋鞠は、温かなものが彼女を庇う気配を感じた。

 酔夢がかばってくれたのだと、思った。だが次の瞬間、身が凍るような外気を感じて目を開けた。

「……え?」

 辺りが暗くなっていた。完全なる暗闇ではない。だが、明白に夜であった。

 そして彼女が蹲るそこは、高之城家の玄関ですらなかった。どこかの路地。しかし見覚えはない。まるで見知らぬ地に瞬間的に移動してしまったかのようだ。

 寒いと感じたのは、ほんのりと咲き始めている桜が頭上にあるのを見て悟った。季節がおかしい。桜の季節はもうとうに終わっていたはずだ。

 緋鞠は恐る恐る、辺りを見回した。やけに整備されているが、その割に植木の枝葉は伸び放題に見えた。と思ったらどうやらどこかの家々に面した道ではなく、さりとて誰か所有の庭園に入り込んだわけでもないようだった。

「公園……なの?」

 遊具と思しき奇妙な置物がいくつも置いてある。だが緋鞠の知る体操器具や木馬などは見当たらなかった。こんな場所に見覚えなどあるわけもない。

 見上げる街灯はやけに明るい。じっと見ていると目が痛くなる。緋鞠の知る街灯は、全体が良く見えるほど照らしてはくれなかったのに。そのせいか、空を見上げても星など全く見えない。位置が悪いのか月すら見えず、闇の中に置き去りにされたかのようだ。そのくせ、代わりであるかのように遠くで星でない明りが瞬いている。あれは何だろう。凌雲閣より高い位置にある気がするのだけれど。

 緋鞠は言い知れぬ不安と押しつぶされそうなほどの心細さを覚えた。傍にいたはずの酔夢はどこへ行ってしまったのだろう。見知らぬ地に置き去りにしても平気な風に思われていたのだろうか。その程度の存在だったのだろうか。

 それに、彼女を殺そうとしていた奈々子は。

 彼女の姿も、どこにもない。

 いったいここは、どこなのか。

 その時足音が聞こえてきて、緋鞠ははっと顔を上げた。怯える彼女の方へと、近づいてくる……。


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