第21話 世界の永遠の宿題
「――そういえば境輔くんは出版業界に就職したいと前に言っていましたよね?」
ハインと表社会と裏社会について話をしていると、その様子をテーブル向かいから見ていたアレクさんが僕に話しかけてくる。急に就職に関する話をされるとは。非現実から現実へと引き戻されたような感覚だ。
「はい。あの時アレクさんに言われて自分は出版業界で本当は何をしたかったのか、分かっているようで分かってない事を痛感しました」
僕は正直に自分の思いを伝えた。確かに僕は以前、アレクさんの目の前で出版業界に就職したいと語っていた。
今思えば、あの時は無知だったからあんな大それた事を語っていたのかもしれない。
「なので、今は自分探し中です」
「そうでしたか……あれからちゃんと自己分析、自分探しされてるんですね」
「いや、そんな……自分探しはまだあれから全然進展していませんよ」
僕は思わず、こちらを優しく笑みを浮かべて褒めてくるアレクさんから目を反らし照れ隠しした。右手で自分の後頭部をさすりながら。
「自分探しで迷う中、昨日の事件に巻き込まれたんです」
「なるほど。では、そんな自分探し中の境輔くんに聞きますが、この世界の現状を見てどう思いましたか?」
現実の話かよと内心思っていたら、ここで意外な事に現実から非現実へと再度引き戻される質問が穏やかなアレクさんの口から飛び出した。
アレクさんはとても穏やかだが、言い方はとても真剣だ。ここは真面目に答えた方が良さそうだ。
僕は再びアレクさんの方を向いて口を開く。
「昨日、ハインからも聞いたんですけど、僕の思っていた世界がグルリとひっくり返ったのが正直な気持ちです」
「真実を報道してると思ったマスコミがあんな重要な問題を取り上げず、ずっと野放しにしていたなんて信じられませんでした」
マスコミの真実を知ると同時に僕の中で浮き彫りになった、他にも存在する表社会のメディアによる数々のソルジャー絡みを扱わない問題。
それらメディアは今日も問題なく存在し機能しているが、昨日の一件で見方が変わった僕には問題でしかなかった。
僕が昨日、ハインから話を聞いて理解した事、昨日の事件もあって感じた事。それらを語りたい一心で、僕はそれに突き動かされるままに語り始める。
「それだけじゃありません。出版業界もソルジャーについてはオカルト本とかを出して間接的に取り上げたりしてた事もありますが、直接的には取り上げず警鐘を鳴らしていない」
「娯楽どまりかつマスコミと同じです」
「テレビだってそうです。バラエティ番組でオカルトチックな内容に編集して、もっぱら視聴率稼ぎだけでこのソルジャーの問題をし提示していない。これも同じです」
「ネットだって同じです。マスコミは当然ニュースサイトでも同じような報道しかしないですし、表社会でソルジャーが浸透していないがために、バカバカしいオカルト情報が電子の海に蔓延しています――」
「――だから僕も昨日までソルジャーという存在を知らず、あちこちにオカルトが多くてそれにうんざりして呆れる日々を過ごしていました」
「真実は何も表では語られていません。これは当然だと思います。ソルジャーの存在が浸透していないんですから」
「マスコミの中には本当にソルジャーの事を知らない人もいるのかもしれません――」
「――が、どこのメディアも裏社会の事を知らぬ存ぜぬという形で扱う事に僕は凄く違和感を感じたんですよ。あんなに危険な事が起こっているのに……!」
真実を知ってからそれまで見てきたメディアを振り返ってみても違和感ばかりが残る。
『なぜソルジャーを報道しない?特集しない?伝えようとしない?』
全てこの言葉に尽きる。なぜ真実を捻じ曲げたり、オカルトというまがい物に作り替えてしまうのか。
幻じゃない。ちゃんとした現実だ。現に昨日、翼で空を飛んだり光る剣を出したり、光線を撃ったりする人間がいた。
なのに実質、表社会の性質を構成するマスコミはそれらを直視、見向きせず、正しく報道しようとしない。だから他のメディアにも影響を及ぼしている。
僕はその時点でおかしいと思った。真っ当な事を言ってる癖に表社会という自分達の世界だけを持ち上げ、都合の悪い物は覆い隠すその自分勝手さを。卑怯さを。
ある意味、公認された汚職ではないだろうか。
「……ふふふ、境輔くん。素晴らしいです。その姿勢、私は大いに評価しますよ」
すると僕の話を目の前で黙って聞いていたアレクさんは僕を褒めた上で暖かい笑みを浮かべた。
そして僕の力強い言い分に対し、賛同してくれた。だがすぐにアレクさんはキリっとした顔をして、
「ただ、この問題は一筋縄ではいきません。マスコミがソルジャーを報道しないのは昔からですが市民に混乱が及ばないための配慮と言われていて、それが出版業界とか他の表社会のメディアにも染み付いているとされています」
「確かにその説も昨日のハインが話してくれた内容を踏まえて考えると分かる気がします」
ハインは表社会を『欺瞞に満ちた社会』だと語っていた。また、裏社会はマスコミにとっては『パンドラの箱』であると。
ソルジャーとかエクスサードとか、そういう存在は武器がなくても人を殺せたり、物を破壊出来たりして当たり前で、普通の人間がどうこう出来る相手じゃないのは明確だ。『触らぬ神に祟りなし』という諺そのままである。
また、ハインはマスコミは表社会側だから自分達の世界を持ち上げているとも言っていた。
そしてアレクさんが語る市民に混乱が及ばないゆえの配慮。ハインが話していた事を合わせると見事に納得がいく話となる。
二人の話を上手く組み合わせると僕の中ではこういう解釈が出来上がる。
マスコミは恐れている。裏社会の存在を。だからそれを人々に知らせて混乱を招きたくない。なのでパンドラの箱であるそれに触れる事を避けており、欺瞞に満ちた社会もそれゆえに作られてしまった――という事になる。
だが結局の所、恐怖心が人の目を真実から逸らさせる欺瞞にすり替わってしまった事には変わりないだろう。
「そうです。表社会にソルジャーが浸透していないからこそ、知られれば混乱が及びます。現状を維持し、平和で異能者がいない社会をごまかしてでも作る……その方針も乱暴ですがあながち間違ってはいません」
平和で異能者がいない社会をごまかしてでも作る――これは言わずもがな、ハインが昨日言っていた欺瞞に満ちた社会そのものだろう。
「アレクさんはマスコミの肩を持つんですか?」
「そうではありません。ただ、彼らの方針にも一理あるというだけです」
アレクさんは首を横に振りながらもマスコミのやり方も多少評価しているようだ。
「『臭い物には蓋をする』とよく言いますが、それをずっと人々がしてきた結果、この世界は二分されました」
「それはまさしく、有効的な解決法が見つからない、簡単には片付けられない。過去から今日まで解かれる事無くずっと残っている"永遠の宿題"です」
「つまりそれは先人達がツケにした結果、残った……」
「そうです。先人達のツケです」
アレクさんは僕が零した言葉に対してハッキリとそのままに言って頷いた。
なんだかアレクさんみたいな静かで穏やかな優しい人間が急に「ツケ」って言うとギャップを感じるなぁ……
「実はその宿題、裏社会ではこういう名前で伝説のようにして、こう言われています」
「―― "世界の 永遠の 宿題"と」
「――!」
ワールドエターナルプロブレム。世界の永遠の宿題。
随分ど偉い名前だが、まるで数学界の超難問を彷彿とさせる名前だ。宿題という言葉を使っているのに問題を意味するプロブレムが使われているあたり、ツケに出来ないものを感じる。
「その宿題の内容とはなんですか?」
さっぱり想像がつかない未知の単語を前に僕はアレクさんに問うしかなかった。
「遥か昔、『異能者の扱いによって、世界のカタチは変わる。』という"異能者中枢論"をもとに作られたという問題です。具体的には二つある"二大理論"のうち、どちらがこの世界にとって最良かを証明せよというものです」
「その二大理論とは一体なんですか?」
単純に答えは二択。だがその問題の難しさは言葉の端々から感じるものがある。
「二大理論は″統一論″と″現状維持論″の二つに分かれています。統一論は表社会と裏社会を隔たりなく最終的に一つに統一する理論、現状維持論は現在の表社会と裏社会の関係を変えず、そのまま維持する理論です」
「統一論と現状維持論、ですか……」
その内容に自然と圧倒された僕は喉の渇きを感じ、安らぎを求め自分のコップに入った冷たいメロンソーダを一口飲む。一見単純な問題だが、深く考えれば考えるほど単純じゃない問題だ。倫理や哲学を感じる。
「はい」
アレクさんはそっと頷き、続ける。
「この二大理論のうちどちらが正しいのか、この世界にとってどちらが最良なのかは今現在も答えは出ていません」
「また、どちらの理論も証明の仕方は人それぞれ」
「どちらの理論を選んでも理由に直結する思想――善悪は人によって異なります。まさに世界の永遠の宿題なのです」
「なるほど……」
僕は息を飲みながらも頷いた。つまり、人の思想によってはどちらにもなるということ。その実現方法も思想によって大きく左右する。ゆえに答えに決着がつかないという事か。
そもそもこのような難題が出来てしまった理由とは何なのだろう。僕は内心、緊張感を感じながらもアレクさんに恐る恐る訊いてみる。
「このような学術的な問題が出来てしまった理由もやはり世界が二分された事とソルジャーやエクスサードの存在が関係しているんでしょうか?」
「はい。その通りです。異能者もいる二分化された現在の世界のカタチ、そのカタチが本当に正しいのか正しくないのかを問う問題でもあるわけですから」
「――同時にこれは解かれた時、"この世界に希望または絶望を招く産物"でもあるわけです」
「希望または絶望を招く……」
この世界に希望か絶望を招く……か。とてもスケールが大きい壮大な話だ。まるでこの世界の運命をかけた天秤を思わせる表現だ。
「はい。世の中には様々な正義、思想があるのでどちらが正しいか一概には言えませんが、世界のカタチは平和かつ調和に満たされたものになる可能性もあれば、今日裏社会で繰り広げられている以上の争いと混沌に満ち溢れたものになる可能性も孕んでいるという事です」
まとめてみると、つまり今の世界はその気になってどうにかワールドエターナルプロブレムを証明する事が出来れば、この世界はどのようなカタチにも変わる事が出来る――しかし同時にそれは世界に調和もしくは混沌を振りまく事を意味する。
僕としては無論前者の平和な世界が望ましい。後者の争いと混沌に満ち溢れた世界は考えるだけで寒気を感じる話だ。その時は、冷戦さながらの時代に逆行してしまうのだろうか。
「どちらにしても結果はどうあれ、"世界の永遠の宿題"がもし証明された時、世界の運命は大きく左右すると言われています」
世界の運命を左右する日――XDayか……さっきから背中に寒気を感じる話だ。
「勿論、裏社会の人全てがこの"世界の永遠の宿題"を信じているとは限りません。が、境輔くん――」
「――マスコミ絡みの事情、つまり表社会と裏社会の現状を変えるとなると必ず、この問題にぶつかる事になります。性質が全く違う二分化したこの世界を変える事は本当に一筋縄ではいきません」
「な、なるほど……」
重く現実を突きつけられたような気がした。僕はアレクさんの話に内心多少戸惑いながらも頷いた。マスコミの報道の話からここまで話が肥大化するとは思ってもいなかった。
証明する事が出来れば、世界の運命が大きく左右する"世界の永遠の宿題"。
ソルジャーやエクスサードが存在し、かつ現在の二分化された世界がある事で生まれた希望または絶望を招く禁断の宿題とも言えるだろう。
『異能者の扱いによって、世界のカタチは変わる。』
根源たるこの異能者中枢論。そして、そこから生まれた"世界の永遠の宿題"とそれに連なる統一論と現状維持論という二大理論。
世界が二分化して生まれた事は分かる。が、そもそもこれらを作り出したのは誰なのか。名前が出ていない。訊いてみるか。
「"世界の永遠の宿題"と異能者中枢論を作ったり提唱したのは誰なんですか?」
するとアレクさんは意外にも申し訳なさそうな顔で、
「ごめんなさい。そこは私も知らないんです。裏社会で囁かれていても出処はハッキリしないんです。ただ――」
「ただ?」
僕は反射的に訊き返す。
「推測の域ですが、裏社会にも精通した昔の偉い学者が作ったものが広まったのではないかと私は見ています。裏社会には表には知られてない知識人がいたりするんですよ」
確かにこういうナントカナントカ論みたいな言葉は学者や哲学者がよく用いる言葉だ。
一体、どういう頭した先人がなぜ、このような問題を遺したんだろうな……
考えれば考えるほど、考えさせられる代物だ。こりゃ……




