第18話 待っている人
「野放しにするわけにはいかないって・・・どういうことだよ?」
バスルームでシャワーを浴びている時。背後から突然、女の声がした。
そう、その声の主はハインだった。
振り向いた先にある曇った窓があるドアの向こうには
こちらに背中を向けて話すハインの後ろ姿がぼんやりと見える。
彼女はどうやら僕を野放しにするわけにはいかないらしい。
僕はドアに向かってその真意を尋ねた。
「アンタを呼んでいる"人"がいるからよ。
もし拒否すると言うのならば、素っ裸な状態でも連れていくけれど?」
「そ、それだけはやめてくれぇ!」
「フフ・・・!じゃあ、言うわ。新秋葉原のラーメン屋にすぐ来なさい。
魔神麺という店。そこで私もその"人"も待っているから」
「魔神麺・・・・?」
聞いた事もないラーメン屋だ。新しい店だろうか。
10年この島で暮らして新秋葉原にある店を全て、細かく全部把握出来てるか?と
聞かれたら頷く自信はないが、店の名前を聞いただけで浮かぶものは何もない。
「場所はスマホなりパソコンでググりなさい。それじゃあ、待ってるから。
シャワーでその汗臭い体を洗い流してすぐ来なさいよね」
ハインはそう挑発的に、小悪魔のように静かに言い残し、
洗面所の戸を開けて出て行った。
「お、おい!待てよ!」
僕の声に耳を貸さず、ハインの姿は洗面所の向こうへと消えて行った。
ハインは瞬間移動でも出来るんだろうか。こんなとこまで入ってきて。
タカシとコージもハインの事を知らないよなあ・・・・・?
ハインの事が気になりつつも僕は引き続きシャワーを浴びる。
シャンプーで髪を洗い、洗い流した後はリンスをかけ、
そしてスポンジにボディソープをたっぷりとかけて全身を洗う。
髪と体、たっぷりとシャワーを浴びた後、
僕は洗面所でタオルを肩にかけ、歯を磨く。
シャンプーやボディソープ、スポンジ。
これらも当然、いずみ島内で買い集めたものだ。歯ブラシや歯磨き粉も。
最初新しい部屋に入った時は歯磨きや歯磨き粉共々これらも最初から
なかなか使い勝手や性能もいいものがいくつか置かれている。
が、それらが尽きた場合、自分で買いなおさなければならない。
電気代や水代などは僕ら学生の暮らすマンションやアパートの場合、理事会の方で免除される。
それぐらい容易く出来てしまうほどこの島を統治する理事会は強大な財力と権力を持っている。
あらゆる場所まで理事会の息がかかっているこのいずみ島。
ここは勿論日本であるが、まるで独立国家のような・・・そういう場所なのである。
洗面所から出た僕は真っ先にリビングに行き、
スマホをいじっていたタカシと読書をしていたコージに訊いた。
「なあ、この部屋には僕達しかいないよな?
僕が寝てる間に客とか何も来てないよな?」
「来てないぞ。それにオレ達しか部屋にはいないぞ。何言ってるんだ?」
視線を本からこちらに向けてコージは言った。
「キョウ、お前寝ぼけてるんじゃねぇのか?変な夢でも見たか?」
タカシがとても不思議そうにこちらの顔色を見た。
「まあそんなとこだ。夢でも見てたみたいだな。僕は。
家になんか僕達以外の女子がいて迫ってくる夢だったんだよ。
さっきから夢と現実がごっちゃになってたみたいだ、悪い」
とりあえず、頭に手を当てて、
ハッキリしない夢という事にしてごまかした。
「なんかキョウ、朝からおかしいな」
コージから首を傾げられた。
「だなあ。どうしちまったんだキョウ」
タカシも頷き、同様の目で僕を見る。
急に僕の中で焦りという感情が大きく溢れ出した。
まずい・・・・変な目で見られている・・・・・
とにかく、正直な事を話すわけにはいかない。
「ちょっと散歩してくるよ。
シャワーだけじゃどうも不十分みたいだ。はは」
作り笑顔を浮かべ、その場から立ち去ると僕は自分の部屋に戻った。
そこで新しいTシャツとジーンズに着替え、再度外出用の茶色い上着を着た。
今日も暑いな・・・・半袖上着にするか。
窓から外を見ると今日も青空。快晴だ。暑い日差しが照りつけている。
昨日から寝てる途中も着ていた上着だからか、いつも以上に暑さを感じた僕は
再度着た上着を脱いでハンガーで棚にかけ、青色の半袖上着を着た。
昨日は夕暮れに出かける予定だったから
普通の長袖の上着で事足りたんだったなあ。
準備を終えた僕はポケットにスマホや財布、定期券が入ったカードケースを入れ、
自分の部屋を後にし玄関へと向かった。
「ちょっと出かけてくるぞー」
リビングにいるタカシとコージに聞こえるよう、玄関で靴を履くと
響くように大きめの声でそう言い残し、僕は外へ出た。
誰もいないドアが並ぶ廊下をスローペースで歩きながら、
スマホでハインが言っていたラーメン屋の場所を調べる。
どうやら魔神麺はA-1地区にあるようだ。
正確には新秋葉原駅から西へとずっと歩いていった先の大通り。
家電量販店やらカラオケやら雑貨屋やらのビルが多く建ち並ぶ
その大通りの裏に曲がった先にあるらしい。
地図的に見ると大通り裏に行くにはまずビルに挟まれた狭い道を通る。
すると建物の影に覆われた暗め場所に出る。多くのビルや建物が
ギュウギュウに詰められたように建てられている寂れた場所に入る。
その場所のビルの一つに魔神麺という店があるようだ。
なるほど。大通り裏の店か。通りで僕も初見なわけだ。
この場所は僕も滅多には行かない。最後に行ったのは何時頃かも思い出せないほどだ。
この辺の店で食べた事はない。新秋葉原で食べるならば、
もっと他に目立つ場所があるしなぁ。
とりあえず、カルミアから駅まで行ってモノレールで新秋葉原に行くか。
僕は大学に行くためのいつもの住宅街を通って駅へと向かった。
アパートやカルミアよりも小さいマンション、コンビニや薬局などが
建ち並ぶ住宅街を僕は普段通りに歩いていく。
僕みたいなカジュアルな大学生だけでなく時々、
制服姿の中学生やら高校生やらともすれ違う。
オフの時の外出も制服を義務付けられているわけではないが、
彼らが制服を纏っている理由はまだ夏休みじゃないか別の理由があるのだろう。
ん?それにしても今日は何だかシーガルスが多いなあ。
水色の制服を着た警備員があたりを見渡して警戒し、
巡回したり大きな交差点の横断歩道前で立っている姿が頻繁に眼に映る。
住宅街だけでなく、駅前にも彼らはいつも以上に警戒して見回りや警備をしている。
人々で賑わう駅でも一際目立つ水色の制服を着た警備員が歩いていく。
この島でシーガルスを見かける事は珍しくない。
が、こんなに警戒態勢なのは恐らく昨日の事件が関係しているんだろう。
ヤクザが島にいるとあってはシーガルスとしては見過ごせないはずだ。
ここは早いとこハインの言う通り、
魔神麺に行った方が良さそうな気がしてきた・・・
誰かは知らないが、絶対昨日の事件絡みだろう。
が、何が待っているか・・・どんな話か・・・
モノレールの中で考えれば考えるほど気になり、心臓の鼓動が早まっていく。
早く気になる・・・・その気持ちに急かされるように、
僕はモノレールで新秋葉原駅へと着くと予め、
目的地をマーキングしておいた地図を頼りに魔神麺の方へと早歩きで歩いていく。
多くの人々が行き交う新秋葉原。
学生と社会人がごった返す大都会の歩道を駅から
真っ直ぐと歩くと見えてくるのが大通りだ。
特定の時間ではホコ天が行われる事もある巨大な大通りは新秋葉原の中央地点。
ここを真っ直ぐと北に行った外れには外界へと続く橋、ノースゲートブリッジが存在する。
逆に南へと行くとA-2地区に入っていく。
大きなアスファルトの上に横断歩道があり、左右にビルが建ち並び、
ホコ天になった時はとても景観の良い場所・・・・
なのだが、この島で一番人が行き交う場所と言えば間違いなくここだろう。
なんせ広々としていてファミレスとかゲーセン、
パソコンやソフト売ってる店もあるのだから。
その光景は本当に本家の秋葉原そっくりだ。
さて、魔神麺はこの大通りへと出てそのまま右折だ。
大通りから見て右側の歩道を歩き、
ディスカウントストアが見える所で更に右折。
このビルとビルに挟まれた狭い道を真っ直ぐ行き、
最初の十字路を左折。真っ直ぐ歩いていく。
すると・・・・・
スマホのGPSで表されている僕の現在地がマーキングしていたビルの正面へと近づいた。
どうやらここのビルのようだ。赤いコンクリートの6階建てのビル。
ビル入口横の正面にポッカリと開いている馬蹄型の入口は
そのまま地下へとコンクリートの階段が続いている。
その入口の真上には黒く墨で「魔神麺」と書かれた木造の看板がつけられている。
入口近くを覆う雨宿り用の屋根にぶつかる手前、正面から見上げて見える所に
そのシンボルはつけられていた。
ビンゴのようだ。ここで間違いない。
しっかし、こんな目立たない場所にラーメン屋があるなんてな・・・・
全然知らなかった。灯台下暗し、ということか。
あの大通りはよく通るのに今まで気づかなかった自分に疑問を感じてしまう。
ラーメン屋ならば、新秋葉原には他にもたくさんあるってのに・・・
なんでわざわざこの店なのか。疑問に残る所だがとにかく入るか。
僕は入口から下へと続く下り階段を降りていく。
階段はらせん状になっており、下り始めるとすぐに
左へとカーブで曲がっていきそれがずっと続いている。
壁は白く、辺りは白いコンクリートで覆われている。
左右の手すりも下まで続いている。天井には電球がつけられており、
どんどん降りて行っても明るさが続いている。
階段を降りた先には四角いステンドグラスがつけられた木のドアがあった。
その横には待つ人の行列のために丸い木の椅子が5つほど置いてあった。
だが、座っている人はいない。どうやら普通に入れそうだ。
僕はそのドアノブに触れ、ドアを開けた。
カランラン♪
ドアを開けると鈴の音が聞こえる。
「らっしゃい~!!」
中に入ると早速、ラーメンらしく
気合の入った挨拶声が聞こえてくる。
正面の木造のカウンター席にその声の主は立っていた。
が、その声の主の姿を見た瞬間、僕は度肝を抜かれた。
上半身、下半身まではラーメン屋らしく普通の板前の男。
しかし頭部をまるでニンジャのように紫色の布で覆い、
辛うじて目元だけが出ている。
上と下でインパクトがまるで違う男がそこに立っていた。
「来たわね。キョースケ。待っていたわよ」
店員のその姿に呆然としていると
店の中から朝から聞いている声が僕を呼ぶ。
店の奥のテーブルの手前に座ってこちらに
声をかけてきたのはハインだった。
こちらに向かって右手を挙げて合図している。
僕も「よう」と右手を軽く挙げようとしたがその時だった。
「待っていましたよ。境輔くん」
「えっ!?」
ハインの向かいに座っていた人物。
その人を見た瞬間、僕は目を丸くした。
その人物は言わずもがな、
ハインがバスルームで言っていた僕を呼んでいる"人"。
その人もまた、右手を軽く挙げ、
落ち着いた穏やかな声で、そして和やかな顔で僕を呼ぶ。
その人は僕もよく知っている人だった。
「アレクさん・・・・・・・!?」
そう、そこにいたのは水無月の悲劇で心が折れていた時に出会い、
元気を取り戻させてくれた、アレクさんその人だった。
一体なんでアレクさんが・・・・?
それになんでアレクさんがハインと・・・・?
意外な変化球展開を前にクエスチョンマークが
僕の中で次々とポンポン溢れ出てくるのであった。




