第17話 動き始めるもの
それは、真木田組事務所がユヒナによって
壊滅した直後のことであった・・・・・
東京新宿区にある某所。
とあるビルの中にある作り物の草原。天井の高い部屋。
防弾ガラスによって囲まれし広々とした空間。
その空間の中で一人の男が自慢のゴルフクラブを手に構え、
ボールを遠くにあるホールに向かってスイングしようとしていた。
そう、ここは室内ゴルフ場である。この部屋の主専用ゴルフ部屋とも言うべきか。
施設のように大きくはないが特設である。
全てはこの部屋の主がカントリークラブ・・・つまりゴルフ場に行けない時のため、
練習及びストレス発散のために多大な資金を投入し、自らの事務所に作らせたものだ。
ビルの室内なのでカントリークラブのコースを回るほど楽しめないが、
イメージトレーニングには最適である。
その主である男はゴルフクラブと目でホールに狙いを定めると
両手で握っているゴルフクラブに力を入れ、大きくスイングする。
作り物の草原の上にあるゴルフボールをかっ飛ばした。
ボールは放物線を書いて空を舞い、一度草原の上でバウンドする。
カラン!
そのままボールは真っ直ぐに転がりホールに落ちた。
カランとボールが落ちた音がこのガラスに囲まれた空間に小さいながらも響く。
「よし」
この部屋の主が自分のショットが成功した事に満足していると
部屋の入口であるガラスの向こうのドアをコンコンとノックする音が聞こえる。
防弾ガラスはこのゴルフ空間を形作る周囲のみで天井には張られていないので、
ノックする音は普通に聞こえるのだ。
「入れ」その男はガラスの向こうのドアに呼びかけた。
ドアを開けて一人の男が入ってくる。サングラスをかけているスーツ姿。
ジャケットのボタンをせず、ネクタイをしていない。
「失礼します。ナガセの兄貴」
男はガラスの向こうから両手を膝につけ、頭を下げた。
ナガセの兄貴と呼ばれるゴルフを嗜む白いズボンに水色アロハシャツの男。
焼けた茶色い肌に金髪染めの短く盛り上がった前髪がない左右に分けられた髪、
敵に突っ込んでいくような鋭く強い目。
彼の名前は長瀬川篤郎。
本家である岩龍会の通常幹部であり同組織三次団体、長瀬川会の会長である。
数ある岩龍会系の組織の中でノリに乗っている武闘派会長であると同時に
無類のゴルフ好きで知られ、その入れ込み具合は日本各地のカントリークラブに度々足を運ぶほど。
また、「ナガセの兄貴」と組員達から慕われている親分でもある。
「俺は今、沖縄のカントリークラブに行く準備で忙しいんじゃ。
用件は手短に済ませろ」
長瀬川は部下に顔を向けず、喋りながらホールに近づき、
底に落ちたゴルフボールを手に取っている。
それで再度、先ほどボールを打った場所まで歩いて戻ろうとする中、
その部下から思わぬ報告が飛び込んでくる。
「兄貴、ゴルフお楽しみの所恐縮ですが・・・真木田のカシラが殺られました」
「なに・・・・?それは本当なのか?」
重苦しい表情を浮かべているその部下の報告に長瀬川は
一瞬、自分の耳を疑い、再度問う。
「先ほど、例のいずみ島から報告がありました・・・
真木田のカシラは事務所に乗り込んできた敵と交戦して・・・!」
「うおい!!その話、もっと聞かせろ!!!」
長瀬川は激昂するとゴルフクラブをその場に叩きつける。
「殺ったのは誰じゃ!!!誰が真木田殺ったんじゃ!!!」
長瀬川はドアからガラスに囲まれたゴルフ場を出ると
その部下に迫り、右手で胸ぐらを掴んで持ち上げ詰め寄った。
長瀬川にとってただ事ではなかった。
「ひょっとして理事会の息がかかった奴の仕業か!?
理事会に殺されたのか!!!」
長瀬川の大きな怒号は室内に響き、
その怒号を間近で浴びた部下は恐る恐る口を開く。
「げ、現在・・・生き残ってるカシラの補佐してたモンから
電話で事情聞いてます・・・」
「牙楽の奴は何をしてたんじゃ!!やられたのか!?」
「牙楽は無事です・・・こちらに帰還すると連絡がありました。
が、真木田のカシラが死に、他の組員も大半が駆けつけてきた
現地の自警団や警察の餌食になった模様・・・・」
「このままでは例の計画続行不能です・・・前線が一気に崩れました」
長瀬川が掴んでいた部下の胸ぐらから手をスルリと離すと
部下はその場で尻餅をついた。
「・・・前線の真木田組が崩れただとォ!?非常事態だぞこれ!!!
とにかく、真木田殺った奴分かったらすぐ知らせろ!!!
牙楽以外の捕まってない残りの奴らにもその場は捨ててここに戻るよう伝えろ」
長瀬川はその場で振り向いて腕を組み、背を向けながら続ける。
「それで代わりに"ヤツ"を送り込め!!こう伝えとけ!!
明確な標的は後でこっちから伝えるから今は至急、あの島に向かえってな!!
どっち道、真木田殺った奴はすぐ分かるだろ。今のうちに潜り込ませておけ!!」
「そして明日は緊急幹部会じゃ!!早く準備せい!!今後の事を明確に話し合う!!
"ヤツ"以外のウチの組にいるソルジャー全員とシンドラー博士をここに呼べ!!」
「緊急召集じゃ!!急げ!!」
「は、はいィ!!!!失礼します!!!」
部下は矢継ぎ早に長瀬川から指示を受けるとその場から逃げるように退散した。
再び、一人になった長瀬川は悔しさのあまり近くの壁に思い切り拳をぶつけた。
「クソ・・・・・・クソっ!!!」再度、拳を強くぶつける長瀬川。
長瀬川の中には怒りと悲しみが渦巻いていた。
真木田大助。実は彼は真木田組の組長であると同時に長瀬川会の若頭でもあった。
つまり長瀬川会のナンバー2であり、長瀬川会の次期会長になれる可能性もあるポストである。
元々、親である長瀬川自身もコネでも何でもなく、暴力で岩龍会をのし上がり、
現在の地位を手に入れた武闘派極道である。
真木田は長瀬川よりも背も高く、体格も良く、素質がある喧嘩師であった。
長瀬川は彼が裏社会で暴れまわっていた頃から実力を認め、逸材と称した。
そしてスカウトした彼に若頭の地位を与え、盃を交わして兄弟となった。
自分の組も持たせ、長瀬川会には欠かせない戦力であった。
そんな兄弟分を、自らの描く野望のためにいずみ島に送り込んだのも長瀬川である。
根来興業に協力を依頼し、
いずみ島に組事務所を構えるための工作も完璧であった。
更にイギリスで名をあげ、イギリスからやってきた大物ソルジャーである牙楽を
真木田のボディーガードとしてつける事で現地の自警団やJGBへの対策も十分であった。
・・・にも関わらず、真木田は死んでしまった。
「くっそお・・・・俺の兄弟殺しやがってただじゃおかねぇぞ!!
このままじゃあの島を乗っ取れない・・・・
俺が天下取るための史上最大の野望が崩れる・・・最大の危機じゃ~!!」
真木田の死を悔やみ、喚く長瀬川。
長瀬川の史上最大の野望。その実現のためにはいずみ島を乗っ取らなければならない。
あの島はいずみ学園理事会によって統治されている場所。
土地の所有には必ず、土地の権利書というものがある。それは理事会も当然持っている。
直接持っている、または在り処を知っているのは理事長に他ならない。
長瀬川はその権利書を奪うために真木田組をいずみ島に潜入させ、
理事長である白針刻の所在を調査させていた。
名前だけで顔も性別も不明なこの謎の人物を捜し出す事が
難しいのは長瀬川も承知していた。
しかし、成功してその野望が実現すれば、その事業を展開すれば・・・
時間はかかるが間違いなく将来は億単位のカネが転がり込む。
そうすれば岩龍会での地位も押し上げられる。
長瀬川会、そして長瀬川本人も岩龍会内では武闘派として高い評価を得ている。
でかいビジネスを成功するには今しかなかった。
更に協力を要請した根来興業にも、長瀬川の野望が実現した暁には
その利益の幾分かを納めると契約もしている。
もう後には引けない。このままでは計画続行はおろか、
根来興業と交わした契約も危うい。
根来興業は岩龍会の二次団体であり、
岩龍会という組織を支える"四大勢力"の一角だ。
下手すれば大きな混乱は避けられない。
真木田の葬式は後だ。今は一刻も早く、幹部会で
今後の事を話し合わなければならない。
怒りと悲しみの中、真っ先に長瀬川が浮かんだ方法は「返し」。
やられたら返しが先である。これは古くからの極道の基本である。
真木田組は壊滅してしまった。真木田が死亡した今、戦力にはならないだろう。
が、幸いな事に今の長瀬川会には直属の組員の他、親から預けられた牙楽を
はじめとした強力なソルジャー達が配属させられている。
狙いは真木田の敵討ち、及びこの状況の巻き返し。
そのために獰猛で知られる"ヤツ"を送り込んで揺さぶりをかける。
あの島で"ヤツ"が一度暴れだせば簡単には止められないだろう。兵力も関係ない。適任だ。
こうなった以上、選択肢は「返し」以外何もない。
真木田の仇をとり、自らの手で欲しい物を掴み取る。
凄まじい怒りがあろうと今はまだ打っては出ず、慎重に行く。
迂闊に攻めれば真木田の二の舞だ。
今はまだ打って出ない。だから明日、そのための今後の詳しい方針について、
幹部会でしっかり話し合いをしたい所である・・・・
弟分、真木田の死亡により、順調に行っていたはずの
いずみ島を巻き込んだ長瀬川の描く野望が
少しずつ揺らぎ始めるのであった・・・・・
* * *
次の日。僕はカーテンの隙間から差す光により、
自分の部屋のベッドの上で自然と目を覚ました。
「う、うん・・・・・・・?」
ベッドの上で体を起こした僕は真っ先にある違和感に気づいた。
自分の格好である。そう、パジャマじゃないのだ。
昨日の格好そのままだ。
下はジーパンと靴下、上は水色のTシャツでその上に茶色い上着を着ている。
おまけにどうやら僕は何もかけないでベッドの上でぐっすりと寝ていたようだ。
今は夏なのであまり布団を体の上にかけないで寝るのだが、どうも違和感を感じた。
パジャマじゃない普段着そのままで寝ていたからだろうか。しかも上着も着たままで。
普段着で上着を着たままベッドで寝る現象なんて、ぐったりと横になって
ついうっかりうたた寝でもしてしまわない限りは起こらない現象だ。
ではなんで・・・・?と言いたい所だが、
だんだんと昨日あった事が脳裏に蘇ってきた。
そうだ・・・・僕は昨日、誘拐されたんだ。
突然やってきたドラキュラ風の男、牙楽に・・・いや、真木田組に・・・
そこに背中から鋼の翼を生やしたユヒナが助けにきてくれた。
牙楽を退け、真木田も簡単に倒してしまった。
だがユヒナは途中で精神高揚剤を打たれた事で暴走して、
真木田を食い殺し、僕にも襲ってきて殺そうとした。
あの時はもうダメかと思った。
途中から戻ってきた牙楽と暴走するユヒナが戦いを繰り広げる中、ハインが現れて、
ユヒナに麻酔か何かを打ち込んで暴走を止めた事で全ては終わった。
その後、ハインと話をした後、彼女の目が妖しく光り出して
僕は急に激しい眠気に襲われて気を失ったんだ・・・・
恐らくハインは僕に催眠でもかけたんだろう。
ったく・・・・なんだったんだよ・・・・
・・・・まるでおかしな夢のような出来事だった。
まんまドラキュラな牙楽が出てくるわ、
真木田のように大きな手斧を軽々と振り回す大男が出てくるわ、
ユヒナがあんな露出度の高い姿になって剣と鋼の翼を武器に戦うわ、
ハインも空を浮いて牙楽と対等に渡り合って意味不明な会話を繰り広げていたりと・・・
正直挙げればキリがない。
こうしてベッドの上で目が覚めてみると本当に
昨日の出来事は現実だったのだろうかと疑ってしまうな。
しかし、あれは夢じゃない。
ハインが言っていた事を踏まえるとあれも現実なのだろう。
今日は月曜日か。ユヒナとの食事の約束も無しになってしまったな。
ユヒナはたぶんハインが助けてくれたから大丈夫だと思うが・・・
ひとまず・・・・朝を食べるか。
僕はベッドから降り、自分の部屋を出てリビングに向かった。
既にタカシとコージがテーブルで朝飯を食べている途中だった。
「お、キョウ。やっと起きたか。
お前もすぐ起きるかと思ったから作っといたよ。朝飯」
「サンキュ。悪い。助かるよ」
僕は話しかけてきたコージに軽く礼を言って
テーブルに置いてある自分の朝飯に目を向けた。
トーストと卵焼き、ハムだ。味噌汁とコーヒーもついている。
早速、テーブル前に座り、両手を合わせた後、
朝飯を食べ始める僕であった。
なんだか落ち着くな・・・・昨日のアレがまるで嘘みたいだ・・・・
「そーいやキョウ・・・お前は昨日は何してたんだよ・・・・
なんか用事でもあったのか・・・・?」
「お前こそすげえ声がガラガラしてるなタカシ・・・・」
喉の通りが良くなく、露骨に声がガラガラしているタカシ。
「あれ?言わなかったか?
オレ達昨日、ずっと昼間から夜までカラオケ行ってたんだ」
そういえばそうだったな・・・・
昨日あんな事があったからすっかり忘れてた・・・・
「そっか、そうだったな。忘れてた。
コージはなんで喉ガラガラしてないんだ?」
「オレも一応はガラガラしてるよ。久しぶりにたくさん歌ったからな」
「嘘つけ~・・・お前は喉強いからそういう風に言えるんだよ・・・」
ガラガラした声で羨ましそうに突っ込むタカシ。
しかし、喉がやられていて勢いは全然ない。
こればかりはタカシに同意見だ。
コージの声は僕の耳で聞いても全然ガラガラしていない。
プレゼンも上手く、営業職の内定を取ってるコージだ。
喉が強いのもそういう職を得られたのも頷ける。
それに僕も前に一緒にカラオケに行った事があるが、
コージの歌は裏声も入ってなかなかいいんだよなぁ。
アール作曲の歌も歌い手顔負けに歌いきる事がある。
声のコントロールも無意識だろうが上手いんだろうなぁ。
「ところでキョウは昨日はなにやってたんだよ・・・・?
用事が出来たってなんなんだよ・・・
就活で忙しいのは分かるけどたまにはいいじゃんか。息抜きで」
改めて、ガラガラした声でタカシが僕に残念そうに昨日の事を訊いてくる。
「そ、外で就職試験の勉強してたんだよ。息抜きもしてられない。
夕飯食べて帰ってきて、ベッドの上で横になってボーッとしてたらうたた寝だ」
さりげなく、とっさに思いついた嘘を怪しげなく
自然に口に出してこの場を凌ごうとする僕。
「へえ~、上着も脱がないぐらい疲れて寝ちまったのか」
顎に手を当て、こちらの目をイタズラな目でじっと見るコージ。
「そ、そうなんだよ!なんかこうグッと疲れてさ~。
上着脱ぐのも嫌になって寝ちゃったんだよ」
「なるほどな。それだったら風呂やシャワーにも入ってないだろう。
今日は講義もないんだし、飯食ったらバスルームでリフレッシュしてこいよ」
まだ問い詰められるかと思ったが、
コージから返ってきたのは意外にもとても親切な言葉だった。
「ま、勉強だったらしょうがないか・・・キョウは苦労人だしな」
タカシも肩をすくめて、納得がいったようだった。
コージの反応を見て、そしてタカシの反応を見て、
思わずふ~っと息をつきそうになる所を抑えた。
よし、上手くごまかせたな・・・・
いくらオカルト好きの二人とはいえ、昨日あった事は
とてもじゃないがすんなり話せる気がしない。
あんなのが存在してたまるか・・・・・
夢じゃなく現実だというのは認めるけど、分からない事が多すぎる・・・・
それに喋った所でなんだ。信じてもらえるかどうか怪しい。
いくらオカルトを楽しんでる二人とはいえ、話すのが何だか不思議と怖かった。
話しちゃいけないような気がした。
「キョウが内定取ったらにするか・・・みんなでカラオケは」
「お、いいなそれ!!」タカシの提案にコージが喜んで賛同した。
「くっ、ははは・・・・・」僕は二人のやりとりを見て思わず苦笑した。
この前まで僕を差し置いて4人で茅ヶ崎に行ってたりしてた癖に
今更何を言ってるんだと突っ込みたい所だが・・・・
ま、内定取れてないからこその気遣いであったと受け取っておこう。
この二人とは付き合いも長い。悪気はなかっただろう。
取り残された僕は僕で・・・・ちょっとした出会いや教えられた事もあったし・・・
腹が立った事もあったけど、こりゃ許すしかないな。
「じゃあ、次カラオケ行った時はフリータイムな」
「当たり前だろう・・・キョウ!」「そうだそうだ!滅多にないからな」
僕もその会話の中に入っていった。するとタカシとコージも揃って反応する。
そんな感じで、僕らの朝飯は今日も過ぎていった・・・・
コージに勧められた通り、食後は僕は一人、バスルームへと向かった。
風呂に入るのもいいが、この時期はシャワーで十分。
洗面所で服を脱ぎ、電気をつけ、僕は中でシャワーを浴びる。
あったかいシャワーを全身に浴び、肩コリを和らげている時だった。
「キョースケ」
「へっ!?」
背後の常に曇った窓があるドアを挟んだ洗面所の方から、
聞き覚えのあるずる賢い女子の声が突然聞こえてくる。
驚いた僕は思わずシャワーを止めて振り向いた。
声の主はもう分かっている。
「お前・・・ハインか!?」
「そうよ。ついでにアンタをここまで運んだのも私。
感謝しなさいよね」
「なんでお前がいるんだよ!ここ人んちだぞ!」
「フフフ・・・・アンタに話があるからよ」
狡猾に笑い、こちらを誘惑するように声をかけてくるハイン。
「私もアンタを野放しにするわけにはいかないのよね。
だから私は・・・どこにでもアンタの前に現れる」
余裕かつ可愛げに小さく笑うハイン。
ごく普通の日常から再び、
非日常へと引き戻される瞬間であった・・・・




