第10話 大きな間違い
ええと・・・・ここか・・・
暑い日差しが照りつける中、僕はいつも持ち歩いてる黒い名刺入れに
入れっぱなしだったとある名刺を取り出した。
それを手に僕はその場所にやって来た。
以前、アレクさんと初めて会った時にもらった名刺。
そこにはアレクさんが所長を務める、理事会下の特別公認事業所の住所が書かれていた。
場所はA-2地区二丁目三番地。実際にその場所にこうして来てみると
敷地はレンガの塀に囲まれており、鉄格子で出来た正門はどうぞと言わんばかりに開かれている。
そして入口から正門の先を覗いてみると中は大きな森が広がっている。
事業所らしき建物は見当たらない。
だが綺麗に整備された森の奥に続く道がそのまま続いている。
とりあえず看板もないが、名刺に書かれた住所だと
ここしかないので森に囲まれた道を進んでいく。
この場所に入るのは初めてだ。この番地に森がある事は知っていたが、
特に用事もなかったため、これまで中を確認した事はなかった。
しっかし、あっちいー・・・森の中も外同様に暑い。
進めば進むほど、森の中で鳴くセミの鳴き声が大きくなっていく。
森の外よりも暑く感じる・・・・・
歩いて約二分。少し高い所に建物の一部が見えた。
赤い屋根だろうか。それが森から顔を出している。
それを見つけると僕は自然と小走りした。
それは森に囲まれた敷地の一段高い所に建つ、
まるで絵本に出てくるような二階建ての西洋風の一軒家だった。
屋根は赤く、煙突が屋根の後ろにある。
壁は白く、窓は四角く淵は濃い茶色のレンガに囲まれている。
とても事業所とは思えない建物だが、住所は間違っていないからここがそうなのだろう。
だが、とても変わった感じの事業所だなあ・・・・・
家も堅苦しくなく、高く生い茂る森の葉が暑い太陽の日差しを防いでくれている。
暑い事は変わりないが、日陰がない外よりはマシだ。
それにしても、ここはまるで大森林に来たように錯覚させられる。
T-5地区の森や公園よりは小さいだろうが、不思議な場所だ。
その敷地に入った僕はそれに圧倒されながらも
目の前にあった真っすぐその家に続く坂道から僕はその家に近づいた。
家は思いのほか、大きい。中はどうなっているのだろう?
すると先にその家の扉が開いた。
中から出てきたのは修道服に綺麗なおかっぱ頭をしたあの人だった。
その姿を見た途端に僕の中で安心感が溢れ出る。
「あら、境輔くん!」
こちらを見たアレクさんは嬉しそうに微笑んだ。
「どうしたんですか?遊びに来てくれたんですか?」
こちらが来てくれた事を嬉しそうにアレクさんは訊いてくる。
僕はタオルで自分の汗を拭きながら、
「はい。ちょうど時間が空いていたので来てみました。
まさか森の中にこういう事業所があるなんて思ってませんでしたよ」
「ふふっ、よく言われます」アレクさんは口元を抑えて笑う。
「でもここは大規模じゃないので大きさはこれぐらいで十分なんですよ。
それに、森の中にこんな絵本のような家がある・・・メルヘンでいいじゃないですか♪」
「ははっ、それもいいかもしれませんね。堅苦しくない事業所というのも」
「そうだ。境輔くん。来てくれたばかりで申し訳ないですが、
これからお昼のランチなんですが一緒にどうですか?」
「ランチですか?では、喜んで。お店はアレクさんにお任せしますよ」
「まぁ、そうですか?では、A-1の行きつけのお店にお連れします」
僕は素直にアレクさんについて行く事にした。
森を出てA-2地区の住宅街に出る。
そういえば、食べる場所は一応この辺りでもあるんだよなあ。
この森の周辺は6階や7階といったマンションが建ち並ぶ。
街の中心と違って、ここは静かだ。
他の学生などの通行人とすれ違う事は多いが、
それでも活気がある街の方に比べたら静かだ。
白い日傘をさし、僕の隣を歩くアレクさん。
それにしてもアレクさんはこんなに暑いのに露出が殆どない修道服を着ている。
だが、歩きながら見ていると暑がりもしない。
僕には理解出来ないが、やっぱりこういうクールビズもなさそうな
聖職者関係の人は長袖の格好に慣れているんだろう。
あれ?そういえばアレクさんは特別公認事業所の所長。
だが、シスターだとは一言も言っていない。
それに事業所も見た感じ、教会ではなかった。
何かの間違いだと思うが・・・・訊いてみるか。
「そういえば、アレクさん」
「なんですか?境輔くん」
「アレクさんは特別公認事業所の所長以外にも
聖職者の仕事もしてるんですよね?その服装からしてシスターでしょう?」
その時、予想とは正反対の答えがさり気なく返ってくる。
「いーえ。実は私はシスターというわけではないんですよ」
「じゃあ、その修道服はなんなんですか?」
「そーですね・・・これはコスプレというわけでもなく、
仕事着"兼"私服みたいなものなんです」
アレクさんは歩きながら少し考えこんだ後、そう説明して微笑む。
「要するにずっと制服姿でいると慣れてしまって、
休日とかも自然と制服姿になってしまう学生のような考え方・・・でいいんですかね?」
「まぁ、そういう事になります。寝る時以外はこの服でいる事が多いので。
すいませんね、ややこしくて」
「いや、いいんですよ。気になったので聞いてみただけです」
そういえば、僕も小学校から中学に上がってから普段着が
ワイシャツ寄りになる事が多かったなあ。
それも学校と同じの・・・・ま、服なんてファッションとかルールとか
人や場所それぞれだし、これ以上は詮索はしないでおこう。
歩いて5分。近くにマンションや大きな100円ショップ、
コンビニが建つ街の中にそれはあった。
「あそこです。境輔くん。あのサンドイッチのお店でお昼にしましょう」
アレクさんが指さしたその先。
正面の二階の窓の上には赤文字で英語の筆記体で書かれた店の看板がある。
あの店は確か、注文した通りにサンドイッチをトッピングしてくれる店だ。
サンドイッチに使う長いパンの種類も選べるし、量も調節してもらう事が出来る。
昼には最適な場所だろう。
サンドイッチとサイドメニューを頼めば、胃袋も十分満腹になる。
この店に入るのも久しぶりだなあ。
最後に入ったのはいつ頃か思い出せないくらいだ。
店に入るとちょうどカウンターに列が左側から出来ていた。
中はちょうど昼を食べに来た普段着姿の中高大、色んな学年の学生で
賑わっていて、活気に満ちていた。
僕達も早速その列に並ぶが前から僕、アレクさんの順番になった。
「アレクさん、僕が先に席とっておきますから」
「分かりました。一階と二階、どちらでもいいですよ」
店内は白い壁に木で出来たテーブル、赤色のソファー。とても明るい雰囲気だ。
カウンター席みたいな席よりも二人で座れるテーブル席をここは選ぶべきだろう。
既にたくさんの客がいて、座れる席は限られている。
列もどんどん進み、カウンターの前に行くと店員からトッピングについて聞かれたので、
僕は目の前のショーケースに入ったサンドイッチの具を見て食べたい物を選んでトッピングしてもらった。
僕はパンは普通の噛み心地の良いパンを選び、ツナとレタス、トマトを具に大きさは大に、
マヨネーズを上からたっぷりかけてもらい、サイドメニューとしてコーラとポテトを注文し、金を払う。
トマトは実はガキの頃はすっぱくて嫌いだった。
でも小学校の給食でミニトマトが高確率で出てきて、残せないから仕方なく食べてるうちに
それが当たり前になって慣れちまったんだよなぁ・・・・・
頼んだ物を四角いトレイに乗せてもらい、支払った金のお釣りを受け取ると
僕は一階で空いている席がないか探した。
だが、どの席もいっぱいな上、カウンター席しかなかった。
「アレクさん、二階行ってますからね」
「はーい」
一声、二階に行く旨を知らせるとアレクさんは
具やトッピングを選びながら伸ばして返事をした。
二階に行くと比較的席に余裕があった。
なので見つけた一番手前のテーブル席にトレイを置いた。
「お待たせー、境輔くん」
するとしばらくしないうちにアレクさんが自分のメニューを乗せたトレイを手に現れ、
四角いテーブルを挟んで僕の向かい側の席に座った。
「いただきます」
互いにそう言って手を合わせ、互いにそれぞれのサンドイッチを食べ始める。
「アレクさんは具やトッピングは何にしたんですか?」
僕は一口飲み込んでからアレクさんに訊いた。
「レタスとハムにタマゴ、野菜ドレッシングトッピングです」
アレクさんも一口飲み込んでからそう答えた。そしてまたサンドイッチにかぶりつく。
見た所、パンも硬い物ではなく、僕と同じく噛み心地がある柔らかいものだ。
僕もしばらくサンドイッチやポテトを食べたり、コーラの入ったストローを口に運んでいく。
「そういえば境輔くん。聞きにくい事ですが、あれから就活は順調ですか?」
しばらく何も話さず互いに食事をしているとアレクさんが控えめに口を開く。
「それがあれから3社受けたんですが、落ちてしまいました・・・・
なので、大学の就職講座とかもう一度受講してみたり、
さっきはちょっと卒論の事を考えてみたり・・・自分探しの途中です」
僕は今起こってる事を素直に話した。
「そうですか・・・・」アレクさんは心配な様子でこちらを見る。
「でもアレクさんがあの時言っていたように、
僕も黄金の宝島にたどり着けるように頑張りますよ」
諦めてはいけない。黄金の宝島にたどり着けるまで。
「ところで、境輔くんはどのような業界に進もうと考えているんですか?」
そういえばアレクさんにはまだ話してなかったなぁ・・・・
進みたい業界?そんな物はとっくに決まっている。
「僕は出版業界に就職したいんですよ。僕、本や雑誌を読むのが好きなんです。
だから、本や雑誌の刊行をして、みんなに読んでもらえるような面白い物を
作りたいなと考えているんです」
僕は出版業界に就職したい。大学の文学部に入ってから少しずつその業界に興味が湧いた。
自分の興味がある業界で仕事をしたいと思うのは誰でも当然だろう。
だから僕は大学で勉強した事も活かせるし、興味があるこの業界に就職したいと考えている。
「では、境輔くんが作りたい本や雑誌って・・・・具体的にどういう物ですか?」
「えっ・・・・・・?」突如、心臓の速度が早くなった。なぜだろう。分からない。
「えっと・・・・・それはもうとにかく面白い本や雑誌を刊行出来て、
みんなを楽しませるようなそんな本や雑誌です」
あれ~・・・・・・?
「・・・・・・なるほど。境輔くん。一ついいですか?」
しばらく10秒ほど沈黙が続くとアレクさんは納得したように続ける。
急にキリっとした顔になるアレクさん。
「今日は私に会いに来てくれて本当に嬉しいです。
だから境輔くん。私から一つ、アドバイス。よろしいですか?」
「は、はい・・・・・」
なぜだ・・・?この気持ちは・・・・この焦りは・・・?
「境輔くん。今のあなたは結論から言うと海の上で"遭難"している人、そのものです。
順調に航海を続けてると思っていて、実は遭難している事に気がついていない
船乗りになってしまっています」
「えっ・・・・・・・!」
その時僕の中で、抱いている物が一瞬にして砕け散るような衝撃が走った。
アレクさんの優しくも厳しいアドバイス。それが強く突き刺さった。
「私は出版業界に特別詳しいというわけではありませんがこれだけは分かります。
今の境輔くんの掲げてる理想はとても薄すぎるんです」
な、ナニいいいいいいいいい!?
僕の中で衝撃と叫びがこだまする。
「みんなを楽しませるような本や雑誌を刊行したい・・・これは素晴らしい理想だと思います。
しかし中身が、どのような物を出したいのかが盛り込まれていないんです」
「楽しませるような本や雑誌は分かります。しかしどのような物か、
具体的な中身がないように感じました・・・抽象的なんです。境輔くんの言っている事は」
「そ、そんな・・・・・」
ぐっ・・・・・抽象的・・・・・!
なんだ?答えが出ない。言葉が出ない。しっかりしろよ。
おい・・・・どうしちまったんだ・・・・・?
「境輔くん。たぶん今のあなたは業界に対する憧れに無意識に酔いしれるあまり、
本当の自分を出せないでいるんです」
「本当の自分・・・・?」
「そうです。自信過剰・・・と言うべきでしょうか。
業界に憧れを抱き、それを日々の勉強や就活の活力にしてきたのだと思いますが、
境輔くんの中身が薄すぎるんです」
「要するに・・・僕に魅力がない・・・・という事ですか?」
「いやいや!魅力がないというわけではありません。境輔くんにも良い所はあります。
ただ、他の方のアピールと比べた場合のみ、境輔くんは劣ってるんです」
「じゃあ、どんな風に劣ってるんですか?僕は真面目にやってます。
それに出版業界ならば自分で合う場所ならばどこでもいいんです」
だいたい、求人でも自分に合う場所を探すのは当たり前だ。
僕は自分に合うと思う場所ならば、どこでもいいんだ。出版業界なら・・・
ん?ちょっと待てよ・・・・・
どこでもいい・・・・出版業界ならば、自分の合う場所ならば・・・・
どこでも・・・いい・・・・?
はっ・・・・・!
そうだ・・・・・僕はどこだって・・・・・・
ここにきて、自分が自然に口に出した事が
そのまま答えを言っている事に半分気づく。
「ま、まさか・・・・・」
「そのまさかです。境輔くん。出版業界ならばどこでもいい。
その姿勢が境輔くんを順調に見えて実は遭難してる船乗りしてる原因そのものなんですよ」
アレクさんの落ち着いた、優しい安らぎに満ちたその言葉が僕の意表を強く突いた。
「つまり・・・・出版業界とはいえ、自分の本当にやりたい事が・・・
定まっていない・・・・という事ですか?」
「そうですね。私が先ほど感じたものはそれです。だから・・・・抽象的なんです」
「では、境輔くんはこれまでたくさん会社を受けてきて、
それらを受けようと決めた時、どういう考えで受けてきましたか?」
「さぁ、今ならばそれが自ずと出るはずです。
自分のしてきた事を振り返って、ハッキリ言ってどうでしたか?」
答えを促すアレクさんの優しい声。
振り返ってみれば・・・・そうだったな・・・・
求人を選んではエントリーしまくってきた自分の姿が脳裏に浮かぶ。
具体的にハッキリとさせないまま、脳内では自分のやりたい事がもう分かったつもりのままで・・・
「そうですね・・・僕は出版業界関係で自分がやっていけると思う所をひたすら受けていました。
半分以上はそれです。が、他はその手の業界に近い会社の求人を受けていました」
「しかし・・・・今思えば、どれも一貫性が・・・なかったと思います」
「なぜ、そう思いますか?」
「僕はただ業界に憧れていただけで、その中で実際の所、
何をやりたいのか・・・何をしたいのか・・・ハッキリしていなかったんだと思います」
「たくさん溢れた求人の中で自分が合うと思う場所を出版業界に絞り、受け続けていました。
しかし、出版業界という大海原で僕は目的も持たずにただその業界に入りたい
としか思っていなかったんだと思います」
アレクさんに言われて、僕は本当に遅すぎるのかもしれないが、
ここで大きな間違いに気づいた。
振り返ってみれば、自分の目的という物がこれまで定まっていなかったかもしれない。
ただ、出版業界か、それに関係する所に就職出来れば、
どこでもいいといういい加減な気持ちでやっていた。
自分のやりたい事を・・・分かっているようで、分かっていなかった。
最終面接まで行った会社も、たまたま運が良くてあそこまで行けたのか、
それとも本当に好評価で行けたのかは分からない。
だが一つ言える事はあの時僕が最終面接まで行って落ちたのは、
何かしらの足りない物があったからだろう。
でなければ、最終面接まで進ませないだろう。
それは恐らく、一貫性がなく、何がやりたいのかハッキリしてなかったからかもしれない。
そんな中途半端な人間に職を任せるくらいならば、ハッキリしてる人間に職を任せるだろう。
自信過剰。これまでつけてきた力に物を言わせて、具体的な標準を定めずに
「この業界でやってけますよ!!」としか言ってなかった僕には相応しい言葉だ。
振り返ってみれば、次から次へと・・・自信過剰、そして目的が
定まっていないゆえの失敗の数々が蘇ってくる。
「・・・・とりあえず、昼食べます」
色々と複雑な気持ちだがアレクさんにそう言って、
僕は脳裏に蘇ってくるそれらに負けないように自分のサンドイッチに手をつけた。
僕もアレクさんも、食べ終わるまで交わす言葉はなかった。
食べ終わって店から出て歩き出すと、アレクさんはすぐ横から話しかけてくる。
「あの、境輔くん・・・これからどうするつもりですか?」
アレクさんが控えめな様子で訊いてきた。
さっきから向こうも話しかけづらかったようだ。
ちょっと重苦しい気持ちにさせてしまっただろうか。まずは謝ろう。
「すいません。アレクさん。せっかくの食事なのに盛り上がれなくて」
「いえいえ。大丈夫ですよ。私も、あれから境輔くんの就活が
どうなってるか気になっていましたから・・・こちらこそ、
ちょっといきなり説教みたいな事を言ってごめんなさい」
「とりあえず、僕はちょっと自分のやりたい事を・・・探してみたいと思います。
本当に自分が何をやりたいか・・・もう一度見つめ直してみたいと思います」
「そうですか・・・本当にやりたい事を見つける事は大変かもしれませんが・・・・」
「頑張って下さい、境輔くん。自分を見つめたり、自己分析する事は就活で
散々やってきたと思いますが、大きな間違いに気づいた今ならば、
違った見方や発見があると思いますよ」
「だといいんですけどね~・・・・あっはっは」
僕は右手を頭の後ろにやって苦笑する。
なんだろう・・・・こうして大きな間違いに気づいた今だと身体が軽く感じる。
まるで、下ろせない重い荷物を下ろせたような・・・・そんな感じがした。
アレクさんは本当に、洞察力が凄い。
人の悩みを聞いて、的確に厳しくも優しく助言をしてくれる。
僕と違って、しっかりした人だ・・・・・




