第4話 水無月の終着点
それは、2034年6月中旬の事であった。夕方近く。
時刻は間もなく17時になろうとしていた。
外は灰色の雲で覆われ、今にも荒れそうな天気だった。
ガタンガタンと音を立てて揺れる電車の中。
珍しく僕がいる車輌はガラガラと空いていて、
数人しか他に乗車客はいない。
座席の殆どが空いていて、ガタンガタンと揺れる音以外しない。
とても静かだ・・・僕の向かいと僕の後ろの窓の景色は
ガタンガタンという音とともに流れていく。
そんな中、僕は自分が存在しているこの世界が夢なのか現実なのか・・・・
目の前のモノに呆然とし、分からなくなった・・・・
僕が電車の席に座って見ているのは自分のスマホの画面。
今日も会社面接で渋谷に行っていて、いずみ島への帰りの電車の中で
いつも使ってる就職サイトをスマホでチェックしていたら、
メールボックスに新しいメールが来たとの通知が来た。
僕はその中身を見て、一瞬、僕は夢でも見ているのかと思った。
件名を見て、何かの冗談だろと思った。
だが、これは夢でも、冗談でも何でもなかった。
メールの内容はこうだった。
*
件名:選考結果のお知らせ
森岡 様
新卒採用担当の佐藤です。
さて、先日は当社の最終面接にお越しいただきありがとうございました。
慎重に検討しました結果、誠に残念ではございますが、
森岡様のご期待に添えないとの結論となりましたので、
何卒ご了承下さいますようお願い申し上げます。
これまで何度もご足労頂きましてありがとうございました。
この度は数ある企業の中から、
当社へ志望いただきありがとうございました。
末筆ではございますが、
森岡様の今後のご健闘、ご活躍を心よりお祈り申し上げます。
*
・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
嘘だろ・・・・・・おい・・・・・
最終面接不採用って・・・・・そんなぁ・・・・・・
そんな・・・・・バカなぁ・・・・・
目の前の視界がだんだんとぼやけてくる。
僕は俯いた。自然に溢れる涙が僕の視界を飲み込んでいく。
下を向くと目から溢れる雫がこぼれ落ち、僕のスマホの画面にポタポタと落ちる。
大量の涙とともに溢れる悲しみがズッシリと僕に重くのしかかる。
ハンカチを取り出し、僕はそれに顔と目を埋めた。
くそっ・・・・・・くそぉぉぉっ・・・・・!
もう、涙が止まらない。僕はその場で嗚咽した。
ここまでやってきた3週間は一体なんだったんだ?
適性検査、一次面接、二次面接・・・・一つ一つの難関を越えるために
この3週間、問題集を買って、必死に間違いなく出るだろう問題のテスト勉強をし、
面接も大学で横村先生に面接の練習をしてもらった。
結果、そのままそっくり出たわけではないが勉強していたお陰で適性検査を突破。
面接も一次、二次と必死にアピールして、その壁を越えていくごとに僕は心が躍った。
それでやっとたどり着いたのが最終面接だった。
最終面接もしっかりと相手の質問に答え、その相手にも関心を持たれる反応をされ、
「これは手応えがあった」と睨んでいたが・・・・
メールを見た瞬間、その3週間の努力の全てが今まさに崩れ落ちた。「無」と化した瞬間だった。
「間もなく、新秋葉原駅~、新秋葉原駅でございまーす」
電車のアナウンスが虚しく聞こえた。僕には全てがどうでも良かった。
くそぉっ・・・・・なんなんだよぉ・・・・・
電車が駅に到着し、ドアが開いた途端、僕は席を立ち、
そのまま涙を流しながら外に走った。
・・・・・・あっ!!
ズデン!!!
僕は走るあまり駅のホームの何もない場所で足を躓き、うつ伏せで転んでしまった。
くっ・・・・右膝を擦りむいたか・・・・酷い仕打ちだ・・・・・
どうして僕だけが・・・・・・
通行人からも驚きや哀れみな目で見られている。
くそぉっ・・・・・くそぉぉぉっ・・・・・・!
僕は悔しさのあまり立ち上がり、泣きながらも拠り所を求めるように
急いで新秋葉原駅のバス停からバスに乗り、5分ほど悔しさに耐えながらバスに揺られ、
T-2(ティーツー)地区のバス停で降りた。
そしてそのまま、住んでるマンションの部屋に落ち込みながらも帰宅した。
帰宅してすぐ、自室で着ているスーツを脱ぎ、部屋着のまま目の前にあるベッドの上で
ずっとぐったりと無気力に横たわり、しばらく動く気すら無くした。
明かりはつけず、ただ部屋の暗闇に飲まれたまま時間は過ぎて行った。
日が沈み、その日の夜の事だった。
「おーい、キョウ。飯が出来たぞー」
「僕の分だけ残しといて先に食べててくれー・・・・・・」
その声で眠りかけていた僕は目を覚ました。
コージの声に対して、ベッドの上でうつ伏せになって布団に
顔を埋めながら僕は右手を挙げてそう伝えた。
「お、おう・・・・・」
コージは心配そうに返事をするとそのままガチャン!と部屋の扉を閉めた。
明かりもONにしていない部屋は再び闇に包まれた。
食欲がちっとも沸かない。食べる気がしない。
立ち上がれる気がしない。動ける気がしない。
この先進める気がしない。歩き続けられる気がしない。
まるで、ここまで必死になって建てた大きな城が
一瞬にして崩れ落ちたような・・・・そんな喪失感が僕を蝕み続けていた。
僕が帰宅した後、帰ってきたタカシとコージには最終面接については
訊かれたので、事実をありのままに伝えた。布団に顔を埋めながら。
僕はそれを伝えた後、二人を追い出して一人、部屋にこもった。
今は・・・誰とも話したくない。
アイツらは勝ち組だ。勝ち組の顔なんか見たくない。
僕が最終面接受ける手前にアイツらは内定を取った。
だから僕もアイツらに続こうと最終面接受けたらこの有様・・・・
あまつさえ、駅で転んだせいで右膝に擦り傷が出来てしまった・・・・
もう・・・・・なんなんだよ・・・・・・
最終面接受ける前日の夕飯の時の事だ。
僕はタカシとコージ二人の前で「頑張るよ」と意気込んでいた。
まさに天下統一に王手をかけた大名のような気分だった。
が、そこから一気に突き落とされるとは一体誰が予想しただろうか。
適性検査、一次面接、二次面接、最終面接・・・・
同じ電車に乗り、同じ道を通り、同じオフィスの通路を歩き・・・・
4回目に会社のオフィスを訪れ、行われた最終面接の際は
もう大丈夫だろうと期待もあった。
だが、まさか自分でもこうなるとは思ってもいなかった。
直前はこうなるケースも一瞬、考えてはいたがそれも本当に一瞬だ。
最悪のケースからは殆ど目を背けていた。
最終面接が終わった直後は全部やりきった気持ちだった。
受かっただろうという気持ちが選考結果を待つ間、強まるばかりだった。
この結果が分かるまで、僕はドキドキとワクワクの気持ちで満たされていた。
だが、そのドキドキとワクワクは一瞬で絶望へと変貌した。
昨日、思ってた通りのプランならば今頃は大歓喜に見舞われていたはずだ。
なのにどうしてこんなことに・・・・・
食事が喉を通らない。
今日はこのまま寝てしまおう・・・・シチューの匂いがした。
シチューなら明日の朝、大学行く手前にでも食べれるだろう・・・・・
僕の意識はそのまま闇の底へと沈んでいった・・・・・
*
次の日。目が覚めた時には眩しい朝日がカーテンの隙間を通り抜け、部屋を照らしていた。
朝は食欲があったので鍋にあった昨日のシチューのあまりを頂き、それを朝食とした。
だが・・・・最終面接に落ちたショックは一晩で直るわけがなく、
大学の講義も課題も・・・やろうとするとそのショックが重りのように足を引っ張った。
講義の時はなかなか集中出来ない。
自分はこのままドン底に落ちていく事ばかり考えてしまう。
課題も・・・・ペンが進まない。
体力もいつもより多く消費を感じた。なぜかいつもより疲れて身体が重い。
そして言わずもがな・・・・・
就活において、全ての始まりとも言える求人を見る気力も湧いてこない。
就職サイトに目を通すが、どの求人を見てもモチベーションが上がらず、受ける気がしない。
新しい求人はたくさんある。
が、その中から次の会社を見つける気にはなれなかった・・・
また・・・・どうせ受けて、選考を進んでも積み木のように崩れてしまう。
どこで終わるかは分からない就活。僕はえらく疲れてしまっていた。
そんな生活が続いた4日後の昼間の事だった。
「おいおい、どうしたんだよ。キョウ。最近、元気ないぞ?マジで大丈夫か?」
タカシ、コージと大学の学食で昼飯を食べていた時だった。
タカシが無気力状態と化してテーブルでぐったりとする僕を見て憂慮する。
「まだあの会社の最終面接落ちた事引きずってるのか。
まあ、そうだろうな・・・・ここまでの努力が全部、丸ごと水の泡と化したんだから」
コージは僕の気持ちを分析、察してくれていた。
全くその通りだ・・・・・
最終面接まで行った会社がそれまでなかったのもこの鬱な気持ちに拍車をかけていた。
「でも、それなら最終面接まで行ったノウハウを駆使してまた別の会社受ければいいじゃん」
その時、タカシの何気ないであろうこの軽い一言は
負の感情に満ちていた僕の感情を一気に爆発させた。
ドン!!!!テーブルに置かれている食器は揺れで音を立てる。
「軽々しく言うな!!!勝ち組が上から軽々と!!!
それが出来ないから苦しんでるんだよ!!!!!!!!!」
僕はテーブルを両手でドン!!!と叩いた後、軽口を叩いたタカシに向かって怒鳴った。
周りのテーブルで食事をとっていた他の連中が一斉にこちらに注目する。
タカシやコージも僕の怒号に目を丸くして固まった様子でこちらを見ている。
「・・・・・・ちょっと風にでもあたってくる」
僕は周りからも注目の的となる中、僕はそう冷たく言い捨ててその場を後にした。
食べ終わった学食の皿を手に。
「お、おいキョウ!!悪かったって!!」
「うるさい!!!一人ポツンと取り残されている奴の気持ちも少しは分かれ!!!」
後を追って謝ってきたタカシに対し、僕は振り向いて説教を浴びせた。
僕はその場を立ち去った。もう、僕に余計な言い訳をしてくる奴はいなかった。
苛立ち、周りが見えなくなった僕は大学の中庭を歩き、
いつの間にかぐったりとベンチに身体を預けていた。
6月にしてはジメジメしない気候だ。安定している。
昼下がりの青空から照りつける日光も中庭の花壇や木々、
草原を明るく照らしてくれている。
今の僕の気持ちとは正反対な光景だ。ったく・・・・・
すれ違っていく人を尻目に僕は自問自答する。
なんで・・・・・なんでこうなった・・・・・?
僕に何が足りなかった?
分からない・・・・分からないから僕は苦悩している。
だからやり直せない・・・・筆記試験は勉強の甲斐もあって突破した。
そして練習もしてもらってしっかり受け答えもした面接・・・・
僕はそこで・・・・どのような失敗をしたと言うんだ?
採用担当者は不採用理由を教えてくれない。残酷な話だ。
いらない人間は切り捨てて必要な人間だけ持っていく。
・・・・・どうして、僕は失敗をしたんだ?
・・・・・・・・どうして僕は認められなかったのだろう?
その後もしばらく僕はずっとベンチで無気力のまま、
自分の間違いが何なのかに迷いながらも、ぐったりしていた。
他の学生の連中や学校職員が僕の前を行き来する。
忙しそうにしながら、あるいは誰かと談笑しながら。
ぼんやりと見ていると、まるで僕だけが本当に
ドン底に取り残されているようにも感じた。
はぁ・・・・・この先、僕はどうなってしまうんだろう・・・・・
やり直そうにもやり直せる気がしない・・・・・
「あの」
その時だった。横から聞こえる凛とした落ち着いた声が聞こえ、
僕の意識はハッキリと戻った。僕は声がした方向を向いた。
「どうしたのですか?ベンチに座って、身体をぐったりさせて・・・・
どこか気分が悪いのですか?」
そう僕に優しく問いかけてきたのは黒い修道服を着た綺麗なおかっぱ頭の女の人だった。
ピンク色のメガネをしている。首から青い小さな宝石のペンダントをたらしている。
落ち着いてはいるが、見た目の雰囲気から年上ではなく
僕と同年代、あるいは少し年下のような印象を感じた。
見た所、修道服で通っているあたり、訳ありのようだが宗教関係か・・・・?
だが、同年代、少し年下どちらにせよ彼女とはこれが初対面だ。敬語で話そう。
「いや、違います・・・ちょっと不幸があって・・・・
なんで失敗したのか、自問自答してるだけです」
「そうですか・・・私からはちょっとどころじゃなく、すっごい深刻に
悩んでるようにも見えましたけどね。ずっと座ってますし」
「見てたんですか?」
「いえ。今日はお天気も良いので昼食は作ってきたサンドイッチでもここで食べようかと。
そこにたまたまあなたがいただけです」
そう言いながら、ベンチに座る僕の横に腰を下ろす女の人。
やばい。同じベンチに男女が揃って座るシチュエーションだ・・・・
無性に恥ずかしくなってきた。
「悩みでしたら・・・・私で良ければ聞きますよ?
思い切り言っちゃって、発散した方が気が楽ですよ?」
女の人は優しく、可愛く僕に内を話すよう勧め、自分の膝の上に弁当箱を置いた。
この人には嘘がつけないような気がした。が、悪い人ではない気がした。
むしろ・・・・安心感を自然と感じた。
「そ、そうですね。実は僕、この大学の4年生で今就職活動してます」
「が、20社以上受けても全然就職活動で内定がもらえません。
この前も、やっと最終面接に行ったのに落ちてしまったんですよ・・・」
僕は正直に、素直に、かつ簡略的に事情をその女の人に説明した。
すると返ってきた反応は意外なものだった。
「ふむふむ・・・そうですか・・・
就職活動されてるんですね。偉いじゃないですか!素晴らしいです!」
女の人は何度か頷いた後、僕の行いを感心するような目で見てきた。
「いやいや、偉くなんかないですよ。当然の事です。最終面接落ちて大変なんですよ?
友達は揃って内定取ってるのに僕だけがもう少しで内定だった所を
不採用という烙印を押されたんです。今、僕は必死なんですよ」
僕は強気でその人に現状を訴えた。
この人も僕をからかうつもりなのか・・・・?一瞬不信感が芽生えた。
「いえ、私が褒めているのはあなたの姿勢です」
「・・・・・・?姿勢?」
なんの事だ?当然の事じゃないのか?
「世の中にはあなたのように最終面接に行って落ちてしまって、
それでもう就職活動をきっぱりと投げ出してしまう人間も結構いるものです。
そういう人間は時として就職活動はおろか、自分の人生とも向き合わず絶望し、
自ら命を絶つ行動に走ってしまいます」
「が、あなたは違います。自殺しようと思わず、
悩んでるって事はまだ現状に未練があるという事。違いますか?」
「未練・・・・・?」
「そうです。確かに苦労して積み上げた山を崩されては喪失感は尋常じゃありません。
が、そうなってもなお、鬱な気持ちになってもこうして学校に来てるという事は
それに押し潰されずこの現状に納得が行かないから。ではないですか?」
僕に優しく語りかける女の人の言葉の数々。
その言葉の節々は今の僕の現状を違った見方で捉えたものであった。
が・・・・しかし・・・・
「学校行くのと就活するのは違いますよ。学校行かなきゃ前にも進めないじゃないですか。
僕は就活に対しては現状、やる気ゼロと言い切れるぐらいです。
最終面接落ちて・・・・本当に今、僕は無気力なんですよ」
「果たして本当にそうでしょうかね・・・・?」
女の人はマイペースに膝の上にある弁当箱を開けて、
「いただきます」手を合わせて三つの四角いサンドイッチのうち一つを口へ運んだ。
タマゴとサラダのサンドイッチだった。
サンドイッチを食べながら優しく話を続ける女の人。
「それを言うならば、今のあなたは進むべき航路を
見失っているから"ゼロ"と言うのではないですか?」
「進むべき航路・・・・?」要するに道か。
「人生というものは広い海を行く船旅のようなものです。
大抵の人はこの世に生を受けて、幼稚園あるいは保育園、そして
小中高と進んでいって最終的に自分たちの行きたい航路を進んでいきます」
「しかしです。義務教育は中学生で終わり、大半が高校へ行く中、就職する方もいます。
高校に進学しても卒業後はそこから更に進路が分かれるんです。
大学に行く以外にも就職したり、専門学校に進学したり・・・・大きく枝分かれしていきます」
「・・・・それって、綺麗に語ってるようですが、実際の所は進路を自分で
決めたくても不本意に決まってしまうのもまた、"航路"ってことになりますよね?」
僕は話の間にひねくれた口調で口を挟んだ。世の中にはどうしようもない事もある。
親の学費のせいで大学に行けなかったり、
家庭の事情で学費を得るためにバイトせざるを得なかったり・・・・
そういうどうしようもない出来事で決まる進路はまるで船に襲い来る荒波だ。
荒波に飲まれ、どこか知らぬ島に行き着いてしまう船そのものだ。
「はい、そうですよ。海というものは常に穏やかではなく、時に荒れます」
「が、どんな荒波にも負けないで航海を続けていく事で最良な人生、
つまり黄金の宝島に繋がるのならば、それまでの過程が
どれだけ長くても短くても・・・時間関係なく価値溢れるものになりませんか?」
その宝島に行き着くまでの過程。
すなわちその島への航路は長さとか関係なく、通ってきた道は全て無駄ではない。
と言いたいのか・・・?そして、僕は今、その宝島への航路を見失っていると・・・・
僕はしばらく、その場で返す言葉が見つからずボーッとしていた。
宝島と言われてもなぁ・・・・宝の地図もあるわけじゃあるまいし。
そもそも人生という船旅は完璧な宝地図もあるわけがない。
最終面接落ちた今現在、あったはずの地図を落としてしまったのかもしれないな・・・・
いや、方位磁石をうっかり落としてしまったと言う方が正しいかもしれない。
僕が出版業界に就職したいというのは変わらないのだから。
しばらくするとサンドイッチを食べ終えた女の人は立ち上がり、
「それでは、私はもう行きますね。あ、お近づきの印にこれをあなたにあげます」
女の人はそう言って、茶色い名刺入れに乗せて名刺をこちらに渡してきた。
僕は自分の黒い名刺入れを胸ポケットから出して丁寧にそれを受け取った。
「あら、名刺交換ちゃんと出来るんですね!」女の人はとても感心した。
「いや、就活前に学校で練習させられただけですよ」
だが、その名刺には住所とともに、こう書かれていた。
『いずみ学園理事会 特別公認事業所 所長 アレクシオネリア・アヴリーヌ』。
「って・・・・・理事会の人間だったんですか!??」
なんという事だ・・・・てっきり大学生かそれぐらいかと思ってたら・・・・
しかも所長だと・・・・人は見かけだけじゃ分からないな・・・・
「あらあら?なんだと思ってました?」
ビックリして思わず立ち上がった僕を見て、
右手を口の前に持ってきてくすくすと微笑むアレクシオネリアさん。
「・・・てっきり大学生ぐらいかと思ってました」
僕は少し顔を逸らしながらも正直な感想を話した。
「そうですか。嬉しいです。大学生だなんて・・・・
そういえばあなたのお名前をまだ聞いていませんでしたね」
頬を赤くしながらどこか嬉しい様子を浮かべるアレクシオネリアさん。
「僕は森岡境輔といいます。境の字にくるまへんがある輔の字で境輔といいます。
どんな壁も飛び越えていけるような強い人間になって欲しいという願いから境輔とつけられました」
正直、この名前の由来通りに就活も飛び越えていけたらとどんなに思ったか・・・
名前の由来も最近、面接で自己紹介終わった後に聞かれる機会が2回あった。
だからごく自然に口から出てしまった。するとアレクシオネリアさんは微笑んで、
「そういう由来なんですか。良い名前ですね。
私なんか名前で笑われる事があるので少し羨ましいです。
あっ、私の事は「アレク」と呼んで下さい。長いので・・・」
アレクシオネリアさん・・・・縮めてアレクさんか。
「分かりました。アレクさん」
良い呼び名だ。僕も遠慮なく呼ばせてもらう事にしよう。
因みに僕の呼び名は今でこそキョウという呼び名が定着しているが、
中学とか高校の時は「モリキョー」と、芸能人みたいな呼び名をつけられた事もある。
「それでは私はこれで。就職活動、大変かもしれませんが、
良かったら名刺に記載してある住所にいつでも遊びに来てくれていいですからね。境輔くん」
アレクさんは最後に僕の名前を言って微笑んだ。
「はい。ありがとうございました」
僕はアレクさんにお礼を言い、その場で互いに別れた。
アレクさんの言っている事はこの後ゆっくり考えてみたら、確かに一理あるのかもしれないと思った。
大学の講義に耳を傾けながら、アレクさんの言っていた言葉を思い出して考えてみた。
そもそも人生という熟語は文字通り「人」に「生」という字を書いて成立する。
人がこの世に生きていく事・・・・今、この瞬間も人生に他ならない。
勉強して、飯食って、遊んで、家事して、就活して、寝て・・・全て人生だ。
その中で暮らしは時の中で大きく変化していく。
赤ちゃん、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、社会人、老後・・・そして最後に待つのは死だ。
揺りかごから墓場までを全てひとまとめにしたもの・・・これこそが人生だ。
だからこの辛く苦しいこの状況も、
長い人生の中の一つの転換期を迎えているにすぎないのかもしれない。
アレクさんがどんな荒波にも負けないで航海を続けていく事が最良な人生に繋がると
言っていたのも「これで終わりじゃない」という遠回しのメッセージのようにも感じてきた。
タカシやコージも内定が先に決まったが、
かといってこの先の人生を二人は順調にやってけるかは分からない。
未来というものは先が見えないもの。
タカシとコージが先に内定をとった事には正直な話、
自分だけが取り残された状況で焦りを感じ、羨ましい。
しかし、僕の航海は・・・・まだ終わっていない。
これで全てが終わったわけじゃない。
僕もその航海を続けるために何か行動しようと思い、
大学の講義の後、求人サイトに早速向かった・・・
*
今思い返せば、あの時アレクさんとの出会いがなかったら、
僕の航海はあそこで終わっていただろう。全く先が見えなかった。
完全に気持ちが晴れたわけではなかったが、アレクさんのお陰で僕は立ち直った。
水無月の悲劇の記憶は消えなくとも、引きずっていた重い鬱を
切り落とすだけの気力は戻ってきた。そんな感覚だ。
自分はまだ終わっていないと感じ、行動に走った。
だが、あの出会いの後・・・・再び求人を見て3社受けたがまた落ちた。
自分のこの先の未来は最終的にどのような世界になっているのか、先が見えず不安で苦しい状況だ。
タカシやコージを見ても羨ましい・・・・・
まさに上がって下がって上がって、また下がっての繰り返し・・・・
こんな微妙な状況で航海を続けている僕は一体、どこへ行くのだろうか・・・




