第17話 新たなる邂逅
暗い闇の中にいた。
誰もいなくて、どこだか分からないような闇の中。
だけど、誰だろう……誰かの声がどこからか聞こえてくる。女の人とおじさんの声が少しずつ聞こえてくる。何か話してるようだ。
「……この子の身柄は私が重要参考人として事情聴取をし、捜査同行を求めます」
「分かった。ソルジャーが絡んでる事件だ。捜査権は俺達、刑事よりもあんたらにある。俺は一課に戻るついでにその模様を伝えてくる。この子から得た情報は必ず届けてくれ」
「私から諜報部を通してあなた方に伝えます。蔭山警部」
「今回の件は関西本部の失態を返上をするため、そして一人の女の子の命がかかっています。あなた方警察と我々JGB、共に総力をあげましょう」
「言われなくても分かってら。ソルジャー絡みのヤマは俺達はディフェンスで、そっちがオフェンスだ。そっちは任せた、俺も今回の被害者の父親が社長を務める会社をあたってみる」
「よろしくお願いします。この子の事は私が」
「ああ。失礼する。年頃の女同士、仲良くやってくれ。おっさんの出る幕じゃねえってな」
ドアが開かれ、また閉じる音が聞こえる。おじさんの方が出ていったようだ。怒ると怖そうな声のおじさんは警察の人だったようだ。
そしてもう一人の立派で綺麗な声をしてる女の人はJGB……?
意識が未だ暗い闇の中にいて、ここがどこなのかさっぱり分からない。唯一分かるのは私がまだ生きてるという事だけ。
JGBがいるという事は私は捕まっちゃった?
目を開けるのが一瞬、怖くなる。だけど、このまましているわけにもいかない。起きて、自分がどこにいるか確かめないと……
私がまぶたをあけて視界を覆う闇を払った時、一筋の白い光に視界の全てが照らされる。
目が覚めてそのまま顔を少し横に向けると私はどこかの一人用の狭い病室のベッドで寝かされている事に気づく。
体を寝かせながら顔を少しだけ前に向けると体には丁寧に白いモーフもかけられていた。また、体を軽く動かしてみると普段着てる服とは違う感触がした。
私が今着ているのは紛れもなく病院に入院してる人が着てるパジャマだった。制服であるセーラー服は正面の服かけにハンガーで干してあるのが見える。
そっか、誰かがここに私を運んでくれたんだ……って事は服は気を失ってる間に誰かに脱がされた?
そう思うとちょっと恥ずかしい……
どうやら、スケアクロウとの戦いで頭をぶつけた私はそのまま気を失ってしまっていた所を誰かに助けられたようだ。
「目が覚めたようですね」
はっ……!
横からの落ち着いた声に反応して思わず、ベッドの中から素早く身体を起こした。起きて声がする右側を向くと、そこには女の人が立っていた。
女の人の横では病室の窓が開いており、そこから日差しが差し込んでいた。女の人は長髪の金髪でエメラルド色の綺麗な目をしていた。まるで海軍の将校のような肩に黄色い装飾が施してある白いコートを黒い制服の上に羽織っている。
警察と同じ形をしているけど中央の額の部分のマークが違う黒い帽子を被り、黒いブーツを履き、黒いホットパンツに軍人風の黒い制服を身にまとっている。
その帽子のマークは金色の丸いエンブレムで中央にはJGBと書かれていた。
華奢で女の子らしい外見だけど、顔を見ると凄まじい威圧感と威厳溢れるオーラがその人にはあった。
ただ、声とその容姿から、同時に凛々しさと綺麗さも兼ね備えていた。
「あ、あなたは……? 誰ですか?」
私は起きた瞬間から突然くる緊張感の中、名前を女の人に尋ねた。私よりもたぶん年上だろう。
「申し遅れました。私の名前はフォルテシア・クランバートル。JGB、日本国家保安委員会の長官です。黒條零さん、はじめまして」
フォルテシアと名乗る女の人は自分の身分証明手帳を見せ、自己紹介してきた。それは、よくドラマなどで見る警察官が聞き込みの際にコートから自分の警察手帳を取り出して見せるのと全く同じパターンだった。
出されたそれは、警察手帳と同じく黒いけど、エンブレムが中央にJGBと書かれ、背景が緑色の盾の真ん中に大きな剣が立ったものとなっている。
だが……そんな事よりも……私はその名前を聞いた瞬間、驚きを隠せなかった。
「あ、あなたがフォルテシアさん!?」
「はい。私のような小娘がこの地位にいるのは、初見なら誰もが驚く事なので、無理もない事ですね」
フォルテシアさんは平然と、かつやや冷静な困り顔でそう言った。
JGB長官、つまりトップがフォルテシアという名前は小林の口から聞いた程度で名前から女の人と推測は出来ていたけど……
こんなに私と年が比較的近そうな女の子がトップだなんて……私は予想もしていなかった。
だって、テレビにJGBの名前は出ても、そのトップがテレビ出演する機会なんて見たこともないし、活躍を見たこともなかった。
「は、はじめまして……」
私は戸惑いながらも挨拶を返した。
ど、どうして私の名前なんか知ってるんだろう……身元確認とかされたんだろうか。それについて尋ねる間もなく、向こうから要件を突きつけられる。
「あなたの事は、前々から知っていましたよ。銀のソルジャー、黒條零さん」
「え、私がソルジャーだって事も……知ってたんですか!?」
突きつけられた自分の名前に私は思わず目を丸くした。さすがは噂のJGB、なんでもお見通しなんだろうか。
私の学校のクラス替えにまで絡んじゃう人達だ、当然かもしれない。
「既に諜報部から話は聞いています。髪が銀色の女の子……つまり、あなたがソルジャーゆえにあの中学校でクラスメートのほぼ全員から悪質ないじめを受けているとか。確認のため訊きますが、一体、なにがあったのですか?」
フォルテシアさんは親切な口調でこちらに質問をしてきた。
「はい、ある日突然、髪が銀色になってしまって……それからすぐにいじめられました」
「……やはりそうでしたか。諜報部もあなたがソルジャーだという確証を得るのに時間がかかりましたが、可哀想に……」
フォルテシアさんは腕を組み、眉をひそめながら言った。
この人ならば、話を聞いてくれるかもしれない。
いじめの事を分かってくれてるこの人ならば……やっと、私の知らない事を知っていそうな人で話が出来そうな人に会えた……この際、向こうが良ければ、どんどん話を聞いてみたい……
「あの、何か知ってるなら教えてください、フォルテシアさん。病院へ行っても全然原因が分からなかったんです」
フォルテシアさんの顔が元の長官らしいキリっとした冷静な顔に戻る。
「病院へ行って原因が分からないのも無理はありません。ソルジャーの事はその道を知ってる者しか分からないのですから。ただ……」
「ただ?」
「どうしてこうなるかは納得しかねないかもしれませんが……私が知ってる限りの事で言えば、あなたのそれは後天的なソルジャーへの覚醒です」
「後天的……」
病名にもよく先天的、その反対で後天的と呼ばれる病名がある。
私のこれは病気ではないんだろうけど……先天的は生まれつき、後天的は生まれた後にそなわる事を意味する。つまり……
「ソルジャーは生まれつき力が身についている先天的な者と後から覚醒する後天的な者がいます。更に言うと、後天的な者がいつソルジャーになるかは人それぞれで、本当に誰がなるか分からないのです」
「原因は分からないんですか?」
「分かりません。こればかりは申し訳ないのですが、それしか言えません」
「私のこれは、そんな事だったんですか……」
私はその場でうつむいた。こんな事があっていいんだろうか。原因や理由もなく、運命や神様の悪戯でこんな事になったなんて……
「落ち込むのも無理はありません。本当にいつなるか、誰がなるのか、明確には分からないのですから」
「……しかし、それを乗り越えなければ、前には進めないと私は思いますよ」
フォルテシアさんは更なる真実を告げた後、私を勇気づけるようにしてそう言った。そうだ、落ち込んでる場合じゃない。
「私だって、そうなのですから……」
フォルテシアさんは小声で呟くように言った。その声はどこか、切ないようにも聞こえた。けど、今は聞かなかった事にしよう。変に詮索をするのは良くない気がした。
でも、この人もソルジャーなんだろう。
同時に過去に何かあったのかもしれない。考えるのはやめにする。今の言葉で少し立ち直った私にはそれよりも訊きたい事があった。
私は顔を上げてフォルテシアさんの顔を見た。
「話変わりますけど、JGBはどうして私の学校に関わってたんですか? いじめの防止のためですか?」
「それも含まれていますが、もう一つ、一番の大きな理由があるからです」
「その理由はなんなんですか?」
「あなたのような学生のソルジャーによる民間人や一般社会に被害が及ぶ事件を未然に防ぐためです」
「私のような未成年のソルジャー、他にもいるんですか?」
「いますよ、現に私もそうですし」
「力を得た者の中には負の感情や欲望が蓄積する事でその力を復讐や暴力、悪事に使おうと企む者も出てきます。それらは警察とか、自衛隊でも対処出来ません。事件が起きた時の対処、およびそれを未然に防ぐための情報収集が我々JGBの仕事です」
そういう事だったのか……通りで、学校のクラス替えに一枚噛んでいたんだ。恐らく、前に聞いた学校担当課という部署が私の情報をどこからか入手して、目の前にいる長官に報告したんだろう。
「知らなかったです……そういう理由でいじめ問題にも取り組んでたなんて」
「いじめも見過ごせない深刻な社会問題です。三年前、樫木事件が世間を騒がせ、その中で私はこの国には輝く人がいる一方で、影で罪も無いのにいじめを苦に自殺する人が後を絶たない事を知ったのです」
「樫木事件……あの事件ですか……」
この事件は私も聞き覚えがあった。前に荻野先生が学校で不祥事が多発した時にちょろっと話していた。あの連続殺人事件だ。最も、一番その話を聞いて欲しいであろうあの三人とかはふざけて寝たり遊んでばかりだったけど。
ワイドショーでも取り上げられていて、犯人は表面や思想は過激で狂気的でも主にいじめに苦しんだ人からは英雄、英雄と何度も宗教のように言われてるから凄い不気味に感じた。
私も荻野先生のその話を聞いて、その犯人を思い出したけど、確かに今思えば、英雄だったかもしれない。
けど、ただ自分の思想に駆られて暴走した、ただの自己満足だったんじゃないかと思う。現に、その事件が終わってもいじめがなくなる事がないのを私は身を持って知っている。
一部では、その犯人に倣った犯行で誰か逮捕される事件もあるから、余計治安も悪化してるんじゃないかとも思う。
フォルテシアさんもこのご時世から全てのいじめを消しさる事は出来ないけれど、それが発端で起こるであろう、第二第三の事件を防ぐために早いうちから対処しているのかもしれない。
自分達が出来る事を、自分達が出来る可能な範囲でしているのだろう。
「はい。彼をあのような凶行に走らせたのは、この国に渦巻く、不条理でねじ伏せられた憎しみと自身への理不尽な仕打ちです。学生の頃から負の感情に染まり、ソルジャーの力を手にした彼はその力で事故に見せかけて憎い者を殺害し、その数年後には復讐に取りつかれた殺人鬼と化し、あのような事件を起こしました」
「あの犯人、ソルジャーだったんですか!?」
私は途端に目を丸くした。
「はい、我々も捕まえるのに苦労しました」
知らなかった……まあ、報道されていたら私もとうの昔にソルジャーを知っていたんだけど。
「だからこそ、我々は悲劇の種を摘み取るべく、教育現場の監視に力を入れました……諜報部の情報網を駆使して」
「膨大な情報量の中で、手の届く限り、可能な範囲でいじめを減らす事で後の禍根を断つ事……それが我々が教育現場の監視に力を入れる目的であり、理由です。もう二度と彼のような人間を出さないように」
「教育現場への情報収集は私が長官となる前から諜報部の方で少しずつ行っていた事ですが、力の大きさは千差万別。特殊な力がある人間を、心の闇を増大させる要因でもあるいじめから守る事が事件防止に繋がると私は考えます」
「ソルジャーの力を持つあなたにも、伸び伸びと学校へ通う資格があります。我々があなたの学校へ干渉したのも、それだけの事です」
「そういう事だったんですか……」
フォルテシアさんは気高く、経緯を分かりやすく語ってくれた。当時、あの事件もテレビのニュースで報道されていたので、その時の模様が話を聞いていて、私の脳裏に蘇った。
JGBがいじめの対策に力を入れた理由には納得がいった。確かにいくら未成年でも危険な力を持っている相手への対処も考えないといけないのも分かる気がする。
樫木事件はフォルテシアさんにとっても嫌な事件だったのかもしれない。目は落ち着いていても眉をしかめていて、静かなる怒りを感じる。私じゃとても知りえない何かを抱えているようだった。
樫木事件の犯人は自分の中に溢れる憎しみを復讐で晴らすべく、事件を起こした。
それは自身に対する理不尽ないじめから来る憎悪、そして一向にいじめによる事件が後を絶たないこの国への憎悪。それが彼を殺人鬼に変えた。
フォルテシアさんがやろうとしている事はこの理不尽な仕打ちから来る憎悪や怨恨を振り払う事で人が犯罪に走るきっかけを断つ事なんだろう。
教育カウンセラーや先生みたいな事は出来なくても、外部から何らかの情報を得て、根回しする事で動くんだろう。
私の事を調べた以上、気づかないうちに情報が流れていたのかも。
「あなたの件についても、諜報部から話を聞いた後、ウチの事務職の小林さんからも聞きました。あなたは小林さんの息子に我々が恐ろしい集団だと吹き込まれ、通報すると脅されていた事も……」
「誠に……申し訳ありません。一応、部下の親族の犯した事とはいえ、小林さんに代わってその上司として、心からお詫びさせて頂きます」
フォルテシアさんは私の前で帽子を取り、頭を大きく下げた。彼女の天使のような美しい金色の長い横髪がバサっと下を向く。
「い……いいです、そんな……話は分かりましたし」
私はフォルテシアさんの前で両手を前にやり、まあまあとやった。組織の上に立つ者としての謝罪の気持ちはもう分かったので、これ以上、詫びられても仕方ないと思った。
「悪いソルジャーから平和を守る組織なのは分かりましたけど、JGBはソルジャーだからといって、みんな敵とみなしているのでしょうか?」
私は尋ねた。JGBがどんな事をする組織かは分かった。それに悪いソルジャーが対象な事も。でも、本当に私にとっては無害なのかをしっかり確認したかった。
するとフォルテシアさんは顔を上げ、帽子を再び頭に被ると丁寧に話始める。
「我々JGBは治安維持を掲げて仕事をしています。あなたの言うようにソルジャーだからといって、つまり、普通の人にはない力を持っているからといってすぐに害がある者と見なして粛清するのではありません」
「正しく公平に、ソルジャーでも善良な者には救いの手を差し伸べ、民間人に危害を加えたり犯罪に手を染める悪しき者には容赦なく断罪の刃を下す……それらの犯罪を未然に防ぐための努力も怠らない……それをもって、今日までのソルジャーによって脅かされる世の中の秩序と平和を保ってきました」
「しかし、我々の事をよく知らない者の中にはネット上などに溢れる都市伝説、単なる噂、オカルトの類の話に触発され、我々を単純に政府から殺しを許された集団と思い込んでいる者も時にいるのが現状なのです」
「ソルジャーの存在が表社会に浸透していない以上、報道機関は我々の仕事を100%テレビに映さないのも原因になっています。が、それでも同時に警察、自衛隊と並んだ扱いになっているのです。他では解決出来ない事件の捜査を担当する組織として……」
フォルテシアさんは落ち着いた口調、かつ丁寧に自分の組織について語ってくれた。
「まあ、かいつまんで言えば、ソルジャー専門の警察が我々、警視庁は普通の一般の警察なのです」
「……ありがとうございます。貴重な話を」
そっか……やっぱりそうなんだ……やっぱり思った通りだった。
JGBの捜査対象は悪いソルジャーしかその対象には含まれないようだ。ソルジャーだからといって、すぐに殺すのではなく、ソルジャーの中でも悪事を行う者を取り締まる……
裏の警察みたいな感じなんだろう……ほっ……
それにトップの長官であるフォルテシアさんもソルジャーだというのなら、悪いソルジャーしか対象にしないのも分かる気がする。
特別な立場に置かれた人の苦しみって、そこに置かれた人しか完全に知る事は出来ないと思うから。
私のようにフォルテシアさんもソルジャーに覚醒した事で辛い目にあったのなら、フォルテシアさんもその苦しみを分かっているはずだ。
つまり、魔女狩りをする集団ではないというわけだ。JGBの状況も少し分かったし、不安と安心が入り混じった気持ちが幾分か楽になってきた。
「いいのです。正しい事を伝える事で間違いを正せるのなら……ソルジャーの存在が浸透していない事が、同時に歪みを作り出しているのですから……」
近くにある白い棚に置いてある小さな冷蔵庫へと歩を進め、中からミネラルウォーター入りのペットボトルを取り出す。すぐ隣にある机に複数あったガラスのコップを一つ取り、そっとコップに水を注ぎながら言ったフォルテシアさんの言葉はどこか、切ないように聞こえた。
そして、私の所へ持ってきて、水入りのガラスのコップを右手で差し出した。
「ずっと眠っていて……喉が渇いていませんか? これを」
「ありがとうございます」
私はフォルテシアさんがくれた水入りのコップを頂き、少しずつ口に含んでいく。うるおいと同時に乾いた喉を満たす冷たい感触が私の張りつめた空気を和らげてくれる。
「そういえば、フォルテシアさんは私をどうするためにここに来たんですか?」
「私は職務でここに。あなたに詳しい話を聞きに来たのです」
この人の言葉にはでたらめだとか、綺麗事とか、そういう事は全く感じない。常に一途で、正義感が伝わってくる。だけど、同時に敵視する対象に対する憤りも混じっている。やっぱりそういう人を何度も相手してきたからだろうか。
「詳しい話とはなんでしょうか?」
私は水を飲み干すとコップをフォルテシアさんに手渡した。フォルテシアさんは手渡したコップを元の場所へと戻してくると、こほんと息をつく。
「目が覚めたばかりで申し訳ないのですが、ちょっとした事情聴取です。よろしいですか?」
「事情聴取? あっ……」
とっさに脳裏に私がこうなる直前の模様が次々とフラッシュバックで蘇った。突然襲ってきた藁で出来た人型のモンスター、その後、武器を手に飛び出す私、飛び出した先に待ち受けていたのは……黒マントを羽織って茶色いハットを被ったあの男……
「実は昨日の夕暮れ、誘拐事件が発生しました。あなたは被害者宅の前で倒れていた所を付近の住民から爆発があったという通報で駆けつけてきた警官に保護され、この病院に担ぎ込まれたのです。今、もうすぐ朝十時ですが、随分ぐっすり眠っていましたよ」
フォルテシアさんは右手の腕時計を一瞬目を通して言った。時計は九時五十五分に差し掛かっていた。
そっか……私はスケアクロウに蹴られて、頭を壁にぶつけて意識が……え、誘拐事件……?
え……? まさか……
「フォルテシアさん、その誘拐事件の話、詳しく聞かせて下さい」
私は非常に焦った。時間が十時とかこの際、どうでもいい。まさか、そんな事は……歩美……
「そうですね。口で言うよりこれで分かるでしょう。事の発端は昨夜、SASAGIという会社に送られてきたこのメールです」
SASAGI……! 歩美のお父さんの会社だ……! 嫌な予感しかしない……歩美……
フォルテシアさんは右ポケットから二つに折ってあった一枚の紙を取り出し、広げて私に見せてくれた。
どうやら、パソコンでプリントアウトされたものでそこにはこう書かれていた。
――――SASAGIの社長へ
娘さんを返して欲しければ、明日の夜12時までに現金1000万円を用意して下さい。
受け渡し方法は明日、連絡します。無視すれば、社長、あなたの娘さんがどうなっても知りませんよ。捜し出せる物ならば、警察なりJGBなり使って捜してみなさい。
――ドレッド・スケアクロウ
「こ、これは……」
紙を手にした私は思わず、目を丸くした。実際、こういう脅迫状を見るのも初めてだ。歩美がスケアクロウに誘拐されたなんて……
鍵をかけていたあの家もスケアクロウに……無理矢理に中に入られて誘拐された事には違いない。家も恐らく滅茶苦茶になっているだろう。
「あの、メールの発信元から場所を特定出来なかったんですか? 発信元にきっと歩美も……!」
「残念ですが、このメールは新宿のネットカフェから送られたものなので場所特定には繋がっていないのです……」
フォルテシアさんは残念そうに言った。
「これでご理解いただけましたか? 零さん。あなたはこの脅迫状が来る前に犯人であるスケアクロウと
会っている可能性があると私も警察も考えてるんですよ。なので、昨日の事を詳しく正直に話して下さい。何もしませんから」
フォルテシアさんは私をじっと鋭い目で見ている。私は緊迫感を抑えながら口を開く。
「……分かりました」
私はフォルテシアさんにこれまでの経緯を話した。私は最近、どこか暗い歩美を詮索した事で、歩美に付きまとうストーカーを調べる事になった。で、そのストーカーはドレッド・スケアクロウというソルジャーだと分かり、本人は私の前で自分がストーカーしていたと明かす。
スケアクロウはここ最近、私の友達である歩美をつけ狙っていた。そのために、彼は大小問わず、手足のように操れる案山子のモンスターを作りだして歩美にストーカーを行っていた。
そこで私は歩美を守るためにスケアクロウと戦った。しかし、圧倒的な力の前に翻弄され、蹴られて頭を壁に打って気絶してしまった。
あ、こんな事も喋っていた。歩美を誘拐した理由は仕事であり、歩美を誘拐すれば目的が達成されると。
私が話をしている間、フォルテシアさんは立ちながら真剣に手帳にメモをとっていた。そして、私が話し終えるとメモをポケットにしまい、
「ご協力、ありがとうございます。何者かが裏で糸を引いてるフシがありますね」
「その何者かって……黒幕がいるという事ですか?」
「はい、その者がスケアクロウを使って歩美さんを誘拐させた可能性があります。それが誰かは不明ですが。現在、我々JGBと警察が情報収集し、我々が行方を追っていますが、念のため、こちらの情報を伝えておかなければ……」
フォルテシアさんはスマートフォンを取り出し、右耳にそれを当てた。電話の向こうから声がかすかに聞こえる。
「失礼、フォルテシアです。諜報部の折原総括部長に繋いで下さい」
しばらくすると、フォルテシアさんの無線機から女性の声がかすかに聞こえてきた。
「はい、折原です。フォルテシア長官、どうかされましたか?」
「お忙しい所すみません。例の現場に居合わせていた重要参考人から証言が得られたのでお伝えします。警察の一課にもその模様をすぐに伝えて下さい」
「え!? ……分かりました、長官、至急お伝えください」
「実は……」
フォルテシアさんは先ほど私が喋った事を電話先にいる折原さんという人にそのまま伝えていく。三分ほどで説明を終えると……
「以上です。大至急、伝えて下さい。お願いします」
「分かりました。最高速度で拡散します」
フォルテシアさんがスマートフォンによる通話を切ると続けて、スマートフォンがブルブルと震えはじめた。
すかさず、続けてスマートフォンを耳に当てるフォルテシアさん。
「こちら、フォルテシア」
「こちら代々木の合同捜査本部。ハイドマンです。長官、今どちらにいらっしゃいますか?」
「今、被害者宅の近くにある病院の病室ですよ、サカ」
「重要参考人の被害者の友人からは何か証言は得られました?」
「今、無線で折原に伝えました。すぐにそちらにも伝わるはずです」
「そうですか。では、至急……」
……………………。少しだけ沈黙が続いた。
「ど、どうしたのですか、サカ!!」
「長官!!! スケアクロウが現れたと報告が!!!」
えっ、現れた……?
「場所は?」
「今度は長官が今いる病院から北にあるマンション、すぐ近くです。既に何名か向かってます。至急向かって下さい!!」
「了解しました。そのマンションならば、ここへ来た時に見覚えがあります。サカ、そちらをお願いします」
フォルテシアさんはサカさんという人との話を終えると、スマートフォンをしまうと、私の方を向いて、
「零さん、スケアクロウが現れました。場所はここから北のすぐ近くのマンションです。あと、急で申し訳ないですが、あなたには重要参考人として、捜査に同行して頂きたいのです」
「どうか……お願いします。無理を承知でお願いしています。スケアクロウ確保のためです」
私の同行を懇願してくるフォルテシアさん。帽子を再び外して頭を下げてくる。
重要参考人……確かにあの現場にいたのは私だけだった。
ここから北にある近くのマンションと言われるとすぐに見当がついた。バスの景色からもよく見えていた十二階建ての大きな四角い新築マンションだ。
歩美を助けるのはJGBに任せておくべきだけど、フォルテシアさんは私を重要参考人として必要としている。
これは黙って帰るわけにはいかない。私も歩美を助けたい。そのためなら……
どういう理由で同行を頼むのかは分からないけど、フォルテシアさんが傍ならたぶん安心出来るはずだ。
「分かりました。私も行きます。歩美のためなら何でもします」
歩美が捕えられている以上、黙ってはいられないし、何より私は必要とされている。大人しくしてられない。それに歩美にはこれまでたくさん助けてもらった。
だから、ここで……
「本当に、ありがとうございます」
再び大きく頭を下げるフォルテシアさん。私に対しての申し訳なさを感じる。本当は巻き込みたくないのかもしれない。
「敵がとっくに現れていますから、あなたを連れて合同捜査本部へ戻るのは効率が悪いです。とにかく、今は私について来て下さい。詳しい事は後で」
「……はい!!」
私は力強く返事をした。するとフォルテシアさんは視線をある方向へ向け、
「では、すぐに着替えて下さい。私は部屋の外にいますから。他人の着替えを見る趣味はありません」
フォルテシアさんが背を向けながら指差した方向……私の正面には私のセーラー服がハンガーにかけられている。
「それと、もうあなたは退院して大丈夫だそうですよ。何かお体に異常はありますか?」
「そうですね、今は特に異常はありません。それじゃ……すぐ着替えるので待ってて下さい」
私は、着ている青白い病院用のパジャマを脱ぎ、素早くセーラー服に着替える。普段着はないからここはセーラー服を着よう。
でも、セーラー服もすっかり着慣れて、今では普段着と殆ど変わらない感じだ。どうやら、誰かが洗濯してくれたのか、手に取った時に洗剤の匂いがした。
そして、着替えが終わると私はドアを開けて、外にいるフォルテシアさんに声をかけた。
「着替え、終わりました」
「早いですね。では、ついてきて下さい」
私は着替え終了コールを聞き、こちらに振り向いたフォルテシアさんに連れられて、病室を飛び出していった。
捜査に協力ってわけじゃないけど、重要参考人という事は何か力になれる事はあるはずだ。全ては歩美を助けるために、恩返しするために、また歩美と一緒にいるために……私は歩き出す。
私のこれまでで一番長くなりそうな土曜日が今、始まろうとしていた。




