第37話 最後の希望
「なるほど。では、到着は明日の朝になってしまうのですね」
告げられた回答に対しての落胆の声。
「申し訳ございません。代わりに現在、動ける者でかつ島にいる高い戦闘力がある者に出撃要請をかけました」
深い森が生い茂る中にある、一つの赤い屋根の家。スマホからの通話という耳元からの電波の糸を介して、電波という空間の中で言葉と言葉が右往左往する。耳元から若くも凛々しい少女の声が聞こえる。
「二人には私の方から逃げるように伝えてあります。彼らが一刻も早く戻れるように、その方にこの島に上がり込んだ敵を早く減らすよう伝えて下さい」
「分かりました。ここ大阪より、私も可能な支援はします。アレクさん、あなたもどうか身の安全に気をつけて下さい」
「ご心配をおかけしてすみません。が、私には強敵の位置がここからだいたい分かりますし、護衛もいますので大丈夫ですよ」
理事長代理であるアレクは長瀬川会から狙われる身。しかし、アレクも無用心でここにいるのではない。
木の机に座り、通話するアレクのすぐ傍に護衛担当はいる。魔神麺の店長であるジョニーだ。
彼が作る、食材とトッピングを最大限に活かし、味を最大限に引き出したラーメンは極上の美味しさと静かに囁かれ、その気になれば表社会のラーメン店が沢山並ぶ道でも店を開く事が出来ると一部で評判だ。表社会のラーメン業界に食い込む事もなく、いずみ島にひっそり寂しく店を構え、ソルジャーとしても相手を食材のようにさばく独特で高い戦闘力を誇る彼は顔を布で巻いた正体不明の容姿も相まっていつしかこう呼ばれるようになった――拉麺魔神と。
ジョニーはスマホをカチャカチャと動かし、電話で話すアレクとは別の仕事をしている。その懐には料理にも戦闘にも使える自慢の刃を忍ばせて。
アレクの前に広げられている黒いノートパソコンが真っ暗な部屋を、目にはあまりよろしくない光を放って照らしている。その画面には9つの島からなるこの地の全体図が大きく表示されている。
真っ白な画面上に黒い線で描かれたその地図の、一番左上に広がって外界への三つの橋がある大きな島には大小様々な大きさの赤い丸が8箇所置かれている。特に大きな丸が置かれている箇所が二つ。
一つがA-1地区の南側――この場所には例の二人を一時的に隠すべく手配したホテルがある。この部分の赤い丸は先ほどまで小さいものだったが、突如肥大化し最大の赤い丸を形成している。
もう一つがその場所から北にある新秋葉原駅までの道中に3つの赤く大きな丸がある。ここは少しずつであるが抗争の熱は静まりそうで、数分前よりも丸の大きさが少しずつだが小さくなってきている。
いずれもA-1地区を指す計8箇所の大きな丸が肥大と縮小を繰り返し、減っては増えての消滅と発生を繰り返している。肥大している場所ほど、そこに強力な戦力が存在し、戦闘が激化している事を表している。
この丸が特に大きい肥大した箇所は普通の人間がよってたかって戦っても出来るものではない。この肥大部分は異常だ。その異常を現実にする事が出来るほどの異端的な力の持ち主に限られる。その場所に満ちるエネルギーの強大さをこの赤丸が表している。これに比べれば、他の普通の人間が戦う事で出来上がる赤い丸など粒も同然であり、分かる者には一目瞭然。
「敵側には闇夜の悪魔”牙楽”、暴れん坊サソリ”スコルビオン”、殺戮鮫”リッパー・ヴェノス”がいるとのこと。この内リッパーが動けないのは好都合ですね」
「はい。現れたという報告は聞いていません。ユヒナさんとハインさんが先行して攻撃してきたリッパーを撤退させた事が響いているのでしょう」
「とはいえ、牙楽もリッパーと同格の実力者。ドレッド・スケアクロウらとともにイギリスで騒がれた大物。油断は出来ません。牙楽の対処はどうなってます?」
「二人を助けに行ったハインさんが交戦中です」
「ではソルジャーの残りはスコルビオンだけですね。エクスサードである彼女ならば、牙楽とも対等に戦えるでしょう」
「スコルビオンは阪上さんが各個支援にあたりながら捜索中です」
通話しているアレクに横から声がかけられる。
「アレク。あの兄ちゃんとユヒナを隠せそうな場所が見つかった。あと――」
「敵さんのお出ましだ。やっぱり来やがったぜ」
場所が見つかった事よりもその後の言葉を聞くや否や、アレクはすぐに動いた。
「すみません、フォルテシアさん。敵襲です。またかけ直します」
すぐにスマホをしまって腰を上げた。小さい声でヒソヒソと尋ねる。
「ジョニーさん、敵の数はどれぐらいか分かりますか?」
「この家の外にざっと23人だ。真木田を通して奴ら、ここの場所を突き止めていたんだろう」
屋内から迫り来る敵の気配を読み、姿を見たわけでもないのにその数を冷静にかつ正確に当てるジョニー。彼のその能力はさながら使い込んだ包丁の如く研ぎ澄まされている。敵ひとりひとりの呼吸、草と土を踏みつける足跡、小細工もしていないバレバレな気配。それらから長年の経験をもとに逆算して出した数値。
普通の人間ではまず辿り着けない領域。会得出来る可能性がまかり通る異能者の世界においても、敵の数を気配だけで正確に当てられるまでに至るほどの力を持つ者は限られる。
「ジョニーさん、敵をお願い出来ますか?」
「当たり前だろう。それに敵にはソルジャーもいない」
「アレクは長官と引き続き話してて構わないぜ。みんな数分で料理してやるよ」
ジョニーはそう言って、包丁を抜いて玄関から外へと出ていった。アレクもその言葉をそのまま受け取り、安心した表情で再度電話をかけ直す。
玄関を出てすぐ目の前にはこの家に包囲網を敷くようにが、23人の敵の軍勢が待っていた。そのひとりひとりがバラバラのアロハシャツを着ていて、カラフルな壁のようだ。鉄パイプや拳銃を持ち、銃口が一斉にジョニーに向けられる。
「動くな!!! 動くと一斉攻撃するぞ!!!」
銃口が向けられると同時に真ん中のリーダー格のオレンジ色のアロハシャツを着たオールバックに粒のようなヒゲを生やした男が威勢よく脅しの言葉を強く投げつけてくる。
が、意に介さずその言葉に対する答は包丁によって返された。
リーダー格の男の左脇にいる軍勢が、包丁から放たれた巨大な剛の刃によって粉砕された。一瞬で何が起こったのか分からない他の軍勢は慌てふためいて後退りをする者も。
「悪いけど、ここに入りこんだ以上、攻撃されるのは――お前らだ」
「全員、撃て!!!」
リーダー格の男の指示で残った軍勢は懐から拳銃を取り出して目の前にいる包丁のバケモノを蜂の巣にするべく一斉射撃を行った。森を包む静寂が激しい銃声によってかき消され、夜の静寂に浸っていた鳥達が驚いて一斉に月夜へと羽ばたく。
弾薬の数なんか気にせず焦りと恐怖心から一斉に撃ちまくる。中には鉄パイプをその場に捨てて銃を出す者もいた。だが――。
右、そして左。激しい銃弾の嵐が飛びまくる中、それに止まることなく、銃を乱射する軍勢を右から左へと敵を引き裂き、続けて反対方向に敵を引き裂いた。
撃っても撃っても、狙い撃っても――効かない。誰もがそう感じた瞬間だった。
銃を諦めて捨てた鉄パイプを再度拾って殴りかかるもそのスピードに敵うはずもなく、鉄パイプを振り下ろす前にその刃にえぐられて吹っ飛ばされる。
彼の持つ包丁は敵を切り裂き、赤く染まりながらも、22人を始末し終えた彼の右手でクルクルと踊っていた。月の光がその刃を美しく輝かせる。
リーダー格のオレンジアロハシャツの男が全身をビクビクと震えさせながら人差し指を向ける。
「て、てめえ……何者だ!! オレは長瀬川会若頭補佐の――」
「とっとと……消えろ」
森の中に、痛烈な断末魔が響き渡った。
計23人の掃除が終わった後、電話が終わっていたアレクは戻ってきたジョニーを出迎えた。
「ジョニーさん、お疲れ様でした」
「軽く揉んでやったよ。殺しはしてない。それより、あの兄ちゃんとユヒナを隠せそうな場所だが――」
ジョニーはスマホを動かして先ほど見せられなかった画面を彼女に早速見せた。それは唯一にして最後の希望。
二人を隠す場所が見つからないアレクはついに今回の事件に際してJGB――日本国家保安委員会の長官にして楠木大和を継ぐ者であるフォルテシア・クランバートルに救援を依頼、森岡境輔とユヒナを保護してもらえないかと直談判した。
しかし、フォルテシアはそれを心苦しくも拒否した。フォルテシア本人は岩龍会との本格的な抗争に備えるべく大阪に出張中。副長官サカ・ハイドマンと東京支部長のヴィルヘルム・ゲーリングも新宿と渋谷で日夜起こっている代々木柴浜会及び根来興業との抗争で手一杯、更に岩龍会内で頂点にとって変わろうとする革新派で有名な黒翼会が参戦した事で、事態はより混乱を極めており二人を保護する余裕はない。
そもそも、JGB内でユヒナ及びハインの存在を知り、かつ彼女らがエクスサードである事を知る人物はフォルテシアと彼女が信頼を置く人物のごく数人に限られる。
エクスサードはとてもイレギュラーな存在。ずる賢いハインはともかく、ユヒナを守るには情報統制はやむを得なかった。更にJGBにはフォルテシアが4年前長官に就任した事をよく思わない不穏分子が存在するとされ、それら全てをフォルテシア側が把握していない事もあり、仮に二人を保護するとしてもエクスサードの秘密を知る者だけに限られてしまうというのが実情だ。
だが、その中で唯一、動ける者はたった一人いる。だが、既に長瀬川会がいずみ島に上陸した今、アレクは島の安全と事態の早期決着を考え、フォルテシアを介してその者にいずみ島の侵略者退治を任せる形をとった。
それもあり、二人を隠せる場所はジョニーが見つけ出した場所が最後の希望であった。
「その場所はな――」
その場所はまさに灯台下暗し。今まで東京都内に絞っていたアレクは目を丸くした。




