第29話 ワゴン車の中で
涼しい。
車内の冷房が真夏の日差しで熱を浴び、干からびた体を冷やしてくれる。
リッパー・ヴェノスに逃げられてしまった僕らは阪上さんの提案によりワゴン車に乗り込み、魔神麺まで運んでもらえる事になった。
シーガルスは昨晩から警戒態勢をとっており、いつもよりも巡回パトロールを強化している。にも関わらず、リッパーはそれをくぐり抜けて堂々と島に上がってきた。まだ他にも敵がいないとも限らない。阪上さんはユヒナを心配し、ワゴン車に乗る事を勧めてきたのだ。
先頭の運転座席には当然阪上さんが、僕とユヒナ、ハインは三人分の後部座席に座った。僕が一番右側でその隣にはユヒナとハインが座る。車は新秋葉原の魔神麺に向けて走り出した。ここから20分くらいだという。
予想外のハプニングにあったが、ひとまず当初の目標であるユヒナとの接触に成功した。
「えっ、アレクさんが魔神麺で待ってるの? だったら私も連れてって!」
アレクさんがユヒナに話があるため、魔神麺で待っている事を伝えると彼女は断る理由もなく、すぐ一緒にワゴン車に乗り込んだ。どうやらユヒナは魔神麺を知っているようだった。
ハインに訊いてみると、「あの店はウチの事業所の隠れ家みたいなものだからユヒナもよく出入りするのよ」と教えてくれた。また、ユヒナは店長の作るラーメンが大好きらしい。
「あそこのラーメン凄い好きなんだ! せっかくだし話が終わったらみんなで食べよ? ね?」
「あ、あぁ……そうだな」
はしゃぐ子供のように魔神麺到着を楽しみにするユヒナ。話があるからと説明したが、呑気というか、本当に何も知らないゆえの純粋さだ……アレクさんの所へ行けば、ユヒナに全てを話さないといけない。
「暑いから後ろにあるドリンク、飲んでいいよ」
阪上さんがそう親切に言うと僕らは席の裏側に置いてあったクーラーボックスに手を伸ばした。中にあったペットボトルに入ったスポーツドリンクを一本ずつ取り、喉を潤す。
「くーっ! 冷たくて生き返る~! 気持ちいいね!」
ユヒナはスポーツドリンクを一口ゴクリと飲むと満足げな表情を浮かべた。
「へえ~気が利くじゃない。暑い中アイツと戦ったから、そろそろ水分が欲しいなと思っていた所よ」
ハインは静かにボトルを口にしながら阪上さんのご好意に感心した。だが、その言い回しはどこか相手を見下してる感がある。僕もボトルを口にし、乾いた喉を潤した。
車はちょうど青い空の下、T-3地区とT-1地区を繋ぐ長い橋を走行中だ。距離はあるが横断防止柵で区切られた道路の脇の歩道を歩いて通る事も出来るようになっている。
この車が走っている道路、左右の歩道の外側にはともに決まった間隔で無数の鉄柱が外側の檻のような柵の先に立っている。
柵の隙間や橋の真ん中にあるバス停のような、日陰もある休憩所の壁の小窓からは眼下に東京湾へと繋がる川と両脇にT-3及びT-1の街並みが広がる。
この島は気持ちよく晴れている時はあらゆる場所で青い空と海を拝む事が出来、特に橋や展望台からの高台の景色はさながら外国にいるような気分になる。10年前、この島に初めて来た時はこの景色に驚いたものだ。
反対側の道路には普通の軽自動車やトラックが走っている。後ろを見ると白い軽自動車が走って来ている。
この島は学園都市ゆえに文字通り学生が多い。が、新秋葉原や時ノ町に事業所や支店がある企業もあり、学校の教授や先生、職員も中には普通に車を使う。だから走る車の量は首都圏の都会と殆ど変わらない。特別多くもなければ、少なすぎる事もない。
実は僕も、高校卒業時の春休みにコージにつるむ形で自動車教習所へ行き、普通自動車免許を取得していたりする。なのだが、この島は学生の運転免許取得は許しても車やバイクの所有は置き場所の都合などから認めていない。
僕も自分が免許持ってる事を漢検や英検などの資格と一緒に履歴書に書いて思い出すほどだ。車を運転する機会なんてそうそうない。
「ところで、森岡くんはどうしてさっきあの場にいたのさ?」
ハンドルをきりながら、阪上さんは僕に訊いた。相手はシーガルスの団長だ。詮索された以上、黙っていてもしょうがない。
ドリンクで喉を潤しながら僕は昨夜から今に至るまでの経緯を説明した。誘拐されて助けられて、アレクさんからソルジャーやエクスサードの話を聞いた後、ユヒナを連れてくるように懇願されたことを――。
ユヒナにはまだ隠しておくために、アレクさんに頼まれた本当の理由はまだ喋らないでおいた。仮にこの島とユヒナを守るための行動だと話せば、昨夜から今に至るまでの事の発端は「ユヒナが真木田を殺したから」と直球で話している事に繋がりかねない。
それを話せば、ユヒナは相当凹むだろう。さっきのマンションのでの自責の念を抱えて謝罪を繰り返す様子から予想はつく。
だから、せめてアレクさんもいる場で明かしたいと思った。
振り返ってみれば、全ては昨日牙楽に誘拐された所から始まった。最初は嘘だろと思った。まさか吸血鬼がいるなんて。
でも、今ならばハッキリと言える。今まで漫画やフィクションで見てきた怪物や超能力者は、本当に現実に存在するんだって――。
「それにしても、森岡くんもかなり災難だったね。まさかいきなりイギリスを騒がせた”闇夜の悪魔”に出くわすなんて。でも無事でホント良かったわ」
話をある程度聞いた所で阪上さんはこちらを励ましながらも感嘆した様子で言った。店長も言ってたけど、牙楽ってかなり大物なんだな……
既に真夜中の都心に現れて人を食らうという吸血鬼の伝説は聞いた事がある。
が、″イギリスを騒がせた吸血鬼″と言えば、記憶の片隅にわずかながら心当たりがある。確かタカシとコージがだいぶ前にイギリスの吸血鬼伝説について熱心に話していた。
僕は聞き流していたので全部は知らないが、無数の小さく黒い漆黒の翼が夜のビッグベンを舞い、黒マントの男が夜な夜な人の生き血をすすっているという話だ。
勿論、それも牙楽であるという確証はないが、あの姿を見た後だともしかしたらマジなんじゃないかと思ってしまう。
車は橋を渡って大学エリアであるT-1地区の街中を走行する。僕が通う大学のキャンパスの前をちょうど走り抜けた――。
そういえば、ハインが放った矢。リッパーが腹を抑えて逃げるほどのダメージを与えたが、逃げられた以上また襲ってくるだろうなぁ。
「なぁハイン」
「なに?」
「リッパーには逃げられたけど、この島を守る以上、また戦わないといけないんだろう?」
ハインは腕を組みながら、
「そうね。でもしばらくは動けないはずよ。たとえ奴の回復力が高くても私の矢はとっておきだから完全治癒には時間がかかるはず」
確かに言われてみれば、リッパーは矢を食らった後、阪上さんが来るまで動けないほどダウンしていて、阪上さんが近づいた直後、急に慌てるように起きて逃げていった。
あと、逃げる際は体もフラついていた。命からがらという状態だった。
もしかしたらあの矢には毒みたいな要素があったのだろうか。矢に毒を仕込まれているのはある意味お約束だ。
「あの矢、どのようにとっておきなんだよ?」
「私の力をフルに変換して放ったものだからよ。もうさっきのもう一度出してと言われても、次は”48時間”経たないと出せないわ」
「よ、48時間!??? 2日!??」
「そ」と返事をした後にハインは車のドアに肘をついて日差しが差し込む窓を見ながら話し始めた。
ハインがあの時放った矢――。あれは光を殺し、暗黒とともに傷を生む魔の矢。
その名も”光殺しの弓”。
矢を作るメカニズムは非常に簡単で、使用者の膨大なエネルギーを一本の矢に変えて相手を射るというもの。その際に使用するエネルギーの量は撃てるようになるまで自然充電式で48時間を要する。
その時間に満たない状態で無理して矢を放つ事も可能だが、そうするとハインのエネルギーが底をつき、限界を超えて体に重い負荷がかかってしまうのだという。
負荷がかからない程度にエネルギーが溜まりきる時間――それこそがこの時間のようだ。
「ソルジャーもソルジャーソウルっていう力の源があるけど、エクスサードもソルジャーも力を使うために消費するエネルギーは”無限”じゃないのよ」
「要するにゲームで例えるならMPみたいなものか」
「そうね。疲労とともに自然回復するMP。ただ、私にとっては実質半分HPみたいなものよ。もうあとわずかしかないのに無理して酷使すれば、体もダメになるわ」
「つまり、矢を放った後のハインは消耗して疲れていると」
「そういうことよ。普通の人間くらいなら余裕だけど、大きな力は使えない。だから使いどころを誤るとねぇ危ないのよ。そんな時にも、最低限戦えて行動出来る程度のエネルギーがちょうど残るのが48時間よ」
スマホのバッテリーで例えるのならば、全体の15%か20%といった所だろう。それで無理して力を使う動作はスマホで例えるなら充電器を繋げながらの操作。
あれは便利だが、やりすぎると内部が消耗してバッテリーが早く消費されるようになってしまう。ハインが言っているのはそういう事だろう。
「でもこの矢が最強というわけじゃないわ。牙楽のように闇に強いソルジャーにはたぶんこれは効かない。私の力は闇だから」
要するに闇属性という事なのだろう。確かに吸血鬼な牙楽には効かなさそうだ。
「ソルジャーにも色んなのがいるからねぇ。炎や水、雷を操ったり、牙楽やリッパーのように動物をモチーフにした能力だったり。あとやたら派手な武器を扱えたり」
炎を操る奴といえば、体から炎を出す熱く燃える男の都市伝説があったなぁ。
真夜中に都心に現れて人を食らうというドラキュラ伝説も真実かという確証はないが実際牙楽という本物がいたわけだし、きっといるなら恐らくあっちの世界の人間だろう。
と、いうか……
「牙楽って吸血鬼じゃないのかよ?」
するとハインは小悪魔的な笑みを浮かべて窓際にぐったりしていた体を起こして僕を見た。
「あら~? 私は吸血鬼なんて一言も言ってないわよ? アイツはヘリオトロープのソウルを持つソルジャー。オオコウモリ人間の能力を持つコウモリ人間よ」
「なるほど、それが奴の力の本質というわけか。コウモリ人間だからこそまさに吸血鬼というわけなのか?」
小馬鹿にする態度がかんに障るが、無知なのは承知なので黙っておこう。
「そうね。ソルジャーは異能者の中でごく一般的な存在。だからこそ中には法則とかけ離れた得体の知れない能力や見ただけで全貌が把握しづらいのもウジャウジャいるわ」
既に目の前に二人。その異能者の中でも希少な存在とされるのがいるわけだからそうなるよなぁ。実際の生物の種にも突然変異や特殊な個体がいるように。想像するだけで寒気が走る……裏社会は魔界か何かなんじゃないのか……?
しばらく車内が沈黙に包まれるとその沈黙は静かに破られた。
「――ねえ。そういえば、私の翼が今日になってから出ないの……どうしてなんだろう?」
ユヒナがいきなり、表情を曇らせながら言った。ハインは依然、ドアに肘をついて窓を眺めながら、
「たぶん昨日、薬で暴走したことであなたの力もかなり消耗してるんでしょうね。だから身体能力と剣術のみでアイツ(リッパー)と戦ったのね」
「うん……目が覚めて翼を出そうにも出せなくて。しばらくしたら直るかなと思ってたけどいざという時に出せなかった……」
もし、ユヒナが昨日の夜のように鋼の翼を出せていたならリッパーの追撃も簡単だったんだろう。ユヒナは結構、自分の失敗で落ち込みやすいのかもしれないな……
ここで阪上さんがユヒナの気持ちを察したのかハンドルを切りながら口を開いた。だが、そこから思いがけない一言が飛び出した。
「まぁ、ユヒナちゃん! 翼出せなくてもそのうちよくなるよ。いざとなったら、私も”ソルジャー”だし、戦うよ?」
「ええええっ!? 阪上さんもソルジャーだったんですか!?」
前向きかつ明るい優しい言葉なのだが、僕はそれよりも大きな声でビックリ仰天した。まさか今まで姿だけは見た事がある阪上さんまでもがソルジャーだったなんて……
「あぁ、そういえば森岡くんは初めてだったね。私はライトブルーのソルジャーソウルを持ってるソルジャーなの」
ついうっかりと言わんばかりにマイペースかつのんびりに自己紹介する阪上さん。
そういう問題じゃないんだが……まぁ、よくよく考えてみたら裏社会にはソルジャーという異能者がいるこの世の中だ。シーガルス団長という仕事の全貌を知っているわけではないが、それ相応な実力がないとなれないのは10年前から住んでいる者から見ても明らかだ。
現に10年前の2024年。自警団はシーガルス以外にも2つあった。彼らはそれぞれ縄張りを持ち、睨み合って争っていた。
今のいずみ島オーシャンシーガルスの他、”時ノ町エメラルドナイツ”、 ”新秋葉原フレイムファングス”。
いずれもこの島々を三分に出来てしまうほどの規模を持つ自警団で、僕が中学生や高校生だった頃は島の地区によって自警団のユニフォームの色は水色だけでなく、赤や緑色もあったほどだ。
だが、2030年に突然理事会が動き出した。島の安全を守る体制を見直し、強固な物とする必要があるとし、全ての自警団をシーガルスに統合させる形で出来上がったのが現在のシーガルスだ。
統合の中心としてシーガルスが選ばれたのには、理事長白針刻の鶴の一声があったからと言われているがその真相は定かではない。とにかく僕らに発表された情報としては「理事会で協議の末にシーガルスが選ばれた」と発表され、シーガルスに吸収される形で残り二つの自警団は消滅した。
阪上さんがソルジャーであると判明した以上、やはりそれが理事長の目にとまり、決め手となったのだろう。そうとしか考えられない。それならば、三人の団長のうち誰が再編後の団長に相応しいか僕らに問う選挙が開かれてもおかしくないだろうに。
結局の所、実際理事会が半ば強引に決めてしまったようなものだ。それをこの人はどう思っているのだろうか。




