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中編

 ◇◆◇



 綾織ひかりになりました。


 引っ越しをした。お母さんと二人で住んでいた狭いアパートなんか比べものにならないくらい広い、庭付き二階建ての一軒家。リビングもお風呂もトイレも広くて、部屋もなんかいっぱいある。なんだこの大きな家は。びびる。家の中もまるでモデルハウスのように綺麗だった。そしていい匂いだった。


 こんな家に住んでいるなんて、お父さんは何者なんだろう。気になってお母さんに訊いてみたら、「社長」と短い答えが返ってきた。

 なんと、あの情けない顔を晒してくれたお父さんは社長さまだったらしい。若い頃に経営コンサルティング会社を立ち上げてまんまと成功したやり手の起業家だとか。

 お母さんは近所のスーパーで働いていたんだけど、どこでそんなすごいひとと出会ったんだろう……。謎だ。


 一緒に暮らし始めてすぐ、私たちは家族旅行に行った。行き先はハワイ。セレブだ。


 本当はお母さんとお父さんの新婚旅行だったはずなのに、お父さんが「夏休みだし、せっかくだからひかりちゃんも来る?」なんて何気ない感じに誘うから、未知なるハワイに釣られた私はついこくこくと頷いてしまった。

 そうすると優花ちゃんと圭史さんも一緒に行きたいと言ったので、結局みんなでハワイに行くことに。せっかくの新婚旅行にお邪魔してごめんねとお母さんに言うと、お母さんは「可愛い子供たちとの旅行を嫌がる親なんていないわよ」と笑い飛ばしてくれた。


 そんな経緯でハワイに行ったのだけど、四日間も滞在していたのに私は一度も海で泳ぐことはなかった。優花ちゃんと一緒に買いに行った水着は結局披露されることなく終わった。


 それもこれも圭史さんのせいだ。圭史さんに「海は怖いんだよ」「魔物が住んでる」「変な人に絡まれたら大変」「ひかりちゃんは俺とショッピングに行こうね」とか散々言われて、水着になる暇もなかった。……圭史さんの名誉のために誰にも内緒にしておくつもりだが、おそらく圭史さんは、泳げないんだと思う。実の妹の優花ちゃんは止める間もなくバーンと脱いでダーッと海に向かって駆け出してしまったので、もたもたしていたとろい私を捕まえたのだろう。一人でハワイで時間を潰すのが嫌だったから、道連れにしようとしたんだね。


 そんな感じで過ごしたハワイでの思い出は、圭史さんでほぼ埋め尽くされてしまった。無念。


 旅行から帰ると、年甲斐もなく海ではしゃぎすぎたお母さんが疲労と夏バテに倒れてしまった。

 なので、お母さんが復活するまでの間、私が家事をやるこになった。


「ひかりちゃん、大丈夫? 怪我しないでね。なんなら俺が代わろうか? ゴハンはべつに無理して作らなくても、デリバリーでもいいんだよー?」


 包丁を使って野菜を刻む私の背後に立って、圭史さんがハラハラとした表情であれこれ心配してくる。過保護なひとだな。


「大丈夫です。今までもよく作ってたし、慣れてますから」

「……そう? でもやっぱり心配だなぁ」


 全然納得してくれない。

 そうかそうか、そんなに私の作るごはんの味が心配ですか。そりゃあこんな綺麗な家で何不自由なく暮らしてた圭史さんは、たくさんおいしいものを食べてきただろうから? 私なんかの作る庶民料理なんかお口に合わないのかもしれないけれどさ。そんなに不安そうにしなくてもいいじゃないか。

 なんだかふてくされた気分になり、私は包丁を置いた。そして頃合いよく出来上がったお味噌汁を少し小皿にすくって、圭史さんに差し出した。


「どうぞ」

「え……?」


 びっくりしたように固まる圭史さん。なんだその反応は。そんなに味が心配なら味見でもしてもらおうと思っただけなのに。私だって自分の料理に絶対の自信があるわけじゃないので。


「味見をお願いしてもいいですか?」

「……う、うん」


 圭史さんはなぜか頬を染めてもじもじと恥じらいだした。乙女か。そんな派手な格好でチャラ男全開のくせに、なんなんだろう、そのうぶな感じは。

 謎の反応を示す圭史さんをじーっと眺める。


 一緒に暮らし初めて最初のうちは戸惑うことも多く、圭史さん相手にも少しだけ異性を意識してしまって緊張したりもしたけど、ハワイで連れ回された四日間で私はすっかり慣れてしまった。こんなナリで「海には魔物がいる」とか真顔で言うようなひとだからね。泳げないなら泳げないと素直に言えばいいのに、まったく面白いひとだ。


「――おいしー……。すっごくおいしいよ、ひかりちゃん!」

「ありがとうございます」


 端正な顔をパアーッと輝かせて笑う圭史さんに、私は隠しきれないドヤ顔で礼を言った。


「ひかりちゃんは料理上手だったんだねぇ」

「いやいや、それほどでも、えへへ」


 だめだニヤニヤが止まらない。お母さん以外に料理をほめられるのなんて初めてだから。


「いいお嫁さんになるよ。こんなにおいしいお味噌汁を毎日飲める男は世界一の幸せ者だね」


 しかし圭史さん、ちょっとほめすぎじゃなかろうか。つい調子に乗ってしまいそうになるけど、私のお味噌汁なんてありふれた庶民の味だよ。普通だよ。普段はお母さんに任せきりなんだから、料理上手なわけないよ。


「たっだいまー! ああいい匂いがする! 玉子焼きいただき!」


 遊びに行っていた優花ちゃんが帰ってきて、真っ直ぐキッチンにやってきた。お皿に盛っていた玉子焼きをそのままつまもうとしたので、慌てて止める。


「優花ちゃん待ったぁ! 手、外から帰ってきたらまずは手を洗おう」

「はーい。……ふふ、なんかお姉ちゃんってばママみたいだね!」


 可愛い笑顔でそんなことを言われた。私がおばさんじみているということだろうか……二つしか歳変わらないのに……地味にショックだ。


 それから、お母さんを心配して今日は早く帰ってきたお父さんが、優花ちゃんと同じようにつまみ食いをしようとしたので、さっさと手を洗いに行かせた。



 家族揃って夕飯を終え、リビングでみんなでくつろいでいるときに、「そういえば」とお母さんが何かを思い出した。


「どうしたの?」

「もうすぐ学校始まるじゃない? ひかり、あんた学校で使う苗字どうする? 綾織に変える? それとも白石のままで通す?」

「え? そのままでもいいの?」

「ええ、学校に報告して一応相談はしなくちゃいけないでしょうけど、確か苗字が変わっても通称として旧姓を使うことができたと思うわよ」


 それはいいことを聞いた。

 綾織という苗字は珍しいと思う。だから私がいきなり人気者の圭史さんと同じ苗字なんかになったりしたら、変に勘ぐられることもあるかも知れない。それでもしも圭史さんと義理の兄妹になって同じ家で暮らしてることが周りに知られてしまったら、変な嫉妬をされかねない。あの元彼と付き合ってたときでさえ女子からの目が痛かったのだ。女子生徒の憧れのアイドル的存在の圭史さんともなれば、あれの比じゃないはず。想像するだけで怖い。

 それに二学期からの私の目標は友達を作ることだから、変に目立ってしまうことはなるべく避けたい。しれっとイメチェンを果たし、さり気なく教室に溶け込み、なんとなくな流れで友達を作るのだ。


 そのためには、白石ひかりのままでいるほうが都合がいい。


「変えなくてもいいんだったら、私、白石のまま学校に通いたいな」


 私が白石姓を名乗ることを希望すると、お父さんと圭史さんと優花ちゃんが、いっせいに眉をへにゃりと下げたあの恒例の情けない顔になった。えええ!


「……ひかりちゃん、綾織を名乗るのが嫌なのかい?」

「……父さんなんかと一緒なのが嫌なんだよね? 俺じゃないよね?」

「……漢字の画数が多いから嫌なんだよきっと。優花も嫌だもん」


 三人揃ってなんだかネガティブなことを言い出した!


「ち、違いますから! ぜんぜんそんな嫌とかじゃなくてですね、これには深いわけが!」

「わけがあるの? 聞かせてくれる?」


 詰め寄る勢いで三人から迫られ、私は内心でだらだらと滂沱の汗を流した。お母さんに助けを求めるも、お母さんは観念しなさいとばかりに首をふるだけ。薄情者!


 どうにも逃れられない状況になり、私はすべてを洗いざらい吐かされるはめになった。


 なぜ綾織姓を名乗りたくないかを説明すれば、どうして友達がいないかも言わなくちゃいけなくなり、付き合っていた彼氏がいたこと、その彼氏とばかり一緒にいて友達づくりを疎かにしていたこと、彼氏がモテモテで女子から嫉妬されていたこと、彼氏のことが大好きでいちいち好みを合わせていたらギャル化してしまって周りに避けられていたこと、なのに彼氏は清楚系の女の子に乗り換えてしまい、私は結局ふられてしまったこと。

 何もかも芋づる式に根ほり葉ほりしゃべらされた。

 お父さんと圭史さんは何やら難しい顔でむっつりと黙って聞くだけだったけど、優花ちゃんとお母さんの追求がすさまじくてついつるつると口がすべりまくってしまった。


「えー! お姉ちゃんギャルだったの!? 優花もその頃のお姉ちゃん見てみたかったな」

「写メあるわよ。見る?」

「ちょ、お母さんそれはだめ! 消して消して!」

「やった、見る見るー! ヤバいマジでギャルじゃんお姉ちゃん! 可愛いー!」

「ひいい私の黒歴史が白日のもとに晒されていく……っ!」


 きゃあきゃあと騒ぐ私たち女性陣とは違い、圭史さんとお父さんは脚を組んで腕も組んでまったく同じ体勢で怖い顔をしている。


「……ひかりちゃん、その付き合っていた男の子が、ひかりちゃんに派手な格好をするのを求めてきたのかい?」


 低い声でお父さんが言った。え、何か怒ってる?


「えっと、べつに強制されたわけじゃなくて、そっちのほうが似合うとか言われてつい調子に乗った私が勝手にしていたわけでして……」

「へえ……。アクセサリーをたくさんプレゼントしてきて、それをすべて毎日つけているようにも言われたんだよね?」

「ええ、それは、まあ。せっかく贈ったのに、つけてもらえないのは寂しいと思うし、だからそう言ってたんじゃないかな……」

「それで、最終的にはひかりちゃんと正反対のタイプに乗り換えた、と」

「……綺麗なひとだったし、あの頃の私みたいなただ馬鹿みたいに派手な子より、あっちを選びたくなるのも仕方ないですよ」


 そんないくつかの問答を終えると、お父さんは深くため息をつき、ちょっと背筋が寒くなるような低い声でぼそりと言った。


「初心を忘れた愚かなガキの成れの果て、か……」

「え? どういう意味ですか?」

「――なんでもないよ。でも、そうだな、その男の子、たぶん今のひかりちゃんを見たらまた何か言ってくるかも知れないから、そうなっても相手しちゃダメだからね。情けなんてかけずに、無視しておきなさい」

「そんなことはないと思いますけど……」

「……お父さんのお願い、きいてほしいなぁ」


 そろそろこの情けない顔があざとく見えてこないでもないが、だめだ、この顔をされると適わない。お父さんたぶん私がこの顔に弱いのわかっててやってる。確信犯だ。


「ダメかな、ひかりちゃん」

「……だめじゃないです。わかりましたよ、お父さんの言うとおりにするよ」


 どうせそんなことにはならないだろうから、気楽なものだけど。

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