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前編おまけ 兄の歓喜

 ◇◆◇



 俺が初めてひかりちゃんを見たのは、高校三年になったばかりの春のことだった。


 友人と食堂で昼食を食べていたら、やけにキラキラと輝いて見える女の子がいた。

 黒髪の生徒がほぼ大半を占めるこの学校で、ひたすらに派手な金色の巻き髪。やけに目が大きく見える濃いめの完璧な化粧。着崩された制服に、短いスカートからほっそりとした白い足が惜しげもなく晒されている。アクセサリーは趣味が悪いくらいにジャラジャラとつけられていて、おしゃれにはとても見えない。

 悪い意味でも、良い意味でも、とても人目を惹くような雰囲気の子だった。あの悪趣味な格好さえどうにかすれば、悪い意味での視線なんてなくなるだろうに。


 その子は食堂に入ってくるなり、少し不安そうにキョロキョロと中を見回していた。どこか緊張しているような面もちに、思わず手を差し伸べたくなった。


「おい、圭史、ボケっと何見てんだよ」


 食事の手も止めて彼女を眺めていたら、怪訝な顔をした友人に見咎められてしまった。


「――んー? いや、ちょっとこの学校には珍しい子がいるなと思って」

「ほう、どれどれ……? て、あれ噂の新入生の白石(しらいし)ひかりちゃんじゃねーの」

「ひかり……?」


 やけにキラキラ輝いていると思っていたら、名前までひかりとは。あの子によく似合っている名前だと思った。


 ひかりという名前の彼女は、困ったように視線をさまよわせていたが、食堂の券売機を見つけてホッとしたように顔を綻ばせている。ああそうか、彼女はこの食堂を利用するのは初めてなのだろう。だからシステムがわからずに不安そうにしてたのか。

 じっと彼女を目で追いながら、俺は目の前でうどんをすすっている友人に質問をした。


「おまえ、あの子のこと知ってんの?」

「んあ? ああ、まあ有名だからな、あの見た目だし。ちゃんとすりゃ可愛いだろうに、もったいねぇよな」

「……へぇ、有名なんだ」

「いろんな噂があるぞ、彼女。なかでも一番有名なのが、なんかイケメン彼氏がいるらしくて、その彼氏にゾッコンで四六時中そばを離れないうえに、彼氏以外とは女とも男ともほとんど口もきかないんだとさ。束縛も激しいって噂だし、愛が重いよなぁ。今日は一人みたいだけど、彼氏君は休みなのかね?」


 彼女は券売機の前で真剣な眼差しでメニューを選んでいる。

 そして決心したようにボタンを押し、出てきた食券を持ってまたキョロキョロと周囲を見回した。それから他の生徒が食券をカウンターのスタッフに渡しているのを見て、恐る恐る自分も食券をスタッフに差し出している。なんだか可愛いなぁ。できることなら俺が食堂のシステムを一から教えてあげたいところだが、知らない男にいきなり話しかけられても困るだろうから、こうして見守るしかない。


「それにしても、おまえから女の話題が出るなんて初めてじゃね? そんなチャラ男丸出しのカッコしてるくせに、おまえナンパも合コンも誘ってもこねーし。可愛い子とか年上のミスなんちゃらとかに告られても全部お断りしてるから、女の子には興味がないと思ってたぞ」

「まーね。どうせ女なんて、どれもうちの妹とたいして変わんないんだろって思ってるし。だからって男は論外だかんね? 変な気起こさないでねー」

「ねーよ。しばくぞコラ。……はぁ、なんでおまえみたいなのが生徒会なんだろ……?」


 友人がため息をつきながら胡乱な目で見てくるけど、そんなのは俺も知らないので無視した。


 俺はべつに、女に興味がないわけじゃない。妙な期待がないだけ。妹の優花は、小学生の頃から「男は顔とステータスがすべて」なんて言っていた。小学生ですらそんなことを言うのだから、女なんて所詮みんなそんなものなんだろうと思っている。

 だから特定の女に好意を抱くはずもなく、むしろ女という存在をずっと敬遠して生きてきた。ほっといても次々に沸いて出て寄ってくる女たちにうんざりもしていた。よくチャラ男だとか言われるが、俺は女遊びなんかしたこともない。ていうか童貞だし。今時の絶食系男子だし。対人潔癖症だし。


「なのに、あの子には興味があんの?」

「は? べつにそういうんじゃないよ。この学校であんな派手な子は見たことがなかったから、ただ珍しいと思っただけ」


 それに、あんなにキラキラと輝いているのだ。思わず見てしまうのも仕方ないことだろう。


 しばらくして彼女の食事ができたみたいで、彼女はトレイを持ってどこに座ろうかと席を探している。あーあ、あんなにキョロキョロとして、危なっかしいなぁ……。おいおいそこの男子、今すぐ退いて彼女に席を譲ってやれよ。いやダメだ、あの席は周りが男ばっかりだ。もっと他の安全そうな席は空いてないの? あ、あっちのほうは席が空いてる。彼女もそこを見つけたようで、ホッとしたようにそこに向かっているみたいだ。

 良かった……と思っていたら、彼女を押しのけるようにして一人の上級生の男が空いている席に向かった。ぶつかられた拍子に、彼女はバランスを崩して――。


「あぶな――」


 俺が慌てて席を立とうとしたその瞬間、彼女の背後にいつの間にかやってきていた男が、転びそうになった彼女の細い腰に手をやり支えていた。


 彼女は驚いたように男を見上げ、嬉しそうに頬を染めて笑顔を浮かべた。


「お、噂をすれば彼氏君の登場か」

「……彼氏?」


 彼女の彼氏だという男は、彼女の手からトレイを奪い取り、さっさと歩いて空いてる席に置いた。そのあとを彼女が追う。彼女が座ったのを確認すると、その隣の席に自分のスマホを置いてキープしつつ、男は自分のぶんの食事を買いに行った。

 その間、彼女は先に食べることもせず、行儀良くじっと座って男が戻ってくるのを待っていた。それから戻ってきた男と一緒に彼女は楽しそうに食事を始めた。きっと冷えて美味しくないだろうに、それでも彼女はにこにこと可愛く笑っている。


 そんな光景を眺めていたら、なんだか焼けた石を飲み込んだように腹の奥が熱くなった。吐き気までしてきて、苛々する。食中(しょくあた)りだろうか。何か悪いものでも食べてしまったかな?


 よくわからないムカつきのせいか、さっきまでキラキラと輝いていた彼女が、どこかくすんで見えた。



 しかしそれから数日後に見かけた彼女は、やはりキラキラと輝いていた。


 昼休みに所用で寄った図書室に、彼女はいた。

 彼女はひとり静かに本を読んでいた。

 ああいうギャルっぽい見た目の女はとにかく騒がしいという偏見があったが、本を読む彼女は静謐(せいひつ)に満ちていた。文字を追う瞳は熱心で、ページをめくる白くて細い指先は繊細で綺麗だった。

 なぜか目が離せなくてしばらくぼんやりと眺めていると、またあの男がやってきた。

 男が来て、彼女の隣に座った瞬間、彼女のキラキラが損なわれてしまった。


 それから何度となく校内で彼女を見かけた。

 何度か見ているうちに、俺は気づいた。彼女は一人でいるときはキラキラと輝いているけど、あの彼氏だという男と一緒にいるときはその輝きはない。彼女のきらめきを損なわせているのは、あの男だ。まったく忌々しい。

 イケメンだかなんだか知らないが、彼女にあの男は釣り合わないと思った。彼女の魅力を奪うだけのあんな男、早く別れてしまえばいいのに。俺はキラキラと輝いている彼女が見たいのだ。


 そんなことを思っていたら、夏休み前に彼女が男と別れたという噂を聞いた。彼女がようやく目を覚ましたのだと思ってなぜか嬉しくなり、俺は受験勉強もそこそこになんだか浮かれた気分で夏休みを過ごしていた。


 そんな最中(さなか)、父が再婚をすると言い出した。

 それはべつに構わないが、相手に高校生の娘がいると聞いて憂鬱な気分になった。

 俺は自分の容姿が女にとってどれだけの価値があるのかを身にしみて知っている。小学生の頃から無駄にモテてきたし、街を歩けば知らない女に誘われることなんて当たり前で、ストーカー被害に遭ったことすらある。

 だから、恋愛ごとに一番敏感な年頃である高校生の女の子なんて、どう考えても厄介な存在に決まっている。他人なら無視しておけばいいが、家族となるなら、もしも懐かれたりしたらそう邪険にも扱えない。最悪だ。


 まあ、しかし、俺は来年から大学に行く。狙っている大学は実家から通える範囲内だが、高校を卒業したら家を出て一人暮らしをすればいい。夏休みのうちに引っ越してくる予定だという再婚相手とその娘と暮らすのは、半年ほどの我慢だ。


 そんなことを思っていた俺は、父の再婚相手のひとが連れてきた女の子を見て、それまでの考えがすべて吹っ飛んでしまった。


 連れられてきたレストランの個室内で、彼女はキラキラと輝いていた。

 金髪の巻き髪ではなく黒髪のストレート。化粧をしていない顔は、以前見ていたときより幼く見える。ジャラジャラと悪趣味な付け方をしていたアクセサリーはひとつもなく、爪もなんの飾り気もなく短く切られている。服も、制服のときのような短いスカートではなく、膝丈のシンプルな淡い水色のワンピース。


 学校で見ていた彼女とは何もかも違っているが、俺はすぐにその子があのひかりという名前の女の子だと気づいた。彼女は派手な格好をしてなくても、やっぱりキラキラと輝いていたから。


 うちの父がまず挨拶をした。

 緊張しているのか、彼女はカチコチに固まって助けを求めるように母親の顔を見ている。

 返事のない彼女に父が情けない面を晒すと、彼女は慌てたようにあたふたとしながら父を元気よく「お父さん」と呼んだ。慌てる姿はなんだか可愛かった。

 学校では彼氏以外とは口もきかない無愛想で高飛車な女の子と噂されていたが、やっぱり噂なんか当てにならない。彼女はこんなにも表情豊かで素直で優しい。


 次に妹が挨拶をした。

「お姉ちゃん」と呼ばれた彼女は、ふにゃりと表情をやわらげて愛らしく微笑んだ。相当嬉しかったようだ。あー可愛い。可愛いなこれ。こんなに可愛い子が、これから俺の、俺だけの妹になるなんて。

 彼女の放つキラキラが俺の心の中まで満たしていくようで、気分が高揚した。


 俺の妹になったからには、もうあんな彼氏面で彼女の隣に居座り、彼女の魅力を損なわせていたような男なんかは二度と近づかせない。いや、あいつだけじゃない。そこらへんの低脳で野蛮でエロいことしか考えてない男共もみんなダメだ。そうだ、彼女に相応しい男は俺が見つけてやろう。なんせお兄ちゃんだからね、俺は。妹の幸せのためだったら妥協は一切しない。


 最後に俺が挨拶する。

 彼女は呼び捨てで名前を呼んでもいいと言った。ぜひともそうしたかったけれど、あまり急に馴れ馴れしくして嫌われたくはないので、俺はひかりちゃんと呼ぶことにした。


 ひかりちゃんは俺と高校が同じということにかなり驚いていた。その様子じゃ、きっと俺のことなんか知らないんだろうなと思ったら、案の定知らなかったみたいだ。少し落ち込みそうにもなったが、ひかりちゃんにはいっそう好感を持った。

 俺を知らなかったということは、俺を見て騒ぎ立てるそこらの女たちとは違って、ひかりちゃんは男に騒いだりしないタイプなのだ。


 俺が生徒会をしていると言うと、その存在だけは知ってくれていたらしく、ひかりちゃんは失礼なことをしたと思い込んで申し訳なさそうに謝ってくれた。会計としての俺を少しでも知っててくれたのはとても嬉しい。

 けれど、会計さん呼びは嫌だ。

 そう言って、さっきの父のような情けない顔をしてみると、ひかりちゃんは慌てて俺の名前を呼んでくれた。ひかりちゃんからはお兄ちゃんと呼ばれてみたかったけれど、可愛い声で名前を呼ばれるのもかなりいい。だからお兄ちゃん呼びはこれから追々、距離を縮めてからお願いしてみようと思う。


 なんせ俺たちは家族になったのだ。これから先、ずっとずっとひかりちゃんと一緒にいられるのは、彼氏なんかではなく、俺だ。

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