暗闇の考察と親について
二十歳を越えた今になって、僕という人間は幼い頃から不眠症の気を内に孕んだ子供だったのだと再認識した。
宵闇の中、ベッドに潜り込んで眠れぬ時を過ごしている内にふと、そう思ったのだ。
幼い頃の僕は、とにかく夜を恐れていた。
夜がきてしほしくない、西の空に浮かぶ夕陽に何時までも沈んでほしくないと、毎日のように思い、子供ながらに無駄だと理解しつつも両親に懇願したのを覚えている。
僕は両親と同じ部屋の同じ布団で寝ていた。
両親の間に僕が挟まって、川の字を描いて寝る。今はどうか分からないが、当時はそれが主流だったように思う。僕の通っていた幼稚園の園児たちは皆そうして眠っていた。
両親に挟まれて眠りに就くというのは一般的な子供の視点に立って考えてみれば、安心感の塊の中で眠るようなものかもしれない。それはそうだろう。子供にとって絶対的で唯一無二の存在である両親に挟まれているのだから、そこに安心感を抱くのは何も間違っておらず、真理と言っても過言ではないかもしれない。
でも僕はそうじゃなかった。
僕の隣で寝息をたてているのは、闇そのものだった。そこには母親もいなければ父親もいない。まぁこれは一種の比喩でしかなく、当然、母親と父親は隣で寝息をたてて、気持ち良さそうに夢の世界で空でも飛んでいたかもしれないが。
だが、彼らとは逆に僕の心は穏やかとは言えないものだった。僕の目に映るのはまるで底の見えない涸れ井戸を想起させる暗闇だけ。そこには一点の光も無く、たぶん僕はこう思うのだが、僕の周りを漂う闇は、一切の光の介入を許さなかったのではないだろうか?
そう思わせる程に濃い闇が僕の目前には広がっていた。
闇の中にいると僕の心臓は往々にして早鐘を打った。まるで何かを警告するかのように。
気持ち良さそうに眠っている両親を起こしてしまうのではないかと気が気でなかったのを覚えている。
心臓の高鳴りと呼応するように赤い血は全身を駆け巡り、僕の体温を異常な数値に引き上げた。全身に点在する毛穴が全て開いたのでは、と思わせる程汗が全身から噴き出した。
僕はその汗の中でも、頭皮から染み出てくる汗を特に嫌った。得体の知れないミミズのような連中が頭皮の汗腺からニュルニュルと這い出してくるような感覚がするからだ。
その感覚は現在でも消えておらず、暑い夏の日にでもなると、僕はそれを思って憂鬱になる。
あらかた汗を噴き出し終えると、今度は猛烈な寒気に襲われる。汗が冷えて、冬の日の水道から流れる真水のように冷たくなるのだ。
僕は布団の中で身を縮めて身体を震わせ続ける。勿論汗が冷えた事による寒さの所為ではあるのだが、震えの原因はそれだけではなく、僕が隣でこんなに苦しんでいるのにも拘らず、グウスカグウスカと寝息かイビキかも判然としない駄音を呑気にたて続けている両親に対して、恐れおののき、それと寒さがあいまって、身体を震わせているのだ。
ここまで書けば分かっていただけたと思うのだが、僕は暗闇にだけでなく、両親に対しても恐れと諦観めいたものを感じていたのだ。
僕が眠りに就くのはいつも朝方になってからだった。カーテンから漏れる白み始めた空の光。起きたばかりの鳥の囀り。
それらの事物に、視覚と聴覚をともに刺激されることによって、僕は涸れた井戸から解放され、両親からは得られなかった安心感を得て、やっと眠りに就く事が出来た。
そう考えてみると、両親は確かに僕と血は繋がり、同じDNAを持ってはいるけれど、でも、ただそれだけだったのかもしれない。
血の繋がりやDNAの符合だけでは、子の親になる事は決して出来ない。形式的にも法律的にも、確かに親ではあるかもしれない。僕たち人間は母親となる女の胎内にて、父親となる男の白濁とした体液を被ることによって生命を得る。でも彼らがするのはそれだけだ。
後の事など何も考えていない。子供を一人の人間として見ようとは決してしない。自分たちはそう思っていないかもしれないが、確かにそうなのだ。僕にはそれが分かる。彼らにとっては子供などペットの犬や猫に過ぎず、子供の抱えている艱難辛苦などは理解の外で、抱えている事すらも気付かずに、ふと意識を取り戻すと、自らの子供の墓前に呆然と立ち尽くしている。なんて事は世間にはざらに溢れている。
親の仕事と言うのは結局のところ、子供にどれだけ目を配る事が出来るのか? これに尽きてしまう。それを怠る親は、子供から親とは認識してもらえない。親の遺灰を前にしてもそれはきっと変わらないだろう。実に悲しむべき話である。
ーー僕に安心感を与えてくれる両親とは、現在も外で囀っている鳥たちであり、白み始めた空の光なのだ。夜の緞帳が上がろうとしている。そして僕は目を閉じる。