強奪
ちりちりと何か焦げ臭く…そして時折、金属のこすれる音。
背筋が凍るような嫌な予感を覚えて、エドアルドは寝台の上で目を覚ました。
まだ周囲は暗く、天井に描かれた文様も読み取れないほど。
何刻だ?
上体を斜めに起こし、寝台の脇机から剣を取り上げて、すぅと目を細めた。
この気配。
そして…。
意識を尖らせると、扉の外の様子が伝わってくる。
足音もなく…駆け抜けていく何者かの気配。
「…」
声を出さないようにエドアルドは息を潜め、寝台から滑り降りた。
同時に、枕を適当に丸めて布団とシーツの間に挟んでおく。
そうすると暗闇にまるでエドアルドがまだ寝ているかのように見える。
「ひぁっ」廊下の先の方から、かすかな悲鳴があがった。
何かが起こっている。
それもあまり良くないことだ。
自分の扉の外にも気配を複数感じて、とっさにエドアルドは扉の影に姿を隠した。
その瞬間、扉が音もなく開き、2人の侵入者が入ってきた。
手にしているのは、長剣。
まっすぐに寝台に向かい、ためらうことなく剣をふりあげ、下ろす。
エドアルドは二人に向かって突進していた。
「(きさまっ)」
きっと男の一人はそう声をあげようとしたに違いない。
だが、その前に喉を掻っ切られて、声を上げることはできなかった。
その反動を使って、もう一人に対しても、エドアルドは彼らと同じようにためらうことなく剣を振り下ろした。
ためらいは自らの命を失うこと。
わかっていた。
自らを殺すために訪れた二人の侵入者。
叫ばれれば、間違いなく他の仲間がやってくる。
自らの心臓が、痛いほど鼓動を打つのが耳の裏に聞こえた。
なんでこんなにうるさいのだ。
こんなにうるさく聞こえては、他の仲間を呼び寄せてしまう。
収まれ。
収まれ。
ぎゅっと左手で握りこぶしを作り、ドンッと自らの心臓の上を叩いた。
痛い…だが。
先程までうるさいほどだった鼓動が聞こえなくなった。
そして、エドアルドの足元には喉を抑えて倒れた二人。
ぬるりと額から何かが垂れてきて、エドアルドの視界を覆う。
エドアルドそのとき始めて、血飛沫を浴びていたのだと気づく。
鉄の錆びたような臭いが漂う。
そして、開いた扉の向こう側からも同じような臭いがする。
同時に、焦げるような臭いも。
王が!
右手の柄を握り締め、エドアルドは扉に近づいた。
廊下の気配を伺う。
エドアルドの居室は、王城の中でも端にある。
女と戯れるために、好んで抜け出しやすい端の部屋を使っていた。
そのために、気づくのが早かったのだ。
それが凶と出るか、吉と出るか。
鎧でもなく鎖でもない頼りない夜着を引き寄せ、きゅっと唇を噛みしめると、エドアルドはそっと廊下の外に歩き出した。
廊下の先々で惨劇が繰り広げられたらしい痕跡が残っていた。
驚愕して倒された見張りの兵士の姿に眉をひそめる。
その顔には顔見知りがほとんどだ。
即位式の騒ぎに紛れ、酒に酔い、少し気が緩んでいたところを襲われたのだ。
いつも馬鹿を言って、笑いあう仲だっただけに、エドアルドは沈黙で死を悼んだ。
皆、油断していたのだろう。
そのまま、足音を立てないように王と王妃の居室へと向かう。
侵入者たちの姿は見える範囲にはいない。
フレッドやセシルの無事も心配だった。
だが、あの二人はこの階とは別の場所にいる。
無事は確かめようがなかった。
祈るだけだ。
手にした剣が、血を吸ったためなのかどんどん重さを増していく。
空気に重さが加わったかのように、足を進めるごとに、身体が重くなっていく。
「…」
奥から声が聞こえた。
聞き覚えのある声。
「さあ、アイーシャ。兄と一緒に帰るのだ」
「何を言っていらっしゃるの。お兄様」
いつもふわふわした母に似つかわしい硬い声だった。
「何をしたかわかっていらっしゃるの。あなたは…あなたは」
「わかっている?わかっているとも。あんな愚鈍な男にお前は相応しくない。お前に相応しいのはわたしだ」
そして、暴れるような音。
「ぅ」という声とともに、聞こえなくなる声。
聞き間違えようのない…ジャイーンの声。
そう思った瞬間に、エドアルドは扉の向こうに飛び込んでいた。
部屋の中央に全身黒尽くめの服を着たジャイーンが立っていた。
右手には剣。左腕の中には…母の姿。
母は、先程までの言い争いの影もなく、なぜか抵抗もせずただ虚ろな目で王の姿をみている。
そして、寝台の横には、とっさに立ち上がって応戦したのだろう、剣を握って倒れた王の姿が。
じわりじわりと揺れる松明の明かりの中で広がっていく黒い染み。それが血だとわかっていた。
その姿に思わず、「貴様っ」。
構えて、飛びかかっていた。
だが、ジャイーンも剣の優れた使い手。
とっさに、エドアルドの剣を弾いていた。
「これはっ、第二王子」
はっ、と可笑しそうに笑う。
「眠り香が聞かなかったのか」
焼けるような臭い、と思ったのは眠りを誘う煙だったのか。
言われて理解し、ギリと歯ぎしりをする。
「何をしたのだっ!」
優雅にジャイーンが微笑む。
「わたしのものを取り返しにきただけだ。今日という日をどれだけ待ったことか」
その言葉に、この襲撃が偶然ではないことを悟る。
「あの男の血を引いた子供は邪魔なだけだ」
いつまでもアイーシャがこの国に心を残す。
「とはいえ、アイーシャの子でもある故、わたしが自らの手で引導を渡してやろう」
そして、ジッとエドアルドを見る。
何か気持ちが悪い。
そして、エドアルドが何か違和感を覚えた。
ジャイーンがいつもしている眼帯が外れている。
そして…その下に輝くのは、気味が悪いくらい血に染まった石…いや違う。赤い目だ。
今、瞳孔が開き、エドアルドを見ている。
抜い止められたように動けなくなる。
汗腺という汗腺がひらき、冷たい汗が流れた。
ガンガンと頭が痛んだ。まるで、金槌で頭蓋骨を叩かれているかのように。
あまりの痛みに頭を抑える。
だが、エドアルドの身にはそれ以上は何も起こらなかった。
「ばかな」
ジャイーンがしばらくしてつぶやいた。
「貴様はなんだ」
「何のことだ」
「わからないのか…。だが、仕方ない。この男を殺せっ!」
ジャイーンだけでなく、部屋にいた他の侵入者も剣を振り上げるのが目の端に映った。
一斉にエドアルドをめがけて剣が降ってくる。
同時に、ジャイーンが剣を振り上げた瞬間、エドアルドの身体を縛っていた金縛りが解け、エドアルドはとっさに横に飛んでいた。動けたのが奇跡のようだった。
そのまま身体をすべらせ、廊下に駆け出す。
背後を侵入者が追ってきているのを感じていたが、後ろを振り向くことはできなかった。
剣を握り締め、自分の部屋を目指す。
幾度か兵士の死体を跨ぎ。
開いたままの自室に飛び込み、そのまま、窓へと駆け抜けて、身体を丸めて一気に外へと飛び出した。
ガラスが派手な音をたてて割れる。
いくつかの欠片がエドアルドの頬をかすめたが、痛みは感じなかった。
いけるかっ。
一瞬の浮遊感が全身を覆い、次の瞬間、身体がずどんと重くなって、足からバシャ、と水音が闇夜に響き渡る。
大人の腰ほどに水のある池に、幼少の頃はよく飛び込んだものだ。
だが、大人となった今は、水底にたまった泥に足をとられ、身体が傾ぐ。
エドアルドは水に沈みそうになる身体を無理やり池の淵に押し上げる。
上を見上げると、さすがに2階を飛ぶのはためらわれたのだろう。窓に侵入者の影が見えた。
だが、追う気配が薄れたわけではない。
逃げなくては。
あのジャイーンの赤い瞳がわけもなく怖かった。
赤い瞳が追ってくる。
逃げなくては。
エドアルドは水を滴らせたまま、王庭を駆け抜け、門を抜け、闇の中へと走り去っていったのであった。