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晩餐会

 いつからだろう。

 女のあげるあからさまな嬌声や視線に嫌悪を覚え始めたのは。


「どうした。エドアルド」


 まるでウジ虫のように集ってくる女から逃げて、エドアルドはベランダに立っていた。

 今日は新月。

 月の隠れた闇の中では、エドアルドの目立つ黄金の髪も目立たず隠してくれる。

 ちらりと背後に目を向けると、幼なじみアルノーが手にシャンパンの注がれたグラスをもって立っていた。場内の華やかな喧騒を移すようにグラスの中に鮮やかな色が瞬く。その一つをこちらに渡した。


「君の父上の即位式だというのに浮かない顔だな」


「べつに」


 そして、グラスに軽く唇を付けただけで顔をしかめて離してしまう。「ぅ」


「アルノー。強いぞ」


 クスリとアルノーが笑った。エドアルドは顔もよく、頭も良く、剣術も完璧であったが、唯一…酒に弱かった。

 会場では我慢して一口くちをつけていただが、一緒に育ったアルノーにはその事実を隠さない。

 実際に飲むと、顔が真っ赤になってしまうのだ。


「ああ。すまん。強かったか」


 手にしたばかりのグラスを突き返すエドアルドを柔らかい視線で見返しながら、アルノーがエドアルドの手からグラスを受け取り、そして一気にグラスを傾けた。

 顔色も変えずに。

 そして、自分の持っていたグラスも一気にあけると、エドアルドの傍らに立ってエドアルドの先程まで視線の先に目をやった。 


「また、嘆きの森を見ていたのか」


 幼い頃からエドアルドはなにかあると必ずあの森を見ていた。知っているのはアルノーだけだったが。


 なぜ嘆きの森と呼ばれるのか。

 時々、何かの生き物の泣き声がするからだとか、迷い込んだ旅人が泣いて叫ぶ声だとか言われているが、実際には旅人は光のささない森をおそれる。そして、本当かうそかは知らないが、方位計もまともな方位を示さないという。磁場が狂っているのだろうか。

 さらに、かつてのあの魔王の城が、死の城となって奥にあると知っていれば、近づくものなどいない。

 ただ、それでも見てしまうのは、時折エドアルドの記憶に、聖王と呼ばれたロアルドの姿が森と重なるだけで。

 幼い頃に一度だけ目にしたロアルドの後ろ姿。

 その姿は森の入口にあり、決してそれ以上は踏み込まない。

 背後にエドアルドを見つけ、驚きを隠さず、同時にここには二度と来るなと告げた。

 エドアルドは、ロアルドに禁じられたあの時から、何かが森にあると感じた。

もしかすると、森の名の由来さえもロアルドが水面下で流したのではないか。

 

「もどるか」


 考えても埒のあかない過去の出来事に、エドアルドは嘆息し、アルノーとともに踵を返したのだった。











「おお。久しぶりだな、エドアルド殿。ずいぶん大きくなられた」


「ジャイーン伯父上。お久しぶりです」


 エドアルドは会場に戻るなり近づいてきた人に軽く会釈をした。

 女に見せた冷酷な雰囲気も、アルノーに見せる砕けた顔でもなく、ただ余所行きの穏やかな表情を浮かべて笑う。


 ちょうど顔を見せたジャイーンは母アイーシャの弟だ。

 北方のエグゼラの王太子で、プラチナに輝く髪と、抜けるような白い肌が北方の民の特徴を身体に有する細身の男である。

 今日の彼は、晩餐会にあつらえたらしい明るい緑の衣装を身にまとっていた。

 

「しかし」


 エドアルドの全身を頭のてっぺんから下まで眺め、くすりと笑う。


「なんですか?」


「いや。ずいぶん大きくなったものだなと。あのずぶ濡れの坊やが」

 

「いつの話ですか」


 さらりと話しを逸らす。

 エドアルドはめったに泣かない。

 男子たるもの、というガルドス国の教訓を全うしていた。

 物心ついてから、泣いたのは一度だけ。

 その一度をこの曲者の男に見られたのだから、自分の迂闊さに少し腹がたった。


 正直なところ、この伯父がエドアルドは苦手だった。


 時折、実の妹である母のアイーシャを眺める視線が気に入らない。

 アルノーに言わせれば、自分はマザコンだということだが…乳離れしない子供のことをそう言うらしいのだが、そうではなく…なんというか説明できない何かをこの伯父には感じるのだった。

 自分と同じように女には事欠かない男だが、そろそろ40にもになるといのに未だ妃がいない。

 最も、今はいないだけで、もうしばらくしたら、妹のセシルが嫁ぐことになっている。

 齢12になるが、身体が弱いせいであまり外に出たことがない。生まれた時に、医師からこの子は20まで生きることは出来ないだろうと宣言された。

 そんな妹に対して、生まれおちて数日でエグゼラから婚姻の申し込みがやってきた。

 それもジャイーンの妃にという。

 その時はさすがに温厚なアルフレッドも顔色を変えたということだが、それから10年間、ジャイーンは他の女を顧みず、セシルを欲しいと正式な使いを出し続けた。


 確かに、王家での近親婚は皆無ではない。

 もともと北方のエグゼラは、冬の間、閉ざされるという国であるからか、近親婚はかなりあたりまえのように存在しているという。

 ガルドス国ではそのような風習はない。

 もしあったとしても、ロアルド王の時にすべて消え失せた。

 なぜなら、当時いた王族の全てが魔王によって消されたのだから。


 エドアルドは妹のセシルを大切に思っていたが、ジャイーンのように妹の子供を欲しいと思うかと一瞬考えて、即座に首を横にふった。


 血が濃くなれば、奇形が生まれやすくなるともいう。


 話どおり、エグゼラの王国には奇形が多い。

 実際、ジャイーンの紫色の色素の薄いその左目も、現を映さないのだという。

 そして、ジャイーンは眼帯を欠かさない。どこを見ているかわからない目が人を怖がらせるからだという。


「ジャイーンお兄様。こんなところにいたのね」


 からからと賑やかな笑い声が響いて、続いて「よく来てくれたな」という声が聞こえた。

 

「アルフレッド殿…と、もうガルドス王と呼ばねばならないか」


 そして、視線をアルフレッドとアイーシャに移した。

 右手をさし出して、歓迎の意を示す王。

 アイーシャは久しぶりの兄との再会が嬉しいのだろう笑みを絶やさない。

 ガルドス国の王太子、現国王は愛妻家で各国に名高い。

 いつも仲睦まじく、その結果、王族には珍しく妾妃を持たず、3人もの子宝に恵まれていた。

 

「構わぬよ。アイーシャの兄上であれば、私には義兄に当たる。兄上に王と呼ばれるのはこそばゆい。それに」とかすかに声を潜めて。


「私にはまだ王という冠は重く感じる」


 続いて、くすくすという笑い声が聞こえ、それがアルフレッド特有の冗談であったとわかる。


「まあ、アル様。そんなことを今からおっしゃっていては先が思いやられます」


 そう答えるアイーシャの声はまだ若い。

 ジャイーンの強引な申し込みを受けざるを得なかった理由はアルフレッドにもあった。

 アイーシャ王妃とアルフレッド王の歳の差は5歳ある。

 そして、アイーシャを妃にもらったのはアルフレッドが18。アイーシャがまだ13の時である。


 発端はアイーシャの一目惚れだったというのは公然の秘密だが、対外的にはアルフレッドの一目惚れということになっている。

 

 王族同士の身体を交えない白い結婚ということもなく、15歳でさっさと長男のフレディを産み、エドアルド、セシルと続く。

 おかげでまだ若々しい母親だが、父親の母への溺愛ぶりにときどき辟易することもあった。


「元気そうでよかった。アイーシャ」


 ジャイーンが握る手をアイーシャに移し、そして握った。


「いつも手紙で書いていますでしょう。私は元気です、と」


「確かに」

 

 アイーシャを溺愛する度合いは、ジャイーンもアルフレッドとさして差はなく、アイーシャが幼い頃は夜会を覗くのも禁じられていたというほど。

 といっても、アイーシャが無邪気に子供に語る過去は、どう考えても10歳かそこらの幼い子供の話ではない。

 別に過保護な親だからといわけではなく、普通に夜間の外出を禁じられている年頃だと思う。

 おまけに、潜り込んだ夜会で一目惚れしたのが11歳の時。

 16歳の若いアルフレッドだったというのだから、マセガキといっても過言ではないだろう。


「それはもうね、おとぎばなしのような運命的な出会いだったの。アル様を見た瞬間に、電撃が全身を駆け抜けて、この人が欲しいと思った。だからね、がんばっちゃった」


 えへ。


 …ではない。

 

 たしかに、アイーシャの姿は物語に出てくるお姫様のように可愛らしく儚げで、きらきらとした紫のまなざしも、そのものお姫様なのだが、アルフレッドは幼女趣味ではない。16歳の男からすれば、11など…想像もできない子供である。

 その子供から、むちゃくちゃなアプローチをされ、おまけに引き離すなら死んでやるとまで宣った可憐な(どこが)お姫様に、戸惑っていたガルドス王国も、大切な娘を早いうちから嫁すことになり、嫌がっていたエグゼラもしぶしぶながら二人の婚姻を認めたのだった。

 まあその頃には、アルフレッドもアイーシャに絆されていたのだから、ちょうどよかったのかもしれないが。


 それを、アイーシャは息子や娘たちに恥じること無く、その時の様子を目をきらきらさせながら寝物語に語ってくれるのだ。

 

 エドアルドには、母にそこまで言わせる父の魅力はよくわからない。

 容姿の段階では、雪の妖精と評される母と比べれば、凡庸。暗褐色の髪に茶の瞳。焼けた肌。確かに、剣が趣味というだけはあり、体躯はいいが、それとて、剣士というわけでもない。

 性格も、よく言えば温厚。過ぎれば茫洋とも言える、様々な出来事に白黒つけられない父の姿が格好いいとは思えなかった。

 それは王太子であったときも同じだった。

 数人の重臣意見にいつも左右されているように見える。

 それが少し腹立たしく、一度言った時があるが、その時もアルフレッドはにこやかに笑いながら「結局は民がよければそれでいいんだよ」と言っていた。

 王とはそういうものなのだろうか。


 対して、エグゼラは絶対王政といっても間違いではないほど、王が絶対である。

 右と言えば、誰もが右を向くのだという。

 

「さて、エドアルド。すっかり忘れていたが、先程ルイーズ殿にお前はどこだと問われてな」


 エドアルドは忘れかけていた女の名前を聞いて、かすかに目を細めた。

 どうせならすっかり忘れておいてくれれば良いものを。


「探しておられるということだ。顔色が悪かったようだし、早く探してさしあげろ」


 …顔色が悪かったのではなく、怒りで顔色が変わっているだけ…とはこの場ではさすがに言えない。


「はい」


 一歩下がって軽く頭を下げ、その場を足早に立ち去る。

 もちろん、エドアルドにはルイーズを探す気は皆無だった。

 女の恨み言に巻き込まれる前に、自室でくつろぐほうがましだという結論に達したからであった。



 

 その夜は遅くまで、明かりが灯され。



 

 いつまでも耐えること無く誰かの笑い声がホールからは聞こえていた。



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