クライ・マスター
エドアルドが眼球を炎の熱に焼かれ、眼球を包む水分が蒸発していくのを感じた。
乾ききった目を開けているのも辛く、静かにまぶたをとじた時だった。
どぅ、となぜか民の間に動揺が駆け巡った。
エド、と聞きなれた声が群衆の中から聞こえた気がしたが、炎の勢いにすべて巻かれて音さえもなくなる。凄まじいまでの炎。そして、静寂。
そして。
頭上からパサリという羽切り音とともに、てっぺんから足元まで肌の上を一気に風が駆け抜けた、
「助けてくれと言わないのか」
聞き覚えのある幼い、乱暴な口調が聞こえた。
そして、今頃、気切れのように焼かれているはずの自分が、なぜかまだ息をしていることに気づく。
だが、目を開けたくない。
夢かもしれないから。
一瞬で、自分は死んで。
これは自分にとって都合の良い夢かもしれないから。
だが、いつまでも痛みも来ない。
観念したエドアルドはゆっくりと目を見開いていく。
民の視線も。
王の視線も。
ジャイーンでさえも。
エドアルドを見て。
沈黙して。
いいや、その上を見ている。
目線を上に向けると。
映るのは、見覚えのある灰色の薄汚い塊。
その塊から、重力に逆らい大きく空に伸びる白い翼が伸びていた。
ゆっくりと羽ばたき、エドアルドから炎を避けるように頭上に降り立った。
空に一層大きく白い翼が広がった。
空を覆うように。
まるで絵のような奇跡の一瞬。
エドアルドは見上げて。
なんて、この生き物は美しいのだろうと、気づかず涙が溢れた。
「愛している」
死ぬかもしれないと思った瞬間、きちんとリュウに告げていなかったこととを後悔した。
言うチャンスをくれた優しいリュウに心から感謝したい。
このまま死ぬのだとしても…。
神は、自分に最後に幸せをくれたのだ。
「ばっ、この馬鹿。何、こんなところで言ってる」
小声で落ちてきた言葉は今までどおり。
「後悔しないように」
笑うエドアルドの後頭部に闇が殴るようにホヨンと伸びて、チリという痛みとともに掻き消えた。
「命乞いくらいしたらどうだ。もうちょっと可愛げがあると思うんだが」
「残念ながら、性分で」
「つまらない」
「はは。つまらないか」
結局、自分は何をしてきたのか。
こんな風に王殺しを着せられて、民の前で見せしめのように殺される運命にあったということか。
「ああ。このまま死ぬのもつまらない。だから、あんたをさらって行くことにした」
「は?」
人の世にはかかわらないのだろう?
そう聞き返すべきだろうかと、エドアルドはこんなときにもかかわらず冷静に考えた。
だが、そう告げた瞬間、塊の足元からじわりと隠れていた闇が染み出てきた。
ほわりほわりと赤い闇に飛ぶ黒い蛍のように舞っては、炎に触れて炎が消える。
エドアルドの身体の上を這って、いくつか消えて、多くが中に舞う。
闇が炎を喰らうその光景は、とても不気味で、とてもきれいだった。
炎が混乱を巻き起こすなら、闇は沈黙を連れてくる。
雨もないのに消えていく炎を、民はどう感じているのか。
咳きひとつ聞こえない沈黙をエドアルドは不思議に思った。
そんな騒ぎの中心は、周囲の沈黙など意に介した様子もなく、フードの奥から、王やアイーシャを見下ろしていた。
「あれがあんたのお兄さん、お母さんか」
「そうだ」
「似てないね」
「そうかな」
似ている、似ていないなどと今まで考えたこともなかった。
フレッド王がこちらを見ている。
虚ろな目でかすかに唇を開けたトロンとしたどこか夢現な表情だ。
アルノーの言うとおり、ジャイーンに術でもかけられたのか、毒でも盛られたか正気ではないのだろう。
ただ、ふと、こちらに向ける視線に見覚えがある気がした。
「なんだ。嫌われていたのか」
「さっさと気づけ」
他人のリュウにでさえ、一瞬で見破られてしまう、薄っぺらな仮面。
兄は、エドアルドがいなくなることを喜んでいた。
正気ではないのに。
正気を失ってなお、兄は、聖王ロアルドに似たエドアルドを疎んじてる。
「あれが、お母さんのお兄さんのジャイーン」
リュウに呼ばれて、ジャイーンがこの距離でも声が聞こえたのか、驚きに目を見開き、リュウを見た。
声をあげるリュウ。
「『ジャイーン』」
「お・う」
唇がそう動くのが見え、その紫の瞳が昏く喜びに輝いた。
そして、ジャイーンは座から降り、こちらに向かって静かに頭を垂れた。「よく生きておられました」
何が起こっている?
リュウは当たり前のように、こう言った。
「これ(エドアルド)は、おれがもらっていく。いいな」
「畏まりました」
ジャイーンは一言も反論せずに返事をした。
エドアルドを拘束していた縄に闇が気まぐれに飛来して、茨が交差したところが消えて、残りの縄が足元にとぐろを巻きながら落ちていく。
「さあ、ついて来い」
イカナイデ、と離れていた闇が舞い上がりその身体にもどっていく。
人の目には、白い翼と、ただ炎が消えていく光景だけが焼き付いたはず。
そして、エドアルドはジャイーンを睨んだ。
「わたしはおまえを決して赦さない」
俯いていたジャイーンの頭がその言葉にゆっくりと上がって、いつもの見慣れた皮肉げな笑みを浮かべて、エドアルドを見た。
「せいぜいメッキが剥がれないように気をつけるがよい」
その日を堺に。
黄金の王子と呼ばれたエドアルドの痕跡は、史実から姿を消す。
それから10年余り後―
ガルドスは王の無秩序な君主政治に振り回され、長く昏迷の時代を迎えることになる。
圧政に耐えかねた民は、ガルドスの失われた王子に光を見出す。
彼は、やがて民の力に支えられ、傾きかけていた国を立て直し、その王座に就く。
その横には、民の前にほとんど姿を見せない小柄な王妃がいたとかいないとか。
だが、それは、今はまだ別の話である。
一気にラストまでアップしました。
この話はここで完結です。
ただ、リュウとエドアルドの出会いを書いてみたかっただけという(爆)
いろいろな謎が全く解けていない状態ですが、
この後、二人は長い二人?謎解きの旅にでかけます。
本編では出てこなかったイチャイチャもあるはず。
少しだけ番外編を用意しています。
番外編をアップし終わったら完結設定をします。
もうしばらくお付き合いください。




