アルノーの旅立ち
「信じ…られない」
アルノーはエドアルドの一気に話したあの日の夜の出来事に、頭を振った。
「そして、わたしは森へ逃亡し、かつての魔王の城で今日まで身体を癒していたというわけだ」
リュウの話は意図的にしなかった。
リュウの話をすれば、自分の影を払う力の話もしなければならないし、魔物がまだ存在しているという、今以上の混乱を呼び起こすことも十分わかっていたから。
「王子様がサバイバル体験か。見ものだな」
「言うな」
この姿も決して衛生的とは言えない。
雨を貯めた水で、時折身体は拭いていたものの、かつては毎日のように焚き占めていた香の匂いも今はしない。むしろ、男臭く…汗臭さも交じる。
「それにしても。ジャイーン様が…王を…」
「…」
「エグゼラの王族が、近親婚をよく繰り返すというのは知っていたが、実の妹にそこまで懸想するというのは…理解出来ない」
それに。
「アイーシャ様のことも理解出来ない。あの日から、3日と明けずに、ジャイーン様を自室に呼んでいると聞く」
「なぜ」
「知るか」
「おまえが見たという赤い目…その目が気になるな」
「わたしもだ」
エグゼラの国が隠し持つ何か。
それを守るために、エグゼラが近親婚を繰り返しているのだとしたら。
「エグゼラを探ってみるか」
アルノーが剣呑な光を宿して、エドアルドを見つめた。
「わたしも」
「ばか。おまえが関所を抜けられるわけがないだろう。ここに隠れていろ」
「なんのために、そこまでする」
「俺は…この国を愛しているだけだ。もし本当におまえが…エドアルドが王を殺したのだとしたら、俺はこの生命をかけてもおまえを追い詰めてやると思う。だが、おまえは王を殺してないと言った。俺が知っている…ちょっと女にだらしなくて、練習嫌いだと言う割に影でこそこそしちえる猫かぶりの第2王子のエドアルドに見える」
「こら」
あまりな形容詞に、思わず苦笑い
「だから、俺はおまえを信じる」
「…」
言葉にはできない何かが、胸の奥にこみ上げる。
信じてもらえる、というのがこれほどまでに嬉しいと思ったことはなく。
「安心しろ。もし、おまえの言葉が嘘だったら、ルル家の全身全霊をかけて、末代まで祟ってやるからな」
「それは勘弁してくれ」
両手を膝について大きく頭を下げた。
つかの間目を瞑り。
「ただ。アルノー、ひとつだけお願いだ。頼むから、わたしを踏み台にしても、おまえは生き残ってくれ」
アルノーが不敵に笑った。
「弱気な発言はエドアルドらしくない。おまえが弱いのは、酒だけで十分だ」
次の日、朝早く、朝もやの霞む中、アルノーはエグゼラへと旅立っていった。
エグゼラまでの道のりは遠く。
途中、替え馬を飛ばして3日。
戻りで3日。
その間に状況は悪化することはあっても好転することはない。
「長くて2日だ。滞在は。それ以上、何もつかめなければ、戻ってくる。だから早まった真似だけはするなよ」と口を酸っぱくして言われ、エドアルドは了承した。
アルノーが何かを掴んで帰ってくるのが早いか。
エドアルドが捕まるのが先か。
その時は、刻一刻と迫っていた。
ただ、その日は、何事も無く平穏に過ぎていった。
アルノーが旅立ったその日の朝。
再びリュウが姿を見せてくれた。
言葉はなく。
ふらりと扉をくぐって現れて。
ただ、エドアルドに鳥を与えて去っていった。
もしかすると、リュウは答えをしっているのかもしれないと、エドアルドはその時ふと思った。