現状把握
エドアルドがアルノーの姿を確認したとき、まさにアルノーは影の存在に気づかず的になっている状態だった。
剣も抜かず、周囲に目をやりながらも、一番の敵である影には無防備。
「アルノー」
「エドアルドっ」
低く唸るような声をあげて、自分の存在を知らせた。
同時に剣をふりあげて、影を切り裂いた。
その剣が、かすかに薄い白い影に覆われていることまでは気づかない。
「ばっ、何を」
「影だ」
まるでこの森の唯一の獲物であるかのように、影が木立の間からふよふよと現れてくるのをエドアルドはぞっとしない気分で見た。
こんなにも影がいたとは。
「影?」
だが、影の獲物として認定されたアルノーには見えていない。
厄介だった。
「ええい。とにかく、逃げるぞ」
アルノーが何をしに来たのかは知らないが、とりあえず、リュウのところまで行けば影も寄ってこないだろう、という打算的な考えをいだいてエドアルドは走りだした。
だが、エドアルドが駆けてきた方向にはリュウの姿はなかった。
つまり、エドアルド以外の人間に会うことをリュウは良しとしなかったということ。
「くそ」
王子らしからぬ悪態をつき、アルノーを振り返った。
「こっちだ」
エドアルドの鬼気迫る表情にアルノーも危険を察知したらしく、頷き返す。
そして、アルノーもエドアルドも息が切れるほど走りだす。
エドアルドは時折、前方を気にしながら、アルノーの足元を切る。
走って。
走って。
走って。
二人の全身を水のような汗が包んだとき、二人はようやく魔王の城にたどり着いていた。
くたびれ、今にも外れてしまいそうな鉄でできた門をあけ、中へと誘導する。
不思議なことに、影はそこから先には進んでこなかった。
エドアルドの視線の先で追いかけてきたいくつもの影が、ふよふよと宙を舞っていたが、やがて消えていった。
「ど、どういうことだ?」
ぜぇはぁと息を切らしながらエドアルドが呟いた。
「そ、それは。こっちのセリフだ。ばかやろう。いきなり現れて、説明もなく…こ…この城」
「ああ。アレだよ」
「魔王の…か。まだ残っていたのだな」
「ああ。よほど頑丈にできていたらしいぞ」
「へぇ」
アルノーは膝についていた手を離し、ゆっくりと上体を起こした。
視線を周囲に巡らせて、入ってきた半分朽ちた灰色の石造りの門を見て。
そして、窓ガラスは割れ、蔦の這う城を見た。
「確かに」
「とにかく、中に入ろう」
一瞬、アルノーがぎょっとした顔をしたが、エドアルドがあまりにも普通にしているので、自らの恐怖を理性でなっとくさせたらしい。首を縦に振った。
「はっきり言おう。状況は最悪だ」
エドアルドが案内したのは、入ってすぐの自らの寝床の近くだった。
そこに二人であぐらをくみ、顔を付き合わせると鋭い視線をアルノーが向けてきた。
「おまえが、王を殺したのか」
「まさか」
エドアルドは即座に首を横に振る。
「だろうな。だが、実際にはおまえの手配書が国中にばら蒔かれている」
「は?」
自分は王を殺してはいない。
なぜ、実の王を殺さなければならない。
理由もないのに。
「王位継承権が欲しくて、即位式の夜に王に直談判に行ったおまえが、認められなかったことに腹をたてて王を切ったことになっている」
なんだ、その出来の悪いお芝居のような作り話は。
「ばかなっ。おまえまでそれを信じたのか」
「信じるわけがないだろう」
アルノーがむっとしたようにエドアルドを見返した。
その様子に、エドアルドが浮かしかけた腰をもとの椅子に戻した。
「母上は」
「王妃様は、ショックが深くて、居室から出てこられない」
「王は」
「フレッド様が即位された」
生きている、などと甘いことを言われたかったわけではない。
「セシルは」
「王妃様と同じく、落ち込んで自室に引っ込んでおられる。ちなみに、ジャイーン様との婚姻は破棄された」
ジャイーンという単語にピクリと頬がひきつる。
「フレッド…兄は…わたしが王を殺した、と言われて信じられたのか」
エドアルドはいきなり突きつけられた現状のひどさにめまいを隠せなかった。
「信じるも何も、おまえが王を殺した、と言ったのはフレッド様だ」
両手で両目を覆う。「なぜだ」
王を…父を殺したのは…ジャイーンなのに。
「ジャイーン様が、まだ若いフレッド様の後見人になられた」
「フレッドに…会わせてくれ。会ったらきっと兄上も」
「むだだ」
アルノーは何を知っているのか、かぶりを振った。
「フレッドなら分かってもらえると」
「昔のフレッド様ならばいざ知らず、即位されてからのフレッド様の様子からは、おまえの話を聞くとはとうてい思えない」
知っているか?とアルノーが言葉を続ける。
「森の入口にいた兵士は、我が国の兵士だ。フレッド様が、おまえを捕らえるために、兵を差し向けている。フレッド様は本気だ。本気でおまえを殺そうとしている」
おまえがやったのではないと信じる、先代王から続いた何人もの忠臣の意見も排斥された。
「アルノーは…おまえまでわたしがやったと」
「最初に言っただろう。おまえを信じている」
フレッドはあの場にいなかった。
ジャイーンが言葉巧みにフレッドを騙したのか。
だが、なぜ、ジャイーンの言葉を信じた。
実の弟が、父を殺したという、そんな馬鹿げたお伽話を。
アルノーが声を低くして、エドアルドに囁いた。
「最近のフレッド様は正気ではない…と俺は思っている」
ギョッとしてアルノーの顔を見る。
アルノーは静かにエドアルドの目を見返しながら頷いた。
「目も虚ろで、言動もちぐはぐだ」
おまけに、何人かの家臣が同じような状況になっている。
仮初にも王位についた者を家臣がそう評することは、不敬にあたる。
アルノーは誰よりも知っているはず。
その彼をして、言わしめる何かが自分の家族に起きているのだ。
「何が…起きているんだ?」
自分が、城を飛び出してから…10日か…その間に、この国になにが起こったのか。
「正常なものは、皆、理由を知りたがっている」
アルノーがエドアルドの言葉を受けて、厳かな顔になった。