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第5話:空間の魔術師

 カシムに連れられ、巨大な防壁を越えて「隣の区画セクター」へ足を踏み入れた瞬間、私は息を呑んだ。


「……これが、今のこの区画の現実だ」


 カシムが苦渋に満ちた声で呟く。

 そこは、地獄だった。通路は人で埋め尽くされ、人々は立ったまま眠り、壁沿いには家族が重なり合うようにして身を寄せ合っている。薄暗い魔光石の明かりの下、濁った空気が重く淀んでいた。


「アリア殿。このセクターの居住可能面積は、あと数時間で完全にパンクする。新たに住民を受け入れるスペースなど、物理的に一ミリも残っていないんだ」


 案内された統治府の最上階。眼下に広がる、うねるような人の群れ。

 カシムの部下たちが、絶望的な顔で私を見る。

「ライオスの妻を連れてきて、何になる」「あんな贅沢なギルドの人間が、この窮地を救えるものか」――そんな刺さるような視線。

 私は、カシムから手渡された区画全体の構造図を、机の上に広げた。


「……いいえ、まだあります」


 私は震える手でペンを握り、構造図を凝視した。

 ライオスが「芸術的ではない」と捨て、見向きもしなかった無数の空隙。

 地下都市という巨大な岩盤構造の中に隠された、わずかな歪みと遊び。


 私の頭の中で、数式が高速で組み上がっていく。

 一見、ただの厚い壁に見える場所。不要な換気ダクト。設計の余裕として切り捨てられた無駄な余白。


「壁の厚さを十センチ削り、梁の構造をトラス形式に変更。天井高をわずかに下げて、浮いた空間に『積層型居住ポッド』を差し込む。空気循環は、既存のダクトに魔法陣を付与して強制排気に切り替えれば……」


 私のペンが、猛烈な勢いで図面を書き換えていく。

 周囲の文官たちが呆然と見守る中、わずか数時間で、図面の上には「数千人分の居住スペース」が出現していた。


「できた……! カシム様、すぐに工事部隊を出してください! このポイントの壁をぶち抜けば、裏側に巨大な未利用空間が生まれます!」

「なっ……そこは強度が保てないと言われていた場所だぞ!?」

「大丈夫です。私の計算なら、荷重を隣の岩盤へ逃がせます。……信じてください!」


 私の叫びに、カシムが力強く頷いた。


「全工員、出動だ! アリア殿の指示に従え!」


 その夜、隣の区画に奇跡が起きた。

 行き場を失い、死を待つだけだった避難民たちが、次々と「新設された部屋」へと誘導されていく。

 一人、また一人と通路から人が消え、人々が足を伸ばして横になれる場所が確保されていく。


「……横になれる。家族と一緒に、壁の中で眠れるなんて!」

「建築士様! ありがとうございます、ありがとうございます!」


 至る所から、むせび泣くような感謝の声が上がる。

 私は、作業服を泥だらけにしながら、初めて心からの充足感を感じていた。

 夫に「醜い」と言われた私の技術が、今、数千人の命を繋いでいる。


「……アリア殿。君は、やはり私の救世主だ」


 カシムが、騒乱の向こうで私を見つめていた。

 その瞳には、もはや「有能な道具」を見るような冷徹さはなく、一人の女性に対する深い畏敬と、隠しきれない情熱が宿っていた。


 一方その頃。

 アリアを追い出し、隣の区画の悲鳴を高みの見物していたライオス建築ギルドでは、予想だにしない「異変」が起き始めていた。

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