第2話:一寸の隙間に灯る火
「……よし、これで三人分は、足を伸ばして寝られるわね」
ギルドの建設現場。埃が舞い、魔光石の明かりも届かない柱の裏側で、私はこっそり図面を書き換えていた。
ここは夫が「構造上のデッドスペース」として放置した、ただの空洞。けれど私の計算なら、支柱の強度を補強しつつ、壁を数センチずらすだけで家族が眠れる「部屋」に変わる。
「あ、ありがとう、建築士様……。これで通路で寝ずに済みます……」
身を寄せ合っていた若者たちが、涙を流して私に頭を下げる。
この都市の人口は、すでに居住可能限界をとうに超えていた。
「しっ、内緒ですよ。ギルド長に見つかったら、すぐに壊されちゃうから」
夫、ライオスにとっては「美学に反する無駄な隙間」かもしれない。
けれど、この過密すぎる地下世界において、数センチの空間は、人間としての尊厳そのものなのだ。
私は夫に「無能」と蔑まれ、資材運びや清掃といった雑用を押し付けられながらも、現場の隅々でこうして「命の居場所」を強引に作り続けていた。
その時だった。
「……信じられん。デッドスペースにこれだけの人間を収容するなど、どんな魔法だ?」
背後から響いた、低く重厚な声。
心臓が跳ね上がった。振り返ると、そこには豪華な、しかしどこか疲れ切った様子の外套を纏った男が立っていた。
鋭い眼光。圧倒的な存在感。
この区画の人間ではない。おそらく、連絡通路の先にある「隣の区画」の重鎮だ。
「い、いえ! これは私が勝手に……」
「君がやったのか? 本来ならネズミ一匹通れぬ隙間に、人間が住める機能を与えたのは」
男は私が隠そうとした書き込みだらけの図面を、奪い取るようにして凝視した。
男の瞳が、驚愕に揺れている。
「あ、あの……ライオス建築ギルドに何か御用でしょうか?」
「……私は隣区画の統治代行、カシムだ」
男は図面から顔を上げ、射抜くような視線を私に向けた。
「我が区画は今、深刻な人口過多に陥っている。通路すら人で埋まり、二酸化炭素濃度は上昇し続け、毎日誰かが酸欠で倒れている。……もはや、物理的に『これ以上、人間が入るスペースがない』のだ」
カシムと名乗った男は、絞り出すような声で続けた。
「だが、今のこの図面は何だ? まるで空間そのものを編み直したかのようだ。君なら……君なら、限界を迎えた私の民を、消えゆく我が区画に再び収容できるのではないか?」
「それは……」
「頼む。君のような『空間の魔術師』を、私はずっと探していた。報酬は望むままだ、我が区画に来てくれ」
男の目は、本気だった。
けれど、私は震える指でその手を拒んだ。
「……申し訳ありません。私は、ライオスの妻なんです。夫のギルドを支えると、そう決めた身ですから」
カシムは絶望と惜別が混ざったような表情で私を見つめ、一枚の黒い石板(連絡用魔導具)を私の手に握らせた。
「……もし、気が変わったらこれを使え。我々の区画は、あと数ヶ月で限界を迎える。君が……君のその、人を救うための設計が、最後の希望なんだ」
私は、逃げるようにその場を去った。
夫から「ゴミだ」と捨てられた私の設計を、これほどまでに求めてくれる人がいるなんて。
それが、自分の人生を大きく変える「予兆」だとは、まだ気づいていなかった。




