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パーティーをクビにされたおっさん、実は全ステータスの九割を女たちに分配していた。契約解除で弱体化したテイカー女たちが絶望する中、深淵の王として覚醒し、俺を捨てた奴らに『死ぬより辛い後悔』を与える

掲載日:2026/01/31

「テイカー女への憎しみを小説化してほしい」とリクエストいただきました。

足元に広がるのは、腐敗した臓腑をぶち撒けたような沼だ。

鼻腔を突くのは鉄錆の味と、濃厚な死臭。

深淵「ゲヘナ」の最下層。

ここは本来、人の身で到達することすら許されない、この世の掃き溜めだ。

視界を覆うドス黒い霧の向こうで、何かが蠢く気配が濃密に漂っている。

だが、そんな地獄の環境など些末なことだと思えるほど、俺の目の前に立つ二人の女は饒舌で、そして致命的に愚かだった。


「テツ。ここで貴方を解雇するわ」


聖女アーベの声は、磨き上げられた氷のように冷徹だ。

彼女が纏う純白の法衣は、泥一つ跳ねていない。

本来なら、この深度の魔障に触れただけで、その白い布は瞬く間に呪いで黒く染まるはずだ。

そうなっていない理由は単純。

俺が二十年間、彼女に向けられる全ての汚穢を、文字通りこの身で吸い上げ続けてきたからだ。


「聞こえているの? 返事をなさい、能無し」

「アーベ、おじさんの耳が遠いのは今に始まったことじゃないでしょ。加齢臭も酷いし、思考もトロいのよ」


隣で魔導騎士ホホボが、わざとらしい溜息をつく。

彼女が弄んでいる細剣の切っ先が、俺の鼻先をチロチロと掠めた。

俺は古びた盾を構えたまま、二人を見下ろす。

怒りは湧かない。

ただ、呆れるほど冷静な俺がそこにいた。

俺の身体はボロボロだ。

全身の筋肉は断裂を繰り返し、骨はきしみ、皮膚は幾重にも重なる傷跡でケロイド化している。

だが、それは俺が「弱い」からではない。

俺という器が、あまりにも巨大すぎる力を彼女らに注ぎ込み続けていたが故の、反動に過ぎない。


「理由を聞いても?」


俺は低い声で問う。

喉が焼けているせいで、声は地底の岩盤が擦れるような音になった。

アーベは不快そうに眉を顰め、汚物を見る目で俺を一瞥する。


「理由? 貴方が無能で、私たちの足を引っ張るからに決まっているじゃない」

「そうよ。私たちの華麗な連携に、貴方みたいな泥臭い盾役は邪魔なの。美しくないのよ」


ホホボがクスクスと笑いながら、掌に雷撃の火花を散らす。

パチパチと弾ける紫電は、かつて彼女が出会った頃の数百倍の密度を誇っていた。

Sランク相当の魔力。

人類の到達点とも言えるその力。

彼女たちは、それを自分自身の才能だと信じて疑っていない。

滑稽だ。

実に滑稽で、哀れな道化芝居だ。

その魔力の九割九分が、俺の生命力を変換して供給している「リソース」だということに、彼女たちは気づいてすらいない。


「二十年だぞ」


俺はあえて、情に訴えるような口調を選んでみた。

彼女たちの傲慢さがどこまで膨れ上がっているのか、確認したかったからだ。


「お前たちが泥水を啜らぬよう、俺は、俺の全てを注いできたはずだ。食事の管理から装備の手入れ、夜の見張りに至るまで」

「それがどうしたの?」


アーベが聖杖の石突で、俺の足を踏みつける。

硬い音が響くが、痛みはない。

今の俺の肉体は、感覚すら摩耗するほどに酷使されている。


「雑用係が主役に恩を売るなんて、傲慢だわ。貴方は私たちという『本物の英雄』の側にいさせてもらったのよ? 感謝するのは貴方の方でしょう」

「その通りよアーベ。本来ならお金を払ってでも同行したいという人間が山ほどいるのに、給料まで貰っていただなんて、泥棒と一緒よね」


ホホボの言葉に、アーベが深く頷く。

二人の瞳にあるのは、純粋な侮蔑と、歪んだ選民思想だけだ。

彼女たちは本気で思っているのだ。

自分たちが世界を導く特別な存在であり、俺はその輝きに群がる羽虫に過ぎないと。

彼女たちの思考回路は、救いようがないほどに壊死している。


「貴方の役割はもう終わったのよ。これからは私たちが、真の英雄として世界を導くの」

「おじさんの代わりなんて、いくらでもいるしね。ああ、でも、ここまで頑丈なだけのサンドバッグは珍しかったかも」


ホホボが冷酷な嘲笑とともに、指先をこちらへ向けた。

膨大な魔力が収束していく。

俺が貸与している魔力だ。皮肉な話だ。


「退職金代わりに、これをあげる」


放たれたのは、圧縮された衝撃波だ。

本来なら岩盤をも砕く威力が、俺の持つボロボロの盾に直撃する。

ごしゃあっ、という破壊音。

二十年間、俺の魔力制御の要として機能していた鉄塊が、粉々に砕け散った。

俺の身体が数メートルほど後方へ弾き飛ばされ、背中から泥の中に沈む。

肺の中の空気が強制的に吐き出された。

衝撃はある。だが、致死ではない。

俺の肉体強度は、とっくの昔に人外の領域にある。


「あっはは! 無様ねえ! やっぱりゴミだわ」

「行きましょう、ホホボ。汚らわしいおじさんの顔なんて、二度と見たくないわ」

「ええ、そうね。転移石を起動するわ」


泥の中で上体を起こすと、青白い光が二人を包み込もうとしていた。

空間転移の魔術。

この深度から地上へ戻る唯一の手段。

俺は手を伸ばすこともしない。

止める理由がないからだ。

契約は、たった今、向こうから破棄された。


「さようなら、テツ。魔物の餌にでもなるといいわ」

「骨も残らないでしょうけどね」


光が収束する。

空間が歪み、世界が反転するような浮遊感の残滓だけを残して、二人の姿が掻き消えた。

あとに残されたのは、圧倒的な暗闇と、重苦しい沈黙だけ。

いや、違う。

沈黙ではない。

暗闇の奥から、無数の「飢え」がこちらを覗いている気配がある。

ゲヘナの魔物たちだ。

聖女の結界が消えた今、格好の餌肉が転がっていると思っているのだろう。

俺は泥まみれの顔を拭うこともせず、ゆっくりと息を吐いた。


「……殺す」


呟きは、自然と口をついて出た。

だが、即座に思考がそれを否定する。


「いや、殺すだけでは足りない」


死は救いだ。

あんな裏切り者たちに、安らかな眠りなど与えてやるものか。

俺が味わった二十年分の搾取。

それを清算させるには、死ぬことすら生温い「絶望」を与える必要がある。

どす黒い感情が、胃の底ではなく、魂の核から噴き上がるのを感じた。

これまで抑制していたリミッターが、音を立てて外れていく。


その瞬間だ。

網膜に、見たこともない血色の文字が羅列され始めた。

システムウィンドウが、バグったように明滅する。


『契約破棄を確認』

『固有スキル《無私の加護》の強制解除を実行します』


脳内に響くシステム音声は、無機質でありながら、どこか歓喜を含んでいるように聞こえた。


『契約対象者:聖女アーベ、魔導騎士ホホボとのパスが完全に切断されました』

『これより、二十年間にわたり対象へ分配されていた全ステータスの回収を開始します』


ドクン、と心臓が跳ねた。

血管の中を、熱した鉛が奔流となって駆け巡る。

量が違う。

桁が違う。

二十年分の魔力、生命力、運、スキル経験値。

それらが利息付きで、一気に逆流してくる。


『警告。回収されるリソースの総量が、現在の人間の器の許容量を大幅に超過しています』

『緊急措置を実行。種族カテゴリの再定義を行います』

『人間 → 深淵のアビス・ルーラー


身体の芯で、何かが弾け飛んだ。

激痛?

いや、これは快楽だ。

本来あるべき力が、あるべき場所に戻ってくる感覚。

ダムが決壊したかのようなエネルギーの奔流が、俺の細胞一つ一つを蹂躙し、作り変えていく。

骨が一度粉々に砕け、即座にダイヤモンドよりも強固な硬度を持って再構成される。

引き千切れた筋肉繊維は、深淵の魔力を貪欲に吸い込み、黒鋼のような強靭さを得て膨張した。


「ガ、アアアアアアアアア……ッ!」


喉から漏れた咆哮は、もはや人の声帯から発せられるものではなかった。

空気が震える。

地面が、俺の存在そのものに怯えるように揺れ動く。

右半身の皮膚が、パキパキと音を立てて剥がれ落ち、その下から禍々しくも美しい、漆黒の鱗が顔を覗かせた。

二十年間だ。

俺があの女たちに、無償で、無制限に与え続けてきた九割九分の力。

それが、二十年分の「複利」と、この深淵の呪力を伴って、全て俺の肉体に回帰してくる。

俺の魂の器が、溢れ出す暴力的な質量に耐えかねて軋みを上げる。

だが、心地よい。

この圧倒的な全能感こそが、俺の本来の姿だ。

視界の端で、エラーログが高速で流れていく。

《筋力限界突破》《魔力限界突破》《耐久限界突破》……。

カンストなどという概念すら置き去りにする上昇値。

俺は文字通り、世界の枠組みを超えた。


視界がクリアになる。

暗闇に光が差し込むことはないが、俺の眼は全てを捉えていた。

魔素の流れ、大気の揺らぎ、数キロ先に潜む魔物の心音に至るまで。

俺の中に、深淵そのものが宿ったのだ。


「……ふぅ」


吐き出した息が、黒い炎となって揺らめいた。

毛穴の一つ一つから、抑えきれない覇気が噴き出している。

俺を貪り尽くし、ゴミのように捨てた女たち。

彼女たちはまだ知らない。

自分たちがどれほど脆弱な、砂上の楼閣の上に立っていたかを。

俺という土台を失った瞬間、彼女たちの栄光がどうなるか、想像するだけで笑いが込み上げてくる。

絶頂から奈落への転落。

そのショーの特等席は、俺のものだ。


「これから始まるのは、救いのない清算だ」


俺は泥の中から、ゆっくりと立ち上がった。

かつて俺を支えていた折れた剣の柄を拾い上げる。

触れた瞬間、ボロボロだった鉄屑が、俺の魔力に呼応して変質を始めた。

刀身は闇を凝縮したような黒へと染まり、鍔には赤熱する瞳のような宝石が埋め込まれる。

深淵の魔剣。

俺の力に耐えうる、唯一の武器がここに誕生した。


「グルルルル……」


闇の奥から、低い唸り声が聞こえた。

巨大な三首の猟犬ケルベロスだ。

Aランクの魔物。かつての俺たちパーティが、死に物狂いで避けて通った災害級の獣。

本来なら、この階層の王として君臨する存在。

だが、今の俺には、それがただのじゃれつく仔犬にしか見えない。

猟犬は、涎を垂らしながら俺に飛びかかろうとし――、


ピタリと、空中で制止した。

いや、動けないのだ。

俺が放つプレッシャーに当てられ、生物としての格の違いを魂レベルで理解させられたのだ。

三つの首が同時に震え、哀れな悲鳴を上げてその場に腹を見せる。

生存本能が叫んでいるのだろう。

『逆らえば、存在ごと消滅する』と。


「邪魔だ」


俺が一言そう告げると、猟犬は弾かれたように道を空け、平伏した。

王に対する絶対の服従。

この深淵において、俺に逆らう存在など万に一つもあり得ない。

魔物ですら理解できる序列を、あの女たちは理解できなかった。

それだけで、彼女たちの知能が獣以下であることの証明になる。


「行くか」


俺は漆黒の大剣を肩に担ぎ、地上へと続く階段を見上げた。

一歩踏み出すたびに、足元の泥が瞬時に乾燥し、黒曜石のような硬度へと変わっていく。

世界が、俺の歩みに合わせて書き換わっていく。

さて、まずは王都だ。

あのふざけた晩餐会に、主賓として顔を出してやらねばならない。

恐怖に歪む顔が見ものだ。



ドロドロと腐敗した泥の海を歩く。

足を踏み出すたびに、足下の泥が嫌な音を立てて窪むが、汚れは俺の皮膚には触れない。

右半身を覆う漆黒の鱗が、周囲の瘴気を貪欲に呼吸し、俺の支配領域を物理的に拡張しているからだ。

かつての俺ならば、この濃度の呪いを吸い込んだ時点で肺が焼け焦げ、たった数歩で絶命していただろう。

だが今は違う。

この澱んだ空気さえもが、俺という「王」を祝福する賛美歌のように心地よい。


「……温いな」


俺は呟き、行く手を阻もうとした巨大な蟲を裏拳で薙ぎ払った。

Bランク相当の魔物「アシッド・スコーピオン」。

その甲殻は鋼鉄よりも硬いはずだが、俺の拳が触れた瞬間、飴細工のように砕け散る。

断末魔を上げる暇もなく、その生命力は霧となって俺の右腕に吸収された。

弱い。

弱すぎる。

二十年分の利息と共に回収された俺のリソースは、俺自身の器を遥かに超えて溢れ出しそうだ。

血管の一つ一つがマグマを通しているように熱く、暴れたがっている。

この有り余るエネルギーを何かにぶつけなければ、俺自身の肉体が内側から破裂しかねない。


そんな時だ。

俺の拡張された知覚領域「深淵眼」が、泥の海の底に異質な輝きを捉えたのは。


「なんだ、これは」


腐臭と熱気が支配するこの世界で、そこだけが異常な静謐に包まれていた。

物理的な静けさではない。

熱運動そのものが停止した、絶対零度の世界。

俺は興味を惹かれ、その発生源へと近づく。

泥を払い除けた先にあったのは、巨大な氷の塊だった。

いや、違う。

それは透明度の高い、蒼氷で作られた棺だ。

深淵の瘴気に晒されながらも、数百年、あるいは数千年の時を越えて、その純度を保ち続けている。


そして、その棺の中には、一人の少女が眠っていた。

銀糸を紡いだような髪。

病的なまでに白い肌。

死装束を思わせる薄いドレスを纏い、胸の上で手を組んでいる。

閉ざされた瞼は微動だにせず、心臓の鼓動も感じられない。

ただの死体か?

いいや、俺の目は誤魔化せない。

彼女の胸の奥、心臓のあたりに、極小の魔力炉が存在している。

だが、その炉はヒビ割れ、今にも崩壊寸前だ。

燃料切れのランプ。

それが彼女の正体だ。


「鑑定」


俺の脳裏に、情報が羅列される。

種族:古代種エンシェント・スペリオル/氷雪の乙女。

状態:魔力枯渇による仮死、核の損傷。

危険度:測定不能(現在SSランク相当の封印状態)。


「ほう、古代種か」


歴史書の中でしかお目にかかれない、旧時代の遺物。

かつて地上を支配し、神々に弓引いて滅ぼされたとされる種族の生き残りだ。

どうやら彼女は、傷ついた核を守るために自らを氷漬けにし、長い眠りにつくことで延命を図っていたらしい。

だが、それも限界だ。

このまま放っておけば、数日もしないうちに棺は砕け、彼女はただの泥の一部となって消滅するだろう。


「……面白い」


俺は口角を吊り上げた。

慈悲ではない。

同情でもない。

ただ、目の前の「器」が、俺の溢れ出しそうな魔力の受け皿として最適だと判断しただけだ。

それに、これから地上へ戻り、あのふざけた女たちに復讐劇を見舞うにあたって、雑用をこなす手駒が一つくらいあってもいい。

俺のような「王」が、いちいち雑魚の相手をするのも面倒だ。


「拾ってやる。光栄に思え」


俺は右手を振り上げ、氷の棺に叩きつけた。

ガギィンッ!

高い音が響き、絶対強度を誇るはずの古代の氷に亀裂が走る。

繊細な解凍作業などしない。

俺のやり方は、暴力的なまでの魔力注入だ。

右手の鱗から、どす黒い深淵の魔力を奔流のように流し込む。

ダムが決壊したようなエネルギーの濁流が、ひび割れた氷の隙間から侵入し、少女の身体へと強引に流れ込んでいく。


「が、ぁ……ッ!?」


氷の中で、少女の身体がビクリと跳ねた。

枯渇していた彼女の核が、俺の魔力を貪るように飲み干していく。

普通の人間ならば、俺の魔力に触れた瞬間に精神が焼き切れ、廃人になっていただろう。

だが、さすがは古代種。

腐っても伝説の怪物だ。

彼女の核は、俺の暴力的なエネルギーを受け止め、瞬時に自らの力へと変換・適合させていく。


パリーンッ!

盛大な音と共に、氷の棺が粉々に砕け散った。

ダイヤモンドダストが舞い散る中、少女の身体が泥の上に投げ出される。

だが、彼女は倒れない。

空中で身を翻し、音もなく着地した。

閉ざされていた瞼が、カッと見開かれる。

そこに宿っていたのは、血のような深紅の瞳。

焦点が定まらない虚ろな目ではない。

獲物を見定める、捕食者の目だ。


彼女は周囲を見渡し、最後に俺を見た。

一瞬の沈黙。

彼女の脳内で、凄まじい速度の演算が行われているのが分かる。

自分の置かれた状況。

目の前の男が何をしたのか。

そして、目の前の男と自分、どちらが「上」か。


生物としての格付けは、コンマ一秒で完了したらしい。

彼女から放たれていた殺気が、霧散した。

代わりに満ちたのは、戦慄と、歓喜。

彼女は自分の純白のドレスが泥に汚れることなど気にも留めず、その場に膝をついた。

額を地面に擦り付け、両手を前に差し出す。

これ以上ない、絶対服従の姿勢。


彼女にとって、俺は命の恩人などという生温いものではないのだろう。

空っぽだった器を満たし、壊れかけた核を修復し、新たな理を刻み込んだ「創造主」に等しい存在。

彼女の身体は、喜びと興奮で小刻みに震えていた。


「我が名はシェラ……。永き眠りより、今、目覚めました」

「俺の名はテツだ。お前の新しい飼い主だ」


俺は短く告げ、彼女を見下ろす。

魔力のパスは完全に繋がった。



王都ルミナリスの夜は、黄金の灯火によって昼よりも明るく塗り潰されていた。

街全体が巨大な魔導回路のように脈打ち、影という影を徹底的に排除している。

その中心に鎮座するギルド本部、最上階の特別ホール。

ここでは今、吐き気を催すほど豪華絢爛な晩餐会が催されていた。

天井から吊るされたシャンデリアは、貧民街の住民が一生かけても拝めないほどの魔石を惜しげもなく使用し、会場を白昼のような光で満たしている。

テーブルに並ぶのは、北方の氷河から切り出された希少な海鮮と、南方の魔境で狩られたドラゴン種のステーキ。

芳醇なヴィンテージワインの香りが充満する会場の中央で、二人の女がスポットライトを独占していた。

深淵ゲヘナの最下層から生還した英雄、聖女アーベと魔導騎士ホホボである。


「おお、なんと神々しい……! これぞ女神の再来だ!」

「聖女様、こちらへ目線を! 我が領地の特産品をぜひ!」

「魔導騎士様、その雷撃の極意を、我が愚息にもご教授願えませんか!」


群がる貴族たちは、まるで砂糖に集まる蟻のようだ。

彼らの視線の先、アーベは最高級のシルクで織られた純白のドレスを纏い、扇子で口元を隠しながら優雅に微笑んでいる。

その肌は透き通るように白く、髪は絹糸のように艶やかだ。

だが、その扇子の裏で、彼女がどのような歪んだ笑みを浮かべているか、俺には手に取るように分かる。


「皆様、大袈裟ですわ。深淵の攻略など、我々の実力を以てすれば赤子の手を捻るようなもの」

「そうそう。正直、あくびが出るほど退屈だったわよねえ、アーベ?」


ホホボがグラスを傾けながら、わざとらしく肩をすくめる。

彼女の指にはめられた大粒の魔石の指輪が、照明を反射してギラギラと輝いていた。

その輝きの正体が、俺から搾取した魔力であるとも知らずに。

彼女たちの瞳の奥に渦巻いているのは、選民思想という名の猛毒だ。


「流石はSランクパーティ『白銀の翼』だ。格が違う」

「それに比べて、例の男……なんと言ったか、あの荷物持ちは」


太った伯爵が、媚びへつらうついでに俺の話題を出した。

待っていましたとばかりに、アーベが目を細める。


「ああ、テツのことですね。ええ、本当に苦労しましたわ」

「苦労、ですか?」

「あのような無能な石ころを、宝石に見せかけて連れ歩くのが、です。彼がいるせいで、私たちの本来のスペックの半分も出せなかったのですから」


会場にドッと笑いが起きる。

誰も彼もが、その嘘を疑わない。

なぜなら、今のアーベの美貌は圧倒的であり、ホホボの纏う魔力は会場の空気をビリビリと震わせるほど強大だからだ。

結果こそが正義。

この場において、彼女たちは絶対的な勝者として君臨していた。


「万年Dランクの盾役か。生きている価値もないな」

「聖女様の慈悲にすがって生きていた寄生虫め。今頃、野垂れ死んでいるのがお似合いだ」


口々に浴びせられる罵倒。

それを肴に、ホホボは分厚い肉をフォークで突き刺し、口へと運ぶ。

咀嚼する音が、やけに生々しく響いた。


「んー、美味しい! やっぱり、ゴミを捨てた後の食事は格別ね!」

「ええ、そうねホホボ。私たちの輝かしいキャリアに傷がつく前に、あの汚点を排除できて本当に正解だったわ」


アーベが同意し、祝杯を上げようとグラスを掲げた。

絶頂。

人生の最高到達点。

彼女たちは今、世界の全てを手中に収めたと確信している。

自分たちが立っている場所が、どれほど脆い氷の上であるかも知らずに。


その瞬間だ。

ホホボの指先が、ピクリと不自然に痙攣したのは。


「……あ、れ?」


カラン、と乾いた音が響く。

ホホボの手から銀のフォークが滑り落ち、大理石の床に転がった。

単純なミスではない。

指に力が入らないのだ。

それどころか、彼女の身体を支えていた根幹の何かが、急速に抜け落ちていく感覚。

ダムの底に穴が空き、水が渦を巻いて吸い込まれていくような、絶対的な喪失感。


「どうしたの、ホホボ。飲み過ぎなんじゃなくて?」


アーベが呆れたように声をかける。

だが、その言葉は最後まで続かなかった。

直後、彼女自身の表情が凍りついたからだ。

視界がぐにゃりと歪む。

めまいではない。

世界を認識する解像度が、急激に低下している。

俺の魔力を通して拡張されていた五感が、本来の矮小な器へと強制的に圧縮されていく。

体中の血液が一気に冷え切ったような悪寒が、背筋を駆け上がった。


「な、に……これ……?」


ドクン、ドクン、と心臓が早鐘を打つ。

アーベが落としたグラスが砕け散り、赤ワインが純白のドレスを汚した。

だが、彼女はそれを気にする余裕すらない。


「魔力が……消えていく……? いや、吸い取られて……ッ!?」


彼女が維持していた常時発動型のスキル《聖域の加護》。

半径数十メートル以内の穢れを弾き、自身を美しく見せるための欺瞞の魔法。

それが、ガラス細工のように音を立てて崩壊した。

内側から溢れていた全能感は霧散し、代わりにへばりつくような倦怠感と、関節の痛みが襲いかかる。


「アーベ、顔色が悪いわよ。まさか、誰かに毒でも盛られたんじゃ……ッ!」


ホホボが立ち上がろうとして、無様にテーブルクロスを巻き込みながら転倒した。

料理が床にぶち撒けられ、ソースまみれになる。

しかし、彼女は立ち上がれない。

膝が笑っているのではない。

筋肉そのものが、萎縮しているのだ。


「力が入らない……魔法が、発動しないのよ! 私の雷が、出ない!」


彼女は必死に指先を擦り合わせ、いつものように紫電を走らせようとする。

だが、プスンと情けない煙が出ただけで、火花一つ散らない。

会場は一瞬にして静まり返った。

数百人の視線が、ソースまみれで這いつくばる二人の女に突き刺さる。

さっきまでの熱狂的な称賛は、急速に冷え込み、不審と侮蔑の混じった冷たいものへと変質していく。


「……おい、どうしたんだ?」

「魔力が、全く感じられないぞ。さっきまでの威圧感はどこへ行った?」

「まさか、ハッタリだったのか? 魔道具で誤魔化していただけとか……」


貴族たちの囁きが、さざ波のように広がる。

その声は、鋭利な刃物となって二人の鼓膜を切り裂いた。


「違う! 違うわ! 私は、私は聖女よ! 近寄らないで!」


アーベが悲鳴に近い声を上げて顔を上げた。

その瞬間、周囲の貴族たちが「ヒッ」と息を呑んで後ずさる。

そこにいたのは、絶世の美女ではなかった。

肌は乾燥してひび割れ、目尻には深い皺が刻まれ、髪は潤いを失って枯れ草のようにパサついている。

急速な老化現象。

いや、違う。

これが「本来の彼女」なのだ。

俺の無尽蔵のリソースを注ぎ込み、無理やり細胞を活性化させて維持していた美貌。

その供給が絶たれ、さらに二十年分のツケが一括請求された結果、彼女は実年齢以上の老婆のような姿へと変わり果てていた。

テイカーとして他者の命を啜ってきた代償が、今、最悪の形で露呈したのだ。


「いやあああああああッ! 見ないで! 私を見ないでぇぇぇッ!」


アーベは自分の顔を両手で覆い、狂ったように叫ぶ。

その手もまた、鶏の足のように痩せ細り、節くれ立っていた。

ホホボもまた、自身の筋肉が削ぎ落とされ、ただの貧相な小娘に戻った現実に震えている。

Sランクの魔導騎士?

聖女?

いいや、ただの詐欺師だ。

彼女たちは今、自分たちが立っていた場所が、俺という柱なしには成立しない虚空であったことを、身を持って理解させられていた。


「衛兵! 衛兵を呼べ! この者たちは偽物だ!」

「王家を欺くとは、万死に値するぞ!」


怒号が飛び交う。

華やかな晩餐会は、一瞬にして断罪の場へと変わった。

床の冷たさと、浴びせられる罵声。

昨日まで自分たちを崇めていた人々が、今は汚物を見るような目で自分たちを見下ろしている。

その絶望的な落差に、二人の精神は崩壊寸前だった。


同じ刻。

遥か地下、深淵の暗闇の中で、俺は静かに歩みを進めていた。

一歩進むごとに、王都の方向から莫大なエネルギーが流れ込んでくるのを感じる。

右腕を覆う漆黒の鱗が、喜びの歌を歌うように脈動した。

周囲の魔素が、俺の呼吸に合わせて渦を巻く。


「回収率は三割か。まだまだ、お前たちには返してもらうものがある」


俺の口から漏れた声は、もはや人間のそれではない。

空間そのものをビリビリと震わせる、重低音の咆哮に近い。

俺の行く手を遮るように、闇の中から巨大な影が現れた。

三つの首を持つ魔犬、ケルベロスだ。

Aランク上位個体。

かつての俺たちパーティが、全力で逃げ出した災害級の魔物。

その巨体は小山ほどもあり、口からは溶岩のような唾液が滴り落ちている。

本来なら、この階層の生態系の頂点に君臨する絶対強者。


「グルルルル……ッ!」


三つの首が同時に唸り、殺気を放つ。

深淵の魔物は、本能で強者を理解する。

だが、この獣は理解できていない。

目の前の存在が、生物という枠組みを超越した災厄そのものであることを。

俺は歩みを止めない。

剣を抜く必要すらない。


「邪魔だ」


ただ一言。

それだけで十分だった。

俺の言葉に含まれた言霊が、物理的な質量となって空間を歪める。

ケルベロスの三つの首が、同時に「キャンッ」と情けない悲鳴を上げた。

不可視の圧力が、数百トンの重りとなって魔犬の背中を叩き潰す。

グシャリ、と湿った音が響き、四肢がへし折れた。

溶岩のような唾液を垂れ流していた口からは、いまや恐怖の泡が吹いている。

地面に這いつくばり、俺の靴先を見上げて震える姿は、捨てられた子犬と何ら変わらない。


「跪け。深淵の理を知らぬ獣め」


俺は地面に縫い付けられた魔犬の鼻先に手をかざす。

黒い霧が俺の手のひらから噴き出し、魔犬の巨体を包み込んだ。


「吸収」


断末魔すら上げさせない。

数秒後、霧が晴れた時、そこには塵一つ残っていなかった。

Aランクの魔物の生命力が、純粋な魔力に還元されて俺の血管を駆け巡る。

剥奪ランク:B。

少し味が薄いな。

俺は冷めた思考で感想を抱く。

圧倒的な暴力を行使することへの躊躇いなど、微塵もない。

あるのは、目的を遂行するための、氷のように研ぎ澄まされた意志だけだ。


「主様、お待ちしておりました」


不意に、俺の足元の影が粘液のように盛り上がった。

そこから音もなく現れたのは、銀髪の少女だ。

名はシェラ。

かつてこの深淵で死に絶えた古代種の生き残りであり、今は俺の忠実な影。

彼女は泥にまみれることも厭わず、恭しく俺の前に跪いた。

その瞳には、狂信的なまでの崇拝の光が宿っている。


「力が馴染んだようだな、シェラ」

「はい。主様より頂いた魔力のおかげで、わたくしの核も修復されました。今なら、国一つ程度であれば一夜で滅ぼせましょう」


物騒なことを涼しい顔で言う。

だが、それが冗談でないことは、彼女から立ち昇る冷気が証明していた。

彼女の指先が触れた地面が、瞬時に凍りつき、崩壊していく。

彼女にとって、俺以外の全ては塵芥に等しい。

かつて世界を恐怖に陥れた古代の災厄が、今は忠実な番犬として尻尾を振っている。

この光景を見れば、地上の賢者どもは泡を吹いて卒倒するだろう。


「国を滅ぼすのは後だ。まずは、あの女たちへの『請求』を続行する」

「承知いたしました。あのような卑しき女たち、骨の髄までしゃぶり尽くして差し上げます」


シェラが愉悦に唇を歪める。

俺の敵は、彼女の敵。

俺が味わった屈辱の倍返しを、彼女は代行してくれるだろう。

俺は王都があるはずの頭上を見上げた。

分厚い岩盤に隔てられているが、あの会場の阿鼻叫喚が手に取るように分かる。

だが、まだだ。

社会的地位の失墜ごときで、許すつもりはない。


「準備をしろ、シェラ。まずは、彼女たちの拠り所である『名声』を粉砕する。その後、命よりも重いものを奪い取る」

「仰せのままに。最高のショーをお約束します」


俺は王都の方向を見据え、暗い悦びに口角を吊り上げた。

絶望は、まだ始まったばかりだ。

お前たちが築き上げた偽りの栄光を、俺が一つずつ丁寧に、この指先で握り潰す。

死ぬことさえ許されない、永遠の後悔と焦燥の檻に閉じ込めてやる。

俺は漆黒の大剣を背中の鞘に収め、地上へと続く長い階段を一段飛ばしで上り始めた。

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