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第2話 『白い月のカクテル』 〜 世界のすべてを黙らせて、きみを見ていた 〜

本編第1シーズンの完結後、スピンオフとしてお届けする番外編・第2話(夜の部)です。


一匹の猫だったはずのシトロンが人の姿となり、東京の夜に舞い降りた・・・

煌びやかな社交パーティーを抜け出したふたりが向かったのは、静かな高級バーの個室。

そこには、誰の目にも触れない、ふたりだけの時間が流れていました。


今回は、レオとシトロンの“甘やかで、少しせつない夜”をお届けします。

ふたりの距離がそっと近づいていく、柔らかな余韻をお楽しみください。

吹き抜けのロビーの奥に広がるのは、ガラス張りのカフェバー。

東京の夜景を見下ろす、まばゆい光の海。

その空間に、ふたりが姿を現した瞬間・・・空気が変わった。

シトロンが一歩足を踏み入れる。まるでその一歩が、空間の重力を塗り替えたかのように、周囲の視線が一斉に吸い寄せられる。


「……あの人……誰?」

「神降臨……いや、王子?」

「見て、歩き方……異次元……」


ガラスと金属と間接照明。すべての光が、彼のためにあるように錯覚する。

長い金髪が揺れ、白いシャツの胸元からのぞく鎖骨が、ため息を誘った。

玲央はその隣にいながら、むしろ一歩下がりたくなる衝動を覚えていた。


「どうして……きみはいつも、そうやって空気を変えるんだ」


そんな玲央のつぶやきに、シトロンはふっと口角を上げて答えた。


「俺が空気に合わせるより、空気が俺に合わせた方が早いだろ?」


そしてそのまま、案内されたエレベーターに乗り込む。

向かう先は・・・このバーの上階、限られた会員だけが入れる特別個室ラウンジだった。


* * *


個室に入ったとたん、玲央はシトロンの前に立ちはだかった。


「……どうして来たんだ」


静かな怒りのこもった声だった。その奥にあるのは、驚きと混乱、そして・・・焦り。

シトロンは眉をひそめ、やや不満げに視線を泳がせる。


「迎えに行くって、言ったろ?」


「そういう意味じゃない。あんな場所に、あの服装で。

無断で現れて……どれだけの人間が目を見張ったと思ってる」


「ふうん……」


シトロンはソファに腰を落とし、足を組む。


「つまり、俺がかっこよすぎて困るって話か」


「……っ、きみは……!」


玲央が言いかけた言葉を、シトロンが軽く手で制した。


「怒るなよ。ほんとに、迎えに行きたかったんだ。……それだけだよ?」


その口調は、急に少年のように素直だった。


「……バカだなきみは」


玲央は、ため息まじりに呟いた。

けれどその頬は、うっすらと紅を帯びている。

シトロンはそれを見逃さず、嬉しそうに笑った。


「なあ、玲央。怒ってるのは、俺が来たこと? それとも……俺が他の人に見られたこと?」


玲央は無言で、水の入ったグラスに口をつける。答えないことが、答えだった。


「ふふ、そっか。じゃあ、謝るよ」


シトロンが立ち上がり、そっと玲央の隣に座る。

距離が近い。それに気づいても、玲央はもう動かなかった。


「きみの目にだけ、映っていたいと思ったんだ。街で何人に見られてもいい。けど、心まで見られるのは・・・玲央だけでいい」


その低い囁きに、玲央は目を伏せる。


「……俺、猫だった頃さ。よく玲央の横で寝てたろ」


「覚えてる」


「いま、こうして座ってても・・・なんとなく似てる気がする。隣にいれば、君は安心してくれる気がするから」


「……」


「だめかな。隣、好きにしても」


その言葉が、やわらかく玲央の心をほどいていく。

気づけば、玲央の肩に、シトロンの頭がそっと寄りかかっていた。


「ちょっと、重い……」


「ほんと? でも、嬉しそうだよ?」


「……うるさい」


玲央はそう言いながらも、シトロンの髪に手を伸ばし、そっと撫でる。指先が金の糸をなぞるように、美しい感触をすくい取っていく。


「……おまえ、いい匂いがするな」


「それ、ちゃんと好きって意味で言ってる?」


「言わせるなよ、もう……」


ふたりだけの、あたたかくて、静かな夜。

カーテンの向こうでは、東京の街が瞬いている。でも、この個室のなかにあるのは・・・

ふたりの時間だけだった。


個室ラウンジの奥には、さらにもう一枚だけ、重たい黒い扉があった。

扉を押すと・・・そこには、静けさと艶を併せ持つ、シークレット・バーカウンターがひっそりと広がっていた。

琥珀色の照明。マホガニーのカウンター。

夜景を映す鏡面の奥には、世界中から選び抜かれたスピリッツとリキュールのボトルたちが並んでいる。


「……ここは?」


「僕の隠れ家みたいなもの。仕事が終わって、本当に疲れた夜はここで飲む」


玲央の声に、カウンター奥の男がゆっくりと顔を上げた。

銀縁の眼鏡。無駄のない仕草。完璧なバーテンジャケットを着こなすその男は、どこか神職のような静謐さをまとっていた。


「いらっしゃいませ。一條様、お久しぶりです」


「今日も“いつもの”を、頼むよ」


「かしこまりました」


男の名は──汐見しおみ 朔夜さくや

かつて世界最高峰のカクテルコンペティション〈The Global Bartenders' Summit〉で優勝した、日本が誇る伝説のバーテンダーだった。

玲央がいつものマティーニを注文したあと、朔夜がシトロンの方を向く。


「お客様は、何を?」


シトロンはカウンターの隅に飾られた一輪の白バラをちらりと見て、静かに言った。


「“Lune Blancheリュンヌ・ブランシュ”を・・・」


朔夜の手が、わずかに止まった。


「……承知しました」


朔夜が目を伏せ、深く頷く。

その様子を見ていたサブのバーテンダーが、小声で耳打ちする。


「し、汐見さん……あれ、僕レシピ知らないです……!」


「俺も、今この瞬間まではな」


「え……?」


「だが・・・できる。お客様の目が、それを導いてくれる」


朔夜は静かにグラスを取り出すと、冷凍庫から冷やしたミキシンググラスを取り出し、オレンジフラワーウォーター、アイスブルーのホワイトキュラソー、ローズリキュール、そしてフレッシュライム。最後に淡雪のような泡を乗せ、シルバーの月型ピックを添える。


「お待たせしました・・・“Lune Blanche(白い月)”でございます」


淡く透き通る乳白色のカクテルは、まるで月明かりをそのままグラスに閉じ込めたようだった。

シトロンは、そっと一口、口に含む。

・・・静けさ。そして、記憶の底に触れるような、懐かしい余韻。


「……すごい。これだ」


ぽつりと呟いたその声に、朔夜は初めてわずかに目を細め、そして・・・安堵の吐息を漏らした。


「……正直、優勝したときより緊張しました」


横のサブが黙っていられず思わず小声で、


「さすが汐見さん……あんな即興、普通できないです……!」


玲央はそのやり取りを聞きながら、静かに微笑んでいた。そしてふたりは、グラスを置いて立ち上がる。

去り際、シトロンは朔夜の前に立ち、まっすぐに礼を告げた。


「……あなたの手は、ほんとうに美しい。この味、たぶん僕しか知らなかった。でも、あなたは作ってくれた。ありがとう、汐見朔夜さん。忘れない」


朔夜は一瞬、何かを悟ったように目を見開き・・・次の瞬間には、誰よりも深いお辞儀で、その言葉に応えた。

扉が静かに閉まると、バーには再び静けさが戻る。


「……あのひとは、いったい何者だ……」


サブバーテンダーがぽつりと呟いたその言葉に、朔夜は小さく、しかし確信をもって答えた。


「月の人だよ。きっと、ね」


* * *


ラウンジのテラスに出ると、都会の空に浮かぶ月が、ビルの合間から顔をのぞかせていた。

玲央がふと立ち止まり、夜風にスーツの裾が揺れる。

その隣に立つシトロンが、ゆっくりと彼の正面に回り込む。


「……さっきのカクテル、“リュンヌ・ブランシュ”」


ぽつりとシトロンが呟いた。


「懐かしい味だった。たぶん、すごく昔……俺がまだ、別の世界にいた頃。そこで、誰かに教わったんだ。“最愛の人には、こうして触れていい”って・・・」


その言葉とともに、シトロンの指先が、そっと玲央の眉に触れる。


「まず、ここに触れるんだって。心の奥を見つめるように・・・静かに」


指先が、玲央の眉をなぞる。そして、ゆっくりと鼻筋をすべり、頬を優しく撫でる。


「それから、ここに愛を込める。きみが、笑ってくれるように」


最後に、指先が玲央の唇に触れた。


「そして……ここに、全部を預ける」


シトロンが身を寄せ、迷いなく唇を重ねた。静かで、けれど、決して軽くないキスだった。

玲央は目を閉じ、ただそれを受け入れる。夜風がふたりの間を包み込み、月がそっと照らしていた。

それは、世界が本当に止まったような・・・愛の始まりの一秒だった。



〜カクテル「Lune Blanche(白い月)」〜

レシピ:

* ホワイトキュラソー(アイスブルー)……30ml

* ローズリキュール……15ml

* フレッシュライムジュース……10ml

* オレンジフラワーウォーター……数滴

* シェイクしてカクテルグラスに注ぎ、淡雪フォーム(卵白や植物性泡)を浮かべる

* 月型ピック or 白いバラの花びらを添えて完成

味わい:やわらかな甘みと花の香りが漂う、記憶に触れるようなミスティック・カクテル。

 

〜番外編 完〜

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


本作は、第一シーズンの完結後に、少しだけ“ごほうび”として綴っている番外編です。

東京の夜に現れた異国の貴公子・シトロンと、そんな彼に心を揺さぶられる玲央。

本編では描けなかった“ふたりきりの時間”の甘さと静けさを、少しでも感じていただけたら嬉しいです。


今回は、シトロンが選んだ一杯の“白い月のカクテル”が、物語の鍵になりました。

その香りの奥に眠る、遠い記憶と愛のことば・・・

この夜が、ふたりにとって忘れられない夜になるように。

そして、読んでくださったあなたの夜にも、そっと月の光が届きますように。


次回の更新、または第2シーズンでお会いしましょう。

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