第1話 後編 『目覚めた街で、 恋は走り出す』〜迎えに来た、きみを探して〜
この話は、1シーズン完結後の番外編の1話後半です。
人間になったシトロンが、東京の街を初めて歩く・・・そんなときめきの一日。
猫だった彼が「恋を知りはじめた心」で、玲央を迎えにゆく。
BL的甘さとゴージャス感をお楽しみいただけたら嬉しいです。
渋谷から原宿までは、猫の足取りで二十分ほど。
シトロンは鼻歌まじりに竹下通りの入り口に辿り着いた。
そこに広がっていたのは、夢のようなきらめきの空間・・・
キラキラの看板、ピンク色のポップコーン、うさ耳に猫耳、ぬいぐるみや光るスニーカー。
「うわ、すごい……!なにこれ……楽しすぎる」
目を丸くして立ち尽くすシトロンに、制服姿の女子たちがざわついた。
渋谷で一度火がついた噂は、どうやら原宿にも届いていたらしい。
金髪の彼が通るたび、スマホを構える手が増えていく。
「あれ…渋谷にいた“貴公子”じゃない?」「今度は原宿で目撃!」
SNSのタイムラインは、彼の足取りを追うかのように更新されていた。
「え、やば……王子じゃん」「イケメンすぎて震える…!」「え、写真撮ってもらっていいですか!?」
頼まれるままに、すました顔で数枚のツーショットに応じる。
ポーズは完璧。立ち姿も自然と気品が滲み、もはやアイドルというより・・・
異国の宮廷から舞い降りた貴公子のようだった。
そのあと、路地裏の小さなショップで、ふと足を止める。
ショーウィンドウに並ぶ、手のひらサイズの猫のぬいぐるみ。
金色の瞳が細められ、思わず呟いた。
「……仲間か?」
指先でそっとガラス越しにふれるように見つめ、まるで本当に話しかけているように。
通りかかった誰かが、その光景をスマホで撮っていた。
ほどなくして、X(旧Twitter)やInstagramに動画が投稿され、たちまち数万のいいねがつく。
《#原宿の王子様》
《#猫っぽいイケメン》
《#日本に降りた天使》
ここでもSNSは彼の姿で騒然となった。
しかし、当の本人はそんなことにはまったく気づかず・・・
「……そろそろ、行くか」
スマホに玲央の会社の地図を呼び出してみたものの・・・
そういえば、今日は夜、大事なパーティーがあるって言ってたな。
どこだろう・・・
「ふんふん……こっち、か?」
眉をひそめて数秒画面を眺めたあと、シトロンはふっと鼻先を上げた。
そして、くんくんと空気の匂いを嗅ぐ。
雑踏の中に紛れる、微かに甘い香り。
革の香り、石鹸のような清潔感、そして・・・玲央特有の、静かなぬくもり。
「……やっぱ、こっちだな」
満足げに頷き、スマホをポケットにしまいこんだ。
交差点の信号が変わるよりも早く、野生の勘で玲央のもとへと向かい出す。
まるで迷い猫が、正確に家へ帰るように。
表参道の雑踏をすり抜け、地下鉄のホームへと吸い込まれていった。
* * *
その夜、都内の一流ホテルで開かれていたのは・・・
フランス発のラグジュアリーブランド〈MAISON DE LUNE〉日本上陸を祝う、盛大な記念パーティーだった。
煌めくシャンデリアの下、招かれたのは一流のバイヤー、セレブリティ、政財界の名士、ファッション誌の編集長たち。
玲央は主催側のキーパーソンとして、上層部と並び、完璧な身だしなみで賓客を迎えていた。
グラスが触れ合う音と、フルートの優しい生演奏が溶け合って、会場はまるで音と光の泡に包まれているようだった。
笑顔をたたえながらも、玲央の意識は少しずつどこか、遠くを探していた。
その刹那。
パーティーの空気が、音もなく揺れた。
「……どなた?」
「え……? ちょ、あの人……見て」
静かに、しかし抗えぬ圧をまとって、ひとりの青年が会場へと足を踏み入れていた。
長いプラチナブロンドの髪が、照明に揺れて光を集める。
白のシャツにベージュのスラックス、ネクタイもなく、フォーマルのドレスコードに縛られぬ姿は・・・
逆に異様なほど完璧だった。
「ご招待状は……?」とスタッフが声をかける前に、青年はまっすぐに歩き出す。
その歩みを遮れる者など、誰ひとりとしていなかった。
玲央の視界に、金色の光が滑り込む。
目が合った瞬間、心臓が跳ね上がる。
シトロンだった。
「やあ、玲央。迎えに来た」
その声は、彼だけに聞こえるような温度で、空気を切った。
場のざわめきが一気に高まる。
「誰……あれ……?」「モデル?」「いや、あれは……王子?」
彼は一歩ずつ、まっすぐ玲央の方へと向かってくる。
会場にいる全員の視線を引き連れて。
「あの……この場にはご招待を──」
ホテルスタッフが近づこうとしたが、主催者のひとりが手を挙げて制した。
その人物の目もまた、シトロンから逸らせずにいた。
玲央は思わず、胸元に手を当てる。
固く結んだネクタイの感触が、妙に息苦しい。
「……君、なんで……」
「だって、言ったろ? 迎えに行くって」
すぐ目の前まで来たシトロンが、玲央の手にそっと触れる。
その指先は、会場の喧騒とは無縁の温度を持っていた。
「こんなにたくさんの人がいても、僕にはきみしか見えないよ」
その一言に、玲央の思考が止まった。
周囲の視線が突き刺さるように降り注ぐなか、シトロンは平然と手を取り、
「少しだけ、ふたりになろう?」と囁いた。
そして、玲央を連れて会場の奥へ──
ガラス張りのバルコニーから、隣接するホテルのラウンジへと歩み出ていった。
まるで最初から、そう決まっていたかのように。
まるで“選ばれた者”だけが、知らされていた導線を辿るかのように・・・
* * *
場の空気がざわめくなか、会場の片隅でひとり、明らかに別の動揺を見せる人物がいた。
アラン・モンレアル。
フランス・パリに本拠を置くオートクチュールブランド〈Maison Montreuil〉の創業者であり、
現役のクリエイティブ・ディレクター兼CEO。
「……C’est lui……!」
手にしていたシャンパングラスがかすかに揺れ、泡がこぼれそうになる。
「どうかなさいましたか、モンレアル様?」
隣に控えていた秘書がすかさず問いかける。
「……彼は、誰だ……?」
アランの灰青色の瞳は、ただ一心にシトロンを見つめていた。
その美貌、佇まい、空気を断ち切るような存在感。
「私は……何年も探していた。
私の新ライン〈NOIR LUNE〉にふさわしい、完全なる存在を……
まさに“月の影”のような、神性と気高さと危うさを併せ持つヴィジュアルを……」
「すぐに調査を……」
秘書がすぐに端末を操作しながら答える。
「SNSでは情報が錯綜しています。素人の投稿ばかりで、公式なプロフィールはまだ確認できません」
「信じられない……あの完成度で、無名だと?」
アランの目が鋭くなる。
「構わない。必ず探し出せ。私がパリの顔にする。あの男こそ、NOIR LUNEの魂だ」
そして低く呟いた。
「……君は、月の下で生まれた顔だ」
〜つづく〜
シトロンの“貴公子としての初めての冒険”・・・いかがでしたでしょうか?
渋谷・原宿という現代の舞台で、彼が猫だったころの感覚を少しずつ人の姿で表現していく姿は、書いていてとても楽しかったです。
そして、ようやく「迎えに来る側」として玲央に会いに行けたシトロン。
一見堂々としていても、彼なりにドキドキしていたのでは……なんて、作者は妄想しています。
次回、ふたりはどんな“夜”を過ごすのか。どうぞ、もう少しお付き合いください。