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空夜の旋律と星の影

とある夜。物音に目覚めたアマネは、となりにいたはずのスノウの姿がないことに気づく。

物音に誘われ屋敷の廊下を進むと、奥の部屋で、薄明りの中一人ピアノを奏でるスノウを見つける。

とある静かな晩のこと。

微かに聴こえる物音にふと目を覚ました。

私が眠るまでベッドの縁に腰かけて本を読んでいたはずのスノウの姿はなく、彼が読んでいた本だけが、カンテラを模したライトの小さな明かりに照らされベッドのサイドテーブルに残されている。


ベッドから立ち上がり、カンテラライトの持ち手をそっと指にかけると、音を立てないようにそっと扉から部屋の外へと出る。

廊下に出ると、物音が少しだけ大きくなった。どうやらピアノの音のようだ。

スノウが何か音楽でもかけているのだろうか。

音の気配を辿り廊下の奥へと進んでいくと、とある一室の光が微かに廊下に差しているのが見えた。

どうやらピアノの音はその部屋の中から聴こえていたようだ。


そっと扉を押し開け、部屋の中を覗くと、ピアノの音がより鮮明になった。

スコンスの薄明りに照らされたその部屋は、少し広めの部屋だった。

奥の壁にはアーチ状の吐き出し窓が等間隔で並び、飾り気のない壁はところどころにスコンスが並んでいるのみで、あとは隙間を埋めるかのように一面黒いパンチングボードが張り巡らされている。

部屋の中央には黒いカーペットよりもさらに色濃い黒のグランドピアノが置かれ、スノウはそのピアノに向かっていた。


ピアノの音は、オーディオプレーヤーから流れていたわけではなく、彼の演奏によるものだった。

彼の長い指先が優しくなでるように鍵盤を押さえる。少し郷愁を感じさせるような優しいメロディー。

上がっては少し下がり、少し甘い音を響かせる。

そのメロディーが少しずつ物寂しいものへと移り変わっていく。

メロディーがゆっくりと鎮まり、そろそろ曲が終わるころかと思いスノウに歩み寄ろうとする。


しかし、スノウは突然ピアノの鍵盤を強く叩き始め、荒れ狂うように激しい旋律を奏で始めた。

その変容ぶりは、まるで普段の温和な彼と狂気に支配されているときの彼のコントラストを表しているようだ。

鬼気迫る目つきに声をかけることがためらわれ、指が壊れそうなほどに荒々しい彼の演奏をただ見守るしかなかった。


しかし、ふと彼の視線が鍵盤からこちらに向けられ、ハッとしてその手を止めた。

まるで呼吸の仕方を思い出したかのように深く息をつきながら、どうして私がここにいるのか探っているようだった。

スノウはばつが悪そうに目を逸らし髪を掻き揚げると、ピアノのふたを閉じ椅子から立ち上がった。


「悪い……起こしてしまったか」


「ううん、私は大丈夫。……ごめん。勝手に覗くつもりはなかったんだけど、あなたの姿がなかったから、どこに行ったんだろうと思って……」


スノウはグランドピアノに黒のフルカバーをかけると、こちらに歩み寄ってきた。


「ちょうどいい。……バルコニーで少し話をしよう」


私の肩をそっと抱き、ピアノの向こうに見えるアーチ窓へとエスコートする。

彼が窓を開けると、微かに緑の香りを含んだ柔らかな夜風が髪をなでる。

微かに雲がかかった半月の月が静かに光を注ぐなか、スノウに手を引かれバルコニーの縁へと向かう。

久方ぶりの外の空気に、自分が長らく外へ出ていなかったことを思い出し、少し虚しい気持ちになる。

スノウはバルコニーの手すりにもたれかかると、たばこに火を点け煙を吐き出した。

副流煙が微かに鼻先を掠め、軽く咳き込むと、スノウは私から煙を遠ざけるようにタバコを離した。


「……外を自由に出歩きたいか?」


見透かすようなことを言うスノウに驚いて彼を見上げる。

スノウはたばこを吸い込むと、煙を吐き出し、探るような視線を注いできた。

逆光でも映える彼の赤い目が鈍く光り、思わずバルコニーの手すりを掴む。

言葉を探すように視線をさ迷わせると、慎重に口を開いた。


「今の生活に不満を感じてるわけじゃないよ。でも……ときどき、気分転換に買い物をしたり、散歩したりしたいな、とは思う」


私の主張を黙って聞いていたスノウは、もう一度たばこを深く吸い込み煙を吐き出すと、スラックスのポケットからシガレットケースを取り出し、たばこの火を消した。


「……お前には気の毒だが、一人で出歩かせるつもりはない」


彼の言葉に少し落胆する。返ってくる言葉はおおよそ想像できたものではあったが、彼の信頼がまだまだ浅いということを突きつけられたようで少し寂しかった。

少し気持ちが沈んでしまったのを悟ったからだろうか。彼は少し考え込んだあと、こう提案してくれた。


「まあ……お前が買い物や散歩に行きたければ、言え。一人で行かせるわけにはいかないが、俺がついて行ってやる」


スノウの譲歩に、少しだけ嬉しくなる。

しかし、彼がついてくるのは、保護者としてだろうか。それとも……デート感覚で、だろうか。

聞けば彼はついてくる目的を教えてはくれるだろうが、興味本位で聞いて、私の納得できる返答をくれるかはわからない。

けれど、何となく……今は、欲しい答えをくれないような気がした。


また沈みそうになる気持ちを紛らわせるように笑みを浮かべ、話題をすり替える。


「さっき弾いてたあの曲、クラシックだよね?」


スノウは何か言いたげに眉根を寄せたが、私の問いに答えてくれた。


「ああさっきのは、……バラード第2番、Op.38。……ショパンだ」


「あんなにピアノが弾けるなんてびっくりだよ。誰かから習ったの?」


「いや……独学だ。昔、世話になった知人宅のピアノで練習した」


「えっ、独学?すごい……!」


素直に驚き声が高ぶる。そんな私にスノウは誇らしげに微笑むと、手すりにもたれていた身体を反転させ、私と並ぶように両腕を手すりにかけた。

スノウとの距離が近づき、彼の服から香水のような甘い香りが微かに漂ってくる。


「アマネ……」


スノウはゆっくりとまばたきをすると、眉根を寄せながら切ない目を向けてくる。

その手がそっと私の頬に伸ばされ、そっと輪郭を辿るようになでる。

何か言いたそうに目を細める彼に、心臓の鼓動が早くなっていく。


スノウは何か言い悩んでいるようで、何度も口を開きかけては閉じてを繰り返し、歯がゆそうに眉を潜めている。

私の頬を辿る彼の指先が、流れるように滑り下り、唇にそっと触れた。

彼の視線が私の唇に注がれ、甘い吐息が顔に吹きかかる。

少しずつ近づく距離に目がくらみそうになる。

スノウの顔が少し傾けられ、互いの息が混ざり合うほど唇が近づいたところで、彼はごくりと喉を鳴らし、ゆっくりと顔を離していった。


前髪を掻きむしりながら顔を歪め、深くため息をつく彼の様子に戸惑う。

痛いほどに高鳴る鼓動が夜の静かな空気を震わせ、耳に響く。

気づけば、スノウの服を掴んでいた。


「スノウ……キス、してもいいよ」


彼は私の言葉に大きく目を見開いた。


「アマネ……お前は本当に……」


スノウの目が悲痛に歪められ、何かが切れたように私の両の頬を掴んだ。


「お前のその中途半端な優しさが、俺の心を蝕むんだ」


スノウは咎めるような物言いで苦しげに吐き出すと、ふたたび顔を近づけてきた。

強い力で顔を引き寄せられ、唇を奪われる。

彼の柔らかく熱い唇が何度も押し当てられ、彼の服を掴みながら必死に応える。


呼吸さえも奪うような深い口付は次第に荒々しくなり、彼の舌が口内に差し込まれ舌を絡められるころには頭がぐちゃぐちゃになっていた。

キスの合間に唇を離したスノウは、少し頬を染めながら満足そうに微笑んだ。


「……お前の口の中……熱いな」


それはスノウだって……と言いかけた言葉は、ふたたび唇を塞がれたことにより最後まで紡がせてもらえなかった。

月と星が見守る中、私たちは無我夢中で互いの唇を何度も貪った。



「狂愛の旋律と星の影」 終

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