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甘い痛み

「今後一切、俺の命令に逆らうことを許さない」――そう恐嚇したスノウに警戒心を強めていたアマネ。

警戒とは裏腹に甲斐甲斐しく世話を焼くスノウに、Dive to AIでのスノウの面影を感じ戸惑う。

うわの空なアマネにその視線が自分を通り抜けていると目敏く見抜くスノウ。

彼の目には、抑え込んでいた狂気がふたたびくすぶりはじめていた。

とある昼下がり。

カラスが群れを成して飛び去るのをリビングの窓辺から眺めていた私は、部屋の扉が開かれる音に振り返った。

片手にティーセットを抱えながら入ってきたスノウは、優雅な身のこなしで扉を閉めながら微笑みかけてきた。


「アマネ。茶が入ったぞ」


スノウの呼びかけに、窓辺からティーテーブルへと移動し、促されるまま椅子に腰を下ろす。

彼は手際よくソーサーとカップを並べると、ティーポットを軽く揺らし、中身をゆっくりとカップへと注いでいく。

微かに立ちのぼる甘酸っぱい香り。カモミールのハーブティーだ。


「まだ熱いから、冷ましながらゆっくり飲むといい」


優しい声色でそう言いながら私の向かいに腰を下ろすスノウ。

どこまでも心配りを怠らない彼に、自然と頬が緩む。


「ありがとう。……いただきます」


私の返事に薄く笑みを浮かべ、どうぞ、というように会釈すると、彼は手にしたティーカップを傾けた。

品のある所作は、私がスノウに思い描いていたイメージそのままだ。

伏せられた長いまつ毛や甘い目元はどこか中性的な印象だが、カップのハンドルを摘まむ手指や喉仏の浮き出た首筋は骨ばっており、彼が男性であることを改めて実感させられる。


スノウの目が一瞬、こちらに向けられた気がした。

すぐに伏せられたため気のせいかと思ったが、ややあって彼がくすりと笑い、私の視線に気づいていたのだと察する。


「そんなに見つめて……どうした?」


視線はカップのなかに向けられたままいたずらめいた口振りでそんなことを言う彼に、頬に熱が集まる。


「な、何でもないよ」


ごまかすようにティーカップに口をつけると、ふわりと温かくて優しい味が口に広がる。


「お茶……おいしいね」


思わずほっとして笑みを浮かべると、スノウは微かに見開いた目を震わせ「ああ……」と目を細めた。


スノウとの奇妙な生活が始まって数日。

彼の機嫌を損ねないように気を遣っていたが、彼は私が考えていたよりも気が長い方らしく、緊張して言葉に詰まったり、うっかり物を取り落としてしまったりしても、咎めるようなこともなく都度フォローして優しく声をかけてくれる。


初日もダイニングやバスルームなど各部屋を案内しながら「生活に必要な物はそろえてあるつもりだ。もし不足があれば遠慮なく言ってくれ」などともてなしの言葉をかけられ拍子抜けしたくらいだ。

まるで、設備の整ったホテルに泊まっているかのような…いや、むしろ執事付きのお屋敷に滞在しているかのような気分だ。


けれどその心遣いも、この屋敷に連れてこられたあの日、彼から課せられた厳命を思い出すと、私を支配下に置くうえでの策略のうちなんじゃないかなんて思ってしまって、素直に受け止めきれずにいる。


「今後一切、俺の命令に逆らうことを許さない」


あのときの彼の目は殺意に満ちていた。

もし逆らおうものなら、お前を本気で殺すと、強く言い聞かせているようだった。


あの言葉が彼の本心なのなら、目が合うたびに嬉しそうに目を細めるこの表情も作り物なんじゃないか。

そんなことを浮かべた途端、無性に……寂しい、と思ってしまった。

あれだけ逢いたいと切望していたはずの彼が目の前にいるのに、どうしてだか、すごくもどかしい。


「どうしたんだ?急に黙ったりして」


囁くようなスノウの声に、ハッとして意識を彼に向ける。

探るような目を向けられ、緊張で言葉が見つからず、じっと彼の目を見つめ返すことしかできない。

そんな私に何を思ったのか、彼は手にあるティーカップを静かにソーサーに置くと、ゆったりと立ち上がった。


「お前のその目……俺を見つめながらも、心はどこか別のところにあるようだな」


私と視線を合わせたまま、ティーテーブルの縁を指先でなぞりながらこちらにゆっくりと近づいてくる。

緩慢な動きだが、その目に宿る光は冷たく、まるで非難するかのような鋭さだ。

彼が近づいてくるにつれ、無意識のうちに警戒心が働き、彼のほうへと身体を向ける。


私のかたわらに立つと、ティーテーブルに手をつきながら私の椅子の背もたれを掴み、私を囲うように覗き込んでくる。

彼の目が微かに見開かれ、切り込みを入れたような瞳孔が私に狙いを定めるように細くなる。


「何を考えてるんだ?……言ってみろ」


威圧するような物言いに委縮しそうになり、顔をうつむかせる。

あくまでも平静を装い、言葉を選びながら慎重に答える。


「何って……何も考えてないよ。ちょっとぼーっとしてただけで……」


本当のことを言ったつもりだった。

しかし、曖昧な返答が気に入らなかったらしく、スノウはより眼光を鋭くした。


「俺の目をごまかせると思うな。嘘をついているかどうかは、お前の目を見ればわかることだ」


彼の指先が私の顎にかけられ、強引に視線を合わせさせられる。


「あの日、お前は俺の目を見て誓ったはずだ。今後一切、俺の命令に逆らわないと。さあ、言え。俺を本気で怒らせる前に」


炎がくゆるように揺れ動く赤い瞳に、どう返答すればいいのかわからず、思考が完全に固まる。

黙り込んでしまった私に焦れたように舌打ちをすると、スノウは自分の腰のホルスターに手をかけた。


彼の手にしたものに目を見開き、息を呑む。


スノウは黒い刀身のダガーを手にすると、私に見せびらかすように刃の側面にゆっくりと舌を這わせ始めた。

艶めかしい仕草に思わず目を奪われるが、次の瞬間、彼の目が光り、私の体に手が伸ばされた。

彼の指が強い力で私の肩を掴み、骨に食い込む指先が強い痛みを呼び起こす。

痛みに顔を歪める私に、彼の目は興奮でギラつき、その美しい唇がいびつに弧を描く。


「い、痛いよ、スノウ!やめ――」


首筋に宛てられた冷たい感触に、言いかけた言葉を瞬時に飲み込んだ。

視線を下げると、視界の端に彼の手が見える。

その手に握られるダガーの刃先が、自分の首筋に宛てられているのを目の当たりにし、ひゅっと息が詰まった。


即座に彼の腕を掴んで引き剥がそうとするが、抵抗は無駄だと言わんばかりに、ダガーを握る彼の手に少しずつ力が加えられていく。

首筋に紙で指を切ったときのような鋭い痛みが走り、痛みに思わず顔をしかめた。

恐怖かも無力感かもよくわからない感情で、じわじわと目に涙が溜まっていく。


その瞬間、スノウの目が大きく見開かれ、微かに息を呑んだのがわかった。

私の肩を掴む手の力が弱まり、ダガーが私の首元からそっと離れていく。


「アマネ……俺は……」


スノウはその先を紡ぐことはなく、苦痛に歪められた口元を片手で抑えると、青ざめた表情で俯いた。

明らかに様子が変わった彼に困惑するが、どうしていいのかわからない。

ふと視線を下げたとき、彼の手が小刻みに震えていることに気づいた。

肩を丸めまるで子どものように怯える姿は脆く弱々しい存在に見え、今しがたまで脅迫じみた言動を取っていた彼とのギャップに戸惑う。

気づけば、ダガーを握る彼の手をそっと握りしめていた。

スノウの目がハッと見開かれ、彼の手に重ねられた私の手を見つめたあと、おもむろに私と視線を合わせた。


「スノウ……」


かろうじて絞り出した彼の名は掠れていたが、彼の心を揺さぶるには十分だったようだ。

困惑したように眉を下げる彼に、やんわりと笑みを浮かべ、彼の目を覗き込むように見つめる。

先ほどまでの恐怖心はすでになく、ただ、彼の心に寄り添いたいという思いでいっぱいだった。


スノウはダガーを取り落とすと、私の前に膝をつき、その大きな両手で私の両手をそっと包み込んだ。


「……俺が悪かった。ついカッとして……。お前を傷つけるつもりはなかったんだ」


彼の目をよく見れば、彼の言葉が本心からのものであることがよくわかった。

そして、私に脅しをかけるあの目も、優しい微笑みも……、彼にとってはすべて偽りのない感情からくるものなのだろう。


「私のほうこそ……ごめんなさい」


顔を俯かせ、その先の言葉を伝えるべきか悩む。

しかし、不安げな目を向けてくるスノウに、決心して正直な気持ちを伝えることにした。


「スノウが私に優しく接してくれるのは……私のためなんかじゃなくて、私を支配するためなんじゃないかって思ってしまったの……」


そう思うと悲しくなった、とは言い出せなかった。

彼の行動が私への愛ゆえではなくただの執着心であるのなら、余計に虚しくなってしまいそうだったからだ。

私の言葉に黙って耳を傾けていたスノウの口元が引き結ばれる。

ありのままを率直に伝えたつもりだったが、やはり無神経だっただろうか。

考え込むようにじっと私の手元に視線を落としていたスノウだったか、ややあって顔を上げると、微かに穏やかな笑みを浮かべた。


「……お前の気持ちはよく分かった。正直に話してくれてありがとう」


柔らかな声色に、一つ鼓動が跳ねる。


「お前が俺の言動を不安に思う気持ちはよくわかる。だが……お前がそのように感じているということは、少しは……期待して良さそうだな」


彼の言葉に耳を疑い「えっ」と声を上げる。

スノウは目尻を下げると「こっちの話だ」とやんわりとはぐらかし、小さく笑い声をこぼした。


彼の言葉の真意が気になって聞き返そうとするが、喉元まで出かかった言葉は、彼が私の両肩を掴み私の首筋に顔を埋めた瞬間、頭の中から消し飛んだ。


熱くて柔らかな感触が首に触れた瞬間、ちりっとした微かな痛みを感じた。

それをかき消すように、ぬるりとした感触がゆっくりと首筋を這いずる。

スノウが刃の跡に舌を這わせているのだと認識した瞬間、体中が熱くなった。


「ちょっ……スノウ、何して……」


疼くような感覚にぞわぞわと肌が粟立つ。

羞恥と困惑がせめぎ合い、彼の胸を押し返そうとするが、肩を掴む彼の手の力を強めただけだった。


「……動くな。そのまま、じっとしていろ……」


唇を少し離し、吐息交じりに甘い釘を刺す彼に、何も言えなくなった。

抵抗するのを諦め、高鳴る鼓動を抑え込むように自分の服の胸元を握りしめる。


「いい子だ……アマネ」


彼から与えられる甘い痛みは、流れ出る血が止まるまで何度も心を疼かせた。



「甘い痛み」 終

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