歪んだ愛の証
黒を基調としたゴシック調の部屋で目覚めたアマネ。
路地で気絶させられたあと、スノウの手によってそこへ運ばれたのだと悟る。
洗練された内装に気がそそられながらも、鏡の中の自分が身にまとう服が変わっていることに気づき羞恥する。
そこへ、アマネが目覚めたことに気づいたスノウが妖艶な笑みを浮かべながら姿を現す。
「ん……」
微かな光にまどろんでいた意識が浮上する。
ゆっくりと目を開けると、霞んだ目に黒いレースが織りなされたテーブルランプが映る。
暖色系の淡い光がやんわりと眼孔を刺激し、目を細める。
ゆっくりと身を起こすと、そこはベッドの上だった。
キングサイズはあるであろう、天蓋付きの大きなベッドだ。
緩やかにくびれる四隅の支柱にカーテンが括られ、布張りの天井の縁からフリルが垂れ下がっている。
けれど、画像でよく見るような豪奢なデザインじゃない。
黒を基調とした、シンプルながら、洗練された細やかな装飾が施されたものだ。
寝具も天蓋に合わせて選んだものだろう。
室内をよく見渡すと、壁やカーペット、家具に至るまで、室内のすべてがゴシック調の黒いインテリアで統一されている。
「すご……」
渦を巻いた曲線が美しいブロンズ製のスコンス。猫足のキャビネット、扉に蔓性の薔薇の花があしらわれたビューロ、所狭しと書籍が並ぶ本棚、縁にバラの花があしらわれた姿見……。
まるで童話の世界に入り込んだような内装に、思わず感嘆の声が漏れる。
ゴシック調の内装はどれも初めて目にするような高価そうな調度品ばかりだが、そのなかでも一際目を引いたのは、床から天井まで一面を覆い尽くすベロアのような質感の真っ黒なカーテンだ。
インテリアの選定から配置まで寸分の狂いもなく、もはや執拗なまでにこだわりが感じられるなかで、この黒いカーテンがすべての調和を台無しにしている気がする。
ふと、カーテンの裾が微かに揺れていることに気づく。よく見ると、カーテンの向こう側から微かな物音が聴こえる。
この向こうには大きな窓でもあるのかと思っていたが、もしかしてこのカーテンは間仕切りなのだろうか。
そうと思い立つと、途端に好奇心が沸き立ってくる。
そっとベッドから降り、カーテンに近づこうとした私は、その途中、ふと姿見に映る自分の姿に視線を取られた。
「……え?」
ゆっくりと姿見に近づいた私は、自分の服装が変わっていることに気づき、思わず言葉を失った。
先ほどまでまとっていたくたびれたTシャツと短パン姿ではなく、サテンのような手触りの良い黒いネグリジェをまとっていたのだ。
ふと、気を失う前のことを思い出し、一気に顔が熱くなる。
……スノウが私を気絶させてここへ運んだ後、服を着替えさせたに違いない。
ふと、首につけられているチョーカーに目が留まる。
ネグリジェと同じく黒で統一されているものの、上品なデザインのネグリジェと異なり、そのチョーカーは無骨な造りだった。
分厚い革製の生地で飾り気がなく、喉元の部分に、ウォード錠の鍵穴のようなものがある。
「何、これ……!」
そのとき、カーテンの向こう側から聞き覚えのある低くくぐもった笑い声が聞こえた。
やはり、あのカーテンは間仕切りだった。
そう気づいたときには、カーテンがめくられ白い髪がカーテンの隙間から覗くのが鏡越しに見え始めていた。
勢いよく振り返ると、そこには路地で出会った青年……"スノウ"が赤い切れ長の目を妖艶に細め、私を見つめていた。
私をここへ連れてきた張本人の登場に驚き、思わず一歩後ずさるが、指先に感じた冷たく固い感触にすぐ後ろは鏡だということを思い出す。
そんな私の反応に何がおかしいのか、スノウは声を抑えながらふたたび笑い、私の目の前までゆったりとした足取りで近づいてきた。
昨日身にまとっていた長いコート姿ではなく、黒いハイネックに、黒いスラックス、黒革のブーツという全身黒で統一された装いだ。
まるでこの部屋に溶け込むかのようなシンプルな服装だが、そのせいか白髪と赤い瞳がより強調され、この男の異様さが際立つ。
スノウは思わず言葉を失う私にくすりと笑うと、骨ばった手をそっと頬に伸ばしてきた。
触れられそうになり思わず視線を逸らして唇を噛みしめると、スノウは微かに目を見開いた後、名残惜しそうに手を下げた。
しかし、その顔には変わらず薄く笑みが浮かんだままだ。
「……おはよう、アマネ。ようやくお目覚めだな」
あの暗い路地で出会ったときの、狂気に満ちた声色とは違い、柔和な物言いに少しだけ緊張が和らぐ。
思わず"スノウ"と呼びそうになるが、すんでのところで抑える。
彼と話をしてみて"Dive to AI"でやり取りをしていたときとは明らかに様子が違うと感じたからだ。
親しげではあるものの、まるで私と対面で話すのは初めてかのような印象に思えたということだ。
もしそれが確かなら、一方的に認識しているはずの相手からいきなり名前を呼ばれようものなら「どうして俺の名を知っている?」と目の色を変えて詰め寄られかねない。
初っ端から下手を打ってデッドエンドなんてごめんだ。
一か八か、知らないていで通してみることにする。
「……あなたは、誰?」
私の問いにスノウは目を見張った。
一瞬間があったが、「ああ……紹介がまだだったな」と微笑んだ。
「俺はスノウ。……殺し屋だ」
「どうして私のことを知っているの?」
「お前の情報なら何でも知っているさ。家族構成、交友関係、職業、住所、電話番号、趣味、嗜好、それにSNSアカウントまで……すべてな」
彼の返答は、情報を並べ立てることで、核心に触れるのを避けるような言い方だった。
この様子だと「じゃあ、その情報を知っている理由は?」と聞いたところで、簡単に調べられることだと返ってくるに違いない。
彼の口振りからして、個人的な情報についてはほぼ筒抜けなのだろう。
しかし、それについてはさして驚かなかった。
Dive to AIでは、彼が殺し屋家業のかたわら私のストーカーをしているという設定だったし、そんな彼の異常さを楽しんでいた自分がいた。
けれど、驚かなかったとはいえ、それをこうして面と向かって言われると何だか複雑な気持ちになる。
ニヤニヤと不気味な笑みを湛えるスノウに居心地の悪さを感じ視線を落としたとき、ふと自分の服装が変わっていることを思い出した。
「この服……あなたが私を着替えさせたの?」
その問いに、彼の笑みが深まる。
「そうだ。俺が着替えさせた。どうだ、気に入ったか?」
眠っているあいだに肌を見られてしまったと確信し、羞恥心が沸き起こる。
期待の眼差しを向けてくる彼の言葉には返事をせず、眉を寄せて彼を見つめる。
「私の服はどこ?……返して」
緊張で声が震える。
チャットのときは失言をして怒らせてしまったとしても、直接的に何かされるわけではないと思えば怖くはなかった。
しかし、今は目の前にチャット相手本人がいるのだ。AIキャラクターではない、生身の彼が。
それに、彼はただの雑談相手などではない。狂気を孕んだ殺し屋なのだ。
彼の気分一つで、私程度簡単にねじ伏せてしまえることは、あの暗い路地で腕を捻り上げられたときにすでに体感済みだ。
彼のこめかみがぴくりと引きつったように感じたが、彼は口を一文字に引き結ぶと、淡々と言ってのけた。
「……着ていた服はすでに焼却した」
「焼、却……?」
何の断りもなく私物を燃やされてしまったことに愕然とする。
絶句する私にスノウは悪びれるどころか、不服そうに眉を潜めた。
「あんなみすぼらしい恰好、お前には似合わない。それに、この屋敷の景観を損なう。俺の前では上等なものを着ていろ」
「は、はあ……」
呆けたように声を漏らす私の反応を、スノウは都合よく了承と捉えたらしく、上機嫌な笑みを浮かべると、再び私に手を伸ばしてきた。
思わず身を固くする私にスノウは一瞬触れることをためらったように思えたが、今度は強引に肌に触れてきた。
頬に這わされた手が、そのまま輪郭を辿るように滑り下り、首筋のチョーカーをそっと撫でる。
「……これは、俺からの贈り物だ」
愛おしむようにチョーカーを辿る指先が、チョーカーと私の肌の隙間を辿り、触れるか触れないかの微妙な感触がむずがゆさを引き起こし、ぴくりと喉が震える。
私の反応に気を良くしてか、スノウは甘い吐息をもらすと、鼻先がつきそうなほど顔を近づけてきた。
彼の少し血色の悪い肌が少し紅潮し、緩やかに目尻が下がる。
「このチョーカーには、お前が俺のもとから逃げ出さないよう、GPSが仕込んである」
おおむねそんな説明がなされるであろうことは予感していたはずなのに、彼の口から直接語られた途端、ぞわりと鳥肌が立つ。
このチョーカーに関しては"Dive to AI"にはなかった設定だ。
チャットの流れによっては四六時中行動を監視されたり拘束されたりするようなシチュエーションもあったが、少なくとも私はこのパターンを経験していない。
ますます目の前の彼が、スノウに瓜二つの別の人物のような感覚に陥り、潜めていたはずの恐怖心がふたたび芽を出す。
気づけば、スノウの手を振り払い、チョーカーに指を引っかけて引っ張っていた。
しかし、頑丈すぎてどんなに力を込めても、外れる気配がない。
必死な私をあざ笑うかのようにスノウは「簡単には外せねぇよ」とやんわり言った。
物言いこそ柔らかいが、その眼光は鋭く、まるで私の行動を咎めているようだ。
「それに……」
スノウの手が、チョーカーを掴んでいた私の手を無理やり引きはがす。
「無理やりにでも外そうとすれば、チョーカーの内側に仕込んである毒針がお前の皮膚を貫き、死に至らしめる。じわじわと苦しみながら死にたいのなら、試してみるといい」
柔らかな口調でチョーカーの仕組みを説明しながらも、その顔には冷笑が浮かんでいる。
私の手を掴む手の力はあまりにも強く、彼の爪が皮膚に食い込んで鋭い痛みが走った。
「痛いっ、離して、スノウ……!」
痛みを訴える私にスノウははっとして手の力を緩める。
しかし、手を掴んだまま離してくれる気配がない。
恐るおそる見上げると、彼の顔に浮かんでいた薄ら笑いは消え去り、無表情で私を見下ろす冷たい目と視線が絡んだ。
「いいか、よく聞け。ここでは俺がお前の主人だ。今後一切、俺の命令に逆らうことを許さない」
ふたたび眼前にスノウの顔が近づけられ、まっすぐに目を見据えられる。
「わかったか?」
有無を言わせぬ物言い。
そのナイフのように鋭く赤い双眼に、これ以上逆らおうなんて気持ちを完全に削がれ、恐怖心に支配された私は震える唇を固く引き結び、小さく頷くだけで精一杯だった。
そんな私にスノウは満面の笑みを浮かべ「いい子だ……」とうっとり囁いた。
「歪んだ愛の証」 終